行き先の定まった人生を  南水組 專念寺 小杭正親

 

 

 私達は毎日忙しい忙しいと言いながら日暮をしていますが、一体どこに向かって生きているのでしょうか。生まれてきた者は必ず亡くなっていかなければなりません。

行き先が分からないと、いのちが終わっていく時「私のいのちは一体どこにいくのだろうか」と不安や恐怖を背負っていかなければなりません。  

 私はたまに空を眺め、父を思い「なつかしいなぁ〜」と思うことがあります。

 父は3年前の9月8日79才を一期として往生いたしました。その年のお盆過ぎから体調を崩し食べることが出来なくなりました。そこで、ご門徒の先生に来ていただいて、在宅治療をして頂きました。しかし、父は大の病院嫌いで、点滴していただいた管を引っ張り外し「こんなことせんでもよか」と怒るのです。

 だから、日に日に身体が衰弱していきます。それで、自ら「病院にいこう」と言いましたので連れて行きますと先生が「肺の呼吸も弱っているので、酸素吸入もしておきましょう」と言って下さりました。

 ところが、相変わらず「点滴もせんでよか、酸素吸入もせんでよか」という始末です。ただ、「お念珠を持ってきてくれ」と言いますので持ってきますと、苦しく呼吸するなか静かにお念仏申しておりました。

私が行きますと「カーテンを開けろ」と言いますのでカーテン開けますと、何を話すのでもなく、ただ黙って2人で空を眺めていました。私は「なつかしいなぁ父と二人で空を眺めたのは何十年前だろうか」と思いつつ、なんとなく父の思いが伝わってきました。

「人間のはからいをこえた大いなるものに包まれていることを知っていかなくてはいけない」と 教えでくれているのではなかろうかと受け止めました。

 そして、毎日々病室から帰るとき「お父さん帰るよ」と言いますと父は「ニコッ」と笑うのです。だから私は「そんなに一人で、ニコニコ笑いよったら気持ちの悪かよ」と言っても「ニコッ」と笑うのです。

 入院してわずか2週間程で父は往生いたしました。翌々日に通夜を勤め、次の日に葬儀を勤めさせて頂きました。

 しかし、「父はなぜ一人でニコッと笑っていたのか」が私は分かりませんでした。ところが、平成5年、80才で往生された安永忠さんの歌にであいました。

「み仏に 召されるよき日 近づきて 誰にも言わず ひとり微笑む」

 父は生きることをあきらめ、死ぬことを選んで、点滴も酸素吸入もしなかったわけでは無かったのです。

病を患った時に、先立って逝かれた父や母にも遇える、親鸞聖人にも遇える。

「お浄土に生まれさせていただく」という事を家族に言うこともなく、一人で楽しみにしていたのです。だから、点滴も酸素吸入も必要無かったのです。

 浄土真宗は死んでから救われるのではありません。浄土に生まれ往く助かった人生を、いま歩むのです

行き先の定まった人生を歩ませていただきましょう。

戻る