障害児教育講演の記録 1


講師 岩元昭雄氏

  (一部省略)

娘も、障害児も成長していく、無限の可能性が一方にはある。これを何とかする手立て、もっと良い環境にならないか。そうなるか、ならないかがポイントになるのではないでしょうか。
娘も割と元気に育ってきましたが、ダウン症候群というのは、いろんな合併症を持つなどの傾向があります。娘も、幽門狭窄で小さい頃から、ものすごくよく吐きました。母乳もミルクも、一寸咳き込んでも、一寸笑い過ぎても吐きました。噴水のように吹き上げる。一旦吐き出すと何時間も、半日も続く。それでも飲ませる。
それから、立って歩くのが遅かったり、少し言葉が遅かったりとか、いろいろありました。後で気づいたことですが、甲状腺などいろんな障害は、もっと早く気付いていれば、もっと頑丈な体に育てられたかもしれない。そうしたこともありました。合併症も人並みにありました。

生まれた時のショックは皆さん共通のことですが、鹿児島大学の産科を退院する時に、知的発達はせいぜい小学1、2年程度、うまく育って24〜25歳、20歳そこそこの命と言われて、皆さんと同じようにショックを受けました。
ただ、私は中学校の教師として勤めながら、所謂、特殊学級に通う子供たちを見てて、もしかしたら普通学級に行けるような子もいるし、普通学級で勉強している子も最初から平仮名などの基礎からやった方がいいというような子を何人も見てきました。
何処で、健常児とか、障害児とか線を引くのか。確かに科学的には、染色体の以上があっても、そこから派生してくる障害の度合いは非常にたくさんあります。娘も不得手なことはたくさんありますが、健常児として生まれてきた子供たちも、不得手なことはたくさんあります。行ける所まで行ったら、何とかなるんじゃないか。そうした気持ちを、当時、持っていたような気がします。
そうして育っていくうちに、案外いい時期に寝返りをうち、少し遅くなったけれども立って歩くようになった。そうしたことをやってきました。
娘は英文学科を出ましたが、英語の特に単語なんかは私とは比べものにならないくらい多く知っている。

 鹿児島で長く小児科医を勤められ、現在島原に帰られた松田先生は、ずっと障害を持った子供、特に先天性異常の子供の医療に携わって来られた方ですが、その先生が童話を書かれ、その童話を「綾さん、英訳しないか」と言われて、今、取り組んでいます。
今年の4月に、図書の司書の免許も取りました。日記も書いていますが、普通の人の日記とほぼ変わらない。語彙も大分多豊富になりました。
今、彼女が到達した点について言いますと、自分自身の健康管理などは、非常に緻密にやります。毎日、心臓の薬を飲まなければなりませんが、一切私が口を出すことはありません。
それから、ダウン症の子供さんは太り過ぎるきらいがありますが、それで娘は、長年ヨガをやっています。縄跳びも1日百回〜百五十回。そうした健康管理については非常に根気強くやります。

それから、雑学も大分知っています。清原が昨晩ホ−ムランを3本打ったとか、どこが勝てば順位がどうなるとかですね。なんとかいう関取は、何部屋で親方は誰とかですね。
政治にも興味を持っていて、前の国会で内閣不信任案を出していたのに、次の時には手を結んで握手しているのを見て、あれはおかしいというような事も言いますし、分かります。雑学的に社会一般の常識も広がってきたなあと思います。
 ダウンの若者として、他の(ダウン症の)人たちと違うのは、言葉をたくさん獲得してきた。言葉を身に付けることに、少し他の方々より得意な面があったと思います。昨年暮れに、横浜で第3回ダウン症フォ−ラムがあって、多くの他のダウン症の若者を見ましたが、ものすごくビブラフォ−ンを情緒豊かに演奏する人がいました。きれいな絵を書く人もいました。
鹿児島で、先日、22歳のダウン症の女性が絵の個展を開きました。とってもきれいな色合いの油絵でした。横浜で出合った青年には、すばらしいダンスを踊る人もいました。その青年はきりっと締まった体で、とてもスマ−トでした。
そうした人たちを見ながら、このひとたちも言葉の獲得をしていれば、もっとすばらしい発達をしたんじゃないかなと思いました。

