「お念仏で繋がるきょうだい」

佐賀教区 田代組 正行寺 大石憲親

 

 

 「あんたの気持ちはようわかる。」この言葉は私の先生が嫌っている言葉でございます。

一見相手を気遣う言葉のように思いますが、この言葉は時として、ひどく無責任にも、投げやりな言葉にもなり得ることがございます。近頃は災害の報道が耐えず流れていますが、実際に被災され、家を失い、家族を失われた方に対して「あんたの気持ちはようわかる。」と、胸を張って言えるでしょうか?

私は言えないと思うのです。人の悩みや思いに共感し悲しみや辛さを汲み取ることはなかなか難しいことでございます。

 

 ですが、最近この共感におきまして、温かいご縁に出会わせていただきました。

今年の降誕会の法要の時の出来事でございました。

5月の頭にお義母様を亡くされた方いらっしゃいまして、それは仲のいいご家族でありましたから、その方はとても落ち込んでいらっしゃいました。

ですが、まだ四十九日も終わらない間に降誕会の法要がありその方がお参りなさってくださった時のことでございます。

お内陣からお勤めをしておりますと、その方は私からよく見える席に座っていらっしゃったのですが、どうも涙を流している姿が見えたのです。

その日はその理由を聞くことができなかったのですが、 後日お参りに伺った際に聞いてみますと、「なんだか、お経を聞いていると無性に涙が出てきたんです。」と、こうおっしゃいました。

私は、仲の良かったお義母様との別れが近々あったものですから、無理もないことだろうと思い、「それはそれは有難いことでございます。きっと阿弥陀様が貴方の悲しみを受けて、先に泣いてくださっていた涙がお経、お念仏となって届いたからかもしれないですね」と言おうとした時に、その方が続けて「でも、おかしい事がありまして、となりの方を見たらとなりの方も涙を流していたんです。その涙をみたらもうひとつ涙が出てきてどうしようもありませんでした。」とおっしゃったのです。

私は「さっき言おうとしたことを言わなくてよかった」と思ったことと、そのとなりの方がいてくださって本当に良かったと思いました。きっとそのとなりの方の涙がその方の心に温かい居場所を作ってくださったのではないかと感じています。

一緒になって泣いてくださる方がいることでホッとしてもうひとつ涙がでてくる、私はとても温かい共感の姿だなと感じさせていただきました。

お参りの帰りには心なしかその方の顔は少しすっきりしたように見えました。

 

 血は繋がっていなくとも、私たちはお念仏で繋がったきょうだいでございます。

阿弥陀様のお念仏をいただき日暮しさせていただく中で、こんな温かいつながりを感じられるのも浄土真宗の魅力の一つだなと味あわさせていただきました。

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