就学(6年生)編
平成20年4月14日11歳2月
Maiiの新しいクラスは、6年1組。
いよいよ娘も小学校の最終学年に進級しました。
あと1年で、ひとりで中学生活が送れるような状態にしないといけません。
相変わらず、不安を抱えながらのスタートです。
今度の先生は、男の先生。
Maiiにとっては初めての経験になりますが、最近は、先生にべったりになる傾向があったので、 少し距離を置く関係ができればいいなと思ってます。

昨日は、母親よりも娘が早く帰ってきたそうです。
母親が帰ってきたとき、娘はランドセルを縁側に放り出し、公園の方に歩いていたとのこと。
呼び止めて”公園に行くつもりだったの?”と聞いてみたら、娘は”違うよ。”と言ったらしい。
では、どこに行くつもりだったのかと聞いても、返事は返ってきません。
あんまり考えてながらの行動はしていないようです。
母親は、”また、行方不明になったかもしれないと思うとビックリした”とのこと。
1年後には中学生になるし、テスト期間中などで早く帰る日が出てきます。
でも、まだ、鍵は持たせられないし、どうなるのかな〜と思案顔でした。

6年生は、学校生活だけでなく、進路など様々な問題が同居する学年です。
そういう環境の中で、Maiiの学校生活も続きます。

平成20年5月14日11歳3月


どんな学校生活をしているのやら、学校に行くことが少なくなったので、皆目分かりません。
近日中に、担任の先生による引継があるそうなので、久し振りに学校に行くことになります。
昨年に引き続き、PTA の学年父親委員になりました。最後のお務めです。

平成20年5月22日11歳4月


Maiiが普通学級で学んでいることもあって、例年、春先になると、新旧の 担任を交えての話し合いの場を持つようになっています。
以前は、担任の負担にならないよう校長先生の参加もお願いしていましたが、私達も学校側も、娘の 学校生活に慣れてきたこともあって、ここ2年程は担任だけになりました。
今回、初めて男性の先生になりましたが、これまでとは違った意気込みを感じました。
授業の中での先生の関わり方を見ていて、出来るだけ同じことをさせようとされていることに好感が 持てました。

平成20年6月12日11歳4月


もうちょっと、わかる言葉にして話してくれないかなと思う。
話している内容は、10分の1程しか伝わらない。

それでも、娘は、話したいことがたくさんあるようで一生懸命話しかけてくる。
分かってあげたいけど、Maii語は難しいし、もっとゆっくり話をするように教えてあげたい。


平成20年8月29日11歳7月


小学校6年生の最後の夏まで、学童保育の”アップル”で過ごすことが出来ました。
一昔前であれば、夏休みの期間は、家の中で一人で過ごす子ども達も多かったのでしょうが、時代の 変化と周囲の人達の理解のお陰で、たくさんの子ども達の中で過ごすことが出来ました。

”アップル”の皆さんと、毎日、送り迎えをしてきた奥様に感謝したいと思います。
さて、来年は中学生。
長期の休みをどう過ごすのかという課題が、重くのし掛かっています。


平成20年9月2日11歳7月


我が家の娘は、知らない人に、誰彼なく挨拶したり、話しかけたりする。
理解するのが難しい言葉で話しかけられた人は、ちょっと戸惑い、返事に躊躇する。

自分が、とても分かりにくい言葉で話していることを、娘は理解していない。
だから、恥ずかしいとか、照れるとか、遠慮するとか、そんな感覚は持ち合わせていない。

娘に付き添うことのある息子は、Maiiといると困る〜とか、恥ずかしい〜とか、言っている。
娘の一番の理解者である息子にしてそうなんだから、一般大衆には、娘の行動を理解しろと いうのが無理なのかもしれない。
それでも、私は、娘の行動を止めることはない。
娘は、娘の思考で行動しているのであり、私の持っている常識で拘束してはいけないと思う。
娘が、他の人と関わろうとする行動力を、親が阻害してはいけないと思う。

そう考えていると、娘の行動を恥ずかしいとは思わなくなる。
娘が話しかけて、戸惑ったり、躊躇する人は、訓練が足りないと思うことにしている。

年輩の人の中には、おおらかに対応できる人もいる。
意外なことに、高校生が柔軟に相手をしてくれることもある。(これは楽しい。)
世の中(SAGAの人達)は、すてたものではない。
障害のある人は、世の中にたくさんいるんだから、娘のような子がいても良い。
そして、そういう人達が街中に溢れていたら、意味不明の言葉が飛び交い、それを理解しよう とする人達も増えてくるだろう。

そんな街であってほしい。
障害のある人を、障害のある人達だけの世界に閉じこめない、そんな社会でありたい。


平成20年9月16日11歳7月


さて、これから小学校の運動会やバザー、遠足などの行事が続きます。
娘のこともあって、積極的に参加してきたPTA活動も、今年が最後になります。

41歳の時の子なので、周囲を見渡すと、私よりも年輩の人はあんまり見かけなくなりました。
あと半年で、ようやくお役御免になります。
それまで、頑張っていきましょう。

