「仏さまをどう頂きますか」     北山組 最勝寺前住 田中道昭

 法文歌の一つに、次の歌があります。

「佛は掌にいませども、現(うつ)つならぬぞあわれなる、人の音せぬあかつきに、ほのかに夢に見えたもう」と

 親鸞聖人は「唯信鈔」という書物の中に、「仏に二種の法身あり、一つには法性法身、二つには、方便法身と示して、法性法身とは色もなく形もましまさず、然れば心も及ばず言葉も絶えたい」としてあります。

実はその前のところに、仏さまの呼び名が二十以上も出されてあり「真如_一如・真実・涅槃」等ありますが、その次に、「この一如より形をあらわして『方便法身』と申す」と示してあります。

これは、私共凡夫が思うことも、見る事も、説明することも出来ない真実そのものの仏さまが、私に近づき、私と同じ立場に立って救いの働きをされる姿を「方便法身の仏様」と示され、それが「阿弥陀如来」であり「南無阿弥陀仏」の仏さまであるということです。

 また御開山様は、この仏さまを「従果向因の仏」と頂いておられます。それは何故かと問えば、御和讃に「十方微塵世界の、念仏の衆生をみそなわし、摂取して捨てざれば、阿弥陀と名づけたてまつる」と示されて、私共が救われる因も果もすでに如来様の手もとで完成しているから「阿弥陀仏」という名前がついたのだと示されたのです。

「阿弥陀という三字は、限りない智慧と慈悲ということです」から、私共は、この仏様にすべてをお任せさせて頂くばかりです。

 最後に有名な童謡詩人金子みすゞさんの詩を紹介しましょう。

  さびしいとき

 私がさびしいとき よその人は知らないの

 私がさびしいとき お友達は笑うの

 私がさびしいとき お母さんはやさしいの

 私がさびしいとき 佛さまはさびしいの

       南無阿弥陀仏

    ありがとうございました。 

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