「ごおんうれしや なもあみだぶつ」     白石組 正徳寺 浦霧 慶哉

 浅原才市という妙好人がおられました。

妙好人とは、念仏者をたたえる讃辞で、言葉では言いつくせないほど、うるわしい人ということです。

現在の島根県太田市温泉津町小浜の方でありました。
 八十歳をすぎたころ、才市さんは次のような詩をつくっておられます。


 わしのちちおや 八十四歳
 往生しました お浄土さまに
 わしのははおや 八十三で
 往生しました お浄土さまに
 わしもいきます やがてのほどに
 親子三人 もろとも
 衆生さいどの 身とはなる
 ごおんうれしや なむあみだぶつ

 父親、母親それぞれに、お念仏申しながらお浄土へかえらせて頂きました。私もやがてお浄土へやって頂きます。お浄土へ生まれさせて頂いたならば、親子三人がこんどは、人生に泣く人々を救うはたらきをさせて頂く、なんと尊いことであろうか。「ごおんうれしや、なむあみだぶつ」とお念仏せずにはおれないという詩です。


 近所に子供さんを幼くして亡くされたお母さんがおられます。子供さんを亡くされた御縁で、法座にもよくお参りなさいます。そのお母さんがある時に、「わたしも命終わったら、息子と同じ所にいきます。」とおっしゃいました。才市さんの詩の言葉「もろとも」と同じよろこびであります。


 本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき

 という親鸞聖人のお言葉があります。

本願力とは、阿弥陀仏がこの私を浄土にむかえとろうとはたらく力のことです。そのはたらきにあった人は、死んだら終わりの人生ではなく、広々とした大きな大きな世界がめぐまれているとのお言葉であります。

その広く大きな世界をしらされた私達は
 「ごおんうれしや なむあみだぶつ」、とお念仏せずにはおれません。

 

|戻る