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                     田代組 善覚寺  正木 隆真

 ようこそのお聴聞でございます。今お互いが生かされておりますこの世界を「娑婆」と申します。

「娑婆」とは「堪忍土」ともいい、思い通りにならない事でも「堪えて忍んで生きて行かなければならない」という悩みと苦しみの絶えない世界という意味だそうです。


 どれ程理想の自分の姿や理想の人生を思い描いても、現実にはそれとは程遠い日暮しか送ることはできません。

むしろその理想と現実とのギャップに「こんなはずではなかった」と悩み苦しんでいるのが私の姿でもあります。


 いくらそれが煩悩による迷いの姿であるとお開かせにあずかっても、そうとしか生きることのできない私を、最も大切な存在と思い定めて、救わずにはおれないと立ち上がり、全てを知り尽くす究極の智慧と、決して滅ぴることのない無限の命の南無阿弥陀仏となりたもうて「この私が間違いなく救うぞ」と、どのような命のところにも既にご一緒であります。

そのお働きにこれまで気づかなかったのはこの私の方でありました、だからこれまで唯一人で悩み唯一人で泣いてまいりました。


 阿弥陀様はそのありのままの私をそのまま受け入れて、悩み苦しみから逃れることもできずに生きている私に「悲しい時はこの弥陀と共に泣こう」「苦しい時はこの弥陀と共に堪えよう」と厳しい人生を共に歩んで下さっています。


 苦しみや悲しみに向き合い、どうにもならない苦難をその全身で引き受けてゆこうとする時、阿弥陀様の御声が聞こえてまいります。「救わせてくれよ、私にまかせてくれよ」の悲しいまでのお呼ぴ声が聞こえてまいります。

私自身の声となり、私の悲しみのすべてを背負った涙声、この口で称えこの耳で聴かせて頂きながら阿弥陀様の温かいみ胸の中で泣かせていただきます。


 この苦しみあったればこそ本当の心の眼を開かせていただきます。「この悲しみも含めて私自身でありました、気づ.いてくれよのご催促でありました」と私が私になる人間成就の道を歩ませていただくのでございます。


 北海道の真宗寺院の坊守さんで、ガンのため47歳で亡くなられた鈴木章子さんは次のように語っておられます。


 「お念仏の信心をいただくとは、逃げたり頼ったりすることではなく、納得して現状(ありのまま)をいただく身に育てられることです」
いかなる時にも、そこから逃げるのではなく、言い訳するのではなく、なっていることをいただいていく」


 また、をさ・はるみ、という方の「ひとりごと」という詩が紹介されておりました。
「私が私になるために 人生の失敗も必要でした
無駄な苦心も 骨折りも 悲しみもすべて 必要でした
私が私になれた今 みんな あなたのおかけです
恩人たちに手を合わせ ありがとうございます とひとりごと」

 世間の風が冷たければ冷たいほど阿弥陀様のみ胸の温かさが身に沁みます、「欠片ほどもあなたのことは見逃さない」と仰って下さる無碍の光に照らされ、「決して見捨てない」と仰って下さる広大無辺のお慈悲に抱かれて、阿弥陀様と今日を歩ませて頂きます。

 

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