自力の世界と他力の世界  浄照寺 光岡理学

 

今、仏法が私たちに明らかにし、教えようとしているものについて考えてみたいと思います。特にものの見方について、私たちは無意識に自分の都合によって考え、判断します。そして、それが間違いないこととして、握りしめています。

 

 松本梶丸さんの購和本の中に「最近大変教えられたことがありました。名古屋に双子のおばあさんがいらっしやいまして、このおばあさんは101歳です。このおばあさんたちは二人そろって同じ老人ホームにいるわけです。

このおばあさんが、何故話題になったかというと名前が鶴と亀なんです名付けた親の願いがわかりますよね。この二人のおばあさんの誕生日に報道人が老人ホームに来て、鶴さんと亀さんにインタビューをしたわけです。その内容がとても面白かったのです合わせ鏡のように人生というものを二人の方が教えてくださっていると感じたのです。

最初の質問です。「いかがですか、こうしてそろって百歳の誕生日を迎えられた感想は鶴さんは長生きしすぎたせいで、夫や子供に先立たれるし、孫は、たまにしか面会に来てぐれないし、正直言うて、ええことは一つもあれせんなも。と答えたそうです。

それに対して亀さんは私は夫や子供の最後の世話もこの手で出来たし、孫は思い出したように面会に来てくれるし、幸せすぎて涙が出ますと深々と頭を下げた、と次の質問です。この老人ホームの暮らしはどうですか。」鶴さんはこまごました決まりがあって窮屈なもんですわ、狭い二人部屋で気兼ねはせんならんし、風呂は二日に一度しか入れてくれないし、ええことは一つもあれせんなもと答えたそうです。

それに対して亀さんは同じような年寄りが一緒にいてくださるのでちっとも寂しくないし、お風呂も二日に一度入れてもらえるし、幸せすぎて涙が出ますと目の烽ウで合掌した。すべての質問が終わった時、鶴さんは「せっかくの誕生日やれやれ疲れましたと勢いよく立ち上がった。
―方
さんはrおかげさまで楽しい誕生日でした。とゆっくり立ち上がったと書いてあります。

 

この双子のおばあちやんの、物のとらえ方、考え方の違いが見事に表現されています。

ここに私たちの生きている世界●人生のとらえ方がはっきりと二つに分かれて表現されています。一つは自分の思いを中心において、そこから世界を見、物事をとらえていくというありかたです。仏教ではそういう世界を自力の世界」とか世聞智とか言っています。

鶴さんのとらえ方です。もう一つは自分の生きている世界が実は生かされて、支えられている世界であったと気付かされ、その事実に立って一切を受け入れて、拝んでいく生き方です。

仏教では、その世界他力の世界」「浄土」、あるいは出世間の世界といいます。

ここは人間の思いを超えた世界、理性を超えた世界です。

 

 親鸞聖人が他力回向の働きによって、自らを罪惡深重の凡夫と知らされて「いずれの行も及び難き身地獄は一定住み家と自覚された時、自らの立脚地が崩壊することによって、真っ暗な奈落の底に落ちていく。落ちた時、実はそのまま「真実世界浄土」まれている自分を見出していかれたのです。そこに「真実の世界」である浄土を自己の立脚地として、この世を生きる私が誕生するのです。

その世界の転換、立脚地の転換を「往生浄土というのです。

 

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