佐賀教区教務所は、佐賀城の旧城内に位置しています。他教区にはおそらく例をみない見事な庭園を有する日本建築の建物である佐賀教区教務所ですが、もともと浄土真宗の篤信の門徒であった横尾雄一氏の邸宅でありました。この邸宅および敷地の一切を横尾雄一氏の遺言にて本願寺佐賀教区に寄贈するという経緯を経て、今の本願寺佐賀会館・佐賀教区教務所があります。

横尾雄一翁のこと

「法は人によって伝えられ、人は法によって育つ。私が今日あるのは、法を大切にすることを教えてくれた人に出遇ったからだ」と、佐賀市長泉寺の篤信の門徒であった横尾雄一翁と横尾しげ刀自夫婦は、生前自宅を開放して有縁の人に呼びかけ、聞法の座を開設しておられたと伝えられます。

もともと、大正初期・佐賀県経済界の軸として重きをなした一銀行の株主総会の場として建築された邸宅でありましたが、世の移りに従って、いつか横尾氏邸となり、戦後まもなくは、進駐軍司令官官舎として接収された時期もありました。そして、さらに再び横尾翁の手に返還されることになったのです。

昭和31年5月26日横尾雄一翁は往生されますが、翁の遺言は、一代の私財を投じて整備された私邸を本願寺に寄贈する、というものでした。この遺言の趣意に添い、寄贈の建物庭園を含め1,450坪が本願寺所管財産として登記され、爾来佐賀教区により本願寺佐賀会館・佐賀教務所として運営がなされています。

「かねてたのみおきつる妻子も財産も、我が身には一つも相添うことあるべからず」とは、言うは易いものですが、このことを実践することの難しさは自我の捨てがたきに徴して明らかなことだろうと思います。

先祖の遺した土地故に、親族が相叛あう濁世の相を目の当たりにするとき、法に出遇い、何を大切にすべきかを示現された翁の心意気こそ、この佐賀の地に永く語り伝えてゆかなければならない私たち佐賀教区門徒の共通の遺産だと思います。