2015年
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12月
12月31日 大晦日
今日で今年も終わり、昨日の夜帰ってきた上の息子も加わって昼間みんなで大掃除をしていた。そんな中僕はベッドに 横になっているだけ、今の僕にはどうしようもない事だと分かっちゃいるが…やっぱり虚しい。あと今年の僕の仕事は 紅白歌合戦を見ながら今年最後のこの雑記帳を書きあげるだけ。今の紅白は知らない曲ばかりで面白いとは思わないが 昔からの年中行事、これで締めよう。

12月30日 年賀状 ようやく完成
日曜日からようやく年賀状に取り掛かる。今年はピンとくるデザインがなかなか見つからなくて困った。僕にとって 年賀状は特別なものなのだ。僕は年賀状を出す事によって昔お世話になった上司・同僚そして親しくしてくれた仲間達に 「僕は生きてますよ・僕はまだパソコンを使えるくらいには動けてますよ」という事を知らせるために出しているのだ。 挨拶程度の意味合いでは決してないのだ。
昨日下の息子に手伝ってもらって宛名を今日の昼返ってきた娘に手伝ってもらって裏面を印刷した。あとは高校3年の クラスの同窓会に行くという娘に投函を委ねるだけ。これで年末の一大行事がようやく終わった。

12月29日 散歩
火曜日の車椅子移乗は11時少し前から、ケアはIさんで所長が後から合流して車椅子へ。車椅子に座ったところで所長が 「(座敷の)縁側に行ってみませんか?。」との提案、年末だから仏壇にお参りさせあげようという所長の配慮。縁側に いくと暖かい日差しが一面に差し込んでポッカポカ、外を眺めると花ひとつない冬の景色。そこでまたもや所長が提案 「散歩に行きませんか?。」。
外に出ると日差しの温もりとともに毛布にくるまった僕でも分かる空気の冷たさ、冬。東田んぼ方面へ向かう。家陰が なくなると一気に吹きざらし、寒い けど清々しく気持ちいーい。国見のお山を見ると国見トンネルにつながる高架橋と 栗の木峠、大昔正月に文ちゃんと工事中の国見トンネルを見にいった事を思い出した。桑木原の端っこをくるっと 回っての帰り道、奥が牧山で手前が人魚岩、子供の頃青螺山が見えなかったのは何故だろう。昔と変わらないはずの 山々。家に近づくと保育園跡地で子どもたちがバドミントン、昔は馴染みの風景、今は超珍しい。家に入ろうとした ところで訪問リハビリの自動車の音が、ナイスタイミング。
ありがとうございました。また1年間お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

12月27日 モモ・チビ ありがと
退院した25日の夕方パソコンしているとモモが久し振り(半年以上?)にベッドに上がってきて僕の脚の間で居眠り、 まるでモモから「お帰りなさい」と言われている様な気がして嬉しかった。翌26日午後車椅子に座っている時にチビが ベッドから車椅子に座っている僕の所にわたってきてひと眠り、チビが生まれて2年8ヵ月なるがこんな事初めて、 ようやくチビが僕の事を人間と見てくれた様でこれまたとっても嬉しかった。この夜から僕の脚の間はチビの寝床に なった。今日なんか朝餌を食べに下りてそのまま外を散歩、ところが1時間もしない内に戻ってきて僕の脚の間の寝床で お休み。嫁さんに「外は寒いの?」と聞くと「霜で真っ白。」と、道理で。今日のチビは寝飽きたらそこいらを散歩・ 寒くなったら僕の脚の間へ その繰り返し、おかけで僕の脚足は一日中ポッカポカだった。

12月11日〜25日 レスパイト入院
レスパイト入院、初日の午前中は迎えが早く来るからペースが狂うししんどいから好きではない。でも病棟側が決めた 事だしそうするしかない。10前にまず訪問看護師さんたちが来てその後間もなく迎えのリフト車が来てすぐに出発、 約束時刻11時の15分前には病院に着いた。すぐにいつもの神経難病病棟に向かう、病室はいつもの処・いつもの場所、 前回と違い今回はベッドの準備が出来ていてベッドに横になったらすぐにナースコールに繋がったピルケースイッチを オーバーテーブルの底の梁にスイッチを張り付けてくれた。これで今回の入院中もナースコールは安心だろう、何かの 拍子にオーバーテーブルさえずれなければ。
初日に神経内科としての血液検査・検尿&胸のレントゲン・心電図といつもの総ての検査を受けた。結果は…何の処方も なかったからたぶん大丈夫だったのだろう。ただ嫁さんが皮膚科の先生に背中のほくろの皮膚生検をお願いしたのには 驚いた。生検を受けるかどうか決断を迫られ「政権はそんなに痛くないだろうからまあいいか」と思いOKしたが…後々 考えると「生検の傷跡は縫うからいつから車椅子座位やリハビリはいつから出来るのか?」と思うと生検を受ける事を 承諾した事を後悔した。何故って僕には5年後の命より今日明日明後日明々後日今のように今のままの状態を少しでも 保つ様にする事がベストだと考えた。幸い皮膚科の先生から生検の翌日からの車椅子座位とリハビリの許可が出て いらぬ徒労と終わったが…。
背中のほくろ部の皮膚生検は7日目木曜午後2時過ぎから行われた。これまで皮膚生検2連敗(どちらも左腕)の僕としては 少々諦めムード、また手術か、社会人20代時代は5月末から晴天時毎週の様に海に行きよく焼いていたもんな(もちろん 泳ぎも)。それにゴールデンウイークは5年連続沖縄、僕の中では夏は真っ黒 それがトレンドだった。生検は左横向きの 体勢で呼吸器を着けて、看護師さんたちが支えてくれていた。皮膚科の先生が背中の生検箇所辺りに麻酔入り消毒液を 塗って少ししてから何かを刺して痛いかどうか聞いてきた。僕が痛い表情をすると看護師さんがそれを読み取って 先生に伝え麻酔の注射をしたみたい。結論から言うとこれらの麻酔注射が最も痛かった。背中の皮膚生検は4ヵ所・1時間 余りか?。下にしていた左肩と腕が結構痛かったしよだれもだらだら流れた。例え陰性でもこの体勢で1時間以上の 手術は無理だなと感じた。それにしてもこの皮膚科の先生、僕は僕に対して説明が全くないから大嫌いなのたが、 背中の生検傷痕はほぼ痛まなかったし相変わらず正体不明。
リンが逝った日このベッドから見た窓の外の桜の木は窓一面緑一色、その緑の中に僕は(GW)入院中ずっとリンの姿を 見てた。涙が絶えず…リンの死が受け入れられなかった リンの死を受け入れたくなかった。7月左腕の皮膚がん摘出 手術のため入院、窓から見える緑も濃くなった。その中にリンの姿を求めたが夢にさえ出てきてくれなかった。9月SW レスパイト 窓の外の桜の木は紅葉の始まり、あれから4ヵ月半経つのにキズ未だ癒えず。涙時々、リン現れず。そして 今回 残り葉2枚、リン見えず、和歌を作る。『窓見れば リンの面影 浮かび来る 幾日ぞ遠く 皐月の初かな』。涙 たまに、情けなし。
今回も毎日車椅子移乗してもらえた、ありがとうございました。その日の僕の病室の担当看護師さんが昼の経管栄養が 終わった頃に「車椅子は3時でいいですか?」とほぼ毎日尋ねてくれた。その積極的な心根が有難かった。去年(今年?) もめたのが夢の様だ。ところが入院した日の翌日車椅子に座ってみると違和感があった、車椅子に1時間座っていると しんどいのだ。僕が理由を自覚したのはレスパイト終盤、車椅子に座った時に肺の下の方が膨らんでいない事に気が 着いた。実は文部科学省or厚生労働省の通達により今回から入院した日に呼吸器を病院のに交換していたのだ。 もちろん機種(次世代)も設定も一緒、でも使用したら違和感があるという事実、もしこの次世代機種を自宅で使うなら 設定を少し変えてもらう必要があると感じた。同じ機種・同じ設定の人工呼吸器でも交換したら微妙な違いがあるって 事をお役人は解かってやっているのかなあ。
今回リハビリは主治医は手配してくれていた、事前にメールしていた甲斐があった。理学療法士のS先生が初日に病室に 来てくれて「僕は来週月・火・水3日間いないので代わりにOを行かせます。木曜は立ちますか?。」と丁寧にも言いに 来てくれた。作業療法士O先生は僕にとっては初めてかかるリハビリの先生、O先生は最初ALS患者を怖がっている様に 見えた、肩・腕・手の関節の動かし方が優しすぎた。それでひざの関節屈伸の時膝を伸ばしてみせた、呼吸器を13年 着けているALS患者でもこんな風に動く部位が残っている患者もいるって事を知らしめるために。O先生はとっても 驚いていたがそれからO先生の力の入れ具合が変わった。僕にはそれでも物足りなかった。それで翌日のリハビリの 時間にO先生に「もっと強く」と文字盤で伝えた。それからリハビリのやり方が変わった…がそれでもまだ物足りない。 まあ仕方ない、O先生は僕の事を少ししか知っていないのだから。それに最初はみんなそんなものだったから。
木曜日 S先生の出番、S先生のリハビリは訪問リハビリのH先生同様一味違う、二人の先生のリハビリの目標は同じでも リハビリ方針は異なる様だが。S先生は旬初よりも持続に重点を置いている様だ。今まで10人以上のリハビリの先生に お世話になったがこんなタイプ初めて、面白い。けれどS先生のリハビリはかなりしんどいし厳しい、人工呼吸器を 着けていなければ???息切れをしている?ところだし身体が熱くなってくる。でもS先生にはリハビリの新しい仕方を 教えてもらった。その上S先生は立位訓練もしてくれる。看護師さんに立って車椅子移乗をしてもらう事を禁止された 僕にとってS先生は救いの神だった(会議に参加して立って移乗させる事は可能と口添えしてくれたH先生ももちろん)。 この日立たせてもらったら左ひざは笑ったが家のベッドより低い高さから思っていたより苦労なくすんなり?と 立ち上がれた。その時僕は今回の入院では大丈夫と確信した。だから立位訓練は翌週の月曜と木曜にしようと決めた。 (実際はS先生の都合により月曜火曜)入院中に3回立位訓練をしてもらえて十分満足したリハビリだった。S先生・O先生 ありがとうございました。
また僕の馴染みの看護師が異動になってた。入院して1週間近くF看護師の気配を感じなかったので「Fさんは?」って 聞いてみた、外科病棟に異動したとの事だった。僕は以前からFさんは看護師長に成れる器だと思っていたからFさんに とってこの病院のICUらしき病床がある外科病棟への異動は新しい知識や経験を習得する上でよりベターだと思う。が… しかし(僕としては)話しかけやすい看護師がまた一人減ってしまったのは寂しい。年に4-5回レスパイト入院する 僕としては気軽に話し出来る看護師を増やさなければならないのだが娘みたいな若い看護師さんとは世代間ギャップも あってなかなか難しい。でも今回僕の受け持ちになったTさんとは初めてゆっくり話をしたし前回受け持ちだった Mさんもよく話を聞きに来てくれた。他の看護師さん達も僕には(ゆっくりではないが)よく話しかけてくれるし…僕は 幸せ者だ。みなさんお世話になりました。
今回の入院ではたっぷりと寝だめしてきた。だけど一週間もするとさすがに寝飽きて…朝方4時前に目が覚めるから 暇で暇で、家では朝5時にパソコンをセットしてもらうので暇つぶしも出来るのだが病院ではそうもいかないので脚を 広げる運動をしたりして暇つぶし…。自分では10cm以上足先を広げているつもりでも人が見たらたぶん10mm以下で 分かるか分からなかないか程度、でも関連する部位の筋肉に力が入る事を自覚しその筋肉に力の入った状態を少しでも 長く持続する事が大事なのだと思って(病院で僕のリハビリを担当してくださっている理学療法士のS先生の考えを僕は そう理解しています)。まあ健康な方から見れば貧乏ゆすり以下だろうが。
今回の入院で珍しい事が起こった。僕の入る病室はいつも4人部屋なのだが患者さんが次々と退院していき11日目 (月曜日)には1人に。僕は1人になった事に不安を感じすぐに看護師さんを通し病棟師長さんに「一人は嫌」と伝えて もらった。その結果その日のうちに新規入院の方と移動の患者さんと3人になってひと安心。移動させられた患者さんに 申し訳なかった。それにしても例年はこの時期ベッドが足らないほど入院患者が多いのに。この病院に年末15?年間 入院したきて入院患者が待機していないのはおそらく初めて。何で???。
退院の日午前中はいつもバタバタ。浣腸をしてもらって早めに昼の経管栄養(11時)、迎えが午後1時と聞いていたから。 ところが来ない、僕の聞き間違い?。迎えが来たのは2時前、それからみんなで着替えと退院準備、病室で見送られて 病棟を出た。最近はいつもこんな感じ、以前は看護師さんが最低1人は玄関まで見送ってくれたのに。

12月10日 入院前日
入院前日なのにいつものルーティーンが全然出来ていない。この雑記帳を書いて自分のホームページを更新するので 精一杯だった。年賀状もまだかけてない。データの整理やバックアップなんて出来る筈もなく…子どもたちが 帰ってくる正月に手伝ってもらって出来たらいいと。自分ひとりじゃメモリーの差し替えも出来ないし まあ 仕方ない…か。

12月9日 リハビリ今日は良し
昨日から訪問リハビリのNさん復活。けど訪問看護師さんの話によると「Nさんの体調はまだ万全には程遠いかも」と、 そういえばNさん 少し痩せて女性ぽくなったかも。もっと自分の身体を大事にして欲しい、分かっているとは思うけど 何事も身体あってのものだから。
今日の午前中Nさんの下半身のリハビリを受けている時の11時前珍しく目が開く様になった。だから調子が良かったのか…今日の歩行訓練割と上手くいったと思う。結構背中を伸ばせたし後ろになる足の親指に時々上手く力が入った。課題は これらの二つ腰伸ばしと後ろの方の親指をいつも意識下においておく事と今日感じた右足重心の時右に傾きそうに なるのをこらえ上に腰を伸ばす事、これが出来れば今の僕に可能な範囲での歩行の完成形に近づくかも。
気になるのは歩行訓練の中間で車椅子に座って休憩している時の(嫁さんがアンビューバッグで押して呼吸をさせて くれている)SpO2の上りが悪い事。僕は苦しくは感じていないのになんで。

12月8日 gacco「社会人のためのデータサイエンス入門」一応修了出来そう
今日の午後3時gacco「社会人のためのデータサイエンス入門」最終週が配信されてきた。講義内容はe-Statについての 約30分で今までに比べてたいした事はないが最終課題が30問もあってすごく大変そうだった。もともと統計学Tと 統計学Uの復讐のために受けた講座だったか100点満点で終了しなければいけないと思っていた。しかしわずか9問目で 目標は敗れた。知識不足と相変わらずの注意力不足を感じた。それからはもう少し投げやり、あと5問 e-Statを使う 問題と度数分布表とヒストグラム・散布図を作って問い応える問題は明日に繰り越し、時間がかかりそう。e-Statは マウス操作中心で僕には不利だし僕のエクセルにはなぜかデータ関連のソフトが入っていなくてヒストグラムはグラフ 機能で何とか出来ても散布図はどうにもならない。どうしよう。
その後も次々と数問?間違えたが修了点の60点は無事突破、今年9個目?の修了書をもらえる事になった。それに 間違えて覚えていた事もこの講座を復習する事で覚え直せたしこの講座を受講して良かったと思っている。

12月6日 目が開かない
この2-3週間ずっと午後1時過ぎまで目を開けようとしても開かない。今日なんか久しぶりに娘が帰ってきて資料を 見せてくれようとしているのに細めを開けて見るのがやっとだった。自分ながらに情けなくなった。この調子だから 午前中のケアや訪問リハビリに来てくれている方々に反応が鈍くて大いに迷惑をかけている。申し訳なく思う気持ちも ある。早朝パソコンをしている時には目は大体開いているのに…なぁ。
病気が次の段階に入っての現象なのかそれともただ単に疲れや寝不足が溜っての事なのか…今週末からの レスパイト入院に入ればすぐ分かる。なんせレスパイト中は寝る事しかする事がないもの。

12月4日 まさか
朝のケアの時I看護師さんに「昼の車椅子移乗の前に所長はカンファレンスに参加しているので遅れるかもしれない。」 と告げられていたから午後3時を過ぎても構わずゆっくりパソコンをしていた。正直言うと僕は所長が来るのは早くて 3時半過ぎ もしかすると4時ぐらいになるかもと思っていた。ところが3時10分前にIさんが来て(想定内)25分に自動車の 着いた音がした。まさかの(僕にとって)想定外の出来事に超びっくり。けど立たせてもらった時想像以上に上手く力が 入り上手く立てたので2度びっくり!!。

12月2日 歩行訓練?あと一歩かな?
今日のリハビリ Nさんは珍しく?体調を崩し休養を命じられたとの事。それで今日は初めからH先生、久しぶり。H先生が 「脚の関節の動きも衰えてないし筋肉もよく伸びている。」とNさんを褒めていた。まだ2年目なのにたいした成長だと 僕も思う。Nさんは良き上司に巡り合った。僕にとってもH先生は積極的で良きリハビリの先生だ。
可動訓練の後は(H先生に思いっきり支えられての)歩行訓練。今日の目標は立っている時腰に力を入れ腰を出来るだけ 伸ばした状態でいる事、まあまあ良い感じで出来たと思う。でも課題も出てきた。歩いている時に後ろになる足の 親指に力を入れるコツを忘れた。更に気になる事はベッドから立たせてもらう際でも膝に力が入りにくかった。寒さの せいと思いたい様な思いたくない様な…。


