養護学校について 
個人的な見解(H17.7.7)

私はこれまで、養護学校の存在を否定することはありませんでした。
養護学校でなければ通えない障害の子がいるかもしれない。
養護学校のような教育が自分の子にも必要な時期がくるかもしれない。
実際に、今、養護学校に通っている人たちもいる。
そんな思いがありました。

最近になって、そんな考えは良くないと思うようになりました。

学校(或いは教員)は、柔軟に変化することができません。
だから、「今の養護学校のような環境もよいところがあるかもしれませんね。」と言えば、学校やその関係者は、「だから養護 学校は必要だ。」という言い方に置き換えてしまいます。
いろいろな理由をつくって語り始めます。でも、そこには結構、嘘が多いんです。
「養護学校に喜んで来ている子ども達がいる。」と学校は言います。
「養護学校が必要だと言う人がいるから。」と言って、為政者は養護学校の建設を進めます。
それはそうでしょう。地元の学校に入れてもらえないのに、養護学校は笑顔で迎え入れてくれるから、そう言わざるを得ません。
最初から地元の学校で迎え入れてくれたら、誰も養護学校が必要だとは言わなくて良かったのです。
ですから、「養護学校が必要だと言う人がいる。」と政治家が言うのには、嘘があるんです。

養護学校という職場に安住している教員もいます。
熱心な先生ももちろんいますが、教育力の低下した教員の比率が高い(1/3とも言われる)と文部科学省の職員も言っています。
次のような話をよく聞きます。
・ 年齢が高くなっても管理職になれない人が、特別な手当のために異動してくる。
・ 子育てがあるので、勤務が楽な養護学校を希望する。
・ そして、通常の学校に戻れなくなった教員が、そのまま居ついてしまう。
・ 高校から異動して来る高等部の教員は、障害について全くの素人です。
こうした教員を保護(収容)するための養護学校になっていないでしょうか。

養護学校があるから、地元の学校でも大丈夫な子どもを、養護学校に追いやろうとする悪い人間達が出てきます。
最近、とても頭に来たこと。
例えば、県の就学指導委員が、地元の学校でも大丈夫という意見を出しても、旧U町の教育長や校長は、小さな障害のある子ど もに、片道50Kmもある養護学校に通えと言いました。
個別対応が出来る、適正教育だなどと口では言いながら、往復3時間の道のりが適正教育なんでしょうか。
そこには、道理とか、人としての心とか、ましてや教育者としての信念なんてありません。
なぜ、地元の町で教育することを放棄するのでしょうか。
子どもを教育するのが本来の姿なのに、とても情けないことです。
教育者にとって、障害のある子は、教育の対象にならないようです。
そう言えば、そこの町長さんはS新聞社の出身でした。(関係ないけど)

それから養護学校(或いは教員)も、どんな成果を上げたのか、指標を設けるべきだと思います。
教員の自己満足に陥っている障害児教育では意味がありません。
例えば、
・ 高等部卒業生の内、何名(何%)を一般企業に就職させることが出来たのか。
・ 在校している子どもの内、何名を地元の学校に戻すことができたのか。
そうした具体的な指標を設けて、明らかにして欲しいと思います。
子どもと同じ数の教員や職員がいて、膨大な額の税金を使っていながら、成果はわかりませんとか言っているようでは困ります。

最後に、
養護学校が必要だと言っているのは、学校関係者と一部の保護者ではないでしょうか。
障害のある子たちが、養護学校が必要といっている訳ではありません。
誰も、障害のある子どもたちの視点で考えてくれません。
子供たちとは関係のないところで、自分の居場所が作られ、自分の居場所が決められていく。
なぜ、障害のある子ども達の意見を聞いてくれないのでしょうか。
そうした様々なことを考えると、養護学校はない方がよいということになります。
子どもと同じ数の職員がいるんだから、一緒に通常の学校に出て行けばいいのです。
これからも、私自身、障害児の教育に取り組んでいきたいと思います。