就学(5年生)編
平成19年4月6日10歳2月
Maiiの新しいクラスは、5年1組です。
いよいよ高学年になり、友達の成長が一段と早くなります。
良い面でも、悪い面でも、繊細さと大胆さが同居するような不安定さが出てきます。
そういう環境の中で、Maiiとの関わり方も少しづつ難しくなるかもしれません。

平成19年5月9日10歳3月


学校との話し合いは、約束の日に私の都合がつかなくなって、それっきりになっています。
話し合いといっても、担任の先生の引継ぎと親との確認みたいなものですが、5年生にもなると 緊張感がなくなって、その内に家庭訪問などもあって、それっきりです。
教育の内容については、家庭訪問のときに話があったようで、学校でもいろいろ考えていただい ているようなので、お任せしようと思います。
基本的には、他の子どもたちと切り離されなければいいし、個別学習の時間が1日1時間程度あ ることについて、それはそれで良いかなと思っています。

平成19年5月12日10歳3月


小学校の父兄参観。算数の時間でした。
教科書を使わずに、ノートに書き込んでいく学習でしたが、Maiiは、何本ものマジックを机の 上に並べて、ず〜っと遊んでいました。
積み木遊びのような状態で、それが長時間になってきたので、さすがにおかしいと思ったので、 机のところまで行って取り上げました。
娘は、「なんで〜」と言う。
授業の内容がわからなくても、その教科の教科書を開くとか、簡易な学習をさせるとか、授業 の時間は学習しながら一緒に過ごすことが必要なのではないかと思う。
睨んでいたら、娘はしぶしぶ教科書を出して開いていた。
私の方が、かなりショックを受けてしまいました。

平成19年5月28日10歳4月


5月21日に担任の先生との引継の話し合いのために、父親と母親で学校に行って来ました。
今回から校長や教頭さんは不在です。新しく何か要求するわけでもないので了解しました。
また、引継については、何回も経験してきたことなので、特段には何もありませんでした。
ただ、先日の父兄参観のこともあって、授業時間でのMaiiの過ごし方について話合いました。
授業の内容がわからなくても、授業の時間だということを認識すること。
授業が分からないからといって、遊んでもいい時間ではないということ。
そんなことを話してきました。

 ≪ 最近のMaii ≫
  ・ 朝は、自分一人で起きて来るようになりました。
  ・ 朝の着替えでは、自分で好きな服を選ぶようになりました。
  ・ 補助輪のない自転車には乗れません。
  ・ 大便の後にお尻を拭くのが苦手で、パンツを汚します。
  ・ 健常児の友達はいません。(年齢とともに減っていきます。)

天使の子供WebというHPを読んでいたら、
「小学校の4年生の頃から、それまでよく遊んでいた健常児達がぴたりと寄りつかなくなることがある。という より、その方が多い。特に知的障害を持つ子どもに対してその傾向が強い。
 その傾向は高校2年生頃まで続き、大 人になるとみんなではないが、また親密になって行く。そのような成長過程を子どもは踏んで行くと、ある本で 読んだことがあります。」
という一文がありました。
Maiiの周囲でも、そんな空気を感じています。
Maiiに対する関心の変化と言うよりも、周囲の子供たちが、自我というか、一人の自分に帰っていくというよう な、そんなことを感じます。
もう、Maiiにだけ特別扱いにしてくれることはないようです。

以前は、私が教室に行くと、”Maiiちゃんのお父さん”と良く声をかけられていました。
最近は、そんな子も減ってきて、周囲に対する関心が薄れている気がします。
そんな中で、Maiiは昼休みとかはどうしているのかと思っていたら、担任の先生が、外まで一緒に連れ出してい るとのこと。でも、スピードや思考的な遊びについていけないので、グランドの周りの鉄棒やブランコなどで遊 んでいるらしい。

一緒に遊びたいという気持ちはあるかもしれません。
でも、Maiiにとっては激しすぎる遊びの中には入っていけません。
娘が可哀想な気もしますが、本人自身が、”遊びには入れない””他の遊びをする”というような判断をしてい るとしたら、そんな経験を積んでいくことも必要なのかもしれません。
世の中に、もっとたくさんの知的障害の子がいれば、こんなに寂しさを感じることはないのになと思います。 障害のためというよりも、少数派であることの寂しさですね。