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11月
11月30日 gacco「社会人のためのデータサイエンス入門」受講
先日gaccoの講座を見ていたら新しい統計の講座を見つけた、「社会人のためのデータサイエンス入門」。講座内容を 見たらこれまでに学んだ統計学T・Uの項目群がほとんど、これならこれまでやった統計学の復習になりそう。しかし 問題が二つ、@第1週のテストの締め切りが30日(今日)A最終週の配信が12月8日の午後3時 11日からレスパイトだから 最終テストを送信できるか(最終テストの締切日は21日で入院中)。それで迷っていた。
そして今日やると決めた。朝から第1週の講義のVTRを見てテストに取り組む。Week1のテストは100点中たったの5点、 合格点は60点だからなくても何とかなる点数、なんだー 焦る事なかった。その上この講座はいつもより短く1week 1時間ぐらい(今までの講座は1.5-2時間)。でも僕は後ろが決まっている、早いに越した事はない。今日2週分片づけて 追いついた。ただしVTRを2回見てテストを送信しただけ、学習は年末年始に後回しだ。
間違って覚えている事があった。中央値・四分位・箱ひげ図、度数の1/4,1/2,3/4だった、僕は値を使う (yi)と思ってました。それに箱ひげ図の外れ値は四分位範囲の1.5倍より外って事も覚えたし… 復習もかねてこの講座を受講して良かった。

11月28日 PC用スイッチ不調
僕は右足の親指と人差し指間に挟んだピルケーススイッチを指に残るわずかな力で挟む(ケースの中に貼り付けてある マイクロスイッチを押す)事でパソコンを操作している(入力支援ソフト[オペレートナビ]と組み合わせ)。今までも延長 コードの接続部の不調で(おそらくコードの先端部の金具オスメスそれぞれが寸法規格マイナスギリギリで作られていて わずかな緊張で接触不良を起こす)オペレートナビが応答しなくなる事が度々起こっていたが、この数日は マイクロスイッチとコードの接続部付近のどこかで断線しかかっているみたい。スイッチを外す時みんなよくコードを 引っ張って取っているみたいだから。でもこれは非常にまずい、僕にとっては大事だ。すぐにでもこのスイッチは 使えなくなる…。
そこで申し訳ないが期末テスト中の(下の)息子を呼んで新しいスイッチにスポンジを張り替えてもらい新しい スイッチを作ってもらった。僕の右足の親指と人差し指は閉じる力は残っているけど指を開く力はないのだ。 マイクロスイッチの中のバネだけでは指は開かない。それで以前からピルケースの中にスポンジを張り付けて反発を 強め指が開きやすくなる様にしていたのだ。しかしスポンジでの調節はとっても難しい。試行錯誤の連続だ。その上 新しいスイッチに慣れるには僕もスイッチを指に挟んでくれるお袋や嫁さん・子供たちにも時間がかかる。難しいから 家人しか設置調整できない。出来れば小さいバネに替えたいのだが…相談する人がいないなあ。

11月26日 介護離職ゼロ
安倍総理が新内閣発足の時に打ち上げたスローガンの一つ「介護離職ゼロ」、僕は今までずっと施設の介護職員や 介護事業所のヘルパーがよく職場を替わりよく辞めていくのに対して政策を立案し国会で論議を展開し適切な対策を 打ち出す事を意味するスローガンだと思っていた。が…介護をめぐる離職については確かにもうひとつある。昨日の ニュースステーションで取り上げられているのを見て僕は改めて認識させられたのだが、(大抵)病気等である日突然 動けなくなった親を介護するために働く事を諦めざるを得なくなった方々がそれ相応に発生している事実、安倍さんの 言う「介護離職ゼロ」はこっちの方だった。今特別養護老人ホームへの入所待機のお年寄りが全国で50万人強いる という事で安倍総理の指示目標が40万人対応から50万人に対応する数の特老を作ると上乗せされたようだという報道も 合わせて流れていた。
でも介護従事者の労働条件 特に給与面を改善しないと介護従事者は増加しないし離職者も減らないから形造って魂 入れずになりそう。安倍総理、もう一つの「介護離職ゼロ」認識していますか?。

11月25日 腰が?
水曜日の午前中は下半身のリハビリ、理学療法士のNさんはまだ2年目だというのに厳しくギリギリまで攻めてくる。 僕も関節の可動域はぎりぎりまで動かさないとこの年齢にだったら維持は出来ないと思っているから十二分に 満足してるけど、膝の後ろを伸ばしてもらってる時なんか時々「もう許して」と悲鳴を上げている。気になってるのは 股関節の痛み、股関節の痛みを止めるor和らげる方法・リハビリはないのー??、なんてね。
次はH先生の歩行訓練、調子もう一つ。急に寒くなったから…と言い訳をしたいところだが何かが違う。膝に少し 違和感感じる時があったし右足重心の際腰がぐらつきさらに弱ってきていると感じた。これはまずい、この1週間も 車椅子移乗の時に立たせてもらう際に腰に気をつかって力を入れようと努めてきたはずなのに弱ってる。何か腰を 少しでも鍛える方法を考えねば。難しいなあ!。

11月23日 勤労感謝の日
今日は祝日 勤労感謝の日、なぜこの日付が祝日になったか調べ事もないがいろんな意味で働ける事に感謝する日だと 僕は思う。そして何年かに1回めぐってきた月曜日の勤労感謝の日で僕の嫌いなハッピーマンデーとは違いたまたま 月曜日と祝日が重なっただけの日。今日もヘルパーさん2人がケアに来てくれた。ヘルパーさん達だけの洗顔・清拭・ 便処理・下洗いだったけどなんら支障はなかった。本当にありがたい事だ。ご苦労様です。
あとはパソコン三昧。パソコンのやり過ぎ?で最近僕は疲れ気味…かなあぁ。

11月21日 経工会も今日で最後か
僕は広大工学部電気系経営工学科の出身、経工会というのはこの経営工学科のOB組織。僕は経工会にはもともと関心も なかったし送られてきた名簿を見たら自分のの名前が後ろの方にあって「い」で始まる僕の名前が後ろの方にあったと いう事は僕が留年したという事を意味していた。学生番号が52…で始まる僕は昭和56年3月に卒業したのだが僕は 留年したのか。そんな些細な事で僕は経工会と連絡を取らなくなったし年会費も払っていない。小っちゃい男だ。 もっとも何故か僕の生協会員番号はS50…で始まっていたなあ。
そんな経工会だが今日で幕を閉じる閉じると連絡が入っている。今頃は広島市内で総会も終わって懇親会いいや 同窓会に突入している頃か。僕も元気だったら最後ぐらいは駆けつけて旧知の仲をあたためあっていたかもね。僕らが 大学を卒業して35年くらい、経工会の歴史はもっと古く60年は経つだろう。会をここまで育ててきたOBの方々の想いは 何とも言えないものがあるだろう。そう考えると自分が一切かかわりを持ってこなかった事を今更ながら少し 申し訳なく感じている。歴代会長・副会長・役員・事務局の方々 本当にお疲れ様でした。
ところで最後の会報というか名簿は是非とも入手したいものだが…不義理をした事務局に連絡を取るしかないか。

11月19日 プレミア12 敗退
野球プレミア12 宿敵韓国にまさかの敗退、それもまさかの9回表の逆転負け、寂しかった。それにしても日韓戦に かける韓国の執念は相変わらずすごい。その上この9回は主審が左右のコースに特に厳しくなった。更にまたもや誤審、 日本は国際大会に運がない。しかし小久保監督の投手交代、このプレミア12の中で若手特に投手を戦いながら 育ててゆくという目的があったにせよ一歩遅かったかなあ。確かに8回表の則本投手の完璧な出来を見たら9回三連打を 食らうとは思わなかったし則本に期待したかった気持ちも分からなくはない。でもあれだけ完璧にとらえられたら 2本までだろう。頭から牧田投手で行くという選択肢はなかったか。小久保監督の頭はWBCが本番かな。

11月18日 腰 少し改善?
先週のH先生による歩行訓練の時腰がフラフラ、最近の車椅子移乗は背が低いI看護師さん中心で立った状態では 身長差があり過ぎる(僕の脚には約10cmのヒールの装具)からIさんにより形になって自分から腰に力を込めて伸ばそうと する事はほとんどなかった。それが腰のフラフラの原因と思ったからこの1週間車椅子移乗の時に伸ばしてもいい・ 出来ると思ったところでは腰に力を入れる様にしてきたし、今日の歩行訓練でも後ろのつま先と腰を意識した。少しは 改善した様だ。動画を撮った日が良過ぎたからあれと比べると…。

11月17日 久々に上手くいった
今日も午前中は眠かったから11過ぎからの車椅子に座りながらの時間に寝ながら車椅子から立つ際にどうしたら膝に 力が入るのかなってぼーっと考えていた。車椅子の上で(僕の感覚で)前屈し過ぎたら右股関節に痛みが走り膝に力が 入らなくなる。それなら車椅子から立ち上がらせてもらう際にあまり前屈の姿勢をとらなかったら立たせてくれる方が どうなるのか、身体のどこかを痛めたりしないだろうか。
そんな事をぼーっと思ってるところへ看護師さんとリハビリのH先生・Nさんが来た。火曜日はNさんが車椅子から ベッドへ移乗させてくれる日、そこで股関節と前屈の関係をNさんに話しあまりの前屈なしで立たせてもらえないかなと 頼んだ。そしたら膝にある程度力が入り久々に上手く立ち上がれたような気がした。このふた月余りNさんに 迷惑かけてばかり、良かった。

11月16日 体調急降下
朝はどうもなかったのに昼ごろから急に体調が落ちてきて午後3時半 車椅子に座った時には鼻水が1時間後ベッドに 戻った頃にはくしゃみが出始めた。僕は体調が落ちてくると唾液や痰が気管切開部から漏れてくる。それは体調が 悪くなればなるほどじゃじゃ漏れになってくるから始末に悪い。そうなると嫁さんは後始末をしなくちゃいけないから いつもご立腹だが…生理現象みたいなもんだから僕にはどうしようもない事なのに。今日も寝る前に漢方を服用して 寝よう。

11月14日 下の息子 台湾へ
今日から下の息子が台湾へ行った。息子の通っている高校(進学校)には以前からこういう海外研修旅行の企画が あったらしい。この旅行の目的を昨日息子に尋ねたがはっきりとは説明してくれなかった。僕個人は若い頃から 世界というものを知らしめ海外渡航に慣れるために立案・実行していると思うのだが。息子の通うT高校は人材育成に 大いに力を注いでいると僕は感じている。未来の指導者?プロジェクトや著名人を呼んで教育等に関する講話も 行っているらしい。国公立大学入学者数を増やす事を目標にしている我が母校とは大違いだ。昔は学力差は向こうが わずかに上だった?が今ではかなりの実力差になっていると思われる。過去問をいっぱい課題に出して満足している 様じゃあ上は伸びない。
僕が海外に行ったのは新婚旅行の1回だけ、この息子はどうなる?。

11月13日 通院日
今日は雨模様の中通院日、疲れが残っているのか開けようとしても目が開かなくてリフト車の中からかろうじて 見たのは田んぼだけ、すべての田んぼすでに稲刈りが終わっていた。もう11月半ばだもんな、当たり前か。いつの 間にか季節がどんどん過ぎて行ってた。
病院に着いた時には雨がほぼ止んでいて濡れずに救急処置室に入れてラッキーだった。ただ今日の出迎えの様子では 何となく段取りが悪そうな雰囲気。バイタル測定している時に外来の看護師さんが主治医の診察待ちの患者さんがまだ 数人いたからもうしばらくかかりそうと言っていたのだが…10分足らずで主治医が来たので看護師さんもビックリ顔。 すぐに診察と処置(カニューレ交換)を済ませ戻っていった。次に主治医と会うのはひと月後のレスパイト入院の時。

11月13日 gacco「統計学U」ようやく目途がついた
まだ終わった訳じゃあないが gacco「統計学U」ようやく目途がついた。今週火曜日配信されたWeek5の学習は これからだが配信動画を2回見て最終テストも送信したし何とか修了証をもらえる点数でテストは送信できた。今回の 講座は本当に難しかった。僕は今回を含め8講座体験しているがこんなに苦労するとは思っていなかった。おかげで 寝不足と疲労蓄積、精神的にもグッと疲れた。Week5の学習は来月のレスパイトまでのんびりやろう。まずは精神的・ 肉体的疲労をとらなくては。

11月3日 gacco講座「統計学U:推測統計の方法」、難しくて他の事が手に付かない
文化の日、祝日なのに11時過ぎほうもんリハビリの先生2人が来てくれて30分車椅子に座らせてくれてその後いつも通り 上半身のリハビリをしてもらった。とっても有難かった。
実はfacebook友達に教えてもらったe-learning講座gaccoに半年以上前から取り組んで今までに7講座は一応修了は したのだが、今やっている「統計学U:推測統計の方法」がとっても(僕には)超難しくてこの一か月間ほぼ一日中 やっている状態でメールもホームページも放りっぱなし。一部の方には心配をおかけし申し訳ありません。


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11月
10月18日 gacco講座「統計学U:推測統計の方法」、覚える事いっぱい
gacco講座「統計学U:推測統計の方法」、水曜日から結構時間をかけているが新しい事・覚える事がいっぱい。 集合なんて僕らの時代は新課程で別冊子でちょっと学んだけで未だに「AならばB」の事象理解でさえ苦しんでいるのに この講座では確率と集合の組み合わせ、条件付き確率・独立性・ベイズの定理などを復習して学べと講師は簡単に 言うがとっても難しい。先週配信第1週目は何とか今日中に終わらせたかったが…めどはついた。この統計学Uの講座 これからまだまだ難しくなりそうだが…頑張れ僕。

10月16日 通院日
今日は2週間ぶりの通院日、リフト車の窓から田んぼを見ると稲刈り真っ盛り。黄金色の田んぼ・まだ少し黄緑がかった 痰ホそしてもうすでに稲刈りを終えた田んぼ様々だが、こう黄金色が目につくと次の日曜日が稲刈りのピークだろう。 僕のやりたかった百姓はコンバインを使わないサイクル百姓、刈り取った稲束を木の棒にかけて乾燥させ脱穀する 方式をやりたかった。それに野菜をたくさんいっぱい作って多種多様で色々な漬け方の漬物作りしたかったなあ。
病院に着いてバイタルを測り主治医の診察、いつも通り足と目を診て聴診器で胸の音を聴いてそしてカニューレ交換、 その時胸と陰部の痒みの病名を真菌症と教えてもらった。次は皮膚科の番、背中の痒みは少し良くなっている様な気が するが陰部の痒みは少しずつひどくなってるみたい。僕にとって今日は皮膚科がメイン、痒み特に時々襲ってくる 陰部の痒みが堪らないのだ。皮膚科の先生が来て背中と陰部を診て「背中は良くなってきている。」陰部に対しては 無言?、嫁さんが「背中と陰部では原因が違うのでは?。」と問いかけたからか先生はシャーレに陰部の皮膚片 十数か所をつまんでいった。摘み取られた時の僕の気持ちは気持ちいい、これって変?。しばらくして先生が 戻って来て無表情で(それが僕には勝ち誇ってる様に見えた)「菌があった。」と告げた。処方は退院時と同じ塗り薬 (ルリコン)と抗菌錠剤と液薬+患部の痒み止め塗り薬。同じ薬って皮膚科の先生は僕が下痢したって事を 知っているのかなと疑問を呈すると看護師さんが確認してくれて液薬が無しになった。こんなんで大丈夫と僕は 不信感、初めて会った時からいい感情は持てなかったし。それにしても看護師さんたちの雰囲気から見るとこの 皮膚科の先生尊敬されてないな、無口で愛想なし、それに超上から目線だし。

10月14日 リハビリ ビデオ撮影
最近のリハビリの歩行訓練で調子が良かったので今日嫁さんに歩行訓練の様子をビデオに撮ってもらった。日曜の 夜まで下痢が続いていたので歩行訓練したらまた下痢するんじゃないかとちょっと心配していたが何とかなった、 良かった。下痢もようやく収まったかな。今日の歩行訓練も自分でも調子よかったしH先生も褒めてくれた。本当に H先生は褒め上手で人をその気にやる気にさせるのがうまい。少し歩行のコツをつかんだかもしれない。

10月13日 gacco講座「統計学U:推測統計の方法」、難しい
今日午後3時にgaccoの講座「統計学U:推測統計の方法」の配信があった。一度だけ講義のビデオを見てもさっぱり 分からなかった、難しい。それに確率がやたら出てくる、我々の年代では学習してない(と思う)条件付き確率と 集合も。確率も集合も僕の苦手分野だ。
統計学Tは知らない事も結構あったが内容はそう難しくはなくて何とかこなす事が出来た。でも統計学Uはそうは いかなそう。ある程度時間をかけてひとつずつきちんと理解していかないと合格は難しそうだ。

10月12日 体育の日
今朝皮膚科の飲み薬(錠剤&黄色い液薬)を止めた。嫁さんに確認されたが陰部の痒みは相変わらずだが我慢出来ない程 強くはないし背中は少しずつ良くなってきてる…と思う。薬の事は主治医にメールで事後連絡、下痢治まってくれると いいなぁ。
世間では今日を体育の日と呼ぶらしい。僕の体育の日は1964年東京オリンピックの開会式があった日って事で祝日に 定められた10月10日、ハッピーマンデーで日にちをずらすくらいならやめちまえ。くそくらえ― だ。
とはいっても祝日なので訪問看護は休み、ヘルパーさん2人が正式に来てくれた。昨夜下痢をして便がいっぱい出たから 「今日は便処理はなし。洗顔からいつもの月曜日の順番で」というとヘルパーさんは逆に戸惑っていた。洗顔・清拭・ 下洗い、背中と陰部に薬も塗ってもらった。戸惑いが大きかったからいつもの月曜日の祝日より時間がかかったけど さっぱりした。ご苦労様でした。

