「いのちの つながり」        松浦組 源光寺  波多 唯明


 本日は、いのちの繋がりというテーマでお話致します。
 毎年お盆参りに伺っているお宅があります。今年も八月十四日のお昼過ぎにそのお宅を訪ねました。

仏壇はお盆のお飾りが丁寧になされています。ふと目を落とすと、真ん中から二つに折れた双眼鏡が目に入ります。もともと黒かったであろう双眼鏡は、所々錆で赤茶けています。


 「ああ、今年もお遇いできましたね」私は阿弥陀様に手を合わせ頭を下げながら、双眼鏡にも頭を下げます。

いや、正確には双眼鏡の持ち主だった方に、そして双眼鏡が伝えてくれる思いや歴史に、私は頭が下がるのでしょう


 以前この家のご婦人が双眼鏡の話をして下さいました。元々双眼鏡はお兄様のものだったそうで、小さいころよく覗かせてもらったと懐かしそうに仰いました。やがてお兄様は戦争に出征され、沖縄で戦死されます。

戦後数十年が経ち、沖縄の遺品の調査団の方から、お兄様の名前が彫られた万年筆と双眼鏡が見つかったと連絡があり、ご遺族の元に届けられました。


 二つに折れ、錆びついて今は使い物にならない双眼鏡。しかし、ご婦人はそれを大切に保管され、お盆には仏壇に供え、亡きお兄様のことを偲んでおられるのです。手を合わせるその時に、きっと若かりし頃のお兄様と出遇っておられることでしょう。
双眼鏡は手に取るとずしりと重く、その重みはそれ自体のものだけではなく、戦後六十六年という時間の重み、戦争で死ななければならなかった方々のいのちや思いを受け継ぎ、これからの平和を築いていかねばならないという責任の重みにも感じられます。
直接お会いしたことのないご婦人のお兄様ですが、双眼鏡を通して毎年沢山のことを伝えて頂きます。

いのちは繋がっている。そのことを改めて思わせて頂いたお盆のご縁でありました。


 

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