平成19年6月1日10歳4月


最近、少し落ち込んでいたら、次の新聞記事が飛び込んできて、世の中、少しづつ変わってるって思えて元 気が出てきました。

就学指導委員会を、埼玉県東松山市が廃止の方針 (5月31日 毎日新聞)

障害児童、生徒の就学先を判定する就学指導委員会について、埼玉県東松山市が廃止の方針を決めたことが 分かった。31日の市教育委員会定例会で規則を変更する。
就学委は全国の教育委員会に設けられているが、分離教育を助長し、障害のある子どもを通常学級に受け入 れる障壁になっているという批判が出ている。県は、就学委の廃止は全国初としており、文部科学省特別支 援教育課も「聞いたことがない」としている。

市は福祉先進市を目指し、「インクルーシブ教育(障害のある子どもを受け入れる共生の教育)」に取り組 んでおり、その一環で廃止を決めた。
就学委は医師や教育学者ら専門家で構成され、特別支援学校(盲・ろう・養護)▽普通学校の特別支援学級 ▽通常学級――のいずれが適切かを判定する。
就学委設置に法的根拠はなく、判定を受けるかは保護者に任されているが、就学期が近付くと教育委員会の 担当者が自宅を訪問して相談するよう促すケースもあるという。東松山市は代わりに、障害児の就学先につ いて判定はせずに助言する「就学相談調整会議」を設置する予定。

同省の全国調査(05年度)では、就学委で「特別支援が適当」とされながら、普通学校に2253人が入 学。しかし、関係者によると、判定結果に従わずに入学したために必要な支援が受けられず、給食の補助を 受けられない事例もある。
教育の欠格条項をなくす会の木村俊彦・事務局員は「就学委は『まず判定ありき』となりがちで、地域の学 校に行くのが原則で必要なら支援を行うという理念に逆行している」と指摘している。


平成19年6月15日10歳4月
最近は、公文教室で”カタカナ”を勉強しています。
”ひらがな”を学び始めた頃に比べると、ひらがなと対照しながら学べるので、以前よりも覚え方が早い ような気がします。(健常児と比べてはいけませんよ。)
とにかく、ゆっくりと成長しています。

平成19年6月22日10歳5月


夏休みに小学校行事で行われる少年自然の家での自然体験学習(2泊3日)が近づき、我が家では、 ちょっとした不安に駆られています。
最大の不安は体力です。今でも、夜9時に寝て、朝6時30分に起きるという生活をしていますが、 睡眠が少なくなると、すぐにヘタれてしまいます。
行事を見ると、夜10時に就寝〜朝は6時起床となっており、これでも睡眠時間が少ないのに、こ うした行事の常として夜はなかなか寝付かない子ども達も多いようです。
・ 1日目の登山は、大丈夫だろうか。
・ 次の日の朝に起きられるだろうか。
・ 睡眠不足の中で、翌日の午後は起きていられるだろうか。
基本的に親は付き添うつもりはありませんので、どうなることやらと思い悩んでいます。

平成19年6月26日10歳5月


現在3年生のダウン症の子が、入学の際は普通学級に就学していたのですが、障害児学級に移った と聞きました。
その理由は、”社会に出た時に困らないように、一定の知識を与えたい。”とのことらしい。
でも、たった1年間で普通学級の教育のことが分かったのかな?
それにしても、我が家の娘の成長の遅さにため息を付く母親。
この時期は、体力が持たないこともあって、学校でも皆んなと一緒の行動が取れない場面が増えて くるようです。
上記の3年生の子が漢字を習っているという聞くと、苦労しながら普通学級に通わせていながら、 相変わらずカタカナ段階にいる娘のことが少し心配にもなるようです。
普通学級に通って、学力面で障害児学級よりも良くなる、ということはないんじゃないと父は言う。
そんなことよりも、健常者と接する力や遊ぶ力を身につけてほしいと思っているんだから。
障害児学級で学ぶと、知識は得ても、もっと大事なものを喪くしていく気がするんです。