平成20年9月28日11歳8月


日射しも強くなくて、丁度良いお天気の中での運動会となりました。
100m走では、相変わらず笑顔を振りまきながら、1人で最後尾を走っていました。

障害物競走は、1年生との合同競技だったので心配していましたが、うまく出来たようです。
N小恒例の相撲甚句は、昨年もうまくできていたので安心して見ていました。

紅白の応援合戦は、あんまり乗り気にならないのか、皆んなの後に付いてただけ。
6年生で取り組むスタンツ(組み立て体操)では、演技も場所換えもスムーズに出来て、想像し ていた以上にうまくやっていました。
用具係の方も、みんなの後を追いかけながら、自分なりに頑張ってたみたいです。
最後に紅組が負けたのを悔しがっていたとも聞きました。

お弁当を囲んで昼食をとるのも、これが最後かなあと思いながらも、中学校でも同じ様に出掛 けて行って、一緒に食事してもいいなあと思った次第です。

平成20年10月12日11歳8月


今日は小学校のバザーの日でした。
娘のこともあって積極的に参加したPTA活動も、今回で4回目の父親委員。

バザーでは軽食班で焼きそばづくりのはずでしたが、父親委員の出席率がよくてあぶれたので、ビンゴゲームの販売へ転身。
こんなのが売れるのかと思っていたら、意外に購入する人が多かったような気がします。
それもこれも景品次第なんでしょうというお話でした。
そんなこんなで、朝から午後2時近くまで立ちっぱなしで、帰ったら結構疲れていました。
娘も、バザー会場で適当に遊んでいたようです。

平成20年10月27日11歳9月


兄を病院に連れて行ったりしていたので、Maiiのランドセルに家の鍵を入れ、”学校から帰ったら、 鍵を開けて家に入り、TVの教育を見てて良いよ。”と言ってたらしい。
本当に出来るか不安だったらしくて、家の灯りが見えた時はほっとしたと母親が言っていた。
のんびりした娘だけど、それくらいは出来そうな気がしていたし、何も言わなかったけど、我が家 は少し過保護なのかもしれないと思った。
休みの時も、娘がもっと冒険する機会が必要な気がしてきた。

平成20年11月6日11歳9月


今日から明日まで、Maiiの修学旅行(長崎1泊2日)です。
みんな一緒に集団で動いてくれれば、何の問題もないんだけど、この修学旅行のメイン行事は 2日間のグループ活動にあります。
1グループ6〜7人で長崎市内を行動するみたいだけど、Maiiもその中に加わります。
グループの数は10を超えているので、当然、先生の目は届きません。
(先生は、行程の途中途中に立っているみたいですですが。)

いろいろな不安が浮かんできました。
不安、その1
間の悪いことに、6〜7日は、九州地方は強い雨の予想とのこと。
母親は、傘にするか、合羽にするかで悩んでいました。
折りたたみ傘を持っても、折りたたむ技術はないし、普通の傘を持たせようとなった。
びっちょびっちょにならなければいいけど。
不安、その2
金銭の管理はどうするんだろう?
取りあえず、財布に3000円持たせて、同じグループの子に出してもらうしかないんだけど、何か欲しいものが出 てきて、みんな使っちゃったらどうなるのかな。
それはそれで仕方がないけど、お昼御飯は、自分で出すようになってるみたいだから、残ってなかったらと思うと、 ちょっと不安です。
不安、その3
トイレについての不安。
娘は、あらかじめ用を足しておくこという準備が出来ないから、その場でトイレを探すことになるけど、直前に なるまで、トイレに行くという判断が出来ないし、なかなか我慢もきかない。
そんなに都合良くトイレは探せないだろうし、寒いこの季節は、ものすご〜く不安です。
不安、その4
これまで教室の中で接点の多かった子達が、グループの中にいません。
だから、娘のことを理解しているかどうか、よくわかりません。
一応、リーダーシップのある子がいるみたいだから、その子に期待しましょう。
(それにしても、母親は、同級生の子ども達のことをよく把握してるなあと感心しました。)

いろいろ不安はあって、顔が真っ黒になったり、お漏らししたり、お金や道具を無くしたりするのは仕方がないと 諦めました。
親が長崎まで呼び出されたり、娘が怪我したり、迷子にならなければよしとしましょう。
そうだよね、以前程ではないにしても迷子になる不安もあるんだよね。
とにかく生きて帰ってきてくれよ。

☆.。.:*.。.☆.。.:*..★.。.:*.。.☆.。.:*.

