お盆について    神埼組円楽寺 多門龍成

 

 

 お盆の時期が近づいて参りました。お盆といえば、一般には、地獄の釜の蓋が開いて先祖の霊が帰って来る日とされ、迎え火で迎え、送り火で故人の霊を送るのが風習となっています。

 

 しかしそうだとすれば、先立たれた大切な方々は地獄に堕ちたことになってしまいます。

それではとても悲しいですね。

 

 浄土真宗のみ教えに生きたご先祖は、迷いの世界からお盆の時だけ帰ってきて、子孫の供養をうけるような方々ではありません。み教えに生きお念仏をよろこばれた方々は、阿弥陀さまのはたらきでお浄土に生まれて仏となられて、お盆だけでなく、いつでもどこでも私たちと御一qになり、仏法に出遇ってくれよと導いて下さっているのです。

 

 仏となられた方が絶えず私にはたらきかけて下さるのに対して、この私は先立たれた方のことを、お盆の時期が来るまでは忘れがちです。ついつい世間事に流されてしまい、自分もまたいずれは命を終えていく身であることを忘れて生きています。迷いの世界とは、他のどこでもない、迷っていることにすら忘れている私の世界そのものであります。

 

 お盆のことを浄土真宗では歓喜会とも言います。み教えに生きられた数多くの方がいらっしゃるからこそ、お盆をご縁として仏法に出遇わせていただいています。

 

 お盆と言えば、いわゆる先祖供養と考え、しかも特定の先祖のために供養するもののように思いがちです。

 

 しかし、先立たれた方のお心を仰げば仰ぐほど、数限りないご先祖によって私のいのちが恵まれ、仏となられた方のはたらきにより、今ここで仏法に出遇わせていただいていることを思い知らされます。

 

「先祖のために供養する」というのではなく先祖への感謝と仏法をよろこぶ週間としたいものですね。                     合掌

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