「御正忌に思うこと」     巨瀬組 浄泉寺 水町芳信

 

 時の移ろいはあっという間でございますね。はや二月を迎えました。

 一月はご本山をはじめ全国各地で、今年もまた御正忌報恩講に巡り遇うた喜びに包まれたことと思います。

 さて私は御正忌さんの頃になると思い出すことがあります。それは給食のある中学校に勤めていた時の話です。

私は生徒に「いま御正忌さんいうて、精進させて貰っているので肉や魚は食べられないから、先生の分給食は用意しなくていいから」と言っておりました。

ある日教室に入ると、何と机の上の食器にはチャンポン麺とかまぼことちくわが山盛りについでありました。

 用意してくれた生徒が「今日はチャンポンやったけん、肉だけは除(の)けておいたから食べらるっやろ先生」と言ってきました。

生徒の思い遣りに嬉しく思い、私が「ありがとう、チャンポン麺だけ頂くよ」と言うと、「何でかまぼこやちくわば食べんと」と生徒は怪訝な顔をしています。

私が「かまぼこやちくわの原料ば後で調べてみとって」と言うと、生徒が「分かった、後で調べとくよ」と、この会話がきっかけにちょっとした「いのち」の教育が始まりました。


 後でその生徒が「調べたら、びっくりしました。ちくわやかまぼこは原料にいろんな魚が使われていました。かたちが変わっていたから全然気づきませんでした」と報告してくれました。

 この生徒の気づきをもとに、私は道徳の時間に「気づかないいのち」についてみんなで学習しました。

概(おおむ)ねの生徒が「今まで美味しいかまずいかで見ていた食べ物に多くのいのちが隠されていたことに気づいた。またそのいのちが自分たちのいのちを支えてくれていたことに気づいた」という感想を持ってくれました。

また「いただきます」という食事の言葉が、「多くのいのちをいただき、自分のいのちを支えてもらっている」感謝の思いから生まれたことに改めて感心していたようです。


 私は「みんなが今日まで歩んできた十数年間、みんなの血や肉になって、みんなのいのちを支えて
くれたものに感謝する心って大切ですね。今回それに気づいてくれて、とてもよかったと思っています。
他にも数え切れないものが常にはたらいてくれて、わたしたちのいのちが生かされているということ、
そう思って生きていくと世の中もっともっと平和になると思います。」と最後に生徒にメッセージを送りました。


 御正忌さんをご縁として子供達と「いのち」について語り合った懐かしい思い出です。


 煩悩に眼(まなこ)さえられて真実を見ることができない私たちは煩悩具足の凡夫であります。
 ほとけさまの目で見せて頂かないと見えないことはたくさんあります。

でも、こんな私をこそ救いの目当てとされた阿弥陀様のおはたらき、誠にありがたくてうれしくて、お念仏の日暮らしを喜ばせて頂くことでございます。 


 尊いご縁を頂き一言のお話をさせて頂きました。

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