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                  神埼組 西慶寺  亀山 法城 

 

 先日、葬儀の時に葬祭場の職員さんから「ご住職さん、毎朝頑張って走ってますね」と言われ、また翌日、散髪した際に、お店の方からも。「走っていらっしゃる姿、よく見かけますよ。」と再び言われ、驚きました。

 

 私は毎朝ジョギングをしているのですが,、お二方は、走っている私の姿を通勤時によく見かけられているそうです。その事に私は、全く気が付きませんでした。

 

 毎朝本堂でのお参りを終えた後、6時頃から走り始めます。夏場は太陽も出ていて清々しい気持ちですが、冬場は朝といっても日の出前です。薄暗いどころか、真っ暗です。

 

 夜明け前の暗闇を一人で走っている時の心境と言えば、孤独で何か寂しい感じがします。しかしこの様に見ていてくださる方がいる事を知った時、ビックリしましたが、とても嬉しく、何か心強く安心する気持ちになりました。

 

 私達の仏様であり、親様である阿弥陀如来様は、「生老病死」と言う四つの苦しみ・悩みを抱えた私を、いつでも何処でも見ていて下さいます。しかし残念な事にそのお救いの姿は、私には見えません。そのことを親鸞聖人様は、「正信偈」の中にお書き下さってます。

 

〜煩悩?眼雖不見 大悲無倦常照我〜

(ぼんのうしょうげんすいふけん だいひむけんじょうしょうが)

 

 どのような意味かと申しますと、煩悩に塞がれた私の肉眼には決して見えないけれども、阿弥陀如来様と言う仏様は、常に私の事を照らし、願い見ていてくださいます。

 

 嬉しい時も、悲しい時も、私が阿弥陀如来様の事を思っている時も、また忘れている時も、この眼には、決して見えないけれど、阿弥陀如来様は、私の「いのち」を必ず見ていて下さいます。

 

 照らされ・願われ・誓われた私のこの「いのち」、有難く大事にしたいと思いました。

                                     称名念仏

 

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