10月11日 下痢未だ治らず
金曜日かかりつけ医のT先生から下痢止めの薬を処方してもらいその夜服用してから下痢は止まったかの様に 見えたのだが…。
今日夜の経管栄養を入れてる途中に(あと100ccというところで)急にお腹が痛くなって1分もしない内に下痢、初めは 形がある感じもあったのだがあとは水下痢それも大量に。紙パンツに替えてなくて(紙おむつのままで)よかった。 下痢の原因はやはり朝晩冷える様になってきてお腹が冷えてるってせいでもないな。僕は経管栄養しか摂っていない、 他に考えられるのは…薬?。

10月9日 下痢
昨日夜の経管栄養が終わった直後腹がとっても痛くなって下痢をして今日も2回下痢をした。今日の1回目は朝のケアで 下を洗ってもらって紙パンツとスボンを履かせてもらった直後ゴロゴロッと、訪問看護師さんと同行の実習生に 申し訳なかった。2回目の下痢の後これ以上下痢が続いたらどうしようもないと思ったから紙おむつにしてもらった。 今日はちょうど午後2時からかかりつけ医T先生の往診、下痢を止める薬を出してもらった。今のところ寝るまで下痢は ない。このまま下痢が止まってくれればいいね。

10月7日 リハビリ(下半身)
水曜日朝は下半身のリハビリ、10時過ぎにNさんが来て血圧・SpO2を測ってから脚の可動域リハビリ開始。このところの Nさんは太ももの後ろの筋(ひざ側)を伸ばす事に重点を置いているのかな、結構攻めが厳しくて長い(僕がそう思ってる だけかも)。どこの部位もよく伸ばしてくれている。
Nさんリハビリの後はH先生の立位・歩行訓練、最近重心の方の足だけでなく歩行中?の後ろ足の親指を意識する様に なって力を少し残すようになって歩行が少し楽になった様な気がするのだ。今度嫁さんに歩行訓練の時の動画 撮ってもらおうかな。

10月6日 リハビリ(上半身・肺)
火曜日はケア(10時-)→車椅子移乗・座位約1時間→リハビリが続けてある午前中目が覚めきらない僕にとっては厳しい 日だ。ケアや車椅子に座ってテレビを見ている時にいつもうとうとしてしまう。
正午僕を車椅子からベッドに移乗してくれるのはリハビリの理学療法士のNさんの担当だ。今日は驚いた、両手を低い 位置左右の腰に据えあんなに低い体勢から僕の腰を浮かせて立たせるなんて。僕のした事は立ちあがらせて もらってから腰とひざに力を入れつっばっだけ、Nさんの力技だった。でもこんな力技をNさんが続けていたら腰を 痛めそうで少し心配…かな。
病院で万歳をしてもらうとリハビリのS先生も看護師さん達も110°くらいで腕を挙げるのを止めてしまう。僕としては 物足りなさを感じているのだが…そのあたりで抵抗が大きくなるのだろうか?。3週間ぶりにH先生のリハビリ、 150°くらいまではゆっくりとだが一気にスーっと挙げてくる。不思議?、事前の肩の関節&筋肉の準備運動の 差だろうか。H先生は顔を見ながら攻めてくれるので面白い。肺のリハビリの時にH先生がNさんにいろいろ説明しながら 「やってみる?」と。Nさんの番、言葉ではうまく説明は出来ないがどこが違う。肺の上の方を押す時にH先生は 掌全体で押しているのに対しNさんは手首の方を使っていない様に感じたが。Nさん頑張れ。

10月4日 ながさきコミケンフォーラム
今日ながさきコミケンフォーラムに参加した。大学生になった息子(長男)が自分からフォーラムに行くと言ったと 聞いた時に参加しようと決めた。会場は佐世保の長崎労災病院、山ひとつ越えた所だ。この山越えの道を通るのも 楽しみだった。僕が大学生だったころ軽トラックでよく運転の練習をした道だったのだ。
迎えのリフト車は9時前に来ると聞いていた。それで6時半から経管栄養を落とし準備、8時半過ぎにケアマネジャーと 所長が来て着替えさせてもらい外に出た。寒いー。そしてリフト車に乗り込み出発。往路は横手から山越え、この道も 昔通った事があった。てっきり峠越えかと思っていたらトンネルに進入、いつの間にこんなの出来たの??。間もなく 労災病院に到着、そこで娘と合流した。
受付を済ませ会場に入るとフォーラムはもう始まっていた。演台の方を見ると植田先生(コミケン会長)が見えた、 吉村さん(Hearty Ladder開発者)・久保先生(リハビリ先生)・遠藤先生(特別支援学校先生)も見えた。僕はこの人たちに 会いたくてコミケンフォーラムに参加していると言っても過言ではない。会場を見渡すと車椅子の方も結構いた、 山口君も参加していた。今年のコミケンフォーラムは例年以上に盛大だった。
今度の講演は『ハーティラダーの開発から今までの活動について〜15年の軌跡』、この中で初めて久保先生が 「こころのかけはし」のメンバーだった事を知ったしHearty Ladderのゲームの中に4つの神経衰弱と十数種類の演奏が 入っている事を知った。第1回コミケンフォーラムでHearty Ladderを知って11.5年、ほとんど取扱説明書を見た事が なかったからこんな裏技?があったなんて全然知らなかった。ますますHearty Ladderが好きになった。これを 知っただけでもフォーラムに来たかいがあった。
昼休みみんなの昼食の後展示ブースに行った。展示会場は人でいっぱい、車椅子で進むのも難しいほどだった。そこで 佐世保高専の三橋先生とも会えた。吉村さんのブースも盛況だった。今年は視線入力を試す事は出来なかったが 文字盤で娘を介して吉村さんと話しも出来た。嬉しかった。
午後の講演の後のアナウンスで「伊藤先生」という言葉が聞こえた。もしかしたらスイッチ関連や視線入力に詳しい 島根大学の伊藤先生が来られているのかもしれない。それならぜひとも懇親会の場で誰かに紹介してもらわねば。 と思って娘に頼んでおいたのだが、僕ほど図々しくない娘は人の話に割り込めない。もう時間がないと思った僕はもう こちらから会いに行くしかないと考え娘に「どの人か分かるか?」と尋ねたところすぐそばにいる人だった。僕は娘に 文字盤で「伊藤先生お名前はFacebookでよく拝見しておりますと伝えてと」と頼みようやく知り合いになる事が 出来た。その後二言三言簡単な会話を交わしみんなで2枚写真を撮ってもらったところでタイムオーバー、伊藤先生に 「メールします」と伝えてもらい懇親会会場を後にした。今回伊藤先生と知り合いなれた事がフォーラム参加の一番の 収穫だろう。
リフト車に乗り込んだところで娘息子と別れた、2人は大学のある街へ直帰する。あまり話せなかったが仕方ない、 寂しいけど娘も息子もそれぞれの道を歩いてるという事だ。それにしても息子はフォーラムに参加してどのように 感じたのだろう、それは聞いてみたいものだ。帰路は国見トンネルを越える道、懐かしい景色がいっぱいあった。家に 着いて着替えを済ませベッドに横にならせてもらうと脚腰が痛かった。それでもパソコン開始、基本的に強いからだ。 車椅子に7時間、途中で腰が痛くて2回ほど立たせて欲しかったが…頼む相手がいなかった。
今回もコミケンフォーラムに参加していつもの懐かしいメンバーに会えた、新しい出会いもあった、新しい発見も あった、楽しかった。お世話をしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。


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9月
9月18日〜10月2日 レスパイト入院
レスパイト入院。病室に入ったらできていたのはベッドメイクだけ、こんなの何年ぶりだろう。おまけにナース コール用のピルケーススイッチの設置の仕方もよく分かっていない様だ。この病棟の看護師がこの1-2年の間に半分近く 異動したからな。来年度初頭の人事異動でまた病棟に長くいる看護師たちが大勢異動したらどうなるのだろう。その上 今回の入院中に僕の病室の担当になった看護師の中で3年以上この病棟にいた看護師はわずか3人、意思疎通が辛い 場面もあり少ししんどかった。
ゴールデンウイークに悲しみの底で入院した時には窓の外の桜の木は葉っぱでおおわれて一面グリーン一色だったのに 退院する時はほとんど散ってしまった。5月に入院した時には一面の緑の中に毎日リンを見ていたのに…。
今回の入院中にした検査は胸のレントゲン・検尿・血液検査、それに入院前に主治医に依頼していた(腰と)股関節の レントゲン、どうやら目立った異常はなかった様だ。
8月末に背中の9月初めに陰部の痒みが始まった。我慢出来ないほどではないのがともかく一日中痒かった。入院前に 主治医に背中の赤みの写真をメールで送って今回の入院中治るつもりでいたのだが…思っていたより重症だった様だ。 それにしても皮膚科に新しく来た先生の態度が気にさわった。入院した日の夕方皮膚科の先生は診にきてくれたのだが ポケットに手を入れたままベッドの角の所に立って…看護師さんが僕を横向きにして服をめくって背中を見せた際にも 動いた様な気配がなかった。そして僕に話しかける事もなく去っていった。後で看護師さんに聞いたら「塗り薬と のみ薬が出た」と。けれどシルバーウイーク中改善する様子は見られなかった。シルバーウイーク開け皮膚科の先生の 再診、今回は背中の赤い小さなぽっち(出来物)と陰部の皮膚をシャーレに採っていった。その後塗り薬と飲み薬が 変わった。看護師さんが「背中と陰部の皮膚から同じ菌が出た」と説明してくれた、今回も皮膚科の先生からの説明 なし。この薬を使う様になってから背中の痒みが強くなり時には夜中眠れない事も。看護師さんは薬を塗る際背中を 見て「少し枯れてきているところもある」と言ってくれていたのだけれど…。それでも我慢出来なくて僕の受け持ちの 看護師を通して入院中の再診を何度か依頼したのだか…最新が入ったのは退院2週間後の次の通院日、なんでぇー?。 それで強硬手段、主治医に皮膚科の入院中の再診のお願いメールを打ってもらった。そしたら…退院前日の木曜日 来るとの事、しかし連絡のタイミング化合わなかったのか皮膚科の先生が来たのは午後7時過ぎ、待ちくたびれて 経管栄養中だったが背中を診てもらった。この日もやはり説明は一切なかった。こんなもんなんかなあ。
入院中のリハビリはシルバーウイークだった事もあってわずか4日間、主治医に連絡するタイミングを間違った。 連休明けの木曜日午後2時半になっても理学療法士のS先生が顔を見せなかったので主治医がリハビリの手配を 忘れたのかなと思った。そこで夕方看護師さんに「リハビリの手配が入ってるか調べて」と頼んだところないとの 事だったので「主治医にリハビリの手配をお願いして」と頼んだ。ところが時間的に遅かったために翌日の手配に なってしまったようだ。結局翌月曜日からのリハビリ開始になってしまった。
S先生のリハビリはやはり厳しい。家でのリハビリは立位訓練を除いて基本的に関節の可動域訓練なのだが、S先生の リハビリは筋力訓練が多いのだ。月曜日は肩・腕手・脚の筋力測定、僕の力のない筋力をデータ化して時系列で測定して 保存しているそうだ。ピルケーススイッチを挟む右足の親指と人差し指の挟む力も測定してもらえばよかった。 火曜日は立位訓練、軽く手足の運動をしてほぐしてもらってから立つ。脚と首に装具を着けベッドの高さをほどよく 上げてベッドサイドに座らせてもらってから3回立たせてもらった。10日ぶりに立つから膝にうまく力が入るか大いに 心配していたが思っていたより恐れていたよりすんなり立てた。ただ左右の足に重心を移してもらった時左ひざが ガクガク笑った、これが10間立ってなかった影響か。翌水曜日のリハビリは筋力訓練、脚の筋肉は車椅子に移乗する 時や立位訓練の時使っているのだろうが手や腕の筋肉(あるのかな?)はもう使う事がない。それをS先生は動かせ 動かす つもりでやれと言うのだ。脚のリハビリでもある程度負荷をかける&サポートするから可動範囲を大きくそして 最後まで力を入れて動かせと言うのだ。僕は脚を動かす時も一瞬しか力を入れる事がないから持続はかなり 厳しいのだ。けれどうまく力が入った時S先生が嬉しそうな顔をする、それを見ると僕は楽しくなってまた頑張る 気になるのだ。S先生のリハビリは僕にとって結構ハード、でも年に数回レスパイト入院の期間ぐらいはちょっと厳しい 筋肉可動訓練もありなんじゃないかと思う。翌木曜日は立位訓練、火曜日よりベッドの高さを少し低くし 立ち上がらせてもらったが火曜日より楽に立てた。左右に身体を動かしてもらって左足重心になった時にひざはまだ 笑っていたが火曜日よりましになった。これなら退院しても心配ないなあと思った。
今回の入院中の病棟の僕の受け持ちはM看護師さん、今年度になって3回入院したが3回とも受け持ち看護師が異なった。 これはこの病棟の看護師長の方針なのだろうが僕の事をほとんど知らない看護師が受け持ちになる可能性もあり入院の 度に一から信頼関係を築くのは面倒臭いし、この看護師長さんはレスパイトで入院する患者の気持ちを思いやる心は ないのかと納得がいかなかった。Mさんは今までの受け持ち看護師と違ってよく顔を出してくれた。患者にとっては 話しかける時間は取れなくても受け持ちがちょっと顔を見せてくれるだけで「気にしてくれてる」と心穏やかに なるものなのだ。とは言いながらも今回Mさんとは痒み・リハビリ・その他諸々に関してよく話した。純粋で物事を 素直に真正面に受け止めるMさん(看護師としては時には受け流す術を身に付ける必要もこれから出てくると思うが)、 12月のレスパイトの時は受け持ちじゃないのだろうな。
退院の日朝早めに経管栄養を落としそれから昼までゆっくり過ごし(11時半から始めたいと頼んでおいたが…)昼の 経管栄養を落とししばらくして着替えをしていたら迎えが来た。そして訪問看護師のIさんとヘルパーのYさんが装具を 着け(なんで?)…。誰が車椅子に移乗させるか話し合ってる?、病院の玄関を出るまでは病院のスタッフの 仕事だろうに。車椅子に座り病棟を出る、さっきまで2人の看護師が見送って?いたが今はなし。体交の時間だから 忙しいんだろうね。だけどこれが今のこの病棟の実態だ。変わったねぇ。看護師長が代わるとこうも変わるんだ。

9月17日 レスパイト前日
レスパイト前日はデータのバックアップとかやる事はいっぱいあるのだが下の息子は忙しそうで「手伝って」って 言えるような雰囲気じゃなかった。そこで今回はバックアップ作業は諦めて…何やろう。ゆっくり過ごそうか、 気持ちはゆっくりしていないけど。
今日ソフトバンクホークスのリーグ優勝が決まるかもしれないって日に福岡の放送局の番組一覧を見てもらっても ソフトバンクってワードが見当たらないらしい。福岡の放送局は特別番組を編成する力もないのかと思いながらも 午後7時過ぎになんでもIRでチャンネルを回してみたがやはりやってない。情けない。今日決めてもらわないと困る。 明日から長崎県、長崎のテレビ局はホークスの試合はめったに放送しないから。

9月16日 gacco「会計プロフェッショナル入門」見かけ上終了
gaccoのE-ラーニング講座「会計プロフェッショナル入門」一応終了、今日の午後3時に講義の最終配信があって5時間 取り組んで何とか【理解度確認クイズ】の回答送信まで一応終わった。この講義も正直よくは理解出来てはいないのに 理解度確認クイズの成績は100%、こんなんでいいのか。雑学程度に知識は増えたがどの程度会計の理解度が深まったか 大いに疑問だがまあ一応良しとしよう。

9月15日 歯が痛い
土曜日の夕方ぐらいから左下の奥歯が痛み始めた。最近の左下奥歯は違和感がある事があっても痛みが出る事は なかったのに。そして日曜・月曜と痛み続けてはいたのだが今日は幾分良くなっていた。午後からは訪問歯科、その際に よく診てもらおう。
歯科衛生士さんが来た時嫁さんに左下の奥歯が土曜日から痛んでいる事を伝えてもらい早速口の中を診てもらった。 するとやはり左下奥歯の歯茎が赤くて腫れているとの事で今週末からレスパイト入院する事を考慮に入れた様で急きょ 先生に連絡を取ってくれて先生に診てもらう事になった。しばらくすると先生が来て患部を見て奥歯と歯茎の間に 注射器で消毒液を流し込んで消毒し抗生液を流し込んでくれた。これで最低2週間痛みが治まって くれればいいのだが。

9月14日 体調落ちる
昨日の昼までどうにもなかったのにそれから体調がどんどん落ちていき夕方には気管切開部から右に左に痰がドロドロ 漏れ出るほどでどうにもならなかった。体調が悪くなるとこうなるから情けない。夜風邪予防用の漢方薬を 入れてもらったから今朝は万全とはいえないまでもかなり回復していた。けれども朝のケアでの清拭や車椅子移乗を してもらっているうちにまた体調かだんだん落ちてきてベッドに戻った時にはパソコンさえする気がなくなっていた。 ドラゴンボールZを見ながらなんとか午後8時まで持たせたがいつもより早く経管栄養を落とした。今日も漢方薬を 入れて早めに寝よう。

9月13日 gacco「会計プロフェッショナル入門」
gacco「会計プロフェッショナル入門」week3まで何とか終わった。あと1週、だけど最後の講義の配信は水曜日の 午後3時、金曜日からレスパイト入院だから最後の講義を学ぶ時間と理解度確認クイズをやる時間は1日しかない。 やれるか。
最終講義配信は別にして少し余裕が出来たからYahoo GyaOで無料アニメを楽しんだ。今のお気に入りのアニメは ドラゴンボールZ(フリーザ編)とNARUTO疾風伝(ペイン来襲編)。NARUTOがこんなに面白いとは思わなかった。