言葉を生むためには、心が、感受性が豊かでなければなりません。それに言葉が備わってきて、物事とが少し深く考えられるようになると、より感受性、心が豊かになる。それが繰り返されていって、絵を描く人は絵に対する理解、鑑賞眼を深めていくだろうし、ダンスを踊る人は自分のダンスを深く把握していくことができるようになると思います。
そうしたことを考えると、ダウン症の子供たちも様々な可能性を持っていますが、その中で不得手ではないかと思われている言葉を、綾が身に付けたことは一つ特徴があるんじゃないかと思います。
ただ、こうすれば言葉を身に付けるとか、言葉がうまくなるとかということを考えて育ててきた訳ではありません。後で考えて、あれが良かったと思うことはあります。そのことを話したいと思います。ただ、子供の持つ可能性というのは、大人や説教師などが、あれこれ計算して図れるものではありません。

ある日突然、あんなことが出来るようになった。あんなことを考えるんだなと気付かされる。4月に長崎のバンビの会に行って、こうした会の後に何人かの方と話す機会がありましたが、そこで、あるお母さんが「私の知ってる男性の方が、私はダウン症という言葉を捨てたいと言っている。綾さんはどうですか。」と言われました。
私が返答に困っていると、綾は「私は、ダウン症を捨てようとは思いません。持って生まれたものですから、それを受け止めて、これからも生きていきたい」と言いました。そうした言葉を娘の口から出てくるとは予想もしませんでした。
だから、理解が進む、思考が深まるほど、自分の将来に対しても理解が深まる。そのことは一方では悲しみも深まることだし、それを乗り越える強さも自分で養わなければならない。そうしたことを自分でも把握されだしたと思います。
そうしたことは、こうすれば出来る、こう生かせるとか思ってできることではない。子供の可能性というのは、ある日突然、その子供が自らの力で押し開いていく。そういうものなのだと、レジメの中にも、灰谷健二郎さんの対談の話として書かせていただいています。

今日のテ−マの「夢紡ぎ」というのは、障害があろうと無かろうと、子供の持つ可能性は計りしれないと心から思ってくれる人が、一人一人の子供の周りにたくさんいるのか、いないのかというのが、子供が成長する最大の要因であり、「ああダウン症か、駄目だな。算数は駄目なんだ」と思う人がいるのと、「ああ分かるんだ」と思う人がいるのとでは、全然違う。
私は、本を出してから、知的障害の方たちと接する機会が増えました。そうした中で、言葉やIQでは計れないもの、感性というか、感受性というか、その点ではほとんど変わらないのではないかと思いました。周りの人への気配りとかですね。例えば、感情的なすれ違いから私と妻が口げんかをしますと、表情にもあまり出していないのに、パット分かります。
そういう感受性の鋭さは、並の人よりも鋭いのではないかと思います。それも、能力のひとつですから。そうしたことを信じてやる、無限だという気持ちの人、所謂「夢紡ぐ」人たちがいるかどうかが、子供たちの成長の最大の問題じゃないかなと思います。

手間暇かかる子には、手間暇かけるというのが教育の基本と思います。すばらしい子供を、何千人の中から選りすぐって、ある大学の工学部に数少なく入れて、金をかけてという施策がありますが、やっぱり障害を持って生まれてきた子も手間暇かけていくというか、・・・
小中学校で特殊学級に通っていた子供たちが、養護学校の高等部に行きます。その高等部に行くと、障害の度合いが重い子供たちがたくさんいます。先生たちが、その方に手を取られ、中学校の特殊学級までは順調に行っていた子供たちが、一時期、発達が止まるという話をよく聞きます。
やはり、そこでも重い方々には重い方々の手立て、順調に来ている軽い方々には軽い方々の手立てというのがもっとあると、青春の後半期に入ったそうした人たちの成長というのは、とても大きく可能性を開くのではないかと思います。

例えば、今、鹿児島で、私の娘の例なんかもあったりして、普通学級に通うダウン症の子供たちがだんだん増えてきました。ところが、1年生では漢字を八十字覚えなきゃいけない、2年生ではすぐに九九が始まる。九九も覚えないうちに、次に進むということで、「私の子はやっぱり普通学級では駄目なんじゃないか」と、御両親は挫折感を持たれる。
でも、よく考えると、小学校2年生で九九を覚えないと、なぜ駄目なのか。3年生で覚えてもいいし、4年生で覚えてもいい、と思うんです。
漢字の八百何十字と千百幾らかを、小中学校で習うんです。それを全部覚えなくても、皆さん、大きな顔して世間を渡り歩いている訳ですから、所謂、指導要領で示された度合い、スピ−ドで身に付けて行けなくても構わないんです。
ところが、日本の学校とか、それから塾とか、家庭の中まで、所謂指導要領が40年も続いていているものだから、そこから少しでも遅れ出すと駄目だという考え方が行き渡り過ぎていると思います。
だから、苦手なことは、2〜4年生までかかってもいい、それよりか同じ年格好の人たちと一緒に暮らす。人と人との繋がりもあります、心の読み取りとか、その子に対する気配り(感謝する心とか)なんかを養っていくのが大事じゃないかなと思います。

