「共にいてくださる」  藤津西組 賢楽寺衆徒 伊東一樹

 

 

 浄土真宗では、阿弥陀さまのことを聞かせていただく、お聴聞を大事にいたします。

阿弥陀さまはいま、ここに、南無阿弥陀仏の声の仏となって、私の所に出向いてくださって、届いてくださる仏さまです。お前を救う仏はもう届いていますよと、私が、南無阿弥陀仏ととなえるところに、はたらいてくださる仏さまです。

私がそっぽを向けようとも、阿弥陀さまは、あきることなく、决して、見捨てることなく、浄土へ迎えとるとはたらいてくださいます。

 

 数年前、近所で子ども相撲大会があり、手伝いに行ったことがありました。手伝いと云っても、もっぱら応援係で勝っても負けてもどちらにも声援をおくるという係でした。相撲は、ほとんど数秒で勝敗がつきます。そして、必ずどちらかが負けます。

しばらく見ていますと、印象的なことがありました。

負けた子どもが,泣きながら親の元に駆け寄りますと、親御さんは「頑張ったね」とだけ言うとその子の悲しさ悔しさを一心に受け止められていました。

恐らくですが、日頃の頑張りを知っておられたのでしょう。その子の欠点も含め、すべてを知っているからこそ、負けたことを責めることなく、ただただ、共に悲しんでくださっていたのでしよう。

 

悲しみや悔しさ、つらさを知っている方は、そのことを責めるようなことはなさりません。

ただただ、救いだけを告げてくださる。决して、見捨てない、親がここにいるよと、呼んでくださる。それが、声となって出てくださる阿弥陀さまであります。

命が尽きたならば、ともに浄土へ生まれさせていただく人生を今こうしてめぐまれているのです。

幼い頃、母の実家につれて帰られたことがありましたが、私はついて行くだけです。一人ではありません。電車やバスに乗るときも、いつものように、親と一緒でしたので安心でした。

ともに参って行く世界、それが、いま、ここに届いてくださる阿弥陀さまのお浄土であります。

いつでも、どこでも、どんなときでも、お念仏するここに届いてくださいます。

たまには、小さくお念仏してみるのもいいかもしれません,

南無阿弥陀仏(なまんだぶつ)

私が称えるところに、いつでも聞こえてくださいます。

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