9月11日 リハビリ会議
今日は第2回リハビリ会議、今日あるであろう事は何となく風の噂で聞いていたがT先生の往診の後何かある雰囲気は なかったので???。ところが訪問看護師さん達に車椅子に座らせてもらったらぞろぞろと人が集まり始めた。そうか 今からか。
今回もリハビリ会議の進行はMちゃんで説明役はH先生、このリハビリ会議ってのは自分の状態が丸裸にされている様で あまり気分の良いもんじゃない。説明を聞いていて少し違うかなって思う個所があった。H先生は右ひざの痛みをかなり 気にしている様に感じたがひざのある角度でひざの皿の中にほんの少し痛みは出るだけ、立つ時立った状態では 右ひざに力を入れる事をかなり意識する様心掛けてはいるが。脚やひざを持ち上げた際に痛みが出るのは股関節の 前側の内側と太ももの上1/3 特に右なんだけどな。
家でリハビリ会議を開く問題点が1つ、参加者の車両が多過ぎて止め場所がない。僕がどこかに出かけるとかその日は 味兆の駐車場を借りるとか何か手段を考えないといけないな。

9月10日 どうしてかな
今日木曜日は便の日。昨夜ラキソベロン8滴を服用させてもらいそのおかげか朝のケアの時浣腸だけで珍しくすっきり 出て少し残便感は残っていたが便汁も少し出たしまあまあだった。ところが午後3時過ぎからの車椅子移乗の時間 車椅子に座らせてもらったとたんガスとともに相当量の便汁が出た。昼からは便意も全くなかったのに突然何故?。 自分の身体が情けない。考えられる事は少ししかない。台風一過急に秋めいて気温が下がり昨夜は布団1枚では寒くて 目まで覚めてしまった。昨夜腹が冷えて下痢につながったのか、それとも…。

9月8日 リハビリ(測定)
今日のリハビリは肩・腕・手の測定もプラス、右腕の万歳は事前の準備運動なしでも結構挙がったと思う。最後は肩の 過度の耐えられない所が痛み出してギブアップしたがH先生も「大分挙がる様になった」と言ってくれたし…H先生が 言うなら本物だろう。その後ちゃんとリハビリで肩を動かしてもらって万歳してもらったらもっと右手が挙がった様な 気がした。その時の痛みは肩の角ではなくて脇の筋が引っ張られるような痛み、その後肩の関節全体が痛みだした。 そろそろ限界か。一方左腕の万歳はやはり右寄り大分落ちる。人工呼吸器の回路が邪魔になってリハビリでは病院でも 自宅でも左腕を限界まで挙げる事はほとんどなかったから。H先生は左腕を挙げてくれるようになったけどそれまでも 眉ダリ腕がある程度挙がるのは訪問看護師さんみんなのおかげだろうな。左肩を動かしてもらってから腕を挙げて もらったら限界付近で左肩の角が痛み始めた。我慢に耐える事が出来ない左肩の角の痛み、肩をほぐしてもらった後 どうして左だけが痛むのだろう。
肺のリハビリの途中H先生が「今日は呼吸のタイミングがちょっと合いにくい。」と言った。それは僕も感じていた。 今日に限ってこうなったのはきっと気管のどこか片隅に痰の塊が残っていてそれが僕の呼吸を邪魔していて呼吸が 浅く早くなっているのだろう。やはり所長が帰る前に無理にでも最後の気管吸引をしてもらうべきだった、残っていたのは分かっていたのに痰が出てきた時にH先生に吸引してもらうつもりだったのだが。

9月6日 口の中が甘い
この数日口の中が甘い、経管のラコール外の中から口の中へ上がってきているのかな。塩水を口から飲んで?も どうにも甘いのは治らなかった。そこでレモン水を塩水に入れたらよくならないかって僕は思いついた。そして 嫁さんにレモン水入りの塩水を飲ませてもらった。これで口の中の甘みがどうなるかは分からないが少しは効き目が あるといいな。それにしてもここ数日何となく気力が出ない、もしかして夏バテ?。こんな事今までなかったからよく 分からないが…。なんかつまらないなあ。この2-3日モモが折角僕の脚の間で寝てくれるのに、なあリン。

9月4日 通院日
今日は通院日、3週間ぶりに外に出て日差しを浴びたらまだ暑かった。リフト車の窓から外を見ると田んぼが見えた。 そろそろ稲穂が出てきているみたい。台風15号で稲が倒れなかったのはまだ稲穂が出ていなかったからだろうな。もう 半月ひと月もするとお百姓さんは大忙し…でも羨ましい。
病院に着きリフト車から下りていると後ろの方からO看護師の声が聞こえて…それだけで安堵する僕って何?。 車椅子からストレッチャーに移りバイタル測定、血圧と脈が少し高め 何故?。しばらくすると主治医が来て 「レスパイトいつに決まったの?、その時に調べて欲しい事はなーい?。」、嫁さんは「ありません」と答えたが 僕には気になる事が。またメールしよう。それから診察とカニューレ交換そして帰路。最近気温の変化について いけてないのか通院した後だるさが残る。これも加齢それとも気分的なもの?。

9月2日 入浴車
午後一に入浴車、今日のスタッフの中の看護師さんはA&Yさん、このコンビ久しぶり。Aさん腰は良くなったのかな。 浴槽に入ったら初めは熱いと感じていたがすぐに丁度良くなった、もうそんな時期になったのか。そういえばヒグラシ (ツクツクボウシ)も鳴いていたしもう秋はすぐそこまで来てるか。お風呂もだんだん温まって出なくちゃいけなく なったしもう9月だな。でも今日のコンビ久しぶりで嬉しかった。

9月1日 もう9月かぁ
今日から9月、今年ももう8ヵ月が過ぎてしまった。早いもんだ。身体に大きな変化はみられないが小さな変化は ちょくちょくある。@コールを押すのにいつも必死A立った時右膝に力を入れるよう意識しなければならなくなった B膝を持ちあげられた時の股関節(内側)と太もも上部の痛み等々、加齢による筋力の低下・股関節の軟骨の摩り減りなど 考えたくもない。病気に耐えてわずかに残った筋肉・可動域なのに。特にBの右側が深刻だ、痛みが少しずつ強くなって きている。やはり18日からのレスパイト入院の時に診てもらうべきか。
今日は車椅子移乗から続けて上半身のリハビリの日、車椅子からベッドに移乗させてくれるのはNさん、最近つとに 上手くなって安定してきた。先週の下半身のリハビリの日の立位訓練の時とやり方を比べてみた。そしたらNさんの 足の位置が全然違っていて先週のNさんの足の位置は僕の両ひざを挟むような位置、今日のNさんの足の位置は片足が 僕の間。やはり今日の方が立ち易かった、こっちの方が合ってる。ベッドに戻ったら今度はH先生のリハビリ、なんか 久しぶりって気がする。手も前の様にギリギリまで万歳出来ている様な気がするし楽しかった。肺も肋骨の上の方を 押した方がよく入ってるとの事だし肋骨がもっと動く様になればいいな。


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8月
8月31日 アクシデント?
昼の車椅子移乗、月曜日の車椅子移乗は訪問看護師が前の訪問先の都合で遅れる事が多いから僕もそのつもりでいつも パソコンで外で自動車の着く音がするまで遊んでいる。今日は3時20分前に看護師のIさんが到着、脚のマッサージをし 脚の装具を着けて相棒の到着を待った。だが相棒の看護師さんがなかなか来ない。所長が着いた時にはもう45分を 回っていて車椅子に座った時にはもう4時近かった。それにしても今日の所長は出先で何かあったらしく少し イラついていたなあ。
ベッドに戻る時間を4時50分として所長は用事を済ましてくるとIさんは事務所に戻ってくると出て行った。そして 45分頃Iさんが戻って来てベッドへの移乗準備、でも所長は用事が長引いている様で来る気配が見えない。僕の方も 今日は体調が良くなかったのか5時10分過ぎに座位に耐えられなくなった。そこで嫁さんに手伝ってもらって2人で ベッドへ移乗してもらった。しかし嫁さんが移乗になれていなかったのでIさんに苦労を掛けた。その後しばらく マッサージと雑談、Iさん今日は一日お世話になりました。

8月30日 リンの油絵 2枚目
昨日リンの2枚目の絵が届いた。今朝の経管栄養の時に嫁さんに見せてもらった。僕が送った写真通りきりっとした 立ち姿のリン、どうだって恰好で陽の光の中で外をにらんでいる?。リンは外を眺めるのが大好きだった。嫁さんは 「ちょっと痩せてる」とか「目の緑がちょっと薄い」って言ってたけどほぼ写真通り、僕も前脚の二の腕がちょっと 細いかと思ったけどバランスはとっても良い。目は1枚目がとっても印象的過ぎたから…。
リンが死んでしまった事に僕は今でも納得がいっていない、うちのリンがなぜ…って今でも思う。僕は今でも時々 リンに話しかける、以前と同じでリンの返事は聞こえてこないけど。リンは向こうで義母と楽しく遊んでいるのかな。 いつかはそのうちそっちに行くから一緒に遊んでよね。もう僕の役割も終盤、どうせもう子夫親何も出来る気がない。 僕はまだ必要?、リン。

8月28日 往診
今日は僕の我が町でのかかりつけ医T先生の往診の日、午後2時ちょうどに先生が来てまず血圧とSpO2の測定。それから 肺の聴診と胃ろうガーゼの交換そしてカニューレ交換、いつもはこれで終わりなのなのだが昨日からチン○も 腫れてるらしくT先生に診てもらう事に、でもT先生もこんな症状は見た事ないと。僕が痛くはないけど回りが痒いと 言ったものだから何かにかぶれている可能性も考えられるのでひとまず刺激の少ない軽い塗り薬から効果を 試してみましょうかと。僕自身は見えないのでどのあたりがどう腫れているのか分からない。個人的にはこんなに 騒ぐほど大事だとは思わないのだが。

8月26日 リハビリ
今日のリハビリは急きょH先生が休みでNさんが1人で担当、という訳で今日は歩行訓練?はなしで立位訓練。最近 火曜日の車椅子からベッドへの移乗時のNさんでの立ち上がりの仕方がとっても調子が良かったので、立位訓練の時に 難易度を上げてベッドの高さを車椅子並みに下げてみたら立てなかった。でも僕が立てなかったのはそれだけでは ないと思う。立つ時に僕の両ひざを両側から押さえられたら僕の脚が内またになり両ひざとも力が入らなくなるのだ。 そうなると力のある男性の大人じゃないと僕を中ひざから立ち上がらせられない。Nさんが車椅子から僕を 立ち上がらせる時の足の位置はこうじゃないのに。

8月24日 脚の装具修正完了
脚の装具の修正は早くとも明日まではかかると思っていたが昼過ぎ嫁さんが近くの整形外科病院?から(約束通り???) 取ってきてくれた。朝のケアの時に所長(珍しく今日は担当)にスライドシートでの車椅子移乗を依頼してたのに 無駄になった。そして午後の車椅子移乗の時間実際に脚の装具を着けてみたら着ける時ずっと楽になった。ただ右踵に 少し違和感を感じたが…気のせいだったのかもしれない。

8月22日 スライドシートで車椅子移乗
昨日(金曜日)の夕方装具屋さんが来て脚の装具のふくらはぎの部分の幅を広げるために持って帰った、いつの間にか 僕の脚が浮腫で膨れ上がり装具を着けた後に脚にひどい型がくっきりとついてしまうらしい。まあその修正のために 装具屋さんに来てもらったのだが。これで装具が修正しあがるまでの数日間は車椅子移乗はスライドシートを使うしか ないな。
土曜日、今日の午後の車椅子移乗の担当は看護師のIさんとヘルパーのKさん。ベッドから車椅子への寝たままの移乗は 家族にやってもらった事はあるが基本3人でやってもらっていた。スライドシートがあるとはいえ2人でどうやったら 移乗出来るのか考えてみた。そしてタオルケットとスライドシートを重ねて身体全体の下に敷いたらどうだろうと 思った。あとはIさんが上手くやってくれた。まずベッドの端まで移動し先に上半身を車椅子にスライドさせてそれから 下半身、スライドシートを抜いて背もたれを起こして座位の完成。すごく上手くいった。感心。

8月21日 gacco「いまさらのITの基本」一応終了
今朝gacco「いまさらのITの基本」の最終テストを送信した。知らないIT用語がいっぱい出てきてあんなに講義の内容が 分からなかったのに成績はなんと100%、矛盾してる。この講義のテスト全般がきっと理解し易い問題だったのだろう。 後は字幕をまとめればこの「いまさらのITの基本」の講義ももう一応終了。こんなんでいいのかなあ、ほとんど 理解出来ていないのに。

8月19日 リハビリ&入浴車
今日上の息子も帰っていった、サークルの用事が出来たという。息子も大学生活を謳歌している様だ。それにしても 息子は家に帰ってきて何をしたのか。家に帰ってきたに豪雨にあって風邪を引いた息子は帰ってきてからずっと自分の 部屋に居た様だ。それじゃ家にいても楽しくないだろう。向こうが良いはずだなあ。
午前10時過ぎから下半身のリハビリ、まずはNさんの下半身の可動域訓練。やはり股関節稼働の時ふくらはぎの後ろの ひざにつながる筋が突っ張って結構痛い、よく筋を伸ばしてもらっているんだなって思う。それから足の指・足の甲・ 足首を伸ばしてもらってから脚の装具を着けてもらっているところにH先生が来た。そしてH先生による立位・歩行? 訓練、今日も調子がまあ良かったからベッドに戻った時に「もう少し距離を伸ばしてみましょうか?」と、僕は少し 不安もあったがもちろんOK。
午後一に入浴車、今日の入浴車担当の看護師の中に久しぶりにEY君がいた。EY君に先週女の子が生まれたとの事、 おめでとう。
入浴車とEY君の組み合わせ、久しぶりで嬉しい。今日は僕の入浴にあまり回数を重ねていないスタッフがほとんどで コントロールに少し苦労していたように見えた。まあ僕は美味しいお風呂に入れればそれで良かった。それにしても お風呂の後の塩水(極薄目)が最近とっても美味いなあ。

8月18日 一八夜
今日は我が地区(部落)の夏祭り一八夜の日、昔は旧我が町最大の祭で大人も子供もみんなが楽しみにしていたのたが。 最近の我が家は一八夜を楽しむ者も楽しむ雰囲気ももう無くなった。ただ僕は毎年この日を待っている。出来れば もう一度龍泉寺の境内で浮立・宿若(小規模なナイアガラ?)・じゃーもん・打ち上げ花火らを見たいな。出来れば夜外で 保育園の裏の道で龍泉寺あたりを眺めて見たいな。難しいか。

8月17日 右膝がもう一つ
たった三日間で娘は帰っていった。娘は何をしに家に帰ってきたのか?、もしかして僕に会いに来てくれたのかも。 まさかね。
車椅子からベッドに移乗してもらう時に感じた事がある。それは訪問看護師さんに脇を中心にして身体を車椅子から 持ち上げてもらい支えてもらって立ち上がる時に左ひざに比べて右ひざを伸ばすタイミングがかなり遅れてしまう 事を。やはり右ひざは弱っている。これじゃあ立ち上がる時右ひざをかなり意識して力を入れる様にしなければ 移乗の時看護師さんやヘルパーさんに迷惑をかける。頑張らねば。

8月15日 子どもたち勢揃い
夏休み(試験休み)で久しぶりに子どもたち勢揃い、子どもたちはなかなか僕の所へは来てくれないしいつもとそう 変わらないがやはり嬉しいものだ。長男は昔の僕と同じ様に実家にいる方がくいっぱぐれの心配はないと思っての 事だろうが娘の場合は何の目的で返ってきたのかがよく分からない。僕は実家でも祭・祇園巡りという楽しみもあったが 娘はどうも向うの方が楽しいらしい。仕方ないなあ。

8月14日 通院日
今日は通院日、外に出たらとっても暑い。それにとっても眠かった。だからリフト車の車窓からの風景も見る気にも ほとんどならなかった、体調が少し思わしくなかった事もあるけど。ただ田んぼの稲の青々と風になびく景色だけは 見えたけど。
病院に着くと救急処置室の扉が少し開いていたので外来の看護師さんたちが待っていると思っていたが看護師さんが 慌てて「救急2号室に入って」と言いに来た。処置室に入ってまずは吸引そしてバイタル、そしたらもう主治医の先生が 現れてすぐに診察と処置(カニューレ交換)をしてくださった。そして雑談、次のレスパイト入院は9月18日からそれと コミケンフォーラムの事も少し話した。そして帰路へ、今日はとっても早かったなあ。

8月12日 リハビリ(下半身)
水曜日の午前中は下半身のリハビリ、どうやら最近下半身のリハビリの可動域訓練の方針が変わった様だ。Nさんの 股関節のリハビリもここ2-3週間厳しい、太ももの後ろの膝関節側の筋がよく伸びているのは分かるのだが休む暇が ほとんどないのがきつい。まあこういうのがリハビリだろう、病院のS理学療法士先生の筋力訓練もある意味同じ様な もんだしな。ある意味楽しい、かな。
Nさんの脚の可動域訓練の後はH先生の立位・歩行訓練、今日は軸足に重心を置くだけではなく後ろ足の指にも力を 入れる様に心がけた。それが良かったのかただ単に体調が良かったのか今日の歩行?はかなり(自分では)上手くいった。 何だか嬉しい。

8月11日 リハビリ(上半身)
今日は久しぶりにH先生のリハビリ、その前にNさんの車椅子移乗でH先生のお墨付き。すごい、僕もNさんの車椅子からベッドへの移乗は最近安定感もあるしずい分上手くなったと思う。さてH先生の上半身のリハビリは今日は右肩を 動かしてもらってもらっても限界近くになるまで痛みはあまり感じなかった、不思議だった。左肩を動かして もらっても横方向からの腕上げはいつもの部位肩の上隅が痛んだけれど真上方向に腕を挙げるのは途中までは少ししか 痛みを感じなかった。日によってリハビリによる肩の痛みが違うのは何故だろう。