健常な子供を育てる親にも、障害を持っている子を育てる親にも、画一的な教育思想への思い込みが強過ぎる。少々遅れてもいいじゃないですか。そのことが、一つ大事なことじゃないかなと思います。
そうは言っても、娘も中学校から高校に上がっていくには、高校入試を受けなければなりませんでしたから、中には、500点満点で400点取らないと入れない進学校ありますが、のんびり過ごせそうな、苦手な数学は、最低でも簡単な計算とグラフの問題が解ければなんとかなりそうなところをですね。それで、中学、高校を乗り越えて、自分が一番得意とする好きな語学に行き着くわけです。
何でも人並みに、ある学年ではこれが出来なくてはならないという画一的な子供の計り方から、少しはずれて、苦手なものはゆっくり直しながら、得意なものを思いっきりやらせる、そう言った気持ちが大事じゃないかなと。
そのために、それぞれの家庭で、わが家はこのペ−スでいく。少し遅れていくけど、学年は6年生になったけれども、家でちょっと見てやる算数は2〜3年生のところをやっているという、オリジナルの子育てのペ−ス。そういうものを自信を持って、ゆっくり作っていくことがとても大事じゃないかなと思います。
ただ、そう言っても、父親も母親もいそがしい。時間がないとか、忙しさに追われる現代です。私も仕事に追われて、ほとんど綾のことを見て上げる暇がなかったんです。例えば、小学校の6年間、私が確実に家にいるのは、夜は10時以降とかでした。朝はいたので、6時半に娘と一緒にラジオ体操をしよう。それから、何時帰ってきても、小学校の5年くらいから、苦手の算数を何とかしようと、1日に5題くらいは計算問題の練習を書けるんじゃないかな、忙しい中ではあっても、出来れば毎日、少しでも持続性が保たれるものを見つけて、それで子供の育ちと関わるものを見つける、案外忙しさの中で思わぬ収穫が出てくるものです。

娘を育ててみて、とても大事に思うことは、障害のあるなしにかかわらず、今の子供たちは皆んな大変だなあと思います。というのは、生まれた時は、鹿児島の静かで自然豊かな郊外だったんですが、この子が小学校に入るまでの4〜5年の間に、どんどん家ができて、あんまり良い場所じゃなくなったんです。
それで姶良郡の隼人町に移ったんですが、家には温泉を引いて、周りは杉の木立が鬱蒼としています。汚染の少ない心地良い風が吹いて、緑豊かなところで子供が育つという環境が非常に限られてきた。障害を持った子は、それだけ弱いと思います。体も弱いし、心も弱い。だから汚染度の少ない、自然の豊かな所で育てるのが大事だ。その点で、自然を守るということが、これから育つ子供たちのためにも大事だなと思っています。
もう一つ、若い人達は、清涼飲料水やファ−ストフ−ドを食べますが、やはり規則正しく、出来たら手作りの、太りがちですから動物性脂肪や塩分の少ない、特に防腐剤や着色料の入っていない、僕は毒のない食事と言っていますが、そうした食のことも大事です。
家族の食事が遅くなることもありますが、時間をたっぷりかけて食事をします。出来たら情感を高めるために食器やテ−ブルの飾り、今日はこのお茶碗に盛ったらどうだとか、そうした一寸した食事の工夫も大事じゃないかなと思います。

