![]() |
![]() |
|
|||
![]() |
![]() |
||||
![]() |
多久市はケアタウン事業(郵政省)にも取り組んでいるが、その一環として10月9日の夕刻からかんぽ介護支援講演会が行われた。 ゲスト講師は筑紫美主子さん。今年76歳となられるが、「佐賀にわか」といえば、このヒト無しでは考えられない。いわば佐賀にわかの創始者ともいえる存在である。 その筑紫さんにフリーライターの高木末子さんが、インタビューするという形式で行われた。いつもは舞台やテレビで、お笑いをさそう筑紫さんであるが、今日はまた違った意味での筑紫さんを拝見することができた。 テーマは「この道しかなかった」である。ロシア人の父と、日本人の母の愛娘として、北海道旭川で生を受け、幼くして佐賀の育ての両親にひきとられる。子供のころは、親子ともに愛情豊かな暮らしぶりだったらしい。でもロシアの血筋もあるので、色は白くなるし、頭髪は赤くなるのだった。それをみて同級生らがいじめをした。校門で待ち伏せたり、校内や帰り道でからかったり。「いわば私はいじめられたことのさきがけかも」とポツリ。 それでも自宅近くでは「またドッジボールにいれてね。今日は楽しかったまたね」と大きな声で友達に声をかけて家に向かった。「そうすることで母に要らぬ心配をかけたくなかった」というのだ。 幼いころから踊りの稽古に行く。なぜか自分だけが一番厳しく指導されているようだと感じ母親にもあたったそうだ。「ほかの生徒は絹の着物なのに私だけ木綿だからいじめられている。だから上等な着物買って」と。そしてある日、「他の人はピンクの帯、私もほしい」と言う。するとある日、夜中におきてみると母親は自分の服からピンクの布地をほといて取り出して、その小さなピンクの布を少しずつつないで帯にしているのだった。「母さんもういい。そんなにまでしないでいい。わたし帯をしていかない」というと、母親は「帯をせんでは踊りはできん」と励ましたとのこと(このくだりまるで「にわか」であると思った)。そんなころ日舞の先生が「私はあなたのお母さんの苦労をしっているから、しっかりと指導をしたいだけ。あなたのお母さんに対して申し訳ないというような指導はしたくないから」と逆に諭される。母親の愛情を痛いほど感じたという。うなずける。 そんな素敵な話を聞いていくと、すばらしい人生の歩みがあるんだなあと思う。つらくとも、くるしくとも励んでいくことが、その人らしいかけがえのない人生になっていく。 この日は幸いにも夕飯をおともさせて頂いた。上品な女史がそこにいらっしゃった。にわかの笑いがあるものの、本当に品のよい女性でいらっしゃる。「役者は舞台あってこそ」「お客様にもういいよといわれるまで」とのこと。笑顔の中にすさまじいほどの気迫を感じる。プロ意識である。筑紫さん、今後ともお元気でがんばってください。 |