「はつごと 初ごと」     佐賀組 正蓮寺住職 藤木 徳仁

 

 

 個人的なことではありますが、振り返ってみると昨年は母の往生に出遭い、娘が嫁ぎ、本堂の内陣修復とその落慶法要、ご門徒の仏前結婚式が二組、そして新年早々初孫の誕生など本当に慌ただしく、ご門徒の皆様にもずいぶんとご心配やご迷惑おかけしたことと、あらためて心よりおわびと御礼を申し上げます。

 しかし、あらためて考えてみると今日まで52年過ごさせてもらって、同じ年なんか一度もなかったんだなあと知らされています。本当は一年一年が新しいこと、二度とないこととの出会いばかりだったのが、そのようには受け取らずにただ行事ばかりに追われて、ぼんやりと過ごしてしまったことを申し訳なく思います。

 それは、何事も同じだと思いますが、初めて対処することには前もって準備も必要だし、失敗しないように細心の注意をはらい、また、新鮮な気持ちを持って臨むものだと思います。しかし、それが日常のこととなるとどこか「いつものこと」と「耳慣れすずめ」になっていたということでした。

 「初ごと」とは「初心忘るべからず」とは少し意味が違っていると思いますが、私の周りで起こる良いことも悪いことも、すべてのことを文字通り「初めての事と受け止めて生きてゆきましょう」ということです。

 たとえば毎年の元日の朝に初日の出を拝みに行かれる方も多くいらっしゃるのですが、考えてみると日の出は毎朝訪れて下さるものであり、本来は毎朝が初日の出でなければなりません、そして、今朝も目覚めさせていただいたことを新鮮に受け止めて一日の始まりを感謝することが大切なのであり、その新鮮な毎日が積み重なったときに尚更暦も変わった元日の初日の出を尊く受け止めることができるようになるのでしょう。

日の出も日の入りもわからないような毎日の中で正月だけ殊更に初日の出と拝んでもそれはあまり大きな意味は持たないことになると思います。

 いつもの家族、職場の同僚、ご近所の方々、古くからの友人など特にいつものこととすら考えずに顔をあわせているから、なおさら不用意な発言で険悪になったり、言葉がたらずに失敗してみたり、マンネリ化した日常生活に新鮮味のない人間関係になってしまったりを繰り返して自らがむなしい人生を選んでしまっているのでしょう。

 無常である、常ではない、変わり続けて行く、明日のいのちの保証がないわたしだからこそ、はじめて迎える今日だからこそ、生まれて初めて歩く道なのですから用心深く、そして一回一回を大切に渡らせて頂かなければなりません。

 だからこそ如来様は道に思い悩み迷う私たちに「この道を歩きなさい」とやさしくお念仏の教えお示し下さっているのです。

「本願力にあいぬれば、むなしくすぐるひとぞなき」と親鸞さまが歩まれた真実の道を信じて、お念仏とともにわたしたちも「初ごと はつごと」と今日を歩ませていただきましょう。  合掌