ダウン症に限ったことではないが、子供の体の問題で、鹿児島のスポ−ツ少年団の組織率は全国一位なんですが、子供の体作りを、ついつい地域の子育て組織にまかせてしまう。しかもそこでは、小さい頃からやっている子とかいない子とか。バレ−ならバレ−だけとか、偏ったスポ−ツの普及が広がりがちなんです。
やはり、子供の骨、筋肉、それから皮膚など、そういったものは基本的に、親がマッサ−ジとか、ぶら下がりとか、少々乱暴な放り上げ、ダウン症の子は筋肉の強化というのがどうしても欠かせないと思います。そういった子供のために、その子供の成長にあった運動をどれだけ見つけるか。もし、兄や姉がいれば、兄弟で工夫できるかということも大事だと思います。
外から見える筋肉の強さ、握力の強さ、視力の鋭い動かし方、皮膚の緊張の仕方なんかは、親でやることは可能なんですが、内臓の問題とか、神経的なものは分かりません。そうしたことは、早く専門のお医者さんを捜して、徹底して検査して、援助と相談をした方がいいと思います。 娘も、内分泌の問題、甲状腺の問題、そういったものはもっと早く発見しておれば、もっと良かったんじゃないかと思います。だから、汚れのない自然のなかで、心を配った食事と、外から見える体の成育は出来るだけ親がやってあげて、見えない所は専門の方々に相当詳しく早めに検査し、相談するというのが大事だと感じます。

娘の言葉の獲得のことで、私は専門ではないんですが、一昨年見つけた本なんですが、福村出版の「ダウン症児の言葉を育てる」池田幸恵さんと菅沼フツさんが書かれた本ですが、これを見て、あんまり間違ってなかったなと思いました。
多くの方が御存じと思いますが、大月書店の「障害児を育てる」茂木俊彦さんが書かれた本にも、言葉のことが書かれています。これらの本を見て、これから話すこと、そう間違っていなかったんだなと思います。

レジメの2枚目の「言語獲得をこう考える、心育みをたっぷりと」と書き添えていましたが、言葉教えより、まず心育てというものも重視をしたいと思います。心に、自分が表現したいこと、誰かに伝えたい思いが、いっぱいにならないと、言葉は生まれないと思います。
子供の思いがいっぱいになって、誰かに伝えたいという思いが、例えば、おしめが汚れて嫌な思いから泣くということも、心の思いの表出ですが、それよりも、嫌な思いよりか良い思いの方を心安らかに表出したくなることが大事と思います。
嫌なことを人に伝えることは辛い、ところが、良いことであれば軽く口に出てきます。それは、幼児の頃から人間が本来持っているものだと思います。だから、小さい子供が何か母親に伝えたいという思いも、心地よい思いがたっぷりある方が良い。しかも、心地よい思いが心に貯まるための刺激は、小さければ小さい時程、優しく、ゆったりとして、和やかな刺激として心に貯まるものだと思います。
だから、子供に見せる絵本は、割とおとなしい絵ですね。どぎつい原色のものではなくて、おとなしいものがいいんじゃないか。音楽は、テンポのゆっくりとした奇麗な、澄んだ音がいいんじゃないか。赤ちゃんの上でガラガラと鳴りながら回るものがありますが、あれも音の大きなものではなくて、優しくて音の澄んだもの、色合いも割と淡いものがいいんじゃないかと思います。
お金があれば、部屋もそうした色で壁紙なんかも張り替えるとかですね、した方が良い。できれば、サッカ−中継の好きなお子さんがいる場合には、ウワ−と音が鳴るのは、絞った方がいいなあとかですね。

刺激というのは、味もそうです。触感もそうです。普通、赤ちゃんには柔らかなものを着せますが、あれは昔から肌を大事にするという考えだったと思いますが、心をそういう風に育てていくためにも大事だったんじゃないかなと思います。
まず、こころをそういう思いで満タンにする。それをだんだん広げていく。例えば、5月、爽やかな風が吹いて日は、親子で、出来るだけ薄着をして、外に出て良い風を浴びる。冬の夜空が澄んだ晩に、冷たいねえ、だけど星がきれいだねえと。たまに、朝早く起きて、明けの明星が輝いている夜空を見上げる。道端に小さなスミレが咲いているのを、一緒に見ると。
 そういったことを、出来るだけたくさん共通体験する。共通体験をした時に、この風はとても気持ちがいいねえと、胸を広げて風を受け止めて見せる。それを子供が、ああいい風だねえというような表情や目配せをすると、今、あなたも僕が分かったことが分かったんだね、同じ感情を味わったんだねと。

 その時に、出来たら、気持ちいい風だよ、薫風と言うんだよと、言ってあげる。これがスミレだよ、スミレは3種類あってね、これが何スミレだよと、言葉できっちり話してあげながら、物を指してきれいだね、紫の花だねとか、ずっとたくさん伝える。そういうことをたくさんしてあげれば、いいんじゃないかなあと、今、思います。
そうしたことが、レジメで共通体験を共感へと書いている所です。同じ感情を味わい、ああきれいだねとか、共感を確認し合う。共感を多くの手段で表現して見せる。そして、子供が無意識のうちに、あの感じが、父が表現するああいうものなんだなあと、意識の裏に自然と沁み込ませるように伝えていくことが、コミニュケ−ションのスタ−トになるんじゃないかなと考えています。
大体似たようなことが書いてあるような気がします。