平成19年7月10日10歳5月


昨年度、県のあるところで統合教育に関する研究会が開かれたそうです。
で、結局のところ曖昧なままね結論を得ることが出来なかったようです。
統合教育のことが分からない人が、分かろうとしない人達を集めて協議しても、そりゃあ分から ないだろうなと思います。
研究をしてたらどうかと指示した人お偉い人も、統合教育の本来的に持つ意味を理解はしていな いんだろうなと思うと残念です。

ところで、
社会的な視点で考えれば、統合教育の持つ意味は、社会における意識の変革だと思います。
例えば、今はやりのユニバーサルデザインとかバリヤフリーとか言っても、それは段差のある社 会にスロープを付けましょうという発想ですね。 最初に段差(障壁)があって、それを解消していくという作業にすぎないと思います。
でも、最初から、なだらかなことが当たり前なんだという意識があれば、段差のあるものを最初 からつくらないだろうし、その意識を形づくる唯一の手段が、共に学んでいくことだと思います。
(啓発活動だけで、意識を形成していこうと考えること自体が浅はかです。)
そうした子ども達を育てていかなければ、なかなか人の意識は変わっていかない。
そうした大きな意味での意識変革の視点がなければ、問題が出てきただけで腰砕けになってしまう、 今回はその典型だったようです。

平成19年7月20日10歳6月


ついに、来週火曜日からMaiiの2泊3日の自然教室が始まります。
何が起きるのやら、はらはら、どきどきの3日間です。
もちろん、付き添いなどは考えていませんし、学校からも話はありませんでした。
障害児学級の子が行くときも、付き添いはないんだから、至極当然のように考えています。
が、毎日9時間は寝ないと体力が持たない娘が、10時過ぎに寝て(寝れるかな?)、6時に起床 したとしても、多分、午後には寝込んでしまうだろうなと思います。
そんな中ですが、先日の大雨で登山道が崖崩れにあい、1日目の登山が、山頂まで車が行く背振山 に変更になり、ちょっとだけ安心しました。
先生方も、少しは気が楽になられたんではないでしょうか。
でも、へたれ気味の娘を相手にしている先生も大変だなあと思うこの頃です。

平成19年7月27日10歳6月


我が家の娘は、無事に自然教室から帰ってきました。
背振山にも、何人もの人の手助けを得ながら登り、行事も参加したようです。
暗いところが苦手で、参加するかなと心配していたナイトハイクも、率先して歩いたそうな。
随分前から心配していたのに、行事もあっさりと終わりました。
それでも、学校や先生には随分気にかけていただいたと思います。
夏休みだったこともあって、参加された先生も多かったようです。
他の子ども達と一緒に活動できたことを、素直に喜びたいと思います。
感謝、感謝です!!

平成19年8月15日10歳6月


夏休みは、恒例の学童保育”アップル”に通っています。
ただ、パートに行っている母親にとっては、アップルまでの2往復が大変らしい。
それでも、本人は楽しんでるし、やはり慣れたところが良いと思う。
5年生にもなると、通ってくる同級生の子ども達が少なくなり、娘のことを知らない 小さな子ども達が増えてきて、これまでとはリズムが違ってくるとのこと。
あと1年間だけだし、子ども達も慣れてくれるさ。

それよりも、その後のことはどうしたものかな。
2年後のことではあるけど、ホントに中学生の夏休みって何すればいいのかな?
KEISEIはうまくクラブ活動に溶け込んだようだけど、家の娘は期待薄。
40日もの間、ぼ〜っとしてるんだろうか。
養護学校から戻ってきたHIROSHIくんはどうしてたんだろう。
SATOKOちゃんとかは、今どうしているんだろう。
クラブ活動ができたとしても、時間は短いし、お母さんは仕事で家にいない。
そういうふうに考えると、学童保育ってとても有り難かったんだね〜。
中学生の娘が、夏休みの間を過ごすためのアイデアを考えないと。
短期的なイベントではなくて、ず〜と行ける場所を探さないとね。

平成19年9月9日10歳7月


現在1年生のダウン症の子が、入学の際は普通学級に就学していたのに、障害児学級に移ったと 聞きました。何かがっかりして、話をする気力が失せてしまいました。
わずか1学期で移るなんて、なんなの?

