青朱白玄…朱夏の時代

.

 中国の伝統的な発想では「青春」に続く中年時期を「朱夏」という。 それに続く秋は、たぶん「白秋」であろう。では冬は?ずいぶん調べたけれども なかなか判らない。俳句を嗜むメールフレンドに、季語の中にないかを尋ねた ところ、これもあちこち勉強してくれて「玄(黒)冬」ではなかろうかという 返事であった。そうだ黒だ、そうに違いない。私のイメージにぴったりなので 、そう思いこむことにした。

 堺屋太一さんは、人生の盛りを「朱夏」として、「人生八十年時代」なら、 四十代がその前半、五十代はその後半に当たるだろうと書かれている。
更に、「人間は、ある日突然、自分の人生を引き算で考えるように なる。私も、五十代に入って間もなく、オーストラリアのブリースベンの博覧 会場を眺めていたとき、突然、それを感じだした。『あと何回こんな旅が できるだろうか』と思った瞬間から、それまで時間的限界を考えなかった自分の 人生に、有限感が漂いだした。最初それは衝撃だったが、すぐに開放感と使命感に 変わった。不安感が減って毎日が大切に思えだした。…」と、ある週刊誌に 随筆を寄せられている。

 私のこのH.Pでの随筆集も、29才時の「生きる」をベースに、その後の自分と比較することで 「朱夏」の時代を表したいと考えている。ところで私は、この二月で57才の誕生日を迎える。
 どこかに書いたように、あれから28年、「青春」までの二倍の年齢になるというのに、 私の人生は、それ以上でも以下でもなく、いまもってあの頃の範疇にある。 従って、これからの余生もそうであろうし、私の人生そのものとなるのであろう。

 そうすれば私の「朱夏の時代」は何だったのだろう。結婚をして子をもうけ、家庭をなし、 二人の子供に一通りの教育を受けさせて、親の義務は終わった…という程度の満足と感慨しか 残っていないのだ。

.

 私にも、あと一、二年で職場での「肩叩き」があろう。まだまだ社会に通用する仕事が できる自信はあるが、さりとて、この仕事をやってみたいという夢もない。そのまま 「白秋」の時代に入るのであろうか。

 「夢みたいな」ことで良ければ、私はキャンピングカーで、このHome Pageでも取り上げている 全国の元気な市町村巡りをしてみたいと考えている。一日を午前・午後に分けて二つの市町村 を訪問して町づくりの取り組み状況を教えてもらう。また具体的な事例があれば現地を見せて もらう。その結果は、その日のうちにHome Pageで紹介をする。そして、次の週に訪問したい 市町村にメールを送ってアポを得る。できるだけキャンピング暮らしに徹して、全国の オートキャンプ場の情報をまとめるのもいい。
 土・日は付近の珍しい土地柄を観光するのも 楽しいし、各都道府県には必ず二人以上はいる自治大学の同級生を引っぱり出して呑むのもいい。 そうして一年を過ごせば、全国市町村の一割にあたる約三百の事例について勉強できることになる。
そうだ、一週一度くらいは郷土新聞への投稿ができれば連続ルポとしても面白いのではなかろうか。 …というような夢はある。
 この夢の実現のために手をつけたことは、このごろ車の更新に合わせて改造可能な 車種にしたことと 100Vの電源を確保しただけである。

 六十代は「白秋」時代…先ず健康でいることが最優先だし、もうそろそろ心がけるべきなのだが、 その心得が今も稀薄である。開放感と使命感…ご恩返しのボランティアができるとすれば、 私にはやはり「ふるさと塾」しかなさそうである。

 29才の二月に独身時代の総括として、自分史のガリ版刷りに燃えたように、人は生まれた月に 燃えるのだろうか。二月を迎えた私は、今、新しい冒険を計画することに熱中している。

  随筆集 目次 へ 戻る