『摂取不捨』       神埼組 円楽寺住職 多門龍昭

 

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる


これは親鸞聖人が、阿弥陀様の名にこめられたお心を讃えられた和讃です。

 善導大師が『往生礼讃』に
『弥陀経』及び『観経』にのたまわく、
「かの仏の光明は無量にして十方国を照らすに障礙(しょうげ)するところなし。
ただ念仏の衆生を観(み)そなわして、
摂取して捨てたまはざるがゆゑに阿弥陀と名づけたてまつる。」
とお示しになりました。

 親鸞聖人は
この「摂取して捨てず」の解釈に「摂(おさ)めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。
摂はものの逃(に)ぐるを追(お)はへとるなり。摂(せつ)はおさめとる。

取(しゅ)はむかえとる」とおっしゃいます。
阿弥陀様の必ず救うお働きです。

 4才の男の子をお持ちのお父さんの話を聞いたことがあります。
「先日、子供を連れて、動物園に行ったんですが、入園チケット大人1枚・子供1枚を買って、園内に入ったんですが、子供が『キリンさんだ!』と云ってキリンの檻(おり)まで走り出しました。

私は、慌(あわ)てて付いて行きました。
暫(しばら)くすると、キリンさんに飽(あ)いたのか、くるりと振り向き、私が居(い)ることを確認するかのように見上げました。

今度は『象さんだ!』と云って象の檻(おり)まで走り出しました。
私はまた、慌(あわ)てて付いて行きました。
暫(しばら)くすると、象さんに飽いたのか、くるりと振り向き、私が居ることを確認するかのように見上げました。

この様に、その日は、一日中『ライオンさんだ!』・『お猿さんだ!』と子供は走り回り、
その度ごとに、私は、慌てて付いていき、その日はくたびれました。」という話です。
子供は、お構いなしに、遊ぶことに、夢中になって親が後ろに居ることも忘れています。

 親の方は、子供が転ばないか、怪我はしないか、迷子にならないかと、一時(いっとき)も子供から目を離せません。
動物園や・遊園地に連れて行くと、よく見る微笑(ほほえ)ましい光景です。

しかし、大人と言っても同じ様に、仕事だ、人付き合いだと、自分を忘れ阿弥陀様を忘れています。

阿弥陀様は私達が、日常の仕事や忙しさに追われて阿弥陀様を忘れていても、ご一緒です。
『忘れても、忘れはせんの、弥陀なれば、
 忘れながらも、この身このまま』と云う唄があります。


  |戻る