平成19年9月27日10歳8月


中学校への就学のこと、少し不安を感じています。
なかなか背も伸びなくて、まだ、1m20数センチで、1年生程度の状態。
このままということはないと思うけど、これでは中学生に押しつぶされかねません。
女の子だから生理も始まるだろうし、うまく措置できるかも心配です。

平成19年9月30日10歳8月


恒例の日新小学校運動会。
父は、前日にテントの準備、当日も早朝からテントを立てに行きました。
また、父親委員として駐車場の整理にも行きました。
娘は、5年生になったこともあって、用具係になっていました。
いろんな道具があって楽しそうでした。これでは来年も用具係かな?
100m競争はいつものとおり、ジョギングのような走り。
母親曰く「Maiiは全力疾走ということを知らないまま終わりそうだ。」とのこと。
日新小恒例の相撲甚句は、かなり上手に踊れました。
応援合戦は、あまり練習に参加していなかったこともあって、あ〜あという状態。
大玉送りは最初から怖がっていて、いつの間にか集団から抜け出し、赤の旗を持ってきて、 ひとり応援していました。

平成19年10月3日10歳8月


我が家の娘も小学校5年生。
地元の学校の普通学級の中で、4年半の歳月を過ごしました。
もし、障害児学級の中で過ごしていたら、どんな娘になっていたのかなと思います。
もう少し、言ってることが分かるようになっただろうか。
もう少し、話す言葉が分かりやすいものになっただろうか。
そんなことを考えてしまいます。
同じダウン症とはいっても、それぞれの能力には大きな開きがあります。
幼稚園に入る頃に、ひらがなを書く子もいれば、小学校に入る頃に日記を書く子もいます。
我が家の娘さんは、小学校3年になって、やっとひらがなを書ける程度でした。
この差は、生まれつき持って生まれた能力だと思って、自分を納得させてきました。
それでも個別に一つ一つを指導してもらったら、もう少し成長したのかなと考えてしまいます。
いやいやそんなことはない。
家では毎日公文の書き方をしていても、なかなか覚えません。
というか覚えようとしません。
少し覚えたと思ったら、直ぐに忘れてしまいます。
最近は、学校で1日1時間程度、個別指導をしてもらっていますが、なかなか身に付きません。
障害児学級にいても、多くの時間を一人で教室の片隅で本を見ながら過ごすに違いありません。
だって、障害児学級には他にも手の掛かる子ども達がいるんですから。
今いなくても、学年が進むたびに増えていくことでしょう。

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少学5年生になって、同級生とは背丈にかなりの差が出てきました。
娘の場合は、第二次成長期がくるのも遅いようです。
娘は、同級生の肩ほどの大きさしかありません。
5年生になって、同級生の視線には、ひややかなものが混じるようになりました。
この年代は、自分と他の人との違いを認識し、差別化して自我を深める頃だと言われます。
その視線の先にいる娘と、自分との違いを確かめているのでしょう。
娘も、明確な現象はないとしても、知らず知らずのうちに孤立しているのかもしれません。
3〜4年の頃は、娘が嫌がるほどに構ってくれたのに、あまり構ってくれなくなりました。
これは子ども達の成長の過程のなかの出来事だから、仕方がないことです。
娘も、少し寂しさを感じているのかもしれません。
でも、そうした時期でも同じ場の中にいることで、環境の変化を肌で感じてほしいと思います。
私は、娘を愛しています。
だから、どんな場所へでも気後れせずに、一緒に出かけられるようになりたい。
健常者ばかりの中でも、明るく振る舞える子になってほしいと思っています。

