巨瀬組 寶月寺    郷原 徳照

 

 先日、ニュースを見ていましたら、大学入試センター試験の受付が始まったと報道されていました。

私自身も、この試験を受けましたし、大学生の頃に塾の講師のアルバイトをしていたこともあり、毎年このニュースを聞くと、「大学入試までもう一息。大詰めになってきたな」と感慨深くなります。

来年の春になれば、入試がおこなわれました。というニュース、そして、合格発表がありました。というニュースが流れることでしょう。

 合格して喜んでいる人にばかり、目が行きがちですが、必ず不合格で涙を流している人がいることも忘れてはいけません。

 希望の大学に進学するためには、良い点数を取るということが条件になっているのです。良い点数をとった人から順に合格していき、点数の悪い人は不合格となります。合格できなかった人は、大学入学の条件を満たせなかったとも言えます。

 阿弥陀さまが建ててくださったお浄土には、不合格者はいません。言い換えれば、無条件であり、見捨てられる者がいないのです。条件があれば、必ずそれに漏れる人がいます。

仏像やお寺を建てることを条件にすれば、お金のない人はお浄土へ往生の望みを絶たれてしまいます。

優れた才能や智慧を条件にすれば、愚かな人や知恵の劣った人は往生の望みを絶たれてしまいます。

 だからこそ阿弥陀さまは、私たち全てを、一人も漏らさずに、救いたいという誓いを起こされました。

阿弥陀さまが起こされた誰一人見捨てないというこの願いは、今までにないものでありました。そのために五劫という気の遠くなるような長い間考え抜かれ、されに長い間ご修行されたのです。

そしてご自身の修行の功徳を全て南無阿弥陀仏のお念仏に込めて、声の仏さまとなって私の元へと届いてくださっているのです。

そして、お念仏を称えるものはみんな、私の浄土へと迎とろうと誓われたのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を称えることは、いつでもどこでも誰にでもできることです。

お浄土へすべての人を救いとるためには、誰にでもできる易しい、易しい方法でなくてはいけなかったのです。

 大学受験は成績のいいものから順に合格します。

同じように仏さまの救いが、修行を重ねて煩悩をなくし、清らかな心になった者から救いとるのだとしたら、多くの落ちこぼれがでるでしょう。

だからこそ、功徳のすべてが詰まった、最も勝れた仏道であるお念仏を選び取られたことは、阿弥陀さまの平等の慈悲の現れなのです。

私たちがどんな状況にあろうとも、阿弥陀さまの誰も見捨てないというお心に包まれています。

 

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