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今を生きる子ども達のために出生前診断について考えてみましょう


出生前診断についての衝撃的なニュースが駆け巡ったのは、平成24年8月も終わり頃でした。
ニュースの内容は次のとおりです。
「妊婦の血液で、胎児がダウン症かどうかがほぼ確実にわかる新型の出生前診断を、国立成育医療研究センターなど5施設が9月にも導入することがわかった。
妊婦の腹部に針を刺して羊水を採取する検査に比べ、格段に安全で簡単にできる一方、異常が見つかれば人工妊娠中絶にもつながることから新たな論議を呼びそうだ。
導入を予定しているのは、同センターと慈恵医大など5施設。
染色体異常の確率が高まる35歳以上の妊婦などが対象で、日本人でのデータ収集などを目的とした臨床研究として行う。 医療保険はきかず、費用は約20万円前後になる見通しだ。」  以上。

検査は35歳以上の妊婦が対象だそうですが、35歳以上になると妊娠自体が難しくなると言われています。
中には初めて妊娠された方があるでしょう。 そうした方々に検査を促し、胎児に障害の可能性がある場合に、そのことを伝えなければならない意図というのは何なのでしょうか。
検査の結果、何も出てこなければ安心して産むことができますが、それ以上に積極的な効果はありません。
障害が見つかった場合に限って検査の効果が発揮されることから、検査する側の意図、それは“障害があれば出産を諦めさせる”ことによって最大の効果が期待されることになります。 それらの行為は、医師や医療が本来果たすべき役割なのでしょうか。

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別のニュースでは、次のように語られています。
「血液検査だけで染色体異常がわかる出生前診断を導入する国立成育医療研究センターの広報担当は、「妊娠の早い時期に血液検査で99%判別ができることは、医療の大きな進歩です」と話しています。
産科医療の関係者も、「出生前に胎児の診断ができれば、妊婦に対して事前にカウンセリングができるため、医療の幅が広がる」としています。
ただ、米国の医療検査会社の関係者の話によれば、「この血液検査による出生前検査を導入した全米の病院では、胎児がダウン症などの染色体異常があると知った場合、約98%の妊婦が中絶に踏み切っている」のだそうです。」
障害が出てくる可能性のある子どもを、この世に生み出さないことを医療の進歩として捉えているとしたら、どんな子どもであれば生まれる価値があると考えているのでしょうか。

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9月中頃、日曜日のNHKスペシャルで『出生前診断』が取り上げられていました。
出演されていたのは2家族で、最終的に子供を出産された家族の皆さんでした。 中絶を選択された両親が出てくるはずがないから、当たり前のことかもしれません。
だから最後まで番組を観ていても、それなりに救われたような気分になれましたが、様々な検査で胎児に障害があると分かった場合、TVに出てきた医療機関では約8割の人が堕胎されているそうです。
その割合が多いのか少ないのか、私にも判断に迷います。ただ障害があるとわかっていると分かっていても、2割の方が出産されているというのも重い事実だと思います。
番組で紹介された最初の方は、ダウン症の子どもを出産された(上に兄が二人いる)家族でした。
思い悩んだ末に中絶を決めて手術することになったその日に、産んで育てようと思われたそうです。
そうした両親の考えのもとで生まれてきた子は幸せだなと思いました。

二番目の家族は、正確な病名は知りませんが、母親になる方に二分脊椎症という障害がありました。
そして検査の結果、子どもにも同じ症状が出てくる可能性があると分かったのです。
両方の祖父母にあたる方が、“子どもに障害があれば苦労するよ”みたいなことを言われるんだけど、言えば言うほどに、母親になる方は傷ついていかれます。
自分自身の障害も否定されたような気持ちになられたんでしょうね。“自分も子どもと一緒に死んでしまいたいと思った”と語られていました。
障害のある御本人にしても、その母親の方も、障害に負い目を感じなから生きてこられたようです。
本当は、負い目を感じさせる周囲の方がおかしいと思うけど、それが社会の現実なのかもしれないし、それを容認してしまう弱さが本人たちにもあったんだと思います。
夫である旦那さんは“子どもを産んで欲しい”と言われるんですが、その言葉には、奥さんの障害を認めながら結婚された気持ちと、胎児の障害を否定すれば奥さんを否定することになると感じておられたからだと思います。
こういう大事なところに立った時に人間的な奥深さって如実に現れるんですね。もらい泣きしそうなくらい、重い人間ドラマでした。
結局、NHKの意図するところはよくは分からずじまいでしたが、世の中が医療の進歩の名のもとに倫理観が損なわれていくなかで、それで本当にいいのかという問い掛けだったような気がします。

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当CLUBでは、この問題に関する議論を避けてきたところがあります。
それはなぜかと言えば、自分たちは、妊娠初期に障害があると分かっていたら、素直な気持ちで産むことができただろうか。ダウン症の子が生まれた後の次の妊娠のときに、検査を受けずにいることができただろうか。
そういう問い掛けを自らにした時に、検査に反対し絶対に中絶はしないと断言することができただろうかというジレンマがあったからだと思います。
それは恐らく、私たち自身も健常者であり、健常者の価値観の枠をなかなか抜け出せないがゆえの現実なのかもしれません。
それが一般の方々にも同じ考えがあるとしたら、そこに立ち返って考えなければ、説得力のある話にはならないだろうし、新たな検査方法に反対しても、障害のある子の家族のエゴとして片づけられてしまう気がします。

