「ここに」   藤津西組 賢楽寺 伊東一樹

 

 浄土真宗は聴聞に尽きると言われます。

私が、南無阿弥陀仏と称える時、「お前を救う仏はもう届いていますよ」と、はたらいてくださる仏さまです。

阿弥陀様は「声」の仏となり、また、言葉となり、称えられる仏となってくださいました。

ですから、いつでも、どこでも、どんな時にでも、また、どんなに小さなお念仏でも私には、届いてくださる仏さまです。

 

 数年前になりますが、久しぶりに英語を勉強してみようかと思ったことがありまして、早速、「ラジオ英会話」というテキストを買い、勉強することにしました。

最初の日、指定の時間が近付きましたので、「ラジオを付けようとしましたが、残念ながら、壊れていて、番組が終わるまでに音が出ることはありませんでした。しかたがないので、テキストを読んでみることにしました。

いろんなことが書いてありましたが、テキストの最後の方にこんな文章が書いてありました

 「最後になりますが、番組では、聴くだけでなく、ぜひ声に出して学んでください。英語を繰り返す、また、英語で答えるあなたの声を、あなたの脳に聞かせ、慣れさせてください。ほんのたまにしか声を出さないと、脳がびっくりしてあわてるばかりです。なんといっても世界中で一番大事な声は、あなたの声なのですから」

 英会話ができるようになるためには、話をすること、声を出して自分の声を自分に聴かせることが大切であることを知りました。きくということは、向こうから聞こえてくるものを、単にきくことだけではなかったのです。確かに、大きな声であろうと、またどんな小さな声でも、自分の声は自分自身に届きます。

 

 南無阿弥陀仏という、阿弥陀様からの声を自分の声を通して聞かせていただく。私が称えるお念仏でありながら、それは阿弥陀様のおはたらき、お呼び声でありました。

声の仏となって、今、ここに、はたらいてくださり、この私を、お念仏をとなえる身と仕上げてくださいました。そして、いのちが尽きたらならば浄土に迎えとると、はたらいてくださる阿弥陀様のこと、ひとつを聞かせていただくのが、浄土真宗の御法義であるとお聞かせにあずかります。

|戻る