南水組 明圓寺住職 西谷浩暢

 

大漁

 朝焼小焼だ 大漁だ  大羽鰮の 大漁だ

 浜は祭りのようだけど 海のなかでは

何万の鰮のとむらい するだろう

 

 金子みすゞの詩は世代を超え、今も多くの方に親しまれて

います。

 「どうすれば、みすゞのような視点に気づけるのか?」

私は事あるごとに考えていました。

 

 ところが先月、「金子みすゞ記念館」館長の矢崎節夫(やざきせつお)

さんのお話を拝聴するご縁を頂きました。(元気に歌う)

 大きな栗の木の下で 貴方と私 仲良く…

 

 さて問題です。

 なぜ、「私と貴方」ではなく、「貴方と私」なのでしょうか?

「私と貴方」と「貴方と私」、同じですか、違いますか?

 矢崎さんからの質問に「えっ?順番が違うだけで、意味は

同じでは?」と思いました。

 

 しかし、館長は仰いました。「全く違います。そしてこれが金子みすずの眼差しであり、仏様の眼差しなのです」と。

 

 勿論、みすゞが仏様、という意味ではありません。

 

 しかし省みれば、私達はいつも「私と貴方」というものの

見方、つまり私が先、私が中心、私が一番大事であり、貴方は

二の次、三の次という、まさに煩悩具足の心と体でした。

 

 ところが仏様はいつも「貴方と私」です。

 自分よりも、煩悩具足のこの私を救いの目当てとし、心配

して下さいます。

 

 みすゞさんもイワシという貴方を大切にしたからこそ、海

の中の、しかも魚同士のとむらいに気づかれたのでしょう。

 

 気づけば、分かる。「わ・か・る」の三文字を入れ替える

と・・・「か・わ・る

 

 そして、「変わる」ということは、「成長する」ということ。

 

「私は、阿弥陀様のあたたかい眼差しにいつも包まれ、願

われていたのだ」と気づかせて頂いた時、「私と貴方」とい

う自己中心的な我が身が、「貴方と私」というお念仏の道を

歩む身に変わる、転ぜられるのです。