「お参りすっぎん 良かことのあろーか?」  白石組 西光寺 西 昭文

 蝉の声が聞こえる夏を迎えました。季節はまったく違いますが、今年の正月の話です。

西光寺では、新年が始まるちょうど午前〇時に 年頭勤行をお勤め致します。

それは 新しい年を一番素晴らしい言葉 ナモアミダブツ のお念仏で始めたいからです。
 今年は いつもお参りくださる方の中に 新しい顔が混じっていました。初めて お寺の行事にお参りされたKさんです。

 私は嬉しくて お勤めの後 Kさんに声をかけました。

 「Kさん 良〜お参りしんしゃったね−。嬉しかー。」

 Kさんは恥ずかしそうに

 K「この年になってやっとお参りに来たよ。新年早々 仏さんにお参りしたけん 何じゃい 良か事のあろーか?」

 と 言われたので 私は

 「そりゃー 良か事のあるさい。」

 と返事しましたら Kさんは

 K「そいぎん 宝くじの当たろーか」と 言われました。

 その言葉に ナモアミダブツと一緒にお念仏を称えたけれども、心の内は違うのだなと思いました。

 もちろん 宝くじが当たらない方が良いと言っているのではありません。

良い事というのが 自分中心の欲が満たされることを願っていることだと気付いてほしいのです。

 東井 義雄 先生の「新年に」と題された詩に

 よいことばかりやってくるように

 つらいこと 苦しいことはやってこないように

 そんなことを願っても それは 無理というもの

 どんなことが やってきても おかげさまでと

 それによって 人生を耕させてもらう道

 人生を深め 豊饒(ほうじょう)にさせていただく道

 それが お念仏の道

 とあります。

 欲にまみれた私を すでに知り抜いて 煩悩の真っ只中で右往左往しているお前こそ 救わねばならぬ 大切なわが子だよと ナモアミダブツ と届いて下さっている仏さまに遇わせていただいた。

 この仏さまを人生の拠りどころと仰いで 今年も精一杯生き抜かせてもらおうと 新年をお念仏で迎えられたことを良かったと味わって欲しいのです。

 

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