それにしても、学校側からは何の話もありません。
数年前の熊本では、校長さんが、障害のある子の参加を辞退させた事案もありました。
そん時は、熊本って最低〜って思った。
親ですら不安なんだから、学校も心配するよね。
それでも何も言ってこない学校は、とても偉いと思います。

平成20年11月6日11歳9月


娘は、何事もなかったかのように帰ってきました。
心配した雨もあんまり降らなかったみたいです。
コーラを片手に、「アイス食べたよ。」だとさ。
お土産は、お兄ちゃんに、亀の付いたストラップを買ってきました。
誰かと一緒に買ったのかな?

娘が成長したと言うよりも、6年間も一緒にいると、周囲がしっかりしてくるんだなと思います。

平成20年11月20日11歳10月


小学校への通学時間での光景。
低学年の子ども達が走ってくると、それを避けるようにどんどん走っていきました。
どうも、低学年の子ども達を苦手にしているようです。
低学年の普通学級には、障害のある子は全くいません。
だから障害のある子に対する配慮とか、同じ人間だという同一性が薄いようです。
娘の悪口や噂話をするような傾向があって、それが娘の耳にも聞こえてくるみたいです。
そのため、公園などでも、低学年の中に入っていくことはありません。
なんとなく、障害があるという少数派にいる娘が可哀想な気がしてしまいました。

平成20年12月5日11歳10月


入学を予定している中学校の入学者説明会が行われたので、夫婦で出席してきました。
説明会では、何のハプニングもサプライズもなく、通常のまんまでした。
模擬授業でも、何も知らない先生が、ちょっと戸惑ったみたいで、何も知らないようでした。
奥様は、娘の障害について、中学校に話をしておかないといけないんじゃないと言います。
私は、なるようになるから、ほっとけばいいかなと思っています。
どちらが正しいのかなんてことは、よく分かりません。
中学校も、考える時間が必要だから早めに知らせた方がいい、というのが母親の言い分。
中学校も、小学校に多少の問い合わせはしていると思う、というのが私の思い込み。
入学説明会では、新入学児の入学体験的なものも組まれています。
おのずと中学校も知ることになるから、その流れに任せていけばいいかなと思っていました。
それにしても不思議な感覚ですね。
娘が中学生になるというのは、なんなのでしょう。
ほんと、我が家の娘は小さくて、みんな驚くと思います。
これまで、よく頑張ってきたなと思います。
学力も体力も格段に劣っているのに、休みもせずに学校に通ってきました。
とても、たくさんの我慢をしてきたんだと思います。
分からない授業を聞くのは、忍耐力がいります。
激しい動きが苦手で、体育では見学していることも多かったようです。
自分と同じような状態の子がいないという孤立感もあったでしょう。
下級生の心ない陰口に傷つくこともありました。
でも、たくさんの同級生の中で過ごすことは、やっぱり幸せなことなんだと思います。
障害がありながら、普通学級に通うなんて、それだけで良くやったと言いたい。
でも、まだまだ終わりではありません。
ほんと、中学校でどうなるのかな。

平成20年1月5日11歳11月


年末の12月31日に、祖父が他界。
父は、入院中の看病や通夜、葬儀、初七日などに追われ続け、娘のことに気を向ける時間もありませんでした。
Maiiが生まれた時、一番、母親や娘のことを気遣ってくれた祖父でした。
障害があっても、そのことで人を差別することもない祖父でした。

平成21年3月19日12歳2月


いよいよ卒業式です。
長いようで、過ぎてしまえば短かった6年間でした。
最初の2年間は、付き添いを求められたりして大変でした。
私も、隣の教室で過ごしたことが何回もあります。
障害があるというだけで、親に負担を求められることには”怒り”もあったけど、学校と いう環境のことを良く知ることが出来たのは良かったと思います。
3年生の頃から、それも止めてしまったので、実情が分からなくなることもありました。
学年ごとに、子ども達の成長を感じることもありました。
あんまり成長しなかった様な気もするけど、それなりに大きくなった娘です。
今日という日の意味を、よく分かっていない娘です。
中学校の環境に慣れることが出来るのか、他の中学校から来る子ども達が、障害のある子 のことを理解できるのか、そんな不安もあります。
とはいえ、明日からのことは後で考えましょう。
今日は、卒業という日をお祝いしたいと思います。
さっき、娘は出かけていきました。
私も、しばらくしたら出かけようと思います。

平成21年3月19日12歳2月


Maiiは、佐賀市立日新小学校を無事に卒業しました。
長い6年間ではありましたが、過ぎてしまえば、とても短かったような気になります。
でも、付き添いを求められた最初の2年間は、いつまでこんな状態が続くんだろうと思いました。
その後、少し学校から離れると、時間の過ぎるのは早かったような気がします。

相変わらず手の掛かる子のまんまなので、中学校に行っても大丈夫かなとも思います。
そんな心配が付きまといますが、そこに行くしかないというも事実です。
娘なりの頑張りに期待したいと思います。