8月9日 gacco「いまさらのITの基本」取組中
僕はある程度はパソコンは使えるがITについてはほとんど何も知らない。退院してから久しぶりにgaccoの募集中講座を 覗いてみたら今の僕にひったりのものがあった、「いまさらのITの基本」。先週の日曜日からやってはみたが知らない 用語が多過ぎて基本と名がついているのに結構難しい。1週目は何とかこなせたがこの2週目は講義動画を1回 見たぐらいではさっぱり分からん。それに講義も長いし多いし1週分で2時間近くもある。これは本気で頑張らないと こなせそうもない。合格点まで何とかやらねばね!。

8月8日 久しぶり
今日今年の3月まで病棟で僕の受け持ち看護師だったTさんが結婚式を挙げた。おめでとう。
午後の車椅子移乗に来たのは看護師のFさんとヘルパーのIちゃん、Iちゃんが午後の車椅子移乗に来たのは久しぶり。 Iちゃん自身は「やり方を忘れたかも」と心配していたが心配無用だった。脚の装具もすんなり着けたし移乗補助も 安心だった。やっぱりIちゃんは久しぶりでも上手いなあ。ただ車椅子に座った後の左脚の装具の緩め方が緩すぎて 外れるかも?と一瞬思ったが。ついでに2人に甘えて色々頼み事、申し訳ない。

8月6日 広島
70年前の今日広島に原爆が落ちた、落とされた。米国は未だに「戦争終結のために原爆を落とした」と言い張る。 原爆で日本のポツダム宣言受諾が早まった事は認めよう。しかし民間人をこんなに多く殺す必要はなかったはずだ。 当時の米国首脳がウラン型とプルトニュウム型原爆の実験をしたかったのは明らかだ。必要のない多くの殺人を犯した 罪は認めて欲しい。
今から40年近く前僕は4年間広島に住んでいた。大学の同級生の中に被爆二世もいた。それなのに被爆地広島市という 地にはほとんど興味を示した事はなかった。広島平和記念資料館に一度も行った事はないし8月6日の元安川の 灯篭流しも見たのはたぶん一度だけ。今思うと情けない、もっと平和に関して真剣に取り組んでおけばよかった。

8月4日 訪問歯科
毎週火曜日の午後2時は訪問歯科の日、歯科衛生士さんが毎週来て口の中を清潔にしてくれる。最近は左下の奥歯も 痛む事はなくなったしありがとうございます。
今日の昼過ぎ連絡あった「今日は先生が同行する」と。やがて先生が到着し診察と処置、右上の奥歯?の歯垢ポケットと 左下奥歯の内側の歯石を気にしてた。そして先生は長年の懸念事項左下奥歯の内側の歯石取りに取り組み始めた。 歯科の先生や歯科衛生士さんが長年取り組んできた歯石、これまでちょっとずつしか削れなかった歯石どうなるかなと 思っていたが…噛んだら奥歯の所で何かがガサリ、先生が取って見せてくれたら大きな歯石(長さ15mm×厚み2-3mm)が。 いつの間に取れたのだろう。でもこんなに大きな歯石が取れたからか気分すっきり。
訪問歯科の後飲んだ超薄目の塩水がとっても上手かった。

8月4日 リハビリ
H先生が夏休みという事で今日と明日のリハビリはNさんが一人で担当、でも胸のリハビリがないだけでそれほど 支障があるとは思えない。ただNさんが1週間の入院の動向をどう見るか、まあ先週病院で立たせてもらったし土曜日と 月曜日の車椅子移乗の時に立てから立つのは大丈夫だとは思うけど。
Nさんの出番は車椅子からベッドに移る時から、Nさんの車椅子からの立たせ方は最近安定感がある。今日も最初は力が いったようだが立った後は僕の立ち方が安定するまで待っていてくれたし今日の上半身のリハビリも変に痛くなる事は なかった、僕の顔を見ていない瞬間が少しあったけど。まだ2年目だというのにたいしたもんだ。

8月3日 フレッツ光に替えたはずなのだけど
退院した金曜日フレッツ光ネクストの開通工事が入った。その日からインターネット環境が随分改善するんだろうなと 少しは期待していたのだがそうでもなかった。ネットが完全に切れる事はなくなったが夕方5時〜8時までしょっちゅう 止まる。これではフレッツADSLの方がましだったとしばしば思う。でもまあこんなもんだろうなあ。

8月1日 体調上向き?
自分の部屋に戻って自分の部屋の環境に体調を合わせられずに昨夜は体調が悪くて…、我が身体ながら全く情けない。 一夜寝た今日も体調が戻っていなくて午前中は痰が気管切開部の右・下からじゃぶじゃぶ漏れて、でも朝のケアの最後に エアコンを風量(下から2)と風向(自動)に調整してもらったら体調が少しずつ戻ってきた。そして車椅子に座るまでは 不思議な事に痰の横漏れはなかった、室温とエアコンと掛け物の調整が上手くあったのかな。このまま調整が上手く いって体調が上向けばいいな。


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7月
7月24日〜31日 レスパイト入院
今日(24日)から1週間の予定でレスパイト入院、10時半過ぎに病院に着くと寒い。病棟に行くと準備万端既に用意が 出来ていてすぐにベッドに横になれてナースコール用のスイッチがオーバーテーブルの底の梁に取り付けられた。 右足の甲で蹴りあげると無事開通、これでひとまず安心。
またこの病棟からベテランの看護師が減った。寂しいものだ。どうしてこの病棟はベテランをこんなにしょっちゅう 減らすのだろう、今この病棟の看護師の平均年齢は30歳以下かもしれない。こんなに若返ったら突発的な事故や 新人教育に支障が出ないのか心配なとこもある…かな。
初日は心電図と胸のレントゲンの検査を受けた。そして月曜日に血液検査、その数値に少し異常値があった様で 19年ぶりの蓄尿(胃ろうと気管切開した時に導尿した事があったからその時蓄尿したかもしれないけど)、そして 木曜日に再び血液検査、血糖値が少し?高かったから精密検査に出したと主治医から説明があった。検査結果は次の 通院の時に説明するとの事、緊急を要する数値ではなかったかもしれないと思う事にした。それにしても蓄尿と 聞いただけでおもらししてはいけないと緊張するなんて情けないなあ。
リハビリは今回は月曜日から木曜日まで、月水は関節の可動・筋力訓練・火木は可動と立つ訓練それに立ってから 車椅子移乗。やっぱりS先生のリハビリはきつい、日ごろ動くと思っていなかった筋肉を動かせと言うから。それに 左足がどんどんむくんでいる事が分かったから左足の動く部位を動かそうと毎日努めた、少しは違うかな。
水曜日の夜何年振りかに発熱、38℃、腰が程々に痛くて膝下がだるくて息苦しくなった。僕は37.5℃を越えると 息苦しくなるのだ。病院が寒いのは分かっていたのに油断した。前兆はあった、月曜火曜とおしっこが近くて量も 多かった。身体が寒がってるのに気付いたのは水曜日の未明、家から持ってきた薄手の布団を追加してもらった。 朝から肺が少しきつい感じがしてた。でも夕方までは何とかいつも通り過ごせた。しかし夜になって熱が出た。 この日の夜勤の僕の病室の担当はK副さん、息苦しくて上手く文字盤が使えず迷惑をかけた。申し訳なかった。 久し振りの発熱だからこの病棟に僕の発熱を経験している看護師さんはほとんどいなくなった。それも寂しい。
退院の日迎えは午後1時半だから結構忙しい。朝はいつもより早く経管栄養を落とし浣腸をしてもらって大便処理をし 11時半から昼の経管栄養を落とす。それが終わって着替えをしてもらってちょっとゆっくりしているところへ迎えの 訪問看護師さん・ヘルパーさんの顔が見えた。それから車椅子に座らせてもらって病棟を出た。廊下に出ると空気が 生ぬるかった、1週間前ここを通った時には寒いと感じてたのに。玄関まで行くと自動ドアが開いた時に熱風が 入ってきた。外に出たらこんなに暑いのか。
家に着いたら…部屋は意外と寒かった、なんで。この部屋の環境に体調を鳴らすのにまたひと苦労入りそうだ。

7月23日 NTTの対応にイライラ
今回フレッツ光が旧我が町でも開設する事になってその契約の事でNTTの対応に振り回されてイライラしっぱなし。 初めからbiglobeありきの契約の進め方、僕が「今のメールアドレスをそのまま使いたい」と暗にプロバイダーを二つ 持つ必要はないはずとの意味を込めて言うと、「契約すると(biglobeを経由して)今のアドレスをそのまま使うやり方も ありますよ。」とあくまでもbiglobeを貫く姿勢。あの時普通の契約に切り替えてくれたらこんなに悶々とせずに 済んだのに。もう面倒臭くなってその内biglobeの解約してもうまく繋がらせる方法を考えたらいいやと承知した。
インターネットでフレッツ光の事を色々調べて今契約しているプロバイダー(SNI)にフレッツ光ネクスト隼に変わる事も メールで連絡し今までのいきさつに合わせて「光モデムをどうやって入手するか・インターネット接続設定のやり方 (SNIの隼対応インターネット利用開始通知書は入手済み)を教えてください」とNTTのWebサイトで問い合わせしたら 一昨日電話がかかってきて…、嫁さんの機嫌が悪くなるし…、ネットで問い合わせしたらメールで解答するのが 普通だろう。その上NTTのWebサイトの中に記載されている「セットアップサービス」を電話をかけてきた担当の人が 「そんなサービスはない」と。腹が立って「セットアップサービスは地域によってある所とない所があるのか」そして 「セットアップサービスをしてくれるところに対する連絡手段を教えて欲しい」とその日(一昨日)の内にまたネットで 問い合わせしたら、今日電話がかかって来て「7月31日なら開設工事とセットアップサービスが出来る」と。嫁さんに 「内容をメールで入れて」と言ってもらった。
僕はどうせ入力スピードが遅いからフレッツADSLでも構わなかったのだけれど子ども達が「遅い」って言っていたのを 思い出してフレッツ光への乗り換えを決心した。だけどこんなに面倒臭いのが最初から分かっていたら…。

7月22日 リハビリ
午前10時過ぎから下半身のリハビリ。脚を持ち上げてもらったり膝を曲げてもらったりすると最初の内は相変わらず 太ももが痛い。それどころか痛みが日が経つにつれて強くなってきている様な気がする。どうしたものか。
最初はNさんの下半身(股関節・膝・足首・指)の可動訓練、この頃Nさんの力が強くなってきている様な気がするのは 気のせいか。次はH先生の起立・歩行訓練、今日の歩行訓練は片足重心になった時の体重移動が比較的上手くいった。 これで後ろ足の親指に同時に力を入れれれば(親指で蹴れれれば)形はかなり歩行している様に見える様になるかなと 思うのだが同時に力は僕には難しい、H先生のおっしゃるように膝折れはしょうがない。(歩行訓練と言ってもH先生に 身体を全面的に支えてもらって交互に足も出してもらって数歩歩くだけなのだが。)
自発呼吸はベッドに寝ている時よりも立っている時が楽、立っている時よりも歩行訓練している時の方が長くなる。 肺の後ろが押さえつけられていないとか肺の可動範囲が広くなるとかあって肺がいつもよりよく広く 動いているのだろう。

7月20日 海の日
朝からお袋が大声を上げていた、「今日は何の祝日で休みなの?」と。それほど浸透していない祝日「海の日」。
祝日は訪問看護が休み、だからヘルパーさん2人に洗顔・清拭の対応をしてもらう事になる。だけど月曜日は 「大便処置」の日、まず嫁さんに浣腸・摘便(昨夜下剤服用)をしてもらって大便が出たところでヘルパーさんに バトンタッチ、洗顔の時にはもう1人のヘルパーさんに脚を軽くマッサージしてもらったりして…2人とも大分僕の ケアに慣れているから何の問題もなくケア終了。望むらくは社協のこのヘルパーさんが痰の吸引までしてくれたらと、 でもこの地域の介護は売り手?市場、介護事業所の責任者はリスクの多いところまでヘルパーを生かせる必要はないって 思っているんだろうね。

7月19日 フレッツ光 契約書
嫁さんにフレッツ光の契約書の確認をしてくれと頼まれたが書類が多すぎてよく分からなかった。後に残ったのは何故 biglobeを経由しなればならなのかという疑問だけ。あの時は今のメールアドレスがそのまま使える(数百円の費用発生) と聞いて安心したのと勢いに押されて&面倒臭かったので承知したが、後でゆっくり考えるとbiglobeを経由するだけ 当然余計な費用が発生する事になる。インターネット検索でフレッツ光について色々検索して調べてみたら biglobeなしでもいけそう、機器は開設工事の時にNTTがホームゲートウェイ?までは設置してくれるから後でbiglobeを 解約するとして誰にホームゲートウェイ?のインターネット接続設定をしてもらうか。僕が自分で出来ればいいのだが 設置場所が下の息子の部屋なので行けないし、下の息子が有力候補なのだが面倒くさがるだろうし忙しそうなので 説得するのが大変そう…、NTTの設定サービスを使うかな。

7月17日 体調落ちる
昨日今日と台風の接近・上陸・通過にともなってか急に寒くなった。今日の昼前まではどうも感じていなかったのだが この寒さ(室温23℃)に身体がうまく対応出来なかった様で昼過ぎから少しずつ寒気がしてきた。寒気がした時にはもう この身体は遅い、この身体は温度調整機能が鈍くなっていてタイムリーに寒暖が感じきれなくなっているから。 車椅子からベッドに戻った時には鼻水たらりとくしゃみの連続、体調は完全に落ちた。こんな時は風邪予防の漢方薬を 服用して寝てしまおう。

7月16日 訪問看護S N
今日の訪問看護はNの入る日、木曜日の朝のケア(便介助)の担当看護師はいつものFさんで昼からの車椅子移乗の担当は 主任のOさんそれぞれ1人、訪問看護S nが僕の所に入るようになってから9ヵ月目になるが朝も昼も訪問看護師さんが 1人で来るのはたぶん初めてなんじゃないかな。でも朝も昼も全然支障はなかった。それならもう朝も昼もケアは1人の 看護師さん+ヘルパーさんでいいのにと思うのだが。ただ後からNに加わったKさんの立ち位置がよく分からない。僕に 対するKさんの訪問看護 どうしたいのかな。

7月14日 車椅子、やり直し
昨日今日と車椅子に座る時に訪問看護師さんが今までの車椅子を持ってくる。土曜日の試乗で所長がこの新しい 車椅子は僕には無理 合わないと判断したのかもしれない。頚が痛くなったり息苦しくなったりする車椅子は確かに 無理だ。僕は座面から背もたれの(頭の)先までフラットに(近く)する事が出来て座面の高さが高めで座面の奥行が 長めで背もたれの長さが僕の座高に会う車椅子(つまり今の車椅子の後継マイナーチェンジ)を求めているだけなのに、 それがそんなに難しいこと!。なんかメーカーが車椅子の値段(介護保険のレンタル料)を高くするために構造を複雑に している様な気がする。僕はもっとシンプルな車椅子でいいのにな。

7月12日 友きたる
以前お盆(我が町は7月盆)に帰ってくる予定だから遊びに来るとメールがあった。その中学・高校と同じ学校に通った 同級生Fが遊びに来てくれた。半年ぶりの再会、Fも元気そうで良かった。
会うと相変わらず昔話、共通の話題がまあそれしかないから仕方ないな。それ以外はつい病気の話になってしまう。 「僕らがこんな病気になったのは若い頃に酒を飲み過ぎたからだ。」とFが言った。確かにそれもあるかもしれない。 20代30代は公私にわたり酒をよくよく飲んだ。飲酒運転に対する意識も低かった。もし僕がこんな病気になって いなかったらひどい交通事故を起こしていた可能性もある。酒を飲み過ぎた遊び過ぎたしっぺ返し…。
それにだれだれが亡くなったという話も聞いた、結構いるがもう57歳 そんな時期かも。いつも同じ様な話に なってしまうが会えるだけでそれだけでとっても嬉しいしそして楽しかった。会いに来てくれてありがとうね。 またね。

7月11日 合わない車椅子に無理やり身体を合わせてる感じ
今日は久しぶりに所長が担当、昼からの車椅子移乗の時間新しい車椅子を試すという。水曜日にH先生とNさんに新しい 車椅子に座らせてもらった時に背中に3cmくらいの枕を入れてその上背もたれに頭を付けたらようやく首が頭の重さに 耐えられる様になった事を伝えようとしたが…。
新しい車椅子に座る前に所長にこの車椅子をよーく見せてもらうと背もたれの上の部分10-15cmが真っ直ぐ(180°)では なくて150°ぐらいに前に倒れてる。ここが肩に当たるのか、僕の場合座面をかさ上げするからなおさらだ。そして 所長から座面の奥行が短くて(吸引した時に)ずり落ちる危険があるからクッションはしないとの指摘、これじゃあ 背中に枕を当てるなんてとんでもない話だ。座ってみると頭が背もたれに付いてないし首の角度が良くないから案の定 少々調整しても首が頭の重みに1時間耐えられそうもない。その上体勢が悪くて息苦しい。そう所長に伝えたら今までの 車椅子に座りかえさせてくれた。もしこれと同じタイプの車椅子を使うとすれば座面がもう5cm?高くて座面の奥行が あと5cm長くて背もたれが10cmは長くなくちゃ座れないな。だいたいこの車椅子の背もたれなんで真っ直ぐじゃ ないんだろう。合わない車椅子に無理やり調整して身体を合わせようとしても時間が経つと身体に無理が来るなあ。

