共に広い海へ   佐賀教区 南水組 衆徒 藤山 正道

 

 

 地球上にはさまざまな国があり、人が住んでいます。目や肌の色が違ったり、言葉や考え方が違ったり、同じ国の人同士でも生き方や価値観も違います。生まれ育った環境や社会が違うので考え方や行動が違ってくるのは当然のことです。だからといって、自分だけの狭い常識に囚われて相手を分別し、自分の考えや思いに沿わない人を排除していくことは本当に悲しいことです。

 

 その悲しい出来事は私たちの身近なところで常に起きています。

 

 例えば「いじめ」の問題もそうです。最近では滋賀県や愛知県、山口県での凄惨な「いじめ」が話題となりました。この「いじめ」では排除するだけに留まらず、いじめられた方の自死にまで発展しています。新聞やテレビでこの「いじめ」による自死報道を目にする度に、私自身も学生時代に受けた「いじめ」と重なり胸が痛みます。

 

 この「いじめ」による自死報道は、その都度メデイアが取り上げ、社会的関心が高まるといったん沈静化したように見えますが、やはり「いじめ」は繰り返し起こっています。

 

 東京海洋大客員助教授のさかなクンは、朝日新聞デジタル(2006122日付)に、このようなお話を寄せられています。

 

 "学校で起きる「いじめ」は、さかなの世界とよく似ていると云われています。

メジナは広い海の中では仲良く群れて泳いでいますが、せまい水槽に一緒に入れたら、

一匹を仲聞はずれにして攻撃し始めます。けがをしてかわいそうなので、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の一匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水櫓から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 

 広い海の中からこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜか「いじめ」が始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士なのにです。

()広い空の下、広い海へ出てみよう。"

 

 このさかなクンの寄稿を読んで、私には「正信偶」の

「如衆水入海一味」(全ての川は、海に入りて同じ味となるがごとし)

という言葉が浮かぴました。

 

 海は、すべての川の水を分け隔てなく平等に迎え入れ、どんな水でも、同じ海の塩味に変えるハタラキを持っています。その海の広さを、親鸞聖人は阿弥陀さまの広いお心に譬えられています。

 

 メジナが、広い海の中では仲よく群れていたように、私たちもまた阿弥陀さまの広いお心に身を任せた時、「いじめる者Jも、「いじめられる者」も、実は同じように尊いいのちであり、共に救われていく仲間なのだと気付かされるのではないでしょうか。       称名

 

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