1.「竹崎カニ」命名←→「竹崎カニ発祥の地」
この顕彰之碑が建っている場所は、竹崎の漁師さんが昭和二十三年八月
太良町で初めて学名(ガザミ蟹)を「竹崎カニ」と命名して世に送り出
した。

2.<竹崎島誕生の由来>
竹崎島は昭和四十六年 松本行夫博士(当時長崎大学教授、現山口大学
名誉教授)によって竹崎火山と命名され、学会に発表された単独の火山
である。これは第四紀更新世初期(約数十万年〜二百万年前)の噴火で
径八百米〜千六百米、周囲約四キロの成層火山である。岩石は中国大陸
の火山岩と同じ性質をもつアルカリ岩系の玄武岩からなり、大陸系新規
玄武岩類に属する。竹崎火山は、内部の構造まで観察することができる
珍しい貴重な火山である。目の前の竹崎港が旧噴火口で海岸の熔岩や、
火山弾を含む集魂岩層などその最もたるものである。
これは、元山口大学教授(理学部地鉱教室)現山口大学名誉教授博士
松本行夫教授の学会へ学術発表したものに基づく。

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3.<もぐり船の由来>
昭和十五年前後くらい、竹崎で一番最初の潜水士は、
池田初一、北島政義他二代目昭和十六年前後、
北島光義、永田静四、他その後、男は学校卒業次第
に職業として潜水士になる。
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4.<投網>
昔も今も10隻くらい。
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5.<カニ網・カニかご>
昔からずっとあり、現在も同じ。昔と今では網が違うだけで昔は紡績今
ではナイロンですが、カニのかかり具合は同じくらいである。というの
は、昔はカニが多かったので、紡績でもある程度はかかっていた。今は
カニが少なくても網がナイロンなので、かかりが良く、昔と量は同じく
らいである。
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6.<出稼ぎ>
竹崎では同士が多いため、大分県、岡山県、山口県と貝柱、ミルク貝
出稼ぎを本業としていた時代がある。今ではこれも数少なくなっている

7.<港湾工事>
・昭和四十五年前後、海の漁が減ったので港湾工事にうつり竹崎の約半
分がたずさわっている。

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<竹崎城跡>
竹崎城は南北朝時代(1378年頃)に足利尊氏の反逆にたいして、南
朝に対して、南朝の懐良新王に味方して、島原の有馬泰陸が築城し、足
利方(今川了俊)の大軍を退けたといわれている。この地区は戦国時代
有馬氏(島原)と龍造寺氏(肥前)両者の勢力の接点の接点であったた
め、攻防が繰り返された。この時代の末、龍造寺家晴によって修築され
その後、龍造寺家(諫早家)の出城として重要な役割を果たしてきたが
島原の乱(1637〜38年)後取り壊されたと伝えられている。
ー特徴ー
自然の地形を利用して水陸両面に備えた山城・水城の性格をもつ築様
式であることや、町内の大野城等の八つの城の中心的存在であったと
考えられる。
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