7月10日 糸島海岸線ドライブ
今日は所長が前々から進めてくれていた糸島ドライブの日、いつもより早く朝6時半から経管栄養を落とし始めて 準備をしていたのだが訪問看護師さんたちがなかなか来ない、今回出発時間を聞かなかったのが失敗だった。
10時半過ぎに訪問看護師さん(所長&Fさん)が来て外出準備、11時過ぎに部屋を出た。外は晴天 絶好のドライブ日和。 国道202号線を北上し伊万里市南波多谷口ICから西九州自動車道(唐津伊万里道路)に乗った。二丈-浜玉道路を出るまで ほとんどどこを走ってるか分からなかった。どこかで国道202の上を横切ったはずなのにそれさえも分からなかった、 ただ鏡山の南を走っているだろう事は予想がついた。加布里から国道202を東行、しばらくして左折糸島半島の海沿いの 道に入った。時々運転中の所長がバックミラーを通して僕を見る、その顔が「行きたい所はこの道でいいの?」と 尋ねているような気がしたが僕は知らん顔、だって僕が糸島の海に来たのは全て福岡からで今のこの道は通った事が なかったから。それても海が見えなくなってしばらくしたら不安になって「ここの地名は何?」って聞いたら「芥屋。」との返事、第一の目的地はすぐそこだった。
まずは芥屋海水浴場、ここには真ん中の息子が生まれた年?(19年?前)に家族で海水浴に来たのだが昔の面影や情緒は ほとんどなかった。食堂や民宿は取り壊されて海の家を作るための?更地になっていた。商売に走った結果だろうが僕は 個人的に昔の雰囲気の方が好きだった。所長が車椅子を押しFさんが呼吸器を持って波の見えるところまで(嫁さんは 写真を担当)、砂地だから所長僕の車椅子を押すの大変だっただろう、すみません。向こう(東)の方に芥屋の大門が 見えた。この時点で午後3時までに家に帰る事を断念、所長が往診中止のお願いをかかりつけ医のT先生に連絡して くれた。そこで「芥屋の大門に行きたい」とおねだりした。
芥屋の大門、20代の頃夏になると一人でよく遊びに来ていた。(たぶん)山全体が玄武岩の柱状節理で出来ている、 呼子の七ツ釜と同じという事で興味を引いたのかな。しかし僕の本命は別のところ、大門の西裾に松林があって その松林の向こうには砂浜が広がっている。誰もいない砂浜、海を独り占めしている気がしてた。前日から500mlの ビールを冷凍庫で凍らせてそれを持って10時頃アパートを出る。途中のコンビニで弁当やお菓子・飲み物を買って芥屋の 大門へ行く。浜辺に着くとまずひと泳ぎ、それから大門脇の岩場でみなをとって醤油で煮てつまみの完成、冷たい ビールを飲み弁当を食って身体を焼きながらひと休み。夕方まで泳ぎ→みな取り→休憩を繰り返し日の入り頃に帰路に 着く、これがいつもの行程だった。残念ながら今は大門のすぐ横にあった駐車場まで自動車は入れなくなっていたので 嫁さんに写真を頼んだ。あの秘密の浜辺から海 玄界灘を眺めたかったが…、しょうがなかった。
次の目的地は二見ヶ浦、ここからの道は30年も前によく通った道、だいたいどのあたりを通っているかは頭の中の 地図にナピゲーとされるだが風景に全く見覚えがないのが寂しかった。芥屋ゴルフ倶楽部の横の道を通った時に サーファーがうろちょろ、この辺りの海岸は今は福岡近隣サーファーのメッカになってるのかもと思ったりして。道は 一時海岸線を離れ再び海岸線へ、もうすぐ二見ヶ浦。
二見ヶ浦、僕が若かりし頃福岡で一番きれいと思った海、僕の最も好きな海の一つだった。ここには僕はいつも同期の 数人と一緒に来ていた。僕の若かりし頃の福岡での思い出の海はいくつかあるが二見ヶ浦はその中の一つだった。昔は そこいらの空き地だった土地が今ではシャワールームを備えた駐車場になっていた。そこにリフト車を止めて車椅子を 下りて看護師さんたちに車椅子を押してもらって道を渡って展望所(昔はただの土手だったのに)に立って夫婦岩や 波際・海を眺めた。若かりし頃の思い出が次々に頭の中を駆け回った。この風景 とっても懐かしい。ただ鳥居辺りから 左側に大きな石がゴロゴロ、昔こんなのあったかな。みんなの帽子が飛ぶほど海風が強かった…、陽射しと海風が肌に あたってとっても気持ち良かった。
二見ヶ浦を後にし今福に向かって海岸線を南下帰路に着いた。途中遅くなった昼食をとろうとコンビニを捜したが 見つからず、その間小田の海岸(同期のMとよく来た)・大原海水浴場(福岡に来て最初に行った海水浴場、波静かな砂浜で 面白くなかった)・海釣り公園を通り過ぎたところでようやく見つかった。そこでみんなは昼食、僕は嫁さんに楽のみで 水分補給をしてもらった。僕にとっては久々に口かたくさん?水分をとったのでお腹いっぱい、少し苦しかったので 背もたれは倒したままにしていた。そしてまた出発、背もたれを倒していたから景色が良く見える様になった。 今津大橋を渡って今福に入った。このまままっすぐ行けば西九州自動車道に当たるはず、そこを右折して自動車道に 沿って走れば前原バイパスに乗れる。今津大橋も僕の思い出の一つ、カブトガニと出会ったところ…。
自動車道沿いに走ってて驚いたのは沿線にずっと家や建物がいっぱいだった事、昔は田んぼの中の一本道だったのに。 こんなにも発展したんだと。二丈-浜玉道路ではどこで唐津道路と分岐するのか興味があってずっと見てた。たぶん 鹿家?トンネルを抜けるとすぐに分岐した様だ。そして予想通り鏡山の南側を通り松浦川が合流する辺りで国道202号を 横切り北波多に入っていった。確かに時間は短縮されそうだが景色は面白くない高規格道路だ。谷口ICで下りて 国道202号を北上、20年ぐらい前まで何十回も通った道なのにところどころ見覚えがなかった、寂しい&情けない。 6時頃帰宅、着替えをすませ訪問看護師さん3人は戻っていった。お疲れ様でした。
二見ヶ浦を出てしばらくした頃から両ひざが痛くなってきた。コンビニで脚の装具を外してもらって脚を上げひざを 伸ばしてもらったらひざの痛みが軽くなった。その後も移動中にFさんがひざをもんでくれていたし運転を代わった後は 所長が脚を動かしてくれたからずいぶん楽になった。こんな風に臨機応変に対応してくれるのが訪問看護の良い ところだろう。ありがとうございます。
今日は一日本当に愉しかった。訪問看護師さんそして嫁さん、今日は本当にありがとうございました。

7月8日 車椅子試乗
午前のリハビリ(下半身)の時間ケアマネージャー・所長・業者さんが同時に来てスライドボードを使って車椅子移乗を やってみようと言い出した。しかしボードを見た時に病院のものと全然違うから意味を見いだせないと思ったので 断った。そしたら業者さんがもう一つ新しい車椅子を持ってきていてその車椅子がフラットになるらしいから 立位訓練の時にリハビリ(理学療法士)のH先生とNさんが試してくれる事になった。
新しい車椅子に座ってみると今の車椅子に比べると座りやすい構造になっているらしく肩にあたる部分が少し 盛り上がっている。ところがそこが僕にとってネックになって頭が背もたれに付いてないと首に頭の重みが かかってしまい僕の首は1時間保てない。それからH先生とNさんが背中と首と頭が背もたれにくっつく様にいろいろと 調整してくださった。訪問看護師さんにもう少し調整してもらえばものになるかもしれない。

7月6日 もっとシンプルな構造の車椅子はないの?
今日車椅子の業者(販売店?)が来て新しい車椅子の使い方を説明してくれたのだがある程度まではリクライニングしても座面は上がらない様だ。ただし背もたれを45度?以上倒すと連動して座面が上がる、僕はその時点でこの車椅子が嫌になった。それに訪問看護師さんの誰も最初リクライニング出来なかった。こんな分かりにくいレバー構造じゃあ病棟の 日替わりの看護師さんにリクライニング操作が分かるはすがない、今の車椅子だって看護師さんの半分以上 リクライニング出来なかったもの。シンプルな車椅子は今の時代もう無いのかなあ。
所長は背もたれも座面も上がった車椅子からベッドへベッドから車椅子へスライドボード移乗してみようというが僕は あまり気乗りがしない。所長がどうしてもと言うからやるしかないけど…ね。

7月4日 車椅子試乗予定が
先日のリハビリ会議に基づいて昨日業者さんが新しい車椅子の試供品?を持ってきた(僕の今の車椅子は15年程前から 使っているもので壊れたらパーツがない可能性があるとの事)。僕も訪問看護師Fさんも今日の午後からの車椅子移乗の 時間に試すつもりだったのだが無理だった、車椅子のタイプが僕の必要とするタイプと全然違っていた。まず車椅子が フラットにならない(背もたれを倒すと座るところも上がるタイプ)、これじゃあ入院した時に車椅子に座らせて もらえない。今はこのタイプの車椅子がメインなのか、不思議だ・想定外だ。奥行も浅いらしいし、業者にもっと僕の 仕様を詳しく伝えるべきだった。

7月2日 そうか、太ももが痛いのか
脚を上げてもらったり膝を曲げてもらったりする時に脚の付け根に最初の数回痛みが走る。それを僕は今まで股関節の 痛みだと思って諦めていたがどうやら違うらしい。痛んでるのは太もものようだ、それも太ももの前側付け根側1/3の 部分。以前は大腿四頭筋?につながる(上の)筋だけが痛んでいたのだがいつからか上部全面に広がった。股関節の痛みは 確かに前の方にある。でもそれは膝を斜め内側に押し込んだ時痛むもので(あと右股関節は上半身をほぼ目いっぱい近く ジャッキアップした時と車椅子に座っていてある程度以上前屈した時)痛みが広がっている感覚はない。
さてこの事をだれにどう相談したものか。

7月1日 訪問理容
今日はお風呂の前に床屋さん、来てくれるのはもう15年目の付き合いとなるKさんといつも助手をしてくれるいつもの 彼女(名前は未だに知らない)、入浴車のスタッフさんに言われたが今回はかなり短くて今風らしい。今風って 言われても僕にはよく分からないが耳の周りとか刈り上げ部分がいつもより多いらしい。僕としては髪型は自分では 見えないし関係者以外に見せる事もないので坊主でなければまた頭さえ寒くなければ&痒くなければそれでいいとも いえるし、それにKさんに任せていればそうおかしな髪型にする事もないだろうという思いもある。それが15年 床屋してもらっている間に培われた信頼感というものだろう。訪問理容リリアンさん、いつもお世話になり本当に ありがとうございます。


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6月
6月29日 リンの絵着く
今日リンの絵が着いた。5月15日までのレスパイト入院中に美大生にリンの絵を描いてもらおうと決めた。けれど家に 戻ったらリンがもう側にいない事の悲しみが改めてぶり返してきてしばらくは何もする気が起きなかった。そしてまず 美大の事務局のメールアドレスをネットで探し「写真から絵を描いてくれる学生さんを紹介してください。」と メールした。けれど1週間たっても返事は来なかった。次に美大生で検索しギャラリーにメールした。(同時に Facebookで美大生を探し出しメッセージを送ったが反応なし。)1件目のギャラリーからは「学生は紹介してない」と いう断りのメール、引き受けてくれたのは2件目 それが This is Gallery だった。本当にありがとうございます。
嫁さんに早速荷を解いてもらったらそこには今にも動き出しそうな元気なリンがいた。嬉しくもありそして悲しみが よみがえり涙。嫁さんもこの絵のリンが気に入った様で嬉しそうな顔をして特に目がそっくりと言ってた。どこにでも 飾れる絵と額の大きさで僕は全てに大満足。これでThis is Galleryのサービスとの申し出は本当に申し訳ない。何か お礼をしなくては…。
リンの素敵な絵を描いてくれた美大生のR.Sさん そしてSさんを紹介してくださったThis is Galleryさん 本当に ありがとうございました。


6月28日 テレビ壊れる
僕は「なんでもIR」という機器とソフトを使ってパソコンでテレビやDVDプレーヤーを操作している。夕方パソコンの 時間なるとだいたいテレビとDVDを消す。今夜もそうしてた。そして夜10時頃嫁さんがテレビとDVDのスイッチを 入れた。すると一瞬画面が出て暗くなりエラーメッセージが出て消えた。嫁さんが「煙が出てる。」と言いすぐに コンセントからテレビとDVDの電源コードを抜いたらしい。適切な行動だ。僕は「電気屋さんに電話して」と言ったが 留守番電話との事、朝を待つしかない。
僕の部屋の液晶テレビはもう12年、しかも地デジ対応でもない、地デジ対応DVDプレーヤーのモニターテレビとして 使ってきた。12年も経っていりゃあ壊れても仕方ない。でも壊れ方が気に入らない、発煙といえば重大事象で元家電に 関わっていた人間としては放っておく事が出来ない事件だ。これは是非とも報告書をもらわなければ。

6月28日 サクランボ着く
今日サクランボが届いた。会社勤務時代の後輩Mが毎年送ってくれるサクランボ、もう10年にもなるだろうか。毎年 サクランボを送ってもらう度に申し訳ないとは思うのだが「来年はもういい」と断る気もなかった。サクランボが 着くとその度にMが僕の背中を押してくれている様で勇気と元気をもらう。この梅雨の時期は何故だかよく落ち込んで 辛い心持ちの時が多い。でもサクランボが着くとまだまだ頑張らねばと気持ちを奮い立たせる事が出来る、まだまだ 生き続けなきゃあと気持ちを入れ直す事が出来る。Mよ、ありがとう。いつも通り甘えておくね。

6月24日 リハビリ会議
2015年度介護報酬改定に伴い今日リハビリ会議が開かれた。本来は訪問リハビリを管轄する事業所の医師が患者の 状態やリハビリ方針を説明するらしいのだが先生は僕の病気や運動状態をご存じないので理学療法士のH先生が僕の 運動状況を説明した。みんな知っている人といえど人前で自分の弱点を曝されるのはあまり気分のいいもんじゃない、 まあ陰であれこれ説明されるよりはずっといい。
H先生は右ひざを気にしていた。僕にも自覚はある。2-3ヵ月前から車椅子から立ち上がる時特に右ひざに力が 入りにくくなっている。立つ時にサポート者が力強く立たせてくれるから楽をし過ぎたのか病気がまた次の段階に 入ったのか。ともかく僕も立つ瞬間にもっとひざに力を入れるように努めよう、もしかしたら元に戻るかも しれないから。

6月21日 統計学にはまり気味
gaccoの「統計学T」も自分としては納得のいかない点数で終了(修了証をもらえる点数よりはある程度上回って十分に 合格点)、それでインターネットで今統計学を学習中。総務省統計局が作成したHP「データサイエンス・スクール」に 入り込んで中級(統計検定3級相当)のテキストを見たが詳しい内容がなくて物足りなかった。(ついでに初級問題に 挑戦したが8割正解で突破できず、確率他を間違えた。)そこで見つけたのが「なるほど統計学園高等部」のサイト、 統計の基礎がある程度しっかり記してあった。いつでも見れる様に「統計の作成・分析」の内容を今Wordでコピー中。 個人使用だから許して。
僕統計にはまってる?。

6月19日 通院日
今日は梅雨空の下通院日(幸い雨は降らなかったけど)、車椅子に移りリフト車に乗り込み正午前に出発、まず目に 入ってきたのは今年3月末で閉園になった保育園。誰もいなく静まり返って所々で雑草が伸びていて物悲しい。町は この跡地をどうするのか、ジャンボ宝くじさえ当たれば僕が…。今日はなんだかとても眠くてリフト車の中でもずっと ボーっとしてて車窓からの風景もぼんやりとしか見えなかった。田んぼは半分以上田植えが終わっていて紫陽花も あちこちに咲いているのは分かったがちっとも綺麗と感じなかった。この時期の通院は面白くない。
外来の看護師さんたちは僕の主治医が今日の診察時間を30分早くした事を知らなかった様だ、驚いていた。それでも 問題なく車椅子からストレッチャーに移れたしバイタルも計り終えた。少し困ったのは最初吸引が出来なかった事、 でも看護師のOさんがすぐに対応してくれて隣の部屋から移動式ボンベ?を持ってきて吸引してくれた。僕はOさんが いると安心出来る。それからすぐに主治医が来て診察とカニューレ交換、午後1時過ぎにもう病院を出た。 早ーい!。

6月18日 危なかった?
今日の午後3時車椅子移乗に来たのは看護師Hさん&Kさん/ヘルパーMさんの組み合わせ、O主任が来なかったのは たぶん初めてなんじゃないかな。ベッドから立たせてもらうまでは上手くいってたんだけど腰伸ばしから車椅子に 座るための準備として身体を左に90°回す時に腰がふらついて膝折れしかけて…、前後左右のバランスが取れなくて 久々に危なかったなあ。

6月16日 リハビリ(上半身)
今日車椅子からベッドに戻る時Nさんの担当(一人)だったが支えて立たせてもらってもしばらく立てなかった。 何故だろう、膝に力が入らなかった。車椅子に座っている体勢も悪くなかったし膝で立ち上がる力がさらに 入らなくなったのか(膝を突っ張る力は変わらない様だけど)、そんな気がする。股関節(内側)の痛みもいつからかは 忘れたが太ももの内側の筋・筋肉に伸びてきている。1年くらい前股関節のレントゲンを撮ってもらった時「骨に異常は 基本的には見られな、。加齢による隙間はあるけど。」と言われたからよくなる見込みもない。他にもいろいろと 不都合な個所も少しずつ出てきているしまた新たな変化の段階が生まれてきたのかも。
今日のリハビリはH先生が担当、何故。リハビリの先生のリハビリでも一人一人違う。身に付けた理論の違いなのか 経験の差なのか分からないがそこが面白い。今日のリハビリでは左手を上に上げて(万歳)もらった際左肩の上角に 以前右手を上げてもらっていた時に感じてたのと同じきつい痛みを感じた。なんだろう。

