巨瀬組 常立寺  太宰 了之

 

  佐賀教区では、春のお彼岸が終わる頃から、巡番報恩講の季節となります。


  この法要はいつ頃から始まったか解っていませんが、佐賀教区だけにある大変有り難い尊いご法縁である事には間違いありません。


 親鸞聖人の言葉に、「聞くというは、私達が仏の願いの生起と本末を聞くことです」と示されました。

生起とは、仏の願いが起こされた理由です。その理由は、ほかならない私にあります。


 毎日を「寝ちゃ食い・寝ちゃ食い」と無意味に過ごし、グチ・小言を言いながら、又、一日一日が死に向かっているのに、それすら解らず、生きる方向を見失っている我が身を聞く事です。

 そして、本末とは、阿弥陀さまがどのように願いを起こし、どのようになったかという事です。

 言葉を変えますと、「聞く」という事は、自分自身に出会い、仏さまの心に出会うという事です。

 山陰の岩見に善太郎さんという妙好人がいました。

この方が残された言葉に、

「おがんで助けてもらうじゃない

 おがまれて下さる如来さまに

 助けられてまいること

 こちらから思うて助けてもらうじゃない

 むこうから思われて、思いとられること

 この善太郎」と。

 善太郎さんは沢山の言葉を残されていますが、そのほとんどに、「この善太郎」と書いています。

この事は、我が身不在のご法義もお聴聞も成り立たないという事です。

 親鸞様も、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞いちにんが為なりけり」とあります。

ナンマンダブ・・・

 どうぞ、巡番報恩講の勤まっているお寺にお参りされ、お聴聞下さいますようお願いいたします。

 

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