次に、片言が出る頃になって、気を付けなければならなかったなと思うのは、上手な言葉を教えるよりも、コミニュケ−ションが成立していくことを実感して喜び合うことが、大事だと思います
多くの子供さんが、「ぎゅうにゅう」と言わずに、「にゅうにゅう」と言うとかですね。この前、ある所で、「ママ」と言わずに「あ−あ−」と言うと聞いたんですが、あ−あ−で良いじゃないかと思うんですね。例えば、「ブタ」と言ったらどうするんですか、と言ったら、それは大変だという方がいましたが、でも、ママよりもブタの方が発言しにくいので、ブタと言えた方がずっと程度が高いと思うんです。だから、お母さんのことを当分の間「ブタ」と読んで、お母さんも「そうブタですよ」と応えていればいいんですよ、とお話をしたことがあります。
自分の言ったことが、お母さんに通じた。その言葉が正しいか悪いかなんて言うのは、後の話でいいわけですから、あなたの言ったことは通じたよ、はい水ねと、そうしてコミニュケ−ションが成立することを実感させる。そうすると次のコミニュケ−ションにチャレンジしていくことになる。「にゅうにゅう」じゃない、「ぎゅうにゅう」と言いなさいと決めつけると、もう二度と言うもんかという気持ちを子供に起こさせてしまう。

中学校に行くまで「にゅうにゅう」と言ってる子供を見たことありませんから、何時かは「ぎゅうにゅう」になりますから、慌てなくて良いと思います。 だから、言葉は不十分でも、コミニュケ−ションのスタ−トを早く切らせる、そして言葉は後で徐々に訂正していけばいいんです。
言葉が出だすと、はっきりとした発音で、きっちりと教えようと走りがちになります。その時に、言葉が出る前の、体での表現や表情、目配せなんかでの表現、例えば、部屋が暗いね、電気を付けようねと言って、指さしながらスイッチを押す。そうすると、部屋が暗いね、電気を付けようねと言った時に、子供の視線がスイッチに行くようになると、子供の頭の中では、暗い=電気=スイッチの3つが繋がって思考回路が動き出している証拠ですから、そうしたことを繰り返してやることが大事じゃないかなと思います。
一寸した工夫を怠っている、軽視したまま過ごしてしまって、1年、2年おしい時間が流れてしまったなあと、思っていらっしゃるんじゃないでしょうか。

次に、言葉が出だした時に、子供は本当は言葉がゆっくりなんです。皆さんお気付きの方もあるでしょうが、単語を発音し始めた時に語尾から言うことがある。例えば、猫のことを「こ」、エビのことを「び」と言う。私の隣の家にいた男の子が、「きい、きい」という。何のことかと思っていたら、飛行機のことでした。
飛行機と言い始める時に「しこうき」という。は行は、発音しにくいんですね。それがとてもゆっくりです。子供が言葉をスタ−トさせる時に、テンポはゆっくり、はっきり、周りの人が話をしてやる。そして、子供が語尾から話をし始めても、急がずに、徐々に、はっきりした言葉を、周りが意識的に話をしてやりながら、はっとある日気付くと「ひこうき」と突然言うようになりますから、そのことを頭の中にいれて、周りでおしゃべりをする大人がたくさんいた方がいいなあと思います。
更に単語から、一語文から、二語文、三語文と言葉が繋がっていく時に気を付けなければならないのは、◯◯ちゃん、◯◯ちゃんと言いながら家事をすることがあると思います。◯◯ちゃん、そこは危ないから少し離れなさい、とかですね。

 単語の呼びかけよりも話しかけ、一語よりも二語、出来たら単語よりも長い文語、主語述語を整えて。もう少し大きくなって、幼稚園に通う、小学校に通うのが近くなったら、単文ではなくて復文。「今日は、傘を持っていくのよ」というよりも、「どうも昼から雨が振りそうだから、傘を持っていかなくちゃいけないね」とかですね。
先程話しましたように、「暗くなって、字も読めないから、電気をつけましょうね」。そういう風に、原因(理由)と結果が繋がる文章を、先手先手で早めに子供に話しかけてやる。そこが、話を始めていなくても、心を育むと思います。
おそらく、そういうことを話してやるうちに、少し理屈っぽいなあ、子供に分かりにくい話じゃなかったかなあと思っていても、例えば、少し暑いから用心をしなさいと言った時に、そろっと唇を近づけるようになったりすると、分かった証拠です。
 だから、少し長ったらしい話かけを続けていくうちに、それに応える子供の変化を、どれだけ発見できるか。そういうことも含めて、言葉教えの上手な親よりも、言葉を子供が発信する言葉の読み取り、動作の読み取り、聞き上手の親になるほうが本当は大事じゃないかなあと思ったりします。

