T子への求婚状(その2)|
産まれ落ちた時から29年間、本当に思うままに生きてきて、尊い体験をさせてもらってきました。
これからの僕は、これにいくらかの恩返しをしたい。少なくとも僕だけはこの地にとどまって、
時に叱り、時にからかいながら育ててくれた村の爺ちゃんに、これが僕の嫁さんだと安心させて
やりたいのです。
時計の針が午前二時を廻りました。今、窓を開けて夜の冷気を吸っていたら、風のない夜の中に
僕の好きな山がどっしり腰を据えてかすみ、家々の屋根がひっそりと息づいているようでした。
僕は、この村が好きなのです。
とにかく田舎には、想い出が一杯詰まっているものなのです。
もう五年ほど前、毎週土曜日には英語教室を二年半続けてみましたが、多いときは中学生が 十数人狭い僕の部屋に来ておりました。その子らが高校生になって、煙草を吸ったりバイクを飛ばしたり して停学処分を受け、村の噂の中でよけいに反発していましたが、僕にだけはとても明るく素直に 接してくれました。学業の足しにはならなかったにせよ、教科書から脱線ばかりしていた僕に何らかの 親しみを感じてくれていたのでしょう。親と教師との中間にある指導者があの年代には必要だと思う のです。
結婚して、もう一つやってみたいこと、それは今まで先輩の祝儀のつどお願いしてきましたが、
「若亭主と若妻の会」をつくることです。 |
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堂々と旦那さんと踊れる楽しみをつくってあげたいのです。その翌朝だけでも、心から爽やかな挨拶
ができるとしたら、いかに頑固なお姑さんもいくらかは和らぐことでしょう。
農村に生きるがために、僕自身の花嫁捜しも大きな制約を受けました。せめて後輩には、 威張って嫁を迎えさせたいと思うのです。そしてこの会が、結婚したとたん引っ込んでしまう若い人の エネルギーを引き出し、まとめる契機となり、また村のすべてを支配する長老と青年をつなぐパイプ役 を果たせるとしたら、農村の封建制はいくらか薄らぐことでしょう。
… いろんな自分だけの夢を追っているのですが、あなたにこの手伝いをお願いしたいのです。
教師として不自由のない生活ができるあなたにひきあう話でないことは判っています。
あなたには、先ず周囲の人に笑顔を分かっていただきたい。僕の友人を歓待していただきたい。
最後に家族の者をいたわっていただきたい。この三つをお願いしたいのですが、なお余裕があれば、
僕の傍にそおっと座っていて欲しい…そんなことを考えています。
僕はあなたとならやってゆけるし、あなたならできることだと思うのです。
もう朝がそこまでやって来たようです。おやすみなさい。 安 幸 T 子 様
私は、この手紙とこの文章を掲載した「生きる」を彼女に手渡した。それから数日して、
先方の父親が婚約破棄の申し入れに来られた。
私は、この文集を当時仕事のうえで知っていた今のつれあいにも1部を
手渡した。彼女は当時、九州でも著名な文学同人の仲間うちで「三K子」とか、もてはやされて
いたので、文学上の批評でも聞きたいと思ったのであった。
それから27年、私の人生は、それ以上でも以下でもなく、いまもってこの便りの範疇にある。
従って、これからの余生もそうであろうし、たぶん、この便りに託したものが私の人生そのものとなろう。
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