では、今、なぜ私たちは出生前診断に反対しなければならないのか。
それは、目の前にダウン症の子ども達がいるからというのが、一番の理由だと思います。
障害があることを理由とした中絶を容認することは、その子ども達が世の中にいらないものだと認めることになるし、子どもの親として、子どもの存在を否定するようなことは絶対にあってはならないと考えます。
ただ、一般の方の約8割が検査を受けて中絶されているということは、少なくとも約8割の人が障害のある子の存在を認めていないことになります。
「生まれてくる自分の子に障害があるのは認めないが、他の人に障害のあることを否定するものではない。だから差別している訳ではない」と言う人もいるけど、それは詭弁(誤魔化し)でしかありません。
自分の子であれ、他人の子であれ、あるがままの存在を認めないのは差別だと思います。

でも、自分の周囲に障害のある子どもがいない人の視点とはどういうものなのでしょう。
健康的な家族であればあるほど、お腹にいる子に障害があると知れば、その存在に違和感を覚え、取り乱され、苦悩されることでしょう。
中には、お腹の子に対してさえも、差別的な意識が生まれてくる人がいるかもしれません。
そうした子が出来た自分を悲観し、劣等感を持ち、自分自身を卑下されるかもしれません。
なぜ、そうなってしまうのでしょうか。
恐らく、心の中で障害のある人を見下し、自分とは全く無縁のものとして避けてきたがゆえに、障害に対する理解や優しさを持ち合わせていなかったからではないでしょうか。
でも、考えてみてください。子どもは、障害があってもなくても、やはりわが子なのです。
ひとりの子どもを幸せにしようという気持ちを持ち合わせていれば、実際には障害があってもなくても同じなのだと知ることができます。
子どもに障害があることが不幸なのではなくて、自分の気持ちの中にある差別が、自分や子どもを不幸にしていると気づいてほしいと思います。

そして一番大事なことは、障害のある子ども達の立場に立って考えることです。
彼らは、生まれながらに将来、障害を持つことになる運命を背負って生まれてきました。
世の中が様々な染色体の人たちで満たされていたら、彼らは正常と言われたかもしれません。
常識的な考え方というのは多数であることで基準になり、それが少数派(マイノリティ)である障害のある人たちを常識の外に追いやっているのです。
彼らが不幸なのは障害があるためではなく、ただ、彼らがマイノリィティであるために、彼らの存在が無視或いは軽視されがちだということです。
興味本位の対象になったり、友人の数が少なかったり、彼ら自身が乗り越えてきた行程には、健常者には測ることのできない苦労や忍耐があります。 その努力には、敬意を払うべきところがたくさんあると思っています。
彼らは思います。なぜ、ダウン症で生まれてこようとする胎児が排除されなければならないのか。今生きている自分たちは、生きていてはいけない存在なのかと。
やはり、私たちは、彼らの声なき声を代弁していかなければならないと思います。
親であり健常者である自分自身の意見としてではなく、障害があるままで生きている子ども達の立場に立って、彼らを排除しようとする者たちに対して反対していかなければならないと思います。

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最後になりましたが、医療介護CBニュースによれば、
日本産科婦人科学会は、「母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する検討委員会」の会合を開き、胎児の染色体異常を発見する新しい検査法が海外で開発されているのを受け、国内での取り扱いについて議論する。」とのことです。
また、その記者会見において、「指針完成まで実施を予定している医療機関に自粛を要請し、11月13日に公開シンポを開き、指針の骨格を示し広く意見を募ることも公表」しました。
多少の違和感を持つとすれば、他の分野から意見を聞くと言っているものの、産婦人科学会という狭いエリア内の人たちで決めていくべきものなのでしょうか。
現時点でも胎児の検査を行い、障害が出てくる可能性があれば、親の同意という免罪符を得たうえで中絶手術をしている皆さんです。 でも、そうでない産科医の方たちもたくさんおられるでしょう。
そうした皆さんの倫理観を信じて、議論の結果を待ちたいと思います。

(財)日本ダウン症協会(JDS)は、今回の問題に対し、公式HPで、
「JDSは、母胎内で育ちつつある命とそれを幸福と不安の中に育んでいる妊婦さんのために、出生前検査・診断をマススクリーニングとして一般化することや安易に行うことには、断固反対します。
ただ、出生前検査・診断の技術そのものに対して、特に見解を示すことはありません。
また、出生前検査・診断を一人ひとりがどう理解し、選択するかについて、賛成や反対の意見を表明することもありません。」としています。
一言付け加えるなら、検査・診断の結果を受けて、出産するか中絶するかについても、賛成や反対の意見を表明しないということなのでしょう。
私見を述べるなら、ダウン症の人たちを守るべき全国団体が、こうした大人の対応に留まっていることはとても残念なことだと考えます。
命の選択を親の倫理観に任せるという社会一般の考え方に沿っているとは思いますが、道理を前に出すことによって、JDSが健常者である親の会であって、ダウン症の子ども達の会になり得ていないことを露呈しているような気がします。
命の選択を親の倫理観だけに任せてはいけない、親の判断に押し付けてはいけない、目の前にいるダウン症の子ども達はそう言っていると思いませんか。

さんさんCLUB(JDS佐賀) 桑原康行 平成24年10月12日


その後の経過など
日本産科婦人科学会指針案(平成24年12月13日)についての報道
日本産科婦人科学会指針案の公表(平成24年12月16日)についての報道