学 習 塾        2007年6月
6年生、普通学級。
塾にもやらず、レベルの違う授業にずーっといました。

しかし、あまりの字の汚さと思春期特有の反抗に負けて、繰り返しプリントをやるK学習塾に行き始めました。
本人は楽しそうに通っています。
9ヶ月経った頃個人懇談があり、算数もやったらどうですか?とのこと。      
学校では出来なかった計算も出来る様になり、それなりの成果も感じていました。

でも、成人までに2桁のかけ算や割り算ができても生活の中で必要ですか?
成人までに2年生の国語の本程度が音読出来ても生活にどのくらい役立つでしょうか?
の質問にかなり反論されていました。
もっと 時間があれば、いろんな話しができたのですが・・・・・。
短い時間ではなかなか説明できません。

息子は今日、サッカーの試合に朝6時30分に出掛けました。
きっと、何を言ってるかわからない言葉で回りに浮きまくって応援していることでしょう。

回りはきっとへんな目で見ているでしょう。

それでも彼は一生懸命だし、純粋だし、それがまず自分のチームを変えていき、サッカーも出来ない彼 をチームの中へ包み込んでいき、そんなちょっとへんな子がいるのが当たり前になって、それをも見た 他校の子たちも当たり前になって行く。

そうなって欲しいと息子のおしりを叩いてをいます。
夜は疲れてお風呂の中で眠る毎日です。

足し算や字を書いたりすることがそんなに大切でしょうか?
本人は出来ない自分に人より劣っている自分に必ず気づきます。
そして、健常者の中に入っていく事が苦痛になるでしょう。

私達、親は出来ないこと、人と違う事。
それを負い目を持たせないよう育てる事が一番大切であり、なによりも最優先だと思って育ててきました。

分けた者はいろんな理由をつけますし、発言もできます。
でも分けられた方の話しは何も聞こえてきません。
出来ない事を理由に分けられた事は別の言葉で言えば差別だとおもいます。

差別をされた彼らの思いは表に出してあげるべきだといつも思っています。

何も出来なくてもいいじゃないですか。
人と同じ事が出来ない彼が今青春を楽しんでいます。
彼が出来ない事が理由で諦めなくていいような環境を作る事が、親の役目だと思っています。

でも、プリント出来ないと、おもいっきり頭はたいてる私です。