最後に、言葉育てはゆっくり、休みなく、とレジメに書いておきましたが、わが家の決まりです。
1番に、わが家ではゆっくり喋ります。ゆっくりであったことが、良かったと思います。娘はダウン症と分かっていましたが、他のお母さんよりか、物語とかの読み語りをたくさんしてやったと思います。

先日、もっと早く読んでおけば良かったんですが、岩波新書の「僕の漫画人生」手塚治虫を読んだ方いらっしゃいますか。手塚治虫氏が小さい頃に漫画本を買っていたのを、お母さんが全然叱らなかったどころか、自分でもせっせと買って与えてくれた。しかも、それをよく読んでくれた。漫画の読み聞かせなんです。
その頃は、漫画は悪いもののように言われて、漫画を読む子は駄目と言われた時代に、漫画本を買い与えていた親はいなかっただろう。有り難い。更に、感謝しなければならないことなんですが、母が僕のために読んでくれたことでした、そう書いてあるんです。
今でこそ、親子読書会や本を読み聞かせる会などがあって、絵本や童話を、親が子供に読んでやることは普通ですが、漫画本を親が声を出して読んでやるのは珍しいのではないでしょうか。今から、50年も前のことですから、かなり変わった母親だったと言っていいでしょう。

その読み方も、ただ棒読みするのではなく、セリフ、キャラクタ−によって、声色を変えて読んでくれるのです。悪役は悪役のように、しんみりとした所はしんみりと読んでくれるのですから、僕は思わず感極まって泣いたり、興奮したりした、とあるんです。
幼い子供が感極まって泣いたというんですから、漫画としてもいい漫画ですね。だから、買ってきた漫画もそれなりに選択をして、読んでやる漫画もそれなりに選択をされたと思いますが、50年前にこんな人がいて、こんな母親がいるとあんな天才が生まれるんだと。あんまり天才だと早死にするから、あんまり天才でなくていいんですけれども。ですからわが家では、ゆっくりとしたペ−スで幼児期から単語読み、言葉を繋いで、読み聞かせですね。
昨日、鹿児島から出てきました。本当は朝から来ても間に合っているんですが、体が弱いので時間をたっぷりと取らないといけない。これから30分程喋りますが、準備ができないので、夕べ午後から出てきたんですが、3時間40〜50分かかるんですね。その間、テ−プをかけてくるんですが、ドボルザ−クの新世界をかけながら来た。彼女は、新世界の叙情的な交響楽の旋律が好きなんです。
童謡もたっぷり聴いたんですが、童謡と同時に、より芸術生の高いもの、より純粋なもの、より質の高いもののほうが、小さい子供の時代から身の回りに多い方が良い。少し早めでも生のお芝居、オ−ケストラに、寝るんじゃないかなあと思ってても連れていく。案外、聴いてくれる。そういったことも大事じゃないかなと。

子供の刺激の中に、人類がずうっと辿ってきて積み上げた、質の高い文化が沁み込んでいった方がいいんじゃないかな。わが家の特徴の一つとして、そう言えるかなと思います。
先程、夢紡ぎの人が周りにたくさん居たほうがいいと言いましたが、娘がものをぶつぶつ言い始めた時に、それをゆっくり聞いてくれる人、そして、娘にたまに「綾ちゃん、絵本あげる。」と言った人。その絵本に、娘がずっと後に覚えていたものがあったりしたんですが、そうしたことをくださる方。
 身の回りに、彼女の心育み、言葉育てをしてくれて、彼女がいくらゆっくり喋っても、最後まで根気強く聞いてくれて、そういった人たちが周りにいるということが、とても大事。そのためには、うちの子はこんなテンポでしか喋れない、うちの子はこういう時は少し寂しがるからということを、分かってもらう、働き掛けを周りにしてもいいと思うんです。
人的環境に恵まれ、私の家では、全てに結果として恵まれていたんだなあと思います。そしてそれは、2〜3は家族の努力で案外切り開かれていくものじゃないかなと思います。
さんさんCLUBなどというのは、そうした意味で作っていくべきものだと思います。

