「お差し支えなし、ご注文なし」     藤津西組 安徳寺 森脇一弘

 去る今年の5月下旬の夜のことです。布団の上で思わずうずくまっていました。暫くは、あまりの激痛に起き上がることも、声を発することもできずにただじっと我慢するだけでした。傍にいた5歳になる次男が、耳掃除中の私に体当たりしてきたのです。

妻も驚きながら心配して声をかけてくれましたが、それどころではありません。しばらくしたら痛みは和らいできました。しかしその後も何とも言えない違和感が、左の耳の中に残っています。(鼓膜を見事に貫通していました)

徐々に痛みはやわらぎ少し余裕が出てきた私は、気付いたのでした。わたしのそばを離れることができずに、顔を上げることができずに下を向いたまま、ただ「もじもじもじもじ」とじっとしている者の存在を。

さすがにこの次男がかわいそうになり、「お父さんは大丈夫だよ」との気持ちから声をかけました。すると緊張の糸が切れたかのように急に「もういや〜」そのような悲鳴のような声をあげて一人で二階に駆け上っていきました。翌日、妻から聞いたのですが、次男はその夜は泣きながら眠ったようです。

 

いろいろと考えさせられました。それは次男にすれば、「お父さんごめんなさい」と謝り、また「寝たまんまで耳掃除をしているから、お父さんが悪いとよ」と私を責めてもよかった訳です。でもそれもできずに、わたしの傍でじっとしているしかなかった次男は、いったいどんな気持ちだったのでしょうか。

もうひとつは、被害者としての私の心に「かわいそうだったな・・」との気持ちが湧いてきたのは、何故だったのかということです。多分私のこころが立派でそのようなやさしい心が湧いてきたのではないことは確かです。理由としては一つだけです、それはわたしが、その子の親だから、他には理由が無いように思いました。

 そして、なにより我が子のその時の様子は、そのまんまわたしの姿ではなかったかということです。 強く・賢く・りっぱに生きたいと思いながら、現実は、弱く・愚かで・過ちを犯しつつ生きているのが、偽りのないわれわれの姿ではなかったでしょうか。 

三河のおそのさんは、アミダ様(親)の御慈悲を「お差し支えなし、御注文なし」つまり「仏さまからみられたら、そのままでよい、何もさしつかえることはない、あるいは、何も注文しないぞ、そのままのおすくい」とよろこばれました。

その後、おかげでケガは完治いたしました。正直なところ今後同じ目には遭いたくないものです。しながら、「差し支えなし、御注文なし」そのようなアミダ様のおこころを頼もしく味わせていただいた尊いご縁でありました。             南無阿弥陀仏

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