6月14日 統計学は難しい
gaccoの「統計学T」も少し積み残しはあるものの今日で一応無事終了(修了証もらえる見込み)、「統計学はある程度 理解出来たか」と聞かれたとしたら「まだ統計学の端をかじった程度」と答えるべきだろう。特にWeek5の講義内容は 難しくてほとんど理解出来なかったし最終テスト30問は高校の模擬テスト並みに難しかったと思う。Week5で 理解出来たのは「政府統計の総合窓口 e-Stat 」がある事だけ、佐賀県の人口ビラミットと「統計GIS」で佐賀県の 人口分布階層図を描くのに9時間もかかってしまった。e-Stat は使い方が解かりづらいし難しいなあ。
講義の中で「データサイエンス・スクール」の紹介があった。その中に統計検定2〜4級の学習サイトがあるとの事。 gaccoの講義はしばらく休憩して統計学の勉強を続けようと思う。将来子どもたちの統計についての質問に答えたいし gaccoの講義の積み残しもこの際解決してしてしまいたいしね。

6月12日 往診中止
今日は僕のかかりつけ医T先生の往診の日、けれど午前中にT先生のとこから電話が入ってきて「体調が良くないので 往診の日を伸ばして欲しい。」との事だった。T先生は信頼のおける責任感の強い頑張り屋の医師で少々の事では 休むと言い出す事をしない医師、僕の往診でも13年間でなかったのは先生が入院してとかの1-2回だけ(もちろん 前もって連絡あり)、だからよっぽど体調が悪いのだろう。心配、T先生無理をしないで。
カニューレ交換は僕は毎週やってもらっているけれど他の方は2週間に1度が一般的、今度のカニューレは相性もそう 悪くはないし2週間大丈夫そう。

6月10日 入浴車
午後一入浴車、今日の入浴車のスタッフは5人、新人かなと思ったらなんか見た事ある、2-3年前に何度来た事が あるらしい。ひとつの事業所で長くケアを続けてもらうには世代交代が必要だ。社協は今その時が来てるという事か。 慣れていない看護師さんやヘルパーさんがケアにつく時は健常者の目に見えない心労があるものだ。でも耐えるしか 我慢するしかないのだ、今までもいろんな事にそうしてきたじゃないか。そして今までやってきた事に比べたら今回は そんなに難しい事ではない、慣れてくれるまででいいのだから。

6月8日 旧我が町もようやくフレッツ光開始?
今日NTT(NTTコミュニケーション?)のたぶん下請けの方が訪ねてきて「この地区で7月から光回線の工事が始まる。 フレッツADSLからフレッツ光に替えたらいかが?。」という。去年ルーターを買い替える時「この地区の光対応は いつになるか分からない、未定。」とNTTのサービス部門から言われ、散々探し回ってADSL対応モデム(たぶん光にも 対応)をNTTから買ったのだが…。フレッツ光と契約すると光対応モデムはレンタル(月額1,000円)・プロバイダは biglobe、NECの回し者化。メールアドレスは変えたくないというとbiglobe経由で今のプロバイダにつなげると、月額 300円。最初嫁さんには安くなると言ったようだがそれはbiglobeだけに契約を替えた時の事、僕は今のモデムに光対応 ケーブルをつなくだけで行けると思うけど。調べてみようかな。せめてモデムはNECの最新のものに してもらわなければ。

6月7日 体調不良?
ここ数日暑かったり寒かったり、3日前暑くてたまらなくてようやく厚手の毛布は卒業したのに雨になった昨日一昨日は また寒くなった様で掛け物の調整に失敗したのか少しずつ寒気を感じる様になって、今日の朝のケアが終わった頃には くしゃみが出る様になって車椅子に座らせてもらった時に鼻水がポトリ。どうやら風邪の引き始めみたい。こんな時は 寝る前に風邪予防の漢方薬を服用、これを飲んでおくとだいたい次の日には体調復活。今日はどうかな。

6月5日 通院日
今日は梅雨空雨も降っているらしい、そんな中通院日。車椅子に移乗させてもらってリフト車に乗せてもらう時に 外を見ると結構な雨、やはり梅雨だなあ。リフト車の車窓から眺めても見る物はこの時期はほとんどなくて少しい 寂しい、僕の通院路にはあまり紫陽花はないのだ。でもほとんどの田んぼには水が張ってあってそろそろ田植えの 季節、百姓が出来るっていいな。
病院に着き救急処置室Uに入るといつもの看護師さんに加えO看護師もいた。Oさんが僕についていてくれるだけで僕は 妙に安心できる。僕はOさんが新人としてこの病院に入ってきた時から知っているしその分Oさんも僕の事をよく 知ってくれている、その信頼感・安心館だろう。今日は血圧も高く脈拍も早めだった。Oさんのバイタル測定なら そんなに緊張する事はないはずなのに、車椅子の座りが浅く体勢が少し悪かったのが響いたか。
バイタル測定が終わった時に主治医が来て診察と処置、それが終わると次は皮膚科の診察で異常は見られない事。 皮膚科は3ヵ月毎の定期診察で次の診察は9月の連休のレスパイトの時にと。ついでに「次のレスパイトは?」と聞かれ 「7月末」と答えたら予期せぬ答えに嫁さんが驚いてた。前回はレスパイトの間が長すぎたし7月と 約束もしているし。

6月3日 リハビリ(下半身)
水曜日朝10時過ぎからは下半身のリハビリ、Nさんがいつもの様に元気に顔を出し元気にリハビリしてくれた。脚の 可動域訓練が終わったところへH先生が来て変わって立位・歩行?訓練、出だしは体重移動も膝を折る事も前回よりも 上手くいって順調そうに見えたのだが、帰りは途中から嫁さんに言わせればヘロヘロ 疲れてしまって膝崩れ状態、 H先生に大いに迷惑をかけた。申し訳ない。どのくらいが適当なのかなあ。

6月2日 リハビリ(上半身)
火曜日は上半身のリハビリ。いつもならNさんの担当なのたが今日は(珍しく?)体調を崩したとの事で久しぶりにH先生の リハビリ、H先生のリハビリの仕方には固有のものがありしかも褒めながらある程度強く攻めてくるリハビリなので 僕としては結構楽しい。時々顔をしかめる事もあるけど。右肩・右腕・右手首・右手と順調に進んで(右手首内回しはまあ 痛かった)左肩の腕上げ(万歳)の際肩上端に不快な痛みを感じた。以前右腕を上げた時最後の方に感じていたのと 同じもの、これが痛み始めるともう我慢出来ない。左肩にこの不快な痛みが出たのは何故だろうか。


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5月
5月31日 やはりjavascriptはさっぱり解からん
よく理解は出来ていないがgaccoの「統計学T」Week3も土曜日朝に自分の考えていたスケジュール通り何とか順調?に 終わり、この際積み残していた「物理法則プログラム」の課題に取り組む事にした。課題はjavascriptを使って自分で プログラムを作る事、僕は噴水の水滴の動きを作ろうと思っていた。けれど作り方が全然分からない。gaccoで受講した 講義の中で「物理法則プログラム」だけが理解度確認クイズが唯一満点だったのに、javascriptを全く 理解していなかったって事か。情けないなあ。
また来週の日曜日取り組もう。

5月30日 足浴
土曜日、今日の朝のケアは洗顔・洗髪・清拭・下洗い。今日の担当は看護師のIさんとヘルパーのTさん、Tさんが事務所の 会議室?でIさんの昔の(集合)写真を見つけたとかで盛り上がってた(僕はその手の話を聞いてるのは嫌いじゃない)。 その話の流れの中でIさんが「昔は病室でよく手浴とか足浴してたのよね」と話してたのを聞きつけ朝のケアが終わった 時にIさんに「(昼)車椅子に座った時に左足の指の間を足浴して欲しい」と頼んだ。僕の脚は長年のベッド上生活で 変形して猫手気味になっていて時々指の間が痒くなり指の後ろがふやけて切れて痛むのだ。10日ぐらい前からその状態、 特に今日は(左足の)親指の左側に不思議な違和感があった。Iさんは明るく「OK」と快諾してくれた。
午後3時車椅子に移乗した後早速Iさんが足浴してくれた。足の指の股も指の後ろも適度にゴシゴシ強めにかつ丁寧に洗ってくれて…気持ち良い、親指の左側の違和感もなくなった。ありがとうございます。
ところが4時過ぎIさんとFさんが交代、なんで。実は昼からの車椅子移乗の担当はFさんが担当だったらしいのだ。だけど足浴があるからとIさんが行くと主張したの事。申し訳なかった。

5月29日 あの日のリンの姿が目に 声が耳に残ってる
1ヵ月前の今日早朝からリンは家中に響き渡るように大声で鳴いた。リンのこんなに悲しそうな鳴き声を聞いたのは 本当に本当に初めてだったからリンに何事が起こっているのかって心配になった。
リンは家人が現れると大きな声で鳴いた、朝5時頃お袋がパソコンを設定しに来た時、6時半前息子が僕の部屋の トイレに来た時・トイレから出てきた時、7時前リンが隣の部屋からした物音に嫁さんの気配を感じた時そして7時過ぎ 嫁さんが現れた時に。僕はWebカメラでリンの姿・様子を2時間ずっと見てた聞いてた、何にも出来ない自分が恨めしくて たまらなかった。嫁さんは「あの時リンはみんなにお別れを言ってたのよ。」と言ったがそうだろうか、僕には 「痛いよ」「助けて」って言ってた様な気がして…。あの朝のリンの姿が目に焼き付いていてあの鳴き声が今でも耳に 残っていて忘れられない。
何か出来る事はなかったのかなあぁ。

5月27日 入浴車 新人さん
新年度の2-3ヵ月は僕らにとっては実際はちょっと辛い時期だ、人の入れ替えがあるし新しい人も加わってくる。組織の 機能向上・維持のためには必要な事だと分かってはいるがその人たちが慣れるまでにはどうしてもしばらく時間が 必要だ。僕のケアにも数人新しい方が加わった。
3週間前の入浴車の時から若い看護師さんがスタッフの1人として参加する様になった。おそらく僕の所に出入りする 看護師・ヘルパーの中で飛び抜けて若いと思われる。こんなに若い看護師なら病院等就職口はいっぱいあっただろうに どうして訪問看護・デイケアの社協へ。いや詮索するまい、これから長い付き合いになる可能性が最も高いのだから。 まだ僕の入浴車の段取り・手順には不慣れと思える点も多々あるがゆっくりと見守っていくかな。他のスタッフも フォローしてくれるしね。

5月26日 Nさん孤軍奮闘
正午1歯間の車椅子座位の後ベッドに戻る際に「H先生は出先で緊急事態が生じたので来られない。」と告げられた。 それに「車椅子からベッドへの移乗は今日は2人でやるように」と指示があった様でそうしてもらった。僕としては これまでNさんの移乗にさほど危険を感じる事はなかったからNさん1人でも構わなかったのだが大事をとったのだろう。 ただ吸引してもらった際にお尻の位置が少し前にずれ落ちていたから1人で立たせるのは少し難しかったかも しれないが。
火曜日のリハビリは先週から肩・腕・手はNさんが呼吸リハをH先生が担当、先週のNさんは遠慮があっのかもうひとつ 思い切りが悪かった。でも今日のNさんは思い切りがよく攻めてくれて左右の手を(片手ずつ)万歳させてもらったら H先生の時と同じ様に脇が痛むまで手を挙げてくれた。これなら任せても大丈夫、だろう。

5月24日 有朋自遠方来 不亦楽
「有朋自遠方来 不亦楽」、漢文がさっぱりの僕がこれを使うのはちゃんちゃんら可笑しいがそれほど嬉しかったし 楽しかった。
今日午後1時過ぎ大学時代の友人が訪ねてきてくれた、富士の麓と大阪と広島ら。静岡と大阪の友人は会社勤めの頃 1度?会った事があるし10年ほど前にも訪ねて来てくれた…広島の友人とは彼の結婚式に出席して以来だから30数年ぶり (さだまさしの関白宣言が流行っていた頃)。お互いそれなりに年は重ねてきているが昔と変わらぬ雰囲気と笑顔、 懐かしい。たまたま?長崎から用事で帰省していた長女・長男含め妻と子どもたち3人を紹介出来たし僕の大学時代の 色々なエピソード(方言がきつくて最初は何を言っているのか全然分からなかった等々)を話してくれた。子どもたちは 僕の大学時代の話しなんて聞いた事がなかったからたぶん嬉しかっただろう。僕はこうやってパソコンもちゃんと 使えるんだよという事を見てもらいたくて安心して欲しくて最初少しパソコンで会話した。少しは 安心してくれたかな。
僕のHPも時々見てくれている様で割と細かい内容まで見ていてくれて…最近落ち込む事が多くてなおざり滞りがちの HPだが見てくれている事を再確認、頑張らねばと励まされた。リハビリの話になってひと月ぐらい前に撮った 立位訓練のビデオを見せると驚き喜んでくれた。それから人生100年の話になって、科学・医学の進歩の速度は 目覚ましい(ips細胞を使った研究/ロボットHAL他)、治ってから何をするのかを考えなきゃあと励まされた。車椅子 座位・リハビリ頑張って励むと再決意させられた。
昔話に花が咲きあっという間の2時間、そして別れの時、みんなと握手をして再会を誓って別れた。みんなありがとう。 元気と勇気をもらったよ。

5月22日 gaaco「統計学T」
入院前から受講を申し込んでいた講座「統計学T」、何かに取り組んでいる時はリンの事を思い出さずに済むからと 退院後すぐ初めて今週で2週目、一昨日情けなくて涙も出なくなった僕だが昨日嫌な腹立たしい事があってぶり返した。 それで昨日の夕方からまた「統計学T」を取組中。
統計は確か高校の時と大学の時に学んだはずなのだが所々部分的にしか覚えていない、今年のセンター試験の数UBの 統計の最後の問題は問題の意味すら解からなかった。だからこの講座は新鮮な事がいっぱい。昔看護師研修で学んだのか この統計学に関しては嫁さんの方が進んでいる様で理系として負けたくない。頑張らねば。

5月20日 僕はリンのこと知らない、情けない
入院している時から思っていた、帰ったらリンの写真をきちんと整理をしなければならないと。そして今日からついに 整理を始めた。整理をしてわかった事は僕がリンの顔すらまともに見ていなかったという事が分かった事、リンの 鼻って下の方が赤かったのか。今まで知らなかった、情けない。リンの顔もまともに見た事がなかった僕にめそめそ 泣く資格があるのか。そう思ったら涙が出なくなった。これも情けない。

5月19日 Nさんのリハビリ、新たな段階へ
火曜日の車椅子移乗は11時前から、そして正午ごろリハビリのNさんがベッドに戻してくれる。車椅子からの移乗は僕の 腰の高さが低くなっているから難しい。膝に十分力が入る人なら膝を90度以下に曲げて上半身を前に傾けて 立ち上がるのが基本だが、膝を伸ばすだけの力しか残っていない僕は膝の角度が90度ぐらいなら立たせてもらう際に 膝折れしてしまう。今日もNさんが僕を車椅子から立たせようとした時に僕は膝の角度が少し浅いと思った。案の定 膝折れ、Nさんが必死に立たせてくれたが…。やはり気になった時は言わなけれは駄目だな。
リハビリのH先生によると「今年中にNさんにまともな場で事例発表をさせたい。協力者になって下さい。」と。僕は もちろん承諾、Nさんがどんな成長をするか楽しみ!?。その後Nさんが久し振りに上半身のリハビリ、慣れてる下半身に 比べると遠慮があるなとニヤニヤ。

5月18日 目でゲージを捜しちゃう
今日朝のケアの担当看護師はFさん、リンにもよく話しかけてくれていた。でもケアの清拭で背中を拭いてもらうために 右を向いた時いつもの様についリンがいたゲージを捜してしまって目から涙がこぼれてきて困った。
昼の車いる以上の担当は所長とFさん、所長もリンがうちに来てからずっとかわいがってくれたしリンとのお別れの時 2人とも側にいてくれた。車椅子に座って一人になると背中にあるはずのないゲージを感じてしまってまた涙。やっぱり 寂しい。

5月16日 無神経?
今日のケアの担当は看護師はIさん、朝のケアのヘルパーはYさん・昼からの車椅子移乗の担当はKさん、訪問看護S Mの 看護師さんたちやヘルパーさんたちの中ではリンから遠い存在。今日は泣かなくて大丈夫そう、良かった。
にもかかわらず車椅子に座っている間に隣の縁側でお袋が看護師さんたちと話し始めた、リンが死んだ事を。 聞こえないとでも思っているのか、無神経なお袋だ、僕の心のキズの深さが全く分かっちゃいない。腹が立って右足で コールを鳴らし看護師さんを呼んで「お袋呼んで」と言った。それでようやくお袋も気付いた様だ。我がお袋ながら 情けない…。

