「苦しみ」ごと背負ってくださる仏さま  藤津西組 証誠寺若院 橋本孝生

 私たち人間には、「思い通りになりたい」という潜在意識、つまりは、「煩悩」があります。

そのため、「思い通りにならない」という苦しみは、取り除きたいようです。

 しかし、人生の中では、普通にすごしていれば、「思い通りにならない」苦しみを重ねていきます。

たとえば、書中学生であったら、今度こそ一番にと思って必死に勉強しても、やっぱりあいつにはかなわないとか、サッカーの練習量は誰にも負けないのにレギュラーになれないとか、いろんな壁にぶち当たります。

 この、失敗すること、傷つくということが、実は大切なことではないでしょうか。でも現代は、周囲が子供の失望の機会を奪っているように思えてなりません。

今は学校の運動会で、保護者がこられない家庭があるから、子供が「かわいそう」と、お弁当をやめて給食にしたり、学級委員を決める選挙の開票を、落ちた子が「かわいそう」だからと、子供たちの前でせず当選した人だけを発表したりと、先回りして配慮してしまうことが、多くあるようです。

 私たちは、「苦」という荷物を背負いながら生きています。なんで、私ばかりこんな目にあわないといけないのかと愚痴りながら・・・。それを見た阿弥陀さまは、私たちが「思い通り」生きられるように、「かわいそう」だからと、その荷物をヒョイと取り除かれるわけ・・・ではないのです。

 すでに私たちは、「苦」という荷物ごと、そのまま大地のような大きな力に、しっかりと背負われていたのです。

私の目をこじ開けて、「南無阿弥陀仏」の六字にこめて「あなたのことが心配でならない。あなたの苦しみすべてわたしが引き受けて、あなたを仏にしたてあげるまで、決して離さない。われにまかせよ」と届いてくださっております。

 私たちは、阿弥陀さまに「苦しみ」ごと背負われての、お育ての真っ最中でありました。

ただの「苦しみ」に意味をもたらしてくださる仏さまであります。

 

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