障害児教育講演の記録 2

講演 岩元綾 氏
   

皆さん、こんにちわ。鹿児島から来ました岩元綾です。今日は、このような講演会にお招きありがとうございます。暑い中、たくさんの参観、ありがとうございます。
佐賀県には、もう何回も来たことがあります。私の父が陶磁器が好きなので、有田や唐津にも行き、九州陶磁文化館へも2回程行っています。そして、昨年の12月には、父が実行委員長もしたことがある第43回九州地区民間教育研究会があり、私たち家族を囲む夜の交流会を開いてくださって、その中で、父も、私もスピ−チをする機会がありました。

私は、去年の3月に、鹿児島女子大学、現在、志学館大学の英語英文学科を卒業しましたが、その後も、フランス語、英語の聴講生として、図書館の司書になるために科目履修生として、補講で学んでいましたが、今年の3月31日に、念願の司書資格書を取得することができました。
現在もまだ、志学館大学に通っています。
この1年間は、ニュ−ジ−ランドに行ったり、県内外の交流活動をしたり、全国各地から寄せられる手紙の返事を書いたり、本のサインをしたり、新聞やテレビ、ラジオも取材が多くあったりして、私たち家族にとって、激動の年でした。

その中で、一番大きな出来事は、昨年の5月8日から3日間にわたって、ニュ−ジ−ランドのオ−クランドで行われた、第3回アジア太平洋ダウン症協議会に参加したことです。
その中で私は、「私のこれまで」と題して、両親が出版した、今、ロビ−にあります「走り来たれよ、吾娘よ」の本のことを、英語でスピ−チしましたが、5人のパネリストの中で、私は4番目でした。私は、国際会議の舞台で、緊張する中で15分間のスピ−チを息が詰まりそうになりながらも、最後までやり終えることができました。

私が、鹿児島女子大学の英語英文学科を卒業したと言った時には、多くの拍手が起こり、趣味は音楽鑑賞と辞書引きと言った時には、大きな笑いが渦となりました。
会場の人たちが、私の英語をわかってくれているんだなあと実感しました。終わった時は、ホ−ル内が総立ちになって、スタンディング・オベレ−ションと言いますが、割れんばかりの拍手をしてくれました。
あの日の事は、一生忘れることのできない思い出になりました。その時の英語を読みますので、レジメの英文と合わせて見てください。
(英文の朗読)

その後は、観光やホ−ムステイなどで楽しみましたが、ニュ−ジ−ランドは、秋から冬にかけての季節で、とても過ごしやすく、中でも景色がとても良く、夜になると南十字星が、港の明かりが美しい街でした。
ニュ−ジ−ランドは、英語の発音が違っていて、少し戸惑いもありましたが、英語劇やダンスをしたりして、たくさんの人たちと交流できて良かったと思っています。
楽しい8日間でした。もし、機会があったら皆さんも、是非、行ってみてください。

私は、小学校の時から、鹿児島女子大学に入って卒業する夢を、ずっと抱いていて、それを実現することができました。そして、ニュ−ジ−ランドにも、行くことが出来ました。 これからの私の夢は、フランス語の童話を、多くの子供たち、特に心身に障害を持っている子供たちのために、読み聞かせができるように、翻訳したり、英語版の童話を出版できたらいいなあと思っています。
それからまた、図書館の司書にもなりたいと思っています。今度は、フランスに行きたいと思っています。でも、体があんまり丈夫じゃないので、全部出来るかどうか分かりません。

先程話しました嬉野の集会の時の、私と同世代の、2人の女性の感想を紹介します。
「今日は新聞でお話が聞けるというのを見つけて、参加させていただきました。私の子供もダウン症です。初めて聞いた時、とてもショックで、これからどうしようか。どう育てたらいいのかと戸惑うばかりの日々でした。今はまだ、病院に入院していて、子供を育てるという所までは来ていませんが、今日の話を聞いていて、少し気が楽になった気がします。
子供を育てることは、子供が障害を持っている、持っていないというところで違うことではない。当たり前のことを、当たり前のようにする。他の子がどうだとか、比べないで行こう。これが今日、自分の考えたことです。少しづつ、自分たちも成長していきたいと思います。上ばかり見ても切りがない。前向きに、考えて。今日のこと、本当に良かったと思います。良い話、本当にありがとうございました。(20代、女性)」

