「田植え歌によせて」       神埼組 圓楽寺 多門龍昭

 親鸞聖人は、40代 関東にお出でで有ります。
今の栃木県・茨城県です。
そこで、平太郎という20才ばかりの、青年に、お出会いになります。
平太郎は、田植え仕事の、まとめ役をしております。

 親鸞聖人は、この平太郎に田植え歌を、お伝えになるのと同時に、一著に、田植えを、なさったと、伝えられます


『五劫思惟の苗代(なわしろ)に、兆載永劫の代(しろ)をして、一念帰命の種おろし、自力雑行の草をとり、念々相続の水流し、往生の秋になりぬれば、この実とるこそ、うれしけれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』


 平太郎は、この歌の、おいわれと、お味わいを、親鸞聖人に、お訪ねした事でしょう。
親鸞聖人は、この歌の中に、法蔵菩薩さまが、阿弥陀さまに成られる中に、人々の有り様を見ぬき、願いを建て、兆載永劫の修行をし、阿弥陀様に成られた事ではあるか。


それは平太郎を見ぬき・救い・仏様にしようという、阿弥陀様のお慈悲が、全部くみこまれている事を、親鸞聖人は平太郎に、懇切丁寧に、お説き下さった事でしょう。
平太郎は親鸞聖人の、お言葉を聞きながら、阿弥陀様のお慈悲が、平太郎の日々の生活の中に組み込まれている事を、驚きをもって、喜びを感じながら聴き入った事でしょう。


 この歌は、大人は、本より、子守の子供の口にまで、歌われるようになり、春の苗代(なわいろ)作りに始まり、田植え・夏の草取り・秋の稲刈りの折々に歌われ、ご法義の伝わる、ご縁になりました。
また、この田植え歌は、少しずつ形を変え、関東はもとより滋賀県にまで伝わった様であります。
親鸞聖人が、60代、京都にお帰りになられますが、平太郎は、70代なかばに成られた親鸞聖人を、お訪ねする事が、御伝鈔に残ります。

 

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