石組 超光寺 藤永弘真

《 法話1 》

 草むらの方から虫の鳴き声が聞こえてきます。コオロギなどが、さかんに声をあげています。
だいぶん秋らしくなってきたなあと、ついつい聞き入ってしまいます。


 この虫の鳴き声は、仲間を呼ぶ呼び声です。虫の世界にも呼び声はあるのです。
 お念仏は、阿弥陀如来様が、私をお呼び下さっているお呼び声と聞きます。


  「み仏の み名呼ぶ声は み仏の 我を呼びます み声なりけり」と歌われていますように、
私にいつも寄り添うように呼び声をかけて下さっているのが、阿弥陀如来のおすがたです。


 お経の中に「人は世間の情にとらわれて生活しているが、結局独りで生まれ独りで死に、
独りで来て独りで去るのである。」とあります。本来一人ぼっちで生きている私のすがたです。
まわりに友達がいる、家族がいるからさびしくないと思っていても、私のことをほんとうに
思っていて下さる人が誰かいるのかなあ、ひょっとして私のことを本当に分かってくれている人なんか
一人もいないのではないかなあと思ったら、なにか悲しいものを感じます。


 また、私たちの生きているすがたには、出会いがある所には必ず別れがあります。今年は大震災があり、
多くの別れがありました。おとなもこどももたくさんの人たちがとても悲しい思いをされました。
ニュースを見るだけでも心が痛みます。


 何があるのかわからないのが私たちの人生なのです。
阿弥陀如来はそんな私のことをよおく知って下さいました。だからこの私に呼びかけて下さっているのです。
だんだん秋が深まって、物悲しさを感じる季節ですが、お念仏の中に阿弥陀さまと出合わさせていただきます。
ますますお念仏の御縁を喜ばせていただきたいと思います。


《 法話2 》
「じいちゃんよくなるの。またおうちに帰れるの。」
お医者様が
「このままだとだいぶん危険な状態です。」と教えて下さったときの子どもたちの反応です。
「もしかしたら、今がおじいちゃんに会えるのは最後かも知れないから、何か言葉をかけてあげようね。」
と言うと、何と言ったらいいかわからない様子の子どもたちでした。ただ、だまって荒い呼吸のおじいちゃんを
見守っているばかりでした。妻であるおばあちゃん、娘2人、娘の夫2人、とても幼い孫6人に囲まれて、
いよいよお別れの時が近付いてきました。私が父親として子どもたちに
「あなたたちはこのおじいちゃんにとてもかわいがられたことを憶えていますか。少し怖いおじいちゃんだったけど、
孫のことを大好きで、とても大事に思ってくれていたよ。だから、最後に御礼だけは言わなければいけないね。」
と言うと、孫がしらが、
「じいちゃんありがとうございました。」妹が
「じいちゃんありがとうございました。」幼い従兄弟たちも声をそろえて、
「じいちゃんありがとうございました。」娘である母親たちも
「お父さんありがとうございました。」父親たちも
「ありがとうございました。」


あるものは手を握り、あるものは足をさすり、涙でグチャグチャになりながら最後の呼吸を見守りました。
小学生以下は普通は入ってはいけないICUに無理を言って看護師長さんにお願いをして入れてもらって、ほんとうによかった。


 その後の仏事にも、孫たちは大きな声でお正信偈のおつとめ、ご法話お聴聞、おりこうさんにお参りできました。
お別れは悲しかったけれど阿弥陀さまの御縁に恵まれて、子どもたちもすくすく育ってくれるでしょう。

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