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         「光明と名号のいわれ」    神埼組 円楽寺住職  多門 龍昭

 

 

 毎日のお勤め、『お正信偈』に、善導様のところで(光明名号顕因縁)と言う句があります。

光明・名号因縁を顕すと読むのですが、阿弥陀様の光明と名号のお働き因って救われていくということです。

 光明は阿弥陀様の智慧の働きを表していますし、名号は私の身上(みのうえ)に、念仏を申すとして示して下さいました。

 『観無量寿経』には、「阿弥陀仏の光明は、あまねく十方の世界を照らして衆生を念仏するものに育て上げ、本願を信じ念仏するようになったものを、その光明の中に摂め取って護りつづけ決して捨てたまうことはない」とお説きになっています。

 また善導様は『往生礼讃』に、「阿弥陀仏は光明と名号をもって、十方の一切の衆生を救い取ろうと働きつづけ、ひとすじに本願を信じて浄土を願うように働きかけられている」といわれています。

光明の働きによって、人々を導きはぐくみ 育てて下さったと云うことです。

 このことを、調育(ちょういく)と云うそうです。

調育とは、巧みな調教師が暴れ馬を調教して見事な競走馬に育てるように、私達を念仏を申す身に育てて下さったということです。

 それをまた調熟(ちょうじゅく)ともいいます。

それは太陽の光が未熟な果実を熟させるように、仏の光明には、未熟なものを育て導いて、本願のみ教えを疑いなく受け入れることのできるものに育てあげていく働きがあるからです。

 夏に青々としていた稲が、秋には黄金色に育ち、また 柿の実が熟す様に私が阿弥陀様の光明と名号の因縁によって念仏申す身に育てられた喜びの『偈』(うた)がこの「光明名号顕因縁」の句なのです。

 

 

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