特に、彼女の言葉獲得に、非常に役に立ったと思うものがありますが、残念ですが、これは絶版になりました。80曲の童謡が入っているLPなんですが、これをテ−プにダビングしまして、彼女が3歳か4歳の頃、自分でテ−プを入れて自分で聞きたい童謡を聞き始めました。
御覧になればわかりますが、色がおとなしいんですね。これは、全部平仮名で歌詞が書いてある。これを性懲りもなくテ−プを聞くうちに、この歌詞はこの絵の所、この絵とあの歌が合っているということに気付いたと思うんです。
童謡の歌と歌詞と文字と絵、私なんかが気付いた時に、50音順の半分以上の平仮名が読めた、教えないうちにです。これが、このボロボロになるまで見た結果、それだけ童謡を聞いた結果ですよ。

 それは後になって分かったことですが、大国主命〜出雲〜兎の話〜カチカチ山〜泥船は沈むとかですね。いろんなことが、いつの間にか体に沁み込んで、それが後になって中学や高校にいった時に、例えば、百人一首の勉強をする。日本の自然をどれだけ理解するかという時の基礎の感覚になる、知識じゃなくて。
 先程、小さい時に快い刺激を与えるために自然に触れさせると言いましたが、日本では、花鳥風月といいますが、そうした典型的なものに触れさせるというのは、子供の後の発達の中でとても重要だと思います。
例えば、私の家の周りで時鳥が鳴きます。時鳥は、鶯の巣に託卵をしますね。そう言います。そういうことと、鶯が来て鳴く、いつ頃鳴くか。もう鳴かないといけないが、あかしょうびんという鳥が鳴き始める頃になると、もう鶯が鳴かなくなる。そういう季節感を、いつの間にか彼女は無理なく体の中に取り入れている。
だから、僕は、レジメに、童謡を通して言葉や文字に近づいていった。そして、絵と曲と文字、歌詞、事柄が連動していって、日本の季節感、風景、風物、人の人情。例えば、姉さんがお嫁にでるところの歌とかですね、別れの悲しみとかいう童謡ですね。そういうふうに、無限に広がっていく文化の可能性を持っていると思います。

今でも、子供向きの歌が、どんどん生産されていますが、やはり、日本一流の詩人が書いて、日本一流の作曲者が営々として20数年かけた、あの時代の産物には匹敵できないと思います。やはり、あの時期に作られた子供の文化は、今でも生きている。子供の心を耕してくれると思っています。
そういった、幼児期から小学校にかかるまでの間の言葉育ての上にたって、言葉をより発達させるために、少ししたことを申し上げます。

例えば、童謡を子供と一緒に歌います。音程がなかなかうまくいかない。今でも、時々はずれたりしますが、それはどうでもいいことです。それが少しでも出来たかなと思って、綾と一緒に歌を歌います。一寸気付いたことですが、斉唱よりも輪唱の方が良い。簡単なことですが、ある日〜ある日〜森の中、と歌う。輪唱にいい歌と合わない歌とありますね。大きな歌とか。
だんだん、抽象的な歌詞が出てくるような歌を歌ったりですね。私が前を歌って、少し情感を込めて歌っていると、いつの間にか、その歌の中に出てくる抽象的な言葉を、意味として捉えるんじゃなくて、感じとして捉えていって、ある時にはっとめくれる。
歌を歌うのも、斉唱も無駄じゃありませんが、輪唱の方が時には良いと。

それから、しりとりは大分しました。小学校に入る頃から、中学校までしました。例えば、今日は2音語、「あり」「しか」などですね。次は3音語でいこう。ところが、3音語の名詞は意外と少なくなるんですね。しりとりは名詞でするという頭がありますが、食べるなどの動詞もいいぞということにする。
今まで、しりとりをやっていたのは名詞なんだけれども、3音語でやろうとなった時に気付いたのは動詞だったんです。自分でも、名詞と動詞なんて知らないんだけど、こんな言葉でもいいのというので、いいよと言った。それが後になって、言葉にも物を指す言葉と、動作を表す言葉があり、それを名詞と動詞と言うことを、中学や高校になった頃の、ずうっと下の基礎になっていたのではないかなと、今思っています。
今日は、地理でいこうとかですね。これは、地理に関心を持つ一つのきっかけになりました。地図帳の後ろの方に索引がありますが、あれを一生懸命見始めてですね、父親に勝手やろうとですね。しりとりをやっている時に、私が全然知らないような地名を言って、得意満面になるんですが、そういうのは良かったなと思います。

