船津先生の新聞記事を読んで    R保育園の「園だより」への投稿
平成14年12月のS新聞に、障害児教育に関する記事が掲載され、その記事について、Maimaiの通うR保育園では、 「園だより」を介して意見交換が行われました。Maimaiの両親にも意見を求められ、両親揃って投稿しましたので紹介します。
(船津先生の新聞記事へ)


Maimaiの母の投稿 (H14.12)


1枚の新聞記事(船津先生の記事 H14.12)を○○先生に読んでもらいたくて、保育園の連絡帳に書いたのですが、他の方にも読んでも らい、感想をいただけるとは思ってもみませんでした。
いろんな記事がある中で、就学指導を受けない人たちには、きっと見過ごしてしまうような記事です。
でも、Maimaiの就学問題で、自分たちの考えを、同じような障害を持つ子供さんの親や、周りの人たちに押しつけるつもりはありません。
自分の思っていることやこれまでの気持ちの移り変わりを感情のままにしゃべっていいのなら、話したいことはいっぱいあるように思う のですが、いざまとめようとするとなかなかうまく伝わりません。
就学指導によって子供たちは振り分けられているように思います。(障害を持つ多くの親がそう感じています。)親の希望に対して相談 にのってもらえ、指導してもらえたらいいのですが、だいたいは知能テストなどで□□が適正だと伝えられるような気がします。
いろんなかんがえの親や子供達の状態によって、いろいろなみちがあると思います。
ただ、私たちの思いは、Maimaiにとって幸せなことだけでなく、これから生きていくための基盤や大きくなってから社会との関わりを持 ち続けるための場所づくり、自立していくため、就業のための人との関わりを大切にしていきたいと思っています。
以前、Maimaiの兄の学校で足の不自由な子と心臓の悪い子が在籍していました。1階から3階まで、学年があがると 上の階に上がっていきます。でも、その子供達の学年は2階止まりで、5、6年生を過ごすことになりました。
学校も考えてくれるんだなあと思っていたら、あるお母さんは何気なく、「みんなは3階へいくのを楽しみにしているのに、かわいそう ね。」と言われました。
兄が1年生の時、授業でなかよしという言葉が出てきました。すると何人もの子供達が、「○○さんがいっているところ」、「○○さん がいくところ」とその子の方を見るのです。(特学はなかよし学級と言います。)
なんとも言えない気持ちになりました。
いろんなハンディを持っている人が周りにいて、ごく自然に助ける手がさしのべられたら、共に生き、支え合うくらしができたらいいの になあと思います。
ハンディを持つ子供達の先輩ママが思いを伝え行動されてきたことで、私たちは養護や特学、普通学級を選べる(?)ことができるよう になってきたように、今、私たちもこれからの子供達のために、自分達の思いを少しづつでも表に出して行くべきなのかなあと思います。
私の母親的な考えでは、Maimaiがみんなと一緒に過ごせるための身辺自立や集団行動の不安は大きいです。でも、 地域の小学校で過ごす大切さや将来のことを考えると、やはりみんなと一緒に育ってほしいと思います。
うまくまとめられません。いろんなことがものすごく怖いのです。でも、怖がっているのは、母親である私が、学校や先生に対して怖が っているのかなあ〜?。
父親が早めに帰宅したので、「あなたも書いて」と頼みました。「彼はもっと根本的なことが分かってると思うよ。」と友達に言われま したが、毎日がばたばたした生活の中でマイペースの人です。
兄の宿題をすませて、私は子供達と一緒に寝ましたが、遅くまで考えていたようです。


Maimaiの父の投稿 (H14.12)


