「豊かに生きる」      神埼組 西慶寺 亀山法城

 有り難いこ事に毎年年末になると、脊振町のご門徒さんから自家製の干し柿を頂きます。

干し柿は、とっても甘く美味しいのですが、甘柿から出来るものではありません。
最初は決して甘くない渋柿からしか出来ません。渋柿が太陽の光に照らされて、甘く美味しい干し柿に変わっていくのです。
 また、渋柿の渋みが強ければ強い程、甘い干し柿が出来ます。私達と阿弥陀如来様の関係は、渋柿と太陽の関係によく似ています。

 煩悩(欲・苦しみ・悲しみ)を抱えた私達の姿を凡夫と言います。現世(人間の世界)では、お念仏を何回と唱えても、お金持ちになったり、病気が治ったり、学校や職場での成績が良くなるわけではありません。凡夫は凡夫のままです。

 しかし、煩悩によって苦しんでいる私達を救いたいと阿弥陀如来様が、み光を常に私に照らして下さっているのです。

 そのみ光は、決して肉眼では見えませんが、この私が、み光に照らされていると、お聴聞(仏様の話を聴く事)によって気付かされた時、私自身の生き方が変わります。

 私達の人生は、決して思い通りになりません。しかし、仏法・お聴聞のご縁にあえば、思い通りにならない人生の中に、「おかげ様」と感謝しながら生きていける、豊かな人生に変わっていくのです。


 煩悩を抱えた私は、煩悩を抱えたまま死を迎えます。

しかし、そのままお浄土(仏様の世界)へ救い、私を仏へと生まれさせて頂く方が、阿弥陀如来様という仏様です。

 決して肉眼には見えませんが、常に照らされ・護られている私の尊い「いのち」無駄には出来ません。
無理に頑張らなくていいんです。結果的に頑張ったのであれば、それはとても素晴らしいことです。

 いつ終わるか分かりませんが、頂いた「いのち」を自分なりに精一杯生き抜く事が一番大切な事であり、豊に生きるということです。

頂いた干し柿をほおばりながら、有り難く思った一時でした。

称名念仏

 

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