次に日記です。今日お配りしたレジメに、綾が小学校2年の時に書いた日記を付けていますが、「ゆうべ、ゆうごはんのときでした〜(以下、日記朗読)〜これにっきにかくといいね、とお母さんがいいました。」。
これ、最後がいいですね。「日記書きなさい。書いたの?、今日は少ないじゃない」と言うよりも、日記の種捜しをしてあげる。子供は、書いた方が親が喜ぶだろうなと思っているわけです。字か汚いとか、漢字が間違っているとか、あんまり言わないことです。
それよりも、今日はこれ書いたらどうと、日記の種捜しをする、そのところが良かったな、もちろん、毎日書かせるのも大分苦労があったろうと思いますが、こういったサポ−トで、1年生が終わろうとする3月から書き始めて、6年生の途中まで続きました。
時々、表彰状の乱発をしました。今日は祖父母が来たからと言って、祖父母と両親の連名で、表彰するんです。「表彰状、本山小学校 2年3組、岩元綾殿 綾の日記は、〜(以下、表彰状朗読)〜綾さんがんばれ」。あんまり、頑張れ頑張れと言わない方が、本当はいいんですけどね。
 そろそろ続かなくなってきそうだなあと思ったら、どんどん出していました。

綾が、相当読んだ絵本。これ、私が書いたんです。筋も何にもないんです。
 隣の家の犬の尻尾に、蝶々が留まって、青い空に向かって飛んでいった、とそれだけなんです。ただ、これでですね、綾ちゃんのお隣の家に小さい子犬が生まれました。お目々のきれいな可愛い子犬です。「家」「小さい」「子犬」と漢字で書きました。

僕は、「かわ」と平仮名で書くよりも、「川」と漢字で書く方がずっと簡単だと思います。まず、平仮名、片仮名と教えて、漢字を教えることにこだわるより、流れる川はこう書くと。僕は国語の教師をしていましたが、今の漢字教育は間違っているなあと思います。平仮名も漢字もそんなに難しくない。
 この絵本も、父親が作ったんで、無理して読んでくれたのかなあと思います。
そんなふうにして、日記が大分続きました。今は親子3人で、3人連記の日記を書いていますが、もう相当続いていると思います。

彼女が、英語、仏語ができるようになったことで一つ大事なことは、中学校に上がる時に、NHKの英語講座をとことん、英語がうまくいくよと綾が言って、根気強く、長続き出来たことじゃないかなと思います。ただし、褒めて励まさなければいけません。
中学1年で始めたことを、10数年続けています。それが、彼女が高校を卒業するまでの6年間、英語を支え続けたと思います。何よりも、発音がきれいになりました。それで、中学校2年の時に学級代表で、大草原の小さな家を皆の前で読んだのが、今日の彼女のスタ−トになりました。
しかも、楽しみながら、特に基礎英会話なんかは、とても面白く番組がつくられていますから、とても良いと思います。

最後に、周りの方々から、本を出せ出せと言われました。ずっと、躊躇しました。というのは、障害児を調べた本はたくさん出ていますが、本人が読んで、内容を全部理解する本を出すというのは、気が重かった。
本人が納得しないと、出せないんです。これは、最後には本人も納得したんですが、納得はしても、母親がワ−プロを打つを見て、本当に書くのかなあと、まだ踏み切れない。そんなのを何度も何度も繰り返し、繰り返しあって出た本です。
だから、克服すべき課題というのは無限にあるし、可能性も無限にあるなあと、今考えています。最近、障害も個性だという言葉がありますが、僕は、障害は厳然とした科学的な事実だと思います。いろいろ多様性があります。だけど、それぞれの障害に会った極め細やかな育て方と教育が、一方にもっとないといけないなあと思います。
不得手なことが多い。しかし、切り開いていこうとすれば、切り開かれる可能性もたくさんある。

そうした意味で、一番最初に申しあげましたが、吹き出してくるような可能性というものを、いろんな子供さんが持ってる。非常に重い障害で、体もままならないような場合も多々あるとは思いますが、それでも生きようとする強い生命力、そういったものがあるということです。
 そうしたことを、とても大事にしながら、育っていって欲しいなあと考えています。
後、娘が話をします。長い時間、ありがとうございました。