「白蓮華」    三根組 長泉寺住職  三玉 洪人

 

  ようこそダイアルして下され有り難うございます。
佐賀城跡(佐賀県庁)の堀に素晴らしい蓮の華を毎年夏になりますと眺めたことでした。しかし今は全滅しております。

それは小さな可愛いミドリ亀を家庭で飼育していたけど、あまりに大きく育ったため、手に負えず、その、その堀に捨てたのが大繁殖し蓮の根本、(茎)をくいちぎり蓮が全滅した・・・・とのこと。テレビの放送で知りました。

本当に残念で成りません。

 でも地元の人たち県の職員、小中高の生徒さんたちが色々と手を尽くし再生を念じご苦労下されていいるとのことも放送の中で知らされ嬉しく思っています。今年の夏が楽しみで御座います。


 毎日の生活の中に、阿弥陀さまのお心を聞き開き、常に念仏し、仏恩報謝の思いの生活を続け、称名念仏の尊い温かい日暮らしが遅れる人を、仏説無量寿経に、「妙好人」「最勝人」などの呼び方で尊敬されております。


 親鸞聖人はお正信偈の中に、是人名分陀利華と申され、お念仏を喜ぶその人を分陀利華、白蓮華とあります。
 阿弥陀さまは、蓮華を台にして、その上にお立ちになり、常にお浄土から、私にご本願のいわれを説いておられるお姿、正に今現在説法。今、現に法をお説きに成られているお姿であります。

 本日は、蓮、白蓮華について少し味わって見ましょう。

一茎一華(いっけいいっか)

 蓮華は、一つの茎に、一つの華が咲きます。一つの茎に二つも三つも華が就かないのです。私達は他人様をみて、特別なことも別になされないのに、なんで幸福な日暮らしをなされて居るのだろう。比べて私は、色々な頑張り努力しているのに、どうして不幸な事が続くのでしょうか。と、よく愚痴る事で御座います。他人を見て幸不幸を歎くのではないのです。私たちはたった一回の人生でしょう。真摯に自分を眺め何時も私の事を、片時も忘れることなく思い続けて居て下さる阿弥陀さま(親様)の心の中で生かされて生きることを感謝し念仏申しましょう。

華実同時(かじつどうじ)
蓮華は、華が咲くとき、同時に実を結んでおります。チュウリップも、彼岸花も花が散ってから、球根を宿すそうであります。朝顔や梅、桜なども花びらが散り花の元に種が出来誕生するそうです。親鸞聖人がお勧め下さるお念仏のおいわれは、聞即信(もんそくしん)。聞くということは、つまり信ずるということであります。ただ耳だけで、聞いているのではなく、御仏の教え、任せよ救うぞとの喚び声を、私の心にそうでございましたと、聞く時、同時に心に届き今尊い阿弥陀さまのお心お慈悲で御座いましたと、聞くまんまが同時に喜べる姿が華実同時でありましょう。

泥中不染(でいちゅうふぜん)
蓮華は、汚い、臭い、黒いドロドロした沼地にさきます。その臭い汚いドロドロの泥に染まずに、逆に汚い臭い、人から嫌われる様な物を栄耀と受けて、美しい大きな何ともいえない香を放ち、ドロドロの泥を浄化するように私たちの心を和ませてくれるものです。妙好人と呼ばれる人もその通りでしょう。
人生は、本音と建て前はちがうワイ・・・・と云う人もたくさんありましょう。
機法一体(きほういったい)・・・・・・私がわたしを忘れることなく何時も思っていて下さる阿弥陀さまと、お念仏申す私は常に一緒でありました・・・と、聴聞させて頂きましょう。

 

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