平成19年10月26日10歳9月


我が家の娘には、4歳年上の兄(中学生)がいる。
小学校の頃は、兄のサッカーの試合などにも必ずMaiiを連れて行くことで、子ども達や保護者の 皆さんにも理解も深めてもらっていた。
お陰でサッカー部の子ども達は、Maiiが入学したときも気軽に声を掛けてくれていた。
兄が中学校に入っても、友達の間では、Maiiはちょっと変わってる普通の子として扱われていた。
だから、兄の方も、あまり気にせずに過ごしていると思っていた。
でも、気になることはあったらしい。
学校の人権作文で、「別の学年の子が、”ほら、あの子は障害の子”とか、”あの子はバカだよ”とか いう陰口を聞くのはつらかった。それでも、自分の友達は、妹の障害のことを気にせずにいてくれ たのが良かった。」という趣旨のことを書いている。

兄は、Maiiのことを構ってくれる優しい心根がある。
最近、兄が友人2〜3人と公園にいたときに、Maiiも公園に行った。
その時の兄や友人の接し方が、とても自然だった。
障害のあると子が来たといって身構えることもないし、適度に構ってくれていた。
兄が、一番自然にMaiiのことを受け入れている人間かもしれない。
そして、その友人達も人間として一番大切なものを身につけていると思う。

娘が小学校の普通学級に入学した時、同級生から、”Maiiはバカばい”という言葉が出ていた。
それも1学年の後半になると、そうした発言は全く出なくなる。
一緒に過ごしていると、能力が低いという前提は当たり前のことになり、それを言ってもしょう がないという気持ちになるようだ。
それよりも、それ以外のMaiiの特徴を見るようになってくる。
だから、どの学年にも障害のある子がいれば、自然に障害を受け入れる子ども達が育つと思う。
本当は、小さな子どもの口から差別的な言葉が出てくるのが、一番いけないことだと思う。

平成19年11月27日10歳10月


昨日は、担任の先生がお休みだったらしく、代わりの先生が担任されていた。
そんな日に限って、登校したMaiiは、まっすぐ教室に入らず、兎小屋の裏にいたらしい。
なぜ、そんな気分になったのか、本人のみぞ知るという状態です。
多分、代理の先生は慌てただろうし、騒がれたかもしれない。
迎えに行った母親に、代理の先生から”その後は掴まえていた”というようなことを言われて、母親も”かちん”ときたようです。

ところで、母親が迎えに行った時、先生はMaiiに、”下着を濡らしていたので保健室で着替えよう”と話をされてとのこと。
その後は玄関で待っていたが、着替えを取りに教室に行った娘がなかなか戻ってこない。

母親が教室を見に行ったが、そこにもおらず、友人が”Maiiちゃんは来てないよ”と言う。
いろいろ探した末に、何のことはない、Maiiは保健室にいたとのこと。
こんなことがあって、母親も、
”これまでは個別学習のお願いなんかをしてきたけど、これからは大人が出来るだけ干渉しないで、 Maiiの意思で行動させるようお願いしないといけないね”と言っていました。

平成19年12月5日10歳10月


先週の金曜日、午前中用事があって休暇を取ったので、昼から小学校の見学に行きました。
昼休みに5年1組の教室に入っていきましたが、子ども達は外に遊びに出ていて居たのは4人。
娘はボランティアの婦人に相手をしてもらいながら、トランプもどきをしていました。
すぐ近くで同じクラスの3人もトランプで遊んでいました。
ルールのあるトランプ遊びを同級生と出来ないのは分かっています。
でも、少しだけ悲しい気分。
娘には”たまには外に出て遊んでこい”と言いましたが、行く気配はありません。
私のことを面倒くさそうに見ていました。少し、気持ちが暗くなります。
昼休みが終わって掃除の時間になりましたが、娘の近くからボランティアの方は離れません。
こんな状態が、昼休み〜掃除の時間と続いているようです。
5時間目の授業は、図書館での読書活動になっていたようで、担任の先生だけでした。
6時間目は体育の時間になっていましたが、予定が変更されて合唱の練習でした。
体育の時間は、かなり年輩の先生が娘に付いていると聞いていました。
音楽に変更になっても、その先生は娘の側に付いておられました。
ず〜っと側にいるという状態で、鬱陶しい感じでしたが、娘は慣れてしまったようです。
ますます気持ちが暗くなっていきます。
これではいけないと思いつつ、あまりに差のある同級生と遊ぶのは難しいのかなと思いながらも、放 り出してもらったら、本人も少しは同級生に付いていこうとするし、同級生も一緒に時間を過ごそう と思ってくれるかもしれない。
そんな切っ掛けを奪っているのではないかと思い直しました。
取りあえず、連絡帳に意見を書いてみよう思います。

