三島事件

☆ 文学青年の頃  その3

 【 生きる 】と題する、ガリ版刷りの文集を友人らに配ったのは、 29才の誕生日を期してであった。
 そのトップには、「29才の断想」 と称する随筆を掲げ「三島事件」を先ず取り上げている。
 今、調べてみると、戦後の最も華麗な才能と惜しまれた三島由紀夫が、 自衛隊の中で割腹自殺した衝撃の事件が、その三月前の昭和45年11月25日であり、 当時の大草青年も大きなショックと同情を感じていることがうかがえる。

三 島 事 件

 大仰に言えば、全世界を驚かせたこの事件に、私は大きなショックを覚え た。
 三島先輩の死は政治的にも文学的にもしゃかいてきにもいろんな評価が されているから、私などが論ずるまでもないが、この日本で「国を愛す」という ことを考える一つの提起であったことは事実である。
 農民の利益を守るために組織された農協も、いつの間にか巨大な怪物と化し、 「我々は今、本当にすなおな気持で「愛国心」という言葉を使えるだろうか。 否、その時は「ソ連や中国でも愛国心を強調するんだ…」とか、「軍国主義とは つながらない純粋な愛国心を…」だとか、一々注釈をつけてしか口にできない 現状である。
 確かに、国家とは一つの画線的なものでしかない。しかし、特に我が国は 地理的にも、文化でも、民族でも特異な集団であり、それはそれなりに一つの グループとしての連帯が必要であることを強調したい。
 親子ー家族ー地域ー自治体ー国家ー世界 につながる集団としての国を考える べきであると思う。
 独りのかけがえのない人間が死を賭して主張したこのことに耳を傾けて みようではないか。

 人はよく、自殺や心中事件に眉をひそめて、「死ぬ気でやれば、もっと 方法もあったろうに…」と賢人゛って言う。しかし、およそ生あるものは、 死こそが最も避けたいものではないだろうか。

自らの命を断つ、それは神の 心に沿わぬ卑怯な落伍ににすぎないのだが、「死を選んだ人は、死ぬ気で やっても叶わぬから死を選んだのである」ことも判ってやりたいものである。 少なくとも、死んだことのない人が、「死ぬ気になれば…」と言う資格は ないと思うのだがどうだろう?

 私は父の顔を見ることもなくこの世に出てきたけども、戦死者の遺児 ということもあって、とくに周囲の人々から可愛がられて育ってきた。 また、たまたま青年代表として海外諸国が国民の愛国心に支えられて頑張 っていることを知る機会を与えられた私は、自分こそが この純粋な気持ちを一人でも多くの人に伝えなければならないと自惚れている。

 戦争で父を亡くした私が愛国心を叫べば「愛国心即ち軍国主義」の 忌まわしい記憶を持つ皆さんにも判って貰えるのではなかろうか。

 三島先輩の死は、そんな尊い体験をさせてもらってきた自分が、 日々の生活に追われ、安易な気持に浸っていることを反省させてくれ たのであった。私ごときものでも、田舎の片隅で大きな勇気を得たのだから、 賢者は賢者なりに、得たものがあったのではなかろうか。
 … それが、あの時のショックも薄れた現在の静かな追悼の感慨である。
 

 この随筆集を掲載し始めて、電友となった仙台の杵島さんに向けて、 掲示板にこう書いた。
 『それにしても、人生とは不思議なものです。29年でいっぱしの気分 になり、56年の歩みを重ねても、この程度…
 それとも、人間は一旦思いこんだら、その価値観を変更できないもの でしょうかね。 私としては、若い頃と較べ随分と大人になったつもり なんですが、結局は妥協と沈黙を繰り返してきただけなのかもしれません! 』…と。

 現在の私も、この若々しい文章に拍手を送りたい気分だが、「愛国心」 のテーマに一家言持ってありそうな杵島さんに重ねてご批判願いたい ところである。

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