「いのちを輝かせるもの」    北山組光照寺 右近隆城

 

 

一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、

仏、広大勝解のひととのたまへり。

この人を分陀利華と名づく。  『正信偈』より

 

  先日、百十歳で御往生された方がいらっしゃいます。

どなたも「百十歳までも生きられて、大往生だ。あやかりたい」と申されました。

確かに健康で長生きを目標にしたらあやかりたい人生であります。

 反対に若くして亡くなられると「これからの人生だったのに」と申されます。

まるでこれまでのいのちを全否定されたような言葉です。

 しかし、お経の中に優曇華の花は三千年に一度咲くと言われています。

地球上に生命が誕生して四〇億年、思えば私のいのちは四〇億年に一度しか咲かない花なのです。

人と比べたいのちにはさほどの輝きも感じられません。

 今の季節は様々な花が咲き誇り、私たちの目を楽しませてくれます。

近所のお宅では庭一面に芝桜が絨毯を拡げたように様々な色で咲いています。

しかし、これも夜、月も無い夜道で出遇っても花の輝きは感じられません。

いのちを輝かせるものは光です。


 太陽は昼間だけしか照らしません、月は夜だけしか照らしません。

私のいのちを輝かせるために阿弥陀如来はひかりといのち際み無い仏さま南無阿弥陀仏となって下さいました。

人と比べてちっぽけないのちとしか感じられない私に倦きことなくして照らし続けている事を

声となって教えて下さる仏さまに出遇えた今、いのちを輝かせしめる働きを味わいたいものです。

 

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