平成19年12月25日10歳11月


我が家の娘は、言葉の覚えがとても悪くて、なかなか会話にはなりませんが、覚えた言葉は 意外に発音が良くて私達にも聞きやすい言葉になります。
これまで、訳が分からない言葉を発していても、あんまり注意することもなく喋らせていて、 出来る限り答えるようにしていました。
本人は何かを表現したいと思っている、言葉は覚えていないけど伝えたいという思いがある、
そのやる気を削がないようにすることが大切だと思っていました。

そんなことを知らない祖母が娘に注意することもありましたが、今度は私の方から祖母に、 ”自由に喋らせることが大事なんだ” と言っていました。
健常者の固まりの中にいると、言葉にならない言葉で喋る娘を注意したくなる場面がありま す。
でも、娘は自分の言葉に意味を込めているんだと思います。

私も、それを分からない人の方が ”おかしい”と思うようにしています。

平成20年1月14日10歳11月


前回からの続きになりますが、最近、娘の言葉の数が増えたような気がします。
何か、言葉のやりとりが以前よりもスムーズになったような気もします。
点数化できないのが残念ですが、親的には”進歩している”と思っています。

もうすぐ、11歳になります。
誰も信じてくれそうもないような大きさですが、これから伸びてくれるのかな?

平成20年2月26日11歳1月


簡単な算数をやっていますが、簡単な一桁の足し算も出来ません。
それが出来たからといって進歩があるわけではありませんが、ちょっと不安です。
母親は、学力に関しては諦め気味で、家族で一緒に暮らしていけばいいと言っています。
というか、企業や授産施設で働くのも無理だと思っている様子です。

母親がパートに行っているパン工場に、障害のある子が働きに来るらしいのですが、多少なり と働けても、健常者から見ればスピードや要領も悪いので、叱られることも多いらしい。
障害のある人が多い場所でも、障害に理解のある人ばかりとは限らないのです。
可哀想だと思うような場面も、多々あるようです。
そんな環境で、我が家の娘が耐えられるはずがないということでしょう。
また、授産施設などに行っても、例えば、割り箸を袋に入れる程度の仕事しかできなければ、 それを延々と続けることになりますが、ダウン症の娘にとって、そうした単純労務だけでは、 どんどん頭が固まってきて、おかしくなりそうな気もします。(急激退行?)
まるで、方向性の定まらない話になりましたが、もう少し成長しろと願う父です。

平成20年3月17日11歳1月


実家から変える車の中で、室内に流れる音楽を”あたしんち”にしろと言う。
で、英国の作曲家”エルガー”の”威風堂々”をかけると、納得する。
最初の序章部分では、何の曲か分からないと思うのだが、サビの部分になると、”来〜て来〜て、 あたしんち〜”と歌い始める。
TV漫画の影響とはおそろしいもので、荘厳な”威風堂々”の楽曲も、我が家では明るい行進曲 になってしまいます。

平成20年3月18日11歳1月


Maiiの2番目の兄は、今年が高校受験です。
のんびりした性格のため心配していましたが、今日発表があり、見事合格してくれました。
試験の日から、これまでハラハラドキドキの日々でした。
☆.。.:*.。..:*.。 ☆.。.:*.。.☆.。.:*. ☆.。.:*.。☆.。.:*.。.
Maiiと同じダウン症で、県立有田工業高校の定時制を目指したRyouta君は不合格でした。
募集定員にも達していないのに、それでも不合格になりました。
障害のあることを理由にして、不合格にしてもいいのだろうか。
それで良しとするなら、障害のあることを理由に全てを否定できることになります。
それが、人間としてとても恐ろしいことだと、校長先生は考えなかったようです。

平成20年3月20日11歳2月


大学に通っている上の兄が帰省してきて、Maiiも少しテンションがあがってます。
それでも夜8時を過ぎると、”おやすみ”と言って1人で2階に上がっていきます。
春休みには、学童保育のアップルに行くのを楽しみにしています。