もう一人、紹介します。
「ダウン症のことは、あまり知りませんが、障害のあるということで、可能が奪われることがることも多々あるのではと思います。(中略)綾さんのように、たくさんの子供たちの可能性を残して行けるようにしていきたいです。
生んでくれてありがとうと思っている綾さんも素敵だし、そう思わしている周りの方々も素敵だなと思います。大なり小なり、人は課題を背負っていると思います。背負わされている荷物は重いが、自分で背負っている荷物は重くない。自分の課題を、自分で受け入れた時、自分の存在を好転でき、生まれてよかった。生んでくれてありがとう、と言えるのでしょうね。素敵な人生ですね。とても感動しました。ありがとうございました。(20代、女性)」

私も、障害を持っている人も、持っていない人も、皆、・・な歳まで、生活をしていける世の中になって欲しいと思います。だから、ダウン症に対する誤解や無理解を解くために、交流活動を通して、語学の勉強に励みながら、これからも頑張って行こうと思います。
そしてまた、出生前に検査をして、ダウン症の子が生まれないようにしようとするトリプルマ−カ−テストがあると聞いていますが、先日、母胎血清マ−カ−に関する見解案が厚生省の出生前診療に関する専門委員会から出されました。

私が、ずっと訴えてきた、妊産婦に検査があることを知らせる必要はなく、検査を受けることを進めるべきではないという見解が出されたことは、すばらしいことであり、私にとっても、ダウン症の方たちや家族の方たちにとっても、とても嬉しく思います。
私は今、長崎の島原市に住んでおられる小児科医の松田先生が「魔法のドロップ」という絵本を出されていて、出版すると聞いて、この本の英訳をしています。初心者英文で、つたない英語ですが、頑張って挑戦しています。
7月に、先天異常学会が、鹿児島で行われますが、この会で発表する予定なので、それまでに済ませようと思っています。
最後に、自分の詩の日本語と英語を紹介し、終わりにしたいと思います。

「ある夜のこと、けんちゃん、けんちゃん。
目を覚ましたけんちゃんは、あたりをキョロキョロ。
けんちゃん、今晩は。わっ、びっくりした。
一匹のアリさんが、車椅子の間の陰にいたのです。 いつも、パンをありがとう。今度の日曜日、僕たちパ−ティを開くんだ。
女王様が、是非、けんちゃんに来て欲しいって。
本当。ポプラの木の下で待ってるからね。きっとだよ。
アリさんは、とことこと帰って行きました。
けんちゃんは、頬をつねってみました。
痛い。夢じゃないや。アリさんの家、行ってみたいなあ。
でも、先生、許してくれるかなあ。 」

(以上を英語で朗読)

今日は、本当にありがとうございました。


質疑応答 岩元甦子 氏


《問》
 お母様にお聞きしますが、お得意なお料理はなんでしょうか。
《答》
 娘が小さい頃は、グラタンを良く作りましたけど、最近は、日本食の方が体に良いというので、年頃ですから、痩せたいというのもあって、お魚中心の料理です。だから、特に難しく考えなくて、生協からお魚がまるごと来ますので、丁寧にこしらえて、刺し身を作って、自分でさばいて料理をします。
だから、特にどれということではないと思います。