船津先生の新聞記事読みました。先生のこころのあたたかさを感じる文章でした。
ありがとうございます。
さて、障害のある子を持つ親として、Maimaiには、特殊な学級がいいのか、普通の学級がいいのか、今でも分かりません。でも、あえて 結論を言えば、普通学級に入れば”特殊学級に行け行け”と催促されるのに、その逆のルートはほとんどあり得ないという事情がありま す。
それなら、いろいろな経験をするためには、普通学級に行くしかないし、学年が上がるほど学力や体力差が大きくなることを考えると、 小学校1年生の今しかないという気がします。
1年前まで、私も、娘を特学に入れることに抵抗はありませんでした。でも、いろんな本を読むうちに、「障害 の子はその程度でよい」という考え方を持つことは、一番身近な親自身が、子どもを差別しているということに気付きました。
私たちの世代は、同じクラスに障害を持つ子がいませんでした。いないのが当たり前になり、いない社会が当然だと思っていました。娘 の誕生は、青天の霹靂であり、人生に対する考え方そのものを変える出来事でした。
私の人権意識は、障害を持つ子の誕生で”ショック”を受ける程度のものだったのです。
その人権への意識が、就学問題を考えているうちに大きくなりました。
ある知人は、「普通学級に入れてくれと言っても、生徒も多い。先生1人では無理だし、体制が出来ていない。」と言います。生徒を管 理する側としては、正論なのでしょう。でも、それで納得しているようでは、以前の私と同様に、差別を容認していることになります。
私たちは、Maimaiを他の兄弟と同じように育てようと思ってきました。それが、学校という公共の場では、同じように育ててはいけない と言われます。
いろいろな事情から、”特学に行くしかないか”と思った時もあります。その時に、自分の子に「お前は普通ではないから、普通のクラ スには行けない。」と告げることが、親としてどれほど情けないことか思い知りました。
Maimaiに何を学んでほしいのかを考えると、”あいうえお”を学ぶことも大切です。でも、友達と過ごす時間も 必要な気がします。人と人との関係、飛び交う言葉、走り回る動作など、そこには小さいながらも社会があり、たくさんの学ぶべきこと があると思います。
別の知人から、「専門的な教育が良くないか」と言われたことがあります。その際は、「自分の子が、他の子とは別に2〜3人の特別な クラスに分けられて9年間を過ごしたら、どんな子に育つと思う?」と聞き返しました。
障害を持たない子でも、人が人として成長していくためには、同じ年代の人の中で切磋琢磨しながら過ごすことが大切だと思います。障 害を持つ子も、ある年齢になれば、社会の中で生きていくことになりますが、そこは健常者が大多数をしめる社会なのです。
もちろん勉強はついていけません。
授業をつらいと感じるかどうかは分かりません。
いじめもあるでし ょう。でも、それは障害を持つ子に限ったことではありませんし、社会に出て経験するのであれば、他の子と同じで良いのではないでし ょうか。
今、Maimaiは、保育園の先生や園児の皆さんに支えられながら、園生活を楽しんでいます。
自分だけが、別の部屋に入れられていたら、とても寂しかったことでしょう。自然な気持ちで支えていただいていることが、とてもとて もありがたいことだと思っています。


就学指導の改善について


船津静哉氏(T市) 平成14年12月 S新聞

「障害」のある子の就学は、「就学指導の手引きの改訂(95文部省)」により、機械的な振り分けから、本人や保護者の意見を取り入れ た弾力的な判断・決定へと大きく改善されました。
また、「今後の特殊教育の在り方について(01協力者会議)」の答申では、「障害」の種類・程度の判断だけではなく、地域の学校の状 況、児童生徒の支援の内容、本人や保護者の意見など、総合的な観点から判断し、小・中学校へ就学できるような手続きの見直しの必要 性が強調されてきました。

さらに、「学校教育法施行令の改正(02文科省)」では「認定就学者」という名称で公式に例外を認め、市町村教育委員会の責任と権限 において判断・決定されることになりました。
これらは、政府をはじめ各都道府県が積極的に進めているノーマライゼーションの理念の実現に向けた取り組みです。ノーマルな学級で 「共に支え合い、学び合う」教育の実践と「障害」者を含めた全員参加の社会づくりが推し進められるものと期待されています。

しかし、住んでいる地域によっては、普通学校を希望する本人や保護者に対し、今後も受け入れ態勢が整ってい ないことを理由に断られたり、親の付き添いが条件であったり、厳しい選択を迫られるケースが予想されます。
そこで、今回の改正に伴い、全国各地の親の会では、本人や保護者が自由に選択できる就学指導の在り方を検討していただくために、各 市町村の教育委員会へ要請書を提出されています。
これまでも「受け入れ態勢」や「教師の専門性」をめぐってさまざまな論議が展開されていましたが、最終的には学校に「迷惑をかけて しまう」との思いであきらめられるケースが多かったように思います。

私も、かつて就学指導委員会のメンバーとして機械的な振り分けに参加し、専門性を強調しながら保護者や本人 の意見を無視し、「障害」児学級への入級を進めたことがあります。
当時、この子のためには「障害」児学級がベストであると信じ、入級を拒否され、悲しまれる両親に対しても、自信ありげに個別指導の 必要性を強調してきました。
一般就労はもちろん、福祉就労や福祉施設への入所も難しい現状の中で、「私の子は勉強というより、友だちとのかかわりを大切にした い」という両親の切実な願いに応えることができませんでした。

大阪など「共に生きる」教育実践の先進地区では、作業所など福祉就労の場を同級生らが建設・運営し、積極的に社会参加を支援してい るケースがあります。「障害」者自身の変容というより、共に育った仲間たちの変容に驚かされます。
私自身も、一教師として「障害」があろうとなかろうと、ありのままを受け入れ、共に支え合う社会・学校・学級づくりの実践を微力な がら実践していけたらと思っています。