「願って下さる方」  藤津西組 證誠寺若院 橋本孝生

 

 私事で恐縮ですが・・・昨年の春、様々な心配の中、娘が誕生しました。

ご縁をいただき、父と成らせていただいたのです。そんな私には日課があります。それは、夜な夜な、娘のお腹の辺りを、両手でさすりながら、普段よりワンオクターブ高い声で「お父さんですよ〜。お父さんですよ〜。ここにおるけんね〜」と暇あらば呼びかけることです・・・そう、それは、はやく「お父さんっ」と呼んでほしいからです。

 そんなある日、いつものように娘と戯れていると、突然カワイイ声で「おかっっ」と言いました。

思わず、私の横にいた、つれあいを見ますと、「ニャッ」と笑みを浮かべたのです。

「さん」がついたら、「お母さん」であります。それぞれ思っているんですね。我が名を呼んでおくれと。

 思えば、私たちはいつ「お母さん」といい始めたのでしょう。いつ「お父さん」といい始めたのでしょう。

「じいじ」も「ばあば」も「お兄ちゃん」も「お姉ちゃん」も突然、何も無いところからいい始めたわけではありません。そこには、私が気づいておろうがおるまいが、「おなたを一人にはせんけんね。ここにおるから安心してね。お母さんですよ〜。お父さんですよ〜」と呼びかけてくれる方が、あってのことでした。

願われている身であったから、その方のことを呼ぶのでしょう。嬉しいときも、悲しいときも・・・。

 阿弥陀如来という仏さまは、私たちが、父と母を縁として、この世に生まれてくる、ずっとずっと前より、「必ず救う。まかせよ」と呼びかけ続けて下さっています。

あなたのいのちを、死んだらしまい、はいさいなら、意味がない、ゴミになる、そんないのちにはさせない。

仏となるいのちを歩ませんがために、「あなたを一人にはせんけんね。ここにあるから安心してね」とともに歩んでくださる方が阿弥陀さまであります。

 「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」とお念仏がこぼれるのは、私を願って下さる方のあかしであります。

嬉しいときも、悲しいときも「ナンマンダブツ」。

|戻る