☆ 文学青年の頃その3 【 生きる 】と題する、ガリ版刷りの文集を友人らに配ったのは、
29才の誕生日を期してであった。 大仰に言えば、全世界を驚かせたこの事件に、私は大きなショックを覚え
た。 人はよく、自殺や心中事件に眉をひそめて、「死ぬ気でやれば、もっと 方法もあったろうに…」と賢人゛って言う。しかし、およそ生あるものは、 死こそが最も避けたいものではないだろうか。 |
自らの命を断つ、それは神の
心に沿わぬ卑怯な落伍ににすぎないのだが、「死を選んだ人は、死ぬ気で
やっても叶わぬから死を選んだのである」ことも判ってやりたいものである。
少なくとも、死んだことのない人が、「死ぬ気になれば…」と言う資格は
ないと思うのだがどうだろう? 私は父の顔を見ることもなくこの世に出てきたけども、戦死者の遺児 ということもあって、とくに周囲の人々から可愛がられて育ってきた。 また、たまたま青年代表として海外諸国が国民の愛国心に支えられて頑張 っていることを知る機会を与えられた私は、自分こそが この純粋な気持ちを一人でも多くの人に伝えなければならないと自惚れている。 戦争で父を亡くした私が愛国心を叫べば「愛国心即ち軍国主義」の 忌まわしい記憶を持つ皆さんにも判って貰えるのではなかろうか。 三島先輩の死は、そんな尊い体験をさせてもらってきた自分が、
日々の生活に追われ、安易な気持に浸っていることを反省させてくれ
たのであった。私ごときものでも、田舎の片隅で大きな勇気を得たのだから、
賢者は賢者なりに、得たものがあったのではなかろうか。 この随筆集を掲載し始めて、電友となった仙台の杵島さんに向けて、
掲示板にこう書いた。 現在の私も、この若々しい文章に拍手を送りたい気分だが、「愛国心」 のテーマに一家言持ってありそうな杵島さんに重ねてご批判願いたい ところである。 |
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