「私の歩む道」      三根組 徳音寺 松信弘生

 先日、九州国立博物館で開催されていた『聖地チベット』展を鑑賞してきました。様々な表情の仏様やチベット仏教のお坊さん達の像が迎えてくれました。それぞれの解説文を読んでいるうちに気付かされたことがあります。

一口に仏教と言ってもその土地の風土やそこに暮らす人々の生活様式、また時代の為政者の干渉、そういったものの影響を大きく受けて、教義解釈も自然と変化をしていくのだなと言うことです。しかし、根本にある衆生救済の願いには違いありません。


 私が一番興味を惹かれたのは『千手観音』と言う観音様の像です。

その名の通り、無数の手を持った観音様なのですが、その無数の手はどのような手立てを使っても衆生をすくわずにはおれないという事をあらわしているそうです。親鸞様もお言葉の中にどのような手立てをもってしても有縁の衆生に働きかけ必ず間違いなく救うのであると述べておられます。

 さて、ここ数日宗教法人が起こした所得隠しや悪質な訪問販売が事件となり新聞に掲載されています。宗教団体はいつからお金儲けの団体になったのでしょうか?運営のためにお金がかかるのは当然でそれはひていされるものではありませんが、度が過ぎると宗教とは一体なんだ?との疑問が強くなってきます。それぞれの宗教に教義があり一概には言えませんが、人間が人間らしく生きるためにあるのが宗教ではないのでしょうか?

 私達の浄土真宗の教章の中に、『親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。』との一文があります。この教章は『私の歩む道』です。世の中には多種多様な宗教があります。素晴らしい教えもあれば、ん?と首を傾げたくなるようなものもあります。

 私達には、あらゆる手立てを持って私に向かって働いて下さる阿弥陀様のお慈悲に応えるべき生き方が求められています。

 

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