《問》
 いろんな講演活動などを行われていく上では、娘さんがダウン症であることを確認することになると思いますが、それについては、どう考えられたのでしょうか。
《答》
 夫が、本の後書きの所に書いておりますが、非常に迷った結果、本人が辛い思いをすることを覚悟の上で出したんですけれども、いつまでも、ダウン症であることを自覚しないまま生きていくわけには行きませんので、それが彼女の未来を切り開くことになるんだという確信を、夫婦で統一しましたので、思い切って出しました。
 先程、長崎でのことを夫が話をしましたけれども、付け加えますと、ダウン症という言葉をとってしまいたいと思いませんか聞かれた時に、「そういうことは一切ない、自分はダウン症と受け止めた上で、こういう講演活動、ダウン症に対する差別をなくしていきたいし、理解してもらたい。そういう活動をしていきたい。それが私の使命だと思っています。」というふうに答えました。
 そこに、小児科医の先生がおられて、一瞬しんとなって、皆さん感動してくださったんですけれども、今、何処に行ってもそのくだりになるとその時を思いますのか、涙ぐんでしまうんです。それが、今、自分がやっていることに対する哀しみとか後悔とかではなくて、例えば、TVに出演されている女優さんにしても、一番苦しかった時のことを話される時は、涙を流して話される。
 ですから、その時のことを話すと、彼女は自然と涙が出てくるんじゃないかと思います。哀しみが全くないとは言いませんが、そこを乗り越えてくれているんだなあと思っています。そのことを、私たちは家族として、誇りに思っています。

《問》
 2歳のダウン症の子供を持っていますが、綾さんをこれまで育ててきて、一番大事にされたことと、小学校に上がるまでに特別にされたこと、学校教育以外にされてきたがありましたらお願いいたします。
《答》
 先程、夫が本を出しましたので、一番大切にしたことは、音楽をたくさん聞かせることでした。私は、クラシック音楽が大好きだったので、特に彼女に聞かせるというよりも、自分もその方が癒されるというか、心が静まるので楽でした。ですから、自然と自分も一緒に音楽をたくさん聞きましたし、童謡も娘にたれ流しといいますか、かけ放っぱなしでした。生まれて半月ぐらいしてから、ずっとかけていました。
 彼女も、今、英語を毎日聞くように、童謡を聞いていました。中田良直さんが、今の子供たちは童謡を聞かないから切れるんだ、童謡を聞いたら切れないんだと言われていましたが、私たちは極論かなあと思ったんですが、本当に今、日本の童謡が世界的に見直されて、世界的な歌手の方が、こんなに美しい音楽が日本にはあるのかと驚かれたように、美しい曲なんだそうです。夫も言いましたが、童謡は、文学的にも音楽的にも、日本人の英知を集めたような方々が作っておられる。後になって私も知りましたけれども、特にしたというのは、それが一つあります。
 それから、結構、読み聞かせをたくさんしましたし、子供が分かるとか分からないとかではなしに、従文、副文を、子供にはくどいと思われるくらいに、大人に話すようにゆっくりと話しかけをたくさんしたと思います。
 それから、ゆっくり喋れと夫から言われていました。撮られたビデオなんかを見ると、他の人と比べると、非常に喋りがゆっくりなんですね。そのゆっくりさが、彼女にとってはプラスだったんだなあと思います。一番大事にしたのは、その二つです。
 それから小学校に入って、特にお稽古をさせたというのはしませんでした。音楽が好きだから、私も少しピアノを弾きますし、思ったんですが、見ると小指も短かったし、無理してさせる必要はないなあと思ってさせませんでした。幼稚園の頃に、体操教室に通わせて、でんぐり返しをしたりとか、お友達とのコミュニケ−ションのために体操教室に通わせたのが1年間だけありますが、その他は一切やりませんでした。
 小学校でも、体が弱かったので、部活らしいことも出来ないまま過ごしました。
 先程、童謡全集のことを持ち出しましたので、多くの方からホルプ社の童謡全集について教えてほしいと問い合わせが来るんですが、絶版になっておりますけれども、本に書きました「赤ちゃん体操」というのに触れているんですが、要望が強くて 500部だけ限定出版されたそうです。
 ですから、是非欲しいという方は、ホルプ本社に再版の要望をされるようにすると、数が揃えば出してくれるんではないかなと思います。