藤津西組   賢楽寺住職  伊東 恒乗

 ようこそお聴聞下さいました。

本日のお取り次ぎを担当いたしますのは、嬉野町賢楽寺の住職伊東恒乗(いとうつねのり)です。

 今朝も、そろってお正信偈のおつとめをいたしました。今日もまたご本堂の阿弥陀様は、私の前にお立ち下さってあります。仏さまのお姿というものは、お立ち姿ばかりではありません。

お座りの禅定(ぜんじょう)のお姿も、身体を横たえた涅槃のお姿もあります。それぞれに尊い意味をあらわして下さってあります。しかし、「立撮即行(りっさつそくぎょう)」といわれる阿弥陀如来のお立ち姿は、私にとっては、なんとも有り難く懐かしいお姿です。

 このお立ち姿の阿弥陀如来は、苦悩に沈み、あるいは不安に畏れおののく私にはたらく、やるせないお慈悲のはたらきをあらわします。まさに「わが子よ」と子に向かう親のはたらきそのものの姿です。

 もう25年ほど前のことです。京都で一人暮らしをしておりました。一人碁らしは普段は気楽なものですが、体調が悪くなるとたちまら心細くなるものです。ちょうど、その日は休日でした。家に一人でいたところ、急に腹が痛くなりだし、それこそただならぬ痛みに変わってきました。救急車を呼ぼうと思いましたが、なんとかバイクに乗れそうでしたので、自分で急患を受け入れる病院まで行きました。

「これは盲腸ですね。すぐに手術をいたします」ということでした。とにかく痛みがあったものですから、すぐに同意して手術をすることになりましたが、とりあえず実家には「盲腸で今から手術する」と電話だけは入れておきました。今と違って携帯電話やメールはありませんから、病院の緑色の公衆電話からです。手術は短時問で無事に終わりましたが、もちろんそのまま案に帰ることはできません。

数日は入院となりました。

 次の朝起きますと、私の母親が病室に居たのです。私は驚いてどうやって来たのかと言いますと、当時は寝台特急「あかつき号」が武雄温泉訳を夜8時過ぎに出発して早朝に新大阪に到着していました。さらに在来線に乗り換えて来た、ということでした。私は感動して感謝したかと言うと、そんなことは全くありません。恥ずかしいことながら、私はこのことをずっと忘れていたほどでした。

その当時、「そんなに急いで来る必要はないのに」くらいにしかしか思ってなかったのでしょう。

 しかしながら、今になって、よくよく考えてみるとなんとありがたいことでしょう。今と違って手術の結果をすぐに報告することはできません。心配で心配でならなかったのでしょう。いても立ってもいられず急ぎ飛ぴ乗って、ここまで来て下さってありました。

 お立ち姿の阿弥陀如来は、いつでも私のことが心配でならないお姿でした。

わたしが忘れていようが、そんなことはお構いなしに、いつでも心配しているあなたの親がおるよ、

あなたの痛みはわたしの痛みよ、あなたの悲しみはわたしの悲しみよ、と遠くからではなく、ここに、わたしの声となって寄り添って下さってあります。「南無阿弥陀仏」と親の名をよぶときに、どんな境遇にいたとしても私はけっして一人ではないのです。

 お聴聞下さりありがとうございました。

 

|戻る