「お念仏を楽しむ」     藤津西組  正教寺住職 熊谷正之

 「鶯の一声は 春の至りなり  念仏の一声は 本願の至りなり」
 先日小学校の息子たちの夏休みも終わり、ようやく静かになった我が家の窓から何気なく外を見ますと、田んぼの土手に一輪の彼岸花が咲いているのが目に入りました・あわただしい生活の中では見過ごしがちでありましたが、たった一輪の彼岸花が既にここにも秋が近づいて来ているという季節の移ろいを知らせてくれたことに改めて驚きを感じたことでです。

 私どもが日頃お称えする南無阿弥陀仏を宗祖親鸞聖人は「本願召喚の勅命」であります、と教えて下さいました。
 仏説無量寿経にある第十八願(ご本願)に説かれた阿弥陀さまの願いとは、「自らを信じさせ、称えさせて、全ての生きとし生けるものを一人も漏らさずお浄土に救い取りたいとの願いで、それが声となって私に届いた姿がお念仏でありますから、この上なく大切に聞いていかないといけないものです。」とのお示しであります。

 ちょっと難しいお言葉ですが、浄土真宗のお念仏は私の方から「お助け下さい阿弥陀さま」、「お願いします阿弥陀さま」と頼む意味のお念仏ではなく、「我に任せよ 必ず救う」と阿弥陀さまの方から呼んでくださっているのがお念仏なんですよということです。

 ところで、冒頭にご紹介しましたのは真宗大谷派の金子大栄という方の詩です。常に季節の変化の中にありながら、何の変哲も無いように思い暮らしがちでありますが、そんな私にも鶯の一声が春の到来を告げてくれます。それと同じように、本願のお念仏は仏さまに近づくどころか嘘偽りにどっぷり漬かった私であると知らせてくださると同時に、その同じ口から出てくださることで、声となられた阿弥陀さまが私のところへ来てくださっていることを知らせてくれます。日々の生活の中でさまざまな苦しみ悲しみに沈みがちな私と既に歩みを共にし包み込んでくださっていたのです。

 「鶯の一声は 春の至りなり  念仏の一声は 本願の至りなり」

 この前の句に「一輪の彼岸花は 秋の至りなり・・・」などと自分なりに気付いた周りの風景を当てはめてみますと、その季節ごとにいつでも、どこでも、自らの口をついて出てくださるお念仏を味わうご縁として楽しんでいけそうですねえ。
ナマンダブ、ナマンダブ・・・。

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