三根組 徳音寺 松信弘生

 

 ちょうど、ひと月ほど前になりますが9月15日は中秋の名月でした。

ただ残念なことに私の住んでおります地域では月を見ることができませんでした。

この時の月は必ずしも満月ではないのだそうです。初めて知りました。日本人はことのほか月を大事に想う民族だと思うのですが、私自身はそれほど興味を持っていなかったことに気づかされた出来事でした。

そんな私でも月を題材にした話や歌などを列挙しますと、竹取物語や荒城の月、おぼろ月夜、などなど興味がなくてもこれ位はすぐに思いつきます。逆に西洋では月は良くないものの象徴だそうです。

狼男は満月で変身します。これは西洋人の多くが満月を見ると情緒不安定になることを表しているのだそうです。

 とはいえ、月に対する考え方が違っても月の光は万人に同じように降り注ぎます。あなたは私を嫌っているから照らしませんとか私のことが大好きなあなたには出血大サービスで5割増しで照らしますともなりません。

 

 しかし同じように照らされても月に背を向けている人と向き合っている人では受ける恩恵が違います。背を向ければ光に遇えずに影に怯えねばなりません。

向かい合えば影を持ったまま照らされている自分がわかります。

 

 法然上人が

 

 『月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ』

 

と歌を詠んでくださいました。

 

万人はみな阿弥陀様の知恵の御ひかりに照らされいますがそれに気づいた人と気づかないままの人がいます。気づいた人は光の中にお念仏を称える人生を歩んで行かれるのでしょう。気づかない人はむなしい人生を送られるのかもしれません。

ですが、お念仏を称える人が縁となり気づいていない人に気づかせるというご利益があります。お念仏をする人はしない人の口にお念仏を称えさせる働きを持つのです。

なぜなら阿弥陀様はだれの口にも出たがっておられるのですから。   南無阿弥陀仏

 

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