「お仏壇のお花は菊だけ?」  白石組 西光寺  西昭文

 

 

「ゴイッさん。」住職のことを当地ではゴイッさんと呼んでくださいます。

 

(女性)「ゴイッさん。お仏壇の花は何の花をお供えしても良かとね?

(住職) 「そうねー。色んな花をお供えして良かよ。ただ、棘のあったり、毒のある花はお供えしたら

    いかんよ。

    お花は仏さまのお慈悲を表わしてあるけん、人を傷つける花はお供えせんが良かよ。

    そいと、造花は枯れんけんつまらん。お花が人生の儚さを教えてくるっけんね。」

(女性)「お花は菊だけしかお供えしたらいかんて決まっとらんと?

(住職)「菊だけとは決まっとらんよ。ほら、本堂のお花も色々使って生けとろうが。

   なんでそがん聞くと?

(女性)「うちの先に往かしたばあちゃんが『ほとけさんの花は菊に決まっと。

   他の花は供えられん。』て、いつでん言いんしゃったけん。」

(住職)「そうねー。なんでそがん言いんしゃったろうかねー?

  

 その時はこれで会話は終わりました。後で思いついたことは、良くお聴聞されていたそのおばあちゃんの家のお仏壇の花は、いつも菊だけがお供えされてたこと。

そして、口癖が「仏法は聴聞にきわまる。聞く一つやんもんなたー。」

 

 おばあちゃんの工夫でした。お仏壇の花を見て、語呂合わせでも「菊だけ、聞一つ」と気づいてくれよということだったのでは。

 

 親鷺さまは一念多念文意(註釈版678)

きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。

と 自分のはからいで、自己流に理解しないで、アミダさまの必ず救うというお働きに遇わせてもらっていることを、素直に受け入れることだとおっしゃっています。

 

 歎異抄(註釈版831)

弥陀の本願には老少・善悪のひとをえらばれず

とあるのを聞いて、単純に「どこの誰でも、何をしていても、仏さんは救ってくれるとでしょ。」

と味わう方が多いと思います。

 

 もちろん、すべての人を救うという阿弥陀さまの大悲を表わしてありますが、私一人の救いを表わしてあることを聞き漏らしてはいけません。

 

 老少・善悪をえらばないとは、ピチピチと動き回る若い時の私も、年老いて足腰かなわなくなった時の私も、他人のために見返りを求めずに働<時の私も、欲にとらわれて相手を踏みにじるような時の私も、縁に触れたら何をしでかすか知れない弱く悲しい人間である私を、お前が目当てだよと届いてくださった阿弥陀さまであったと聞かせていただきます。

 

 

 

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