. その思いの中で、最近の新聞で「岡本太郎ブーム」と題する、養女敏子さんへのインタビュー記事に 強く惹かれた。抜粋が少し長くなるけど紹介しよう。
1970年、大阪で開催された日本万国博覧会の岡本作「太陽の塔」は、芸術音痴の私でさえ奇異に
思ったものだが、敏子さんは、「万博への協力は体制に身を売ることだと、岡本びいきの人まで
そっぽを向いた。祭り好きのご本人は、全民衆が参加する祭りだと気にも掛けなかった。…
テーマが『人類の進歩と調和』、それをテーマプロジューサー岡本が講演でもどこでも、おれはテーマに
反対だ。人類は進歩なんかしていない、人の足を引っ張り合いして何が調和だって(笑い)」
岡本敏子さんは、84才で太郎が死去した1996年に、財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団を設立して 理事長の職にあるが、「岡本太郎記念館(東京・南青山)は若い入場者が多いんですよ。手をつな いで来た
| .
頭が金髪の男の子と厚底ブーツの女の子が『すげぇー』。初めて見る岡本太郎の作品を前に硬直
している(笑い)。
…敏子さんの言葉を裏返せば、芸術家は存分に自己主張を貫き存在価値を示すことができる、
そしてそれがたまたま彫刻であったり絵であったり小説であるとすれば納得がゆく。しかし、芸術家で
ないものの人生は何であろうか。考えてみれば、私のこれまでの人生は、どう社会に迎合するのか、
周りの人とどう調和するのかに尽きていたような気がする。
それにしても私の人生は、子を残すという最小限の努めを果たしただけで、好きなことだけに時間を
潰し言いたいことを周囲に吐き乱してきただけのような気がしてならない。
自分の心の中だけの宗教家だった母は、自分の死期を知りながら自分の人生を何も語らず何も遺さずに目を
瞑じて逝った。
|