5月1日〜15日 レスパイト入院
病院に着くまでも病院でも2週間泣いてばかり、窓から木々の間の木漏れ日を見てもリンもこうやって外をいつも窓の 内側から見ていたんだと思うと涙が次々に溢れてきて、幸い泣き声は出ないからカーテンさえ閉めておけば気兼ねなく 大泣き出来る。さすがに2週目になると涙の回数は減ったけどいつまでもめそめそと。2週間いつも考えていた、何が いけなかったんだろう・何が出来ていたらリンがもっと長生き出来ていたんだろうねと。リンに悪いとこは何にも ない、リンはモモとチビとも仲良しでリンは脚が動かなくてもいつも前向きで元気に一生懸命に生きてきたのに…何で 死ぬ順番がリンに巡ってきたのか…、この不条理にいつまでも納得がいかなくて気持ちの整理が今でもつかなくて 泣いてばかり…。「バカヤロー」って怒りをぶつけたくてもぶつける先もなく…ただ涙が溢れてくるだけ。僕はリンの ただの部屋の同居人(物)である自分がリンがいなくなる事でこれほど悲しみの淵に入り込むとは思ってもいなかった、 その前にリンとの別れはもっとずっと先になると思い込んでいた。青空の下で田んぼの間のアスファルト道をリンと 一緒に散歩をするつもりだったのに、そのいつかのためにリンの後ろ足となる外出用スケボーを作ったのに。他にも やれる事はいっぱいあっただろうに…チクショー!自分のバカヤロー!。
今回の入院中看護師の皆さんは本当によくしてくれた。みんなよく声をかけてくれたし僕の希望の車椅子移乗も毎日 積極的に行ってくれた(過去2回の入院では土日祝日は看護師の人数が少ないからと拒まれていたのに)。まさかリンの 死で僕が落ち込んでいる事を知ってて励ましてくれた…、そうであって欲しくはないが。嫁さんは気管切開し呼吸器を 着けて長くなる(13年目)のにほぼ毎日車椅子に座ってリハビリで立位訓練もしているALS患者なんて病院としても 貴重な存在だからじゃないと言ったがそんな事ってあるの、薬の治験じゃあるまいし。僕としても病棟にお返しを したいところだが僕に出来る事なんてたかが知れてる、新人教育や看護学生研修の一端に加えてもらうくらい。 それにしてもゴールデンウイーク中に新人さんが現場に参加してるなんて初めてなんじゃないかな、僕らの社会人 新人時代の工場実習みたいなもんかな。でも新人さんで1人だけだが文字盤が使える人が出来て良かった。
検査は初日胸のレントゲンと心電図・二日目血液検査、異常なかったみたい。悲しみは検査に出ないみたい。
今回は入院中に胃ろう本体部(ボタン部)を交換の予定、前々回まではバルーン式だったのだがバルーン式は毎月交換と 言われ前回から渋々ジャンパー式に替えた。ジャンパー式の欠点はジャンパー部が伸ばした状態でも胃ろうの穴の径の 2-2.5倍もあり交換時(挿入する時も抜く時も)かなり痛い事。だからずい分前から胃ろう交換に恐怖の感を抱いていた。 けれどリンが死んでリンは今までずっと痛みに耐えていたんだなと思うとリンを早死にさせてしまった罰の代わり じゃないかと思うとどんなに厳しい痛みでも耐えるのが当たり前と考える様になった。そして12日胃ろう交換の日、 朝9時に内視鏡室に入りいよいよ胃ろうの交換、確かにかなり痛かったけれど想定して痛みほど厳しくなかったので十分 耐えられた。その上消化器科の先生に「(胃カメラ)上手いですね。」とまで言われてしまった。事前に「内視鏡は右の 鼻の穴から入れて」と頼んでおいた(左の鼻の穴は途中が狭くなっていて内視鏡で過去何回か鼻血が出た)のと胃ろう 交換の痛みが思っていた程厳しくなかったので身体がリラックスしてたのが良かったのだろう。罰は次の機会だな。
ゴールデンウイーク明けの7日木曜日にリハビリがなかったから今回からの病棟の僕の受け持ちK看護師に主治医に 確認してもらったら翌日からリハビリ開始。今回の担当は理学療法士のS先生、結構僕好みの厳しい理論派の先生、 リハビリの時に筋肉の部位を押さえて「(この筋肉を使って)動かして。」と示してくれる。それでどこの筋肉を使えば どこが動くのか意識するようになった。残念ながらあまり力の入らない事が多いけれども。初日は関節可動域・筋力 測定、月水は立位訓練から車椅子移乗、火木は可動域・筋力訓練に決まった。月曜日の立位訓練では左脚重心の時左膝が びくついたので心配したが水曜には改善した。10日ぶりに立ったからと思う様にした。それにS先生は筋力持続運動を やらせる。これが僕にはかなりきつい、途中で諦めたくなる&(呼吸器を着けてるので変な言い方だが)息切れを 感じさせる?程に。でもひとつ発見、持続運動は肺や身体を温かくする事を。僕は肺は常時冷えてると感じている、 油断するといつも風邪を引くんじゃないかと思っている。肺が冷え過ぎる時に誰かに手伝ってもらって持続運動を するのもありかなと思った。今日日のリハビリはいろいろ再確認や発見をさせてくれる、15-6年以前の リハビリテーション科無関係の時代(医師の認識:日常生活を送る事がリハビリ)が嘘みたい。
主治医のF先生・看護師のみなさま・リハビリのS先生お世話になりました。今回は辛い入院でしたがみなさまのおかげで 乗り越える事が出来ました。ありがとうございました。
でも…帰ってもしばらく辛い日々…かな。

5月1日 リン
リン、死んじゃいました。チクショー!。何でリンが死ななくちゃいけないの、なんで?。チクショー
朝9時ごろ動物病院から「容態が急変して死んだ」と連絡が入り僕の入院支度をしていた嫁さんは訪問看護に電話を 入れて「すぐに訪問看護が来るから迎えに行っていい?」と、僕は頭の中がもう悲しみでいっぱいでうなずき合図を 送る事しか出来なかった。間もなく訪問看護師さんたちが来て顔を見たら涙がぐちゃぐちゃに溢れてきて…悲しみで 興奮し過ぎて息苦しくなって看護師さんにバッグによる補助呼吸をしてもらった。看護師さんが入院・外出準備を 済ませたところで僕から「車椅子に座ってリンを待つ」と告げた。それからすこししてリンが帰ってきて、リンは 眠っている様だった。リンの身体に触らせてもらうといつもとおんなじに温かくてまるで今にも起きてきそうで…。 何でリンが死ななくちゃいけないのとまた涙。嫁さんはリンと一緒に居てもらう事にして僕は悲しみの中でしかたなく 出発。なんで…なんで…。

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4月
4月30日
リン、今日は回復の兆し見られず。絶対がんばってうちに帰ってこい。

4月29日 昭和の日
今日は昭和の日とかで祝日、だけど訪問リハビリも入浴車もいつも通りきてくれた。訪問リハビリは朝10時過ぎから、 今日からまたNさんが脚関節可動域訓練・H先生が立位訓練に変わった。しかも立位訓練には5-6歩歩く事が加わった。 久しぶりにH先生の立位訓練、僕の身体がもうすっかりH先生の立たせ方をすっかり忘れていたし歩く訓練もどうやって 片足に体重を移しどうやって逆の脚を出してもらいその脚の膝を伸ばし体重をかけるか要領が分からずにH先生にだけ 苦労をかけた。立つ訓練歩く訓練共に基本全てH先生にお任せの状態だが今後わずかだろうけど出来る部分で力を込めて 協力してやってゆきたい。2週間のレスパイト入院で力が弱くなるかもが心配だけど…。
午後一の入浴車は僕にとってのベストスタッフ、A.Yさんもひと月ぶりにいたし流れるようなスムーズな運航で 気兼ねなく気持ち良くお風呂に入れた。気が付いた事、お風呂のお湯が冷えなくなってる、暖かくなってる。
リンが昼入院。餌も水も受け付けずその上吐いた。脱水症状を起こしてるし腎不全も併発、膀胱からの出血も 止まってないという。持続点滴をして体力の回復や餌を自分で食べれる様になるのを待つとの事。容態が急変した時 連休だったら困るから入院させたらと思っていたがいざリンがいなくなるとこの部屋に居なくても寂しい。夜激しい 春雷、リン怖がってないかな。夕方嫁さんがリンの様子を見に行った時少し鳴いたと聞いた、ほんのほんのちょっと 安心感。リン頑張れ、お願いだから。

4月28日 リン、病気
リン、機能から血尿が出ていた様で嫁さんが午前中動物病院に連れて行った。帰ってきた嫁さんに様子を聞くと「尿が 溜まっていて出せない状態で延焼もある。抗生物質を飲ませる。」との事だった。それからリンはゲージの中に 普段通り寝ていて午後3時半前訪問看護師さんたちが僕の車椅子移乗をさせに来た時はいつもと同じ風に看護師さんに 話しかけていたので、僕は今日もリンがゲージから出してと言ってると判断して僕が車椅子に座っている間に嫁さんに ゲージの扉を開けてもらった。しかしいつもはすぐにゲージから飛び出してくるリンがこの日は中々出てこなかった、 最終的には居間へ行ったけれど。夜パソコンしながらWebカメラでリンを見てたが僕は異常は感じなかった、餌を 残したというのが少し気になったが。
ところが今朝5時ごろ吸引しに来たお袋を見てリンが大きな声で鳴いた、普段はお袋に話しかけられてもほとんど 反応しないリンがだ。それも今まで2年2ヵ月聞いた事がない様なすごい大きな声で。ゲージの中には糞とピンク状の物 (血尿?)が散らばっている様だった。息子が来ても嫁さんを見かけてもすごく大きな声で泣いた、よっぽど 痛いのだろう。午前11時前嫁さんがリンを今日も動物病院に連れて行った。帰ってきたリンは居間でじっと 寝ているらしい、声を全然あげてくれないからいるかどうかも分からなかった。そして夜嫁さんから禁断の言葉 「このままだと死ぬかもしれない。」が発せられた。その瞬間僕の中からやる気と元気が逃げて行った。僕は 「死」という響きに弱いんだなあ。

4月26日 誰も来ない、不安と恐怖
事件発生。右足の裏でコールを押して呼んだのだが誰も来ない。嫁さんと下の息子は実家に手伝いに行って留守、 お袋は外にいてコールが聞こえないみたい。こういう時の最後の手段、姉にhelpとメールして家に電話を かけてもらう。すぐに電話がかかってきて…でも誰も出ない。姉は3度×2-3回間を開けてかけてきたがそれでも誰も 出なかった。どうやらお袋はどこか近隣の家に引っかかってるみたい。姉から「どうしたらいい?」と返信が来た。 僕にも分からないよ、こんな事初めてだから。幸いしばらくしてお袋が帰ってきて事なきを得たがこの間の僕の不安と 恐怖、解かる?。

4月23日 gacco「大航海時代の日本」講座、ようやく終了
今日でようやく gaccoの「大航海時代の日本」の講座を終わらせる事が出来た。講義時間も長く内容もある、結構 しんどい講座だった。でも結構興味深い講座だった。知らない事・初めて聞く事(日本史の授業に出てこなかった事)が いっぱいあった。フランシスコ・ザビエルと大友宗麟が会ってたって知ってた、キリシタン村って大友宗麟領内から 始まったって知ってた、天正少年遣欧使節ってヴァリニャーノが立案・実行したって知ってた、天正少年遣欧使節団が 活版印刷機をヨーロッパから持ち帰ったって事知ってた、日本イエズス会が持ち帰った活版印刷機で印刷し出版した ものが『キリシタン版』って呼ばれている事知ってた等々、新しい発見がいっぱいだった。戦国時代〜江戸時代初期の 高校の日本史は天下統一に邁進した戦国武将の事ばかり、その影でヨーロッパ宣教師とこんな交流があったのかまた 世界中に現存しているキリシタン版についてこの講座で教えてもらった。
あと1週間後のレスパイト入院までgacco講座のやり残しは「物理法則プログラム」講座の最終週3-40分分と自分に課した課題のみ、何とか終わらせてすっきりした気持ちで入院したいのだが…。

4月20日 膝折れ
車椅子からベッドに戻る際所長に両脇を支えてもらって車椅子から立ち上がる時に1年以上ぶりに膝折れをしてしまい 床に膝をつきそうになった。2人の看護師さんが必死に持ち上げて車椅子に戻してくれたが危なかった。立つ前に足の 位置が少し近いなと思ったけれど、今日の車椅子座位は座りが少し浅くて座っていた時に腰が痛いなと思っていたが、 今日は座っている時間が少し長かったけれど…。やはり気になった事は直しておかないとだめだな。

4月18日 久しぶりは鈍る?
今日のケア担当は看護師はIさん ヘルパーは午前中はIちゃん・午後はKさんのコンビ、朝のケアの時Iちゃんが「メス猫 4匹に今にも仔猫が生まれそう、飼い主を捜さないと。」と話していた。早く見つかればいいな。午後3時過ぎからの 車椅子移乗支援は久しぶりのKさん、どうもやり方を忘れている雰囲気で自信がない様な口ぶり。こっちが不安に なってくる。案の定立ってから身体を左に90°回転した時に足がそろってしまってI看護師さんが必死に僕の身体を 支えていた。Kさん以前は安心な人だったけど久しぶりだと勘が鈍るのかな。

4月17日 お花見
今日の朝のケアの時に久しぶりに朝のケアの担当で来た所長が突然「お昼3時からの車椅子に座る時間に八重桜を見に 行きましょう。」と言い出した。そして僕が色好い返事をしないもんだから強引に決行を決めてしまった。この所長の 強引さが僕は好きだ。
午後3時前にパソコンを止めて訪問看護一行を待った、実は花見楽しみなのだ。所長は早めに来れると言っていたのだが 突発事態が起きたみたいで訪問看護師さん一行が着いたのは20分過ぎ、ちょっとだけ今日の花見は中止?との不安も 起きかけたが…それから急いで外出準備をして車椅子に移してもらってリフト車に乗り込み出発。行先は曲川神社の 様だ。我が町の桜の名所のひとつでどちらかというと八重桜がメイン、しかしもう所長の言う通り八重桜も散り始めで 今日を逃すともう駄目だった!?…ありがとう所長。車椅子でグラスソリ場&遊戯施設のある方へ向かう、子どもたちと 昔遊んだ数少ない思い出の場所、ここにもたくさんの八重桜があるのたがまだ少し若いか(10年後が楽しみ??)。顔に 当たる日差しが暖かくて気持ち良い(こんなの浴びたら日向ぼっこをついおねだりしたくなるなあ)。振り返ると上の 広場沿いに見頃の八重桜が数本、それをバックにみんなで写真を撮って上の広場を覗いて曲川神社を後にした。
次は山田神社(唐船城址)、子供の頃は薄気味の悪い所で怖いもの見たさで時々遊びに行っていたが今ではきちんと 整備され椿→桜→八重桜・石楠花→ツツジ・藤の咲く神社として隣県ナンバーも見かける地となってるらしい。今年 できた駐車場から見上げると八重桜が見事参道に入ると石楠花がきれい、心が癒された。
今日は久しぶりに身体全体で春の自然を味わえた。訪問看護師の皆さん&嫁さん、ありがとうね。

4月15日 Nさん、頑張る
昨日は午前中いつも以上に眠かった。眠いと身体に力が入りにくい。だから午前中の車椅子移乗やリハビリの 筋力訓練は不利なのだ。昨日ある程度脳に目が覚めたと連絡が行ったのは11:40AM頃、12時過ぎの車椅子からベッドへの 移乗の時はまだ身体は完全には起きていなかった様だ、膝に思っていたほど力が入らなかったし腰の踏ん張りも いつもより弱かった。Nさんに迷惑をかけた。それにしてもこのくらいの状態の僕を車椅子から一人で立たせるなんて Nさん頑張ってるしたいしたものだ、H先生も言ってた。
今日10時過ぎからのリハビリはNさん先発、H先生はいつもより遅れるとの事。朝の眠気はNさんの脚のリハビリを 受けているうちに次第に消えて行った。次は立つ訓練、脚に装具を着けH先生の到着を待つが時間がかかるような気が してきた。そこで僕から「立とう」とNさんに促した、ベッドから立ち上がり立位を保持する訓練ならNさんに課題は ない…はず。それで首に装具を着けてもらっていたらH先生が着いた。ベッドをいつもより低くし条件を厳しくして 立つ訓練、問題なし。ただ立位保持の時つま先に重心があるのが少し気になった、僕は基本踵重心で立っていたい。 あとはこの立つ訓練を少し展開させたいものだが…。

4月13日 猫勢揃い
最近我が家の猫たちが僕の部屋に勢ぞろいする事が何度かあった。朝帰りしたモモを嫁さんがプリンターの上へ(外を 眺めながら午後4時過ぎまで休んでいる:天気がもうひとつって事もあるが)、リンはゲージの中で寝息をかいて…、 そこへ気まぐれチビが僕の脚の間に上がってきて眠ったら完成だ。僕にささやかな幸せな時が訪れる。
今日も朝9時ごろチビが来てその構図、朝10時半ケアが始まって洗顔してても微動出せず。けれど訪問看護師さんが脚を リハビリしようとしたらチビは黙ってベッドから下りてゆく。チビは優しい猫だ。大好き!。

4月12日 体調不良
日曜日はケアも来ないし全然動かないからほとんどの場合体調が下降する。肺がいつもよりもっと冷えてきて鼻水が ポトポト・くしゃみも続いて胸に使い捨てカイロを貼っててもこの冬は肺の冷えが勝ってカイロの暖かさも感じなく なっていた。僕の未来もそう長くはないそんな気がしてくる。
今日も体調が時間が経つごとに下降、昼過ぎには背中少しゾクッくしゃみも出始めた。そんな中でも僕はパソコンしか する事がなくってテレビでソフトバンクの試合を見ながらgaccoの「大航海時代の日本」の学習の続きを始めた。 この講座戦国時代末期から徳川書記の日本イエズス会の動き・キリシタンの誕生から潜伏する背景そして 「キリシタン版」など僕にとって新鮮な事柄をいっぱい教えてくれるのだがもう一つ熱中しきれない、何故?。 火曜日からが最後の配信、そして40点分のレポートが待っている。辛いけどがんばらねば、中途半端は駄目って 思っているから。

4月10日 通院日
今日は通院日、リフト車に乗り込み庭を出ると無人の保育園が目に飛び込んできた。静か!、少子化で2つの保育園の 合併が3月末で行われ誰もいなくなった。僕も(五十数年前 当時はうちの隣)息子たちも何年も通った思い出深い保育園、 宝くじ7億円当たったら買うのに。声のしない保育園はもの悲しい。その余韻を引きずっていたからか車窓からの風景も 輝いて見えなかった。
病院に着きまず痰の吸引をしてもらってから車椅子からストレッチャーに移してもらってバイタル測定。今日も 主治医の診察まで少し時間があるという事だったのでストレッチャーの上での体勢を整えてもらった、腰の位置が 合わないと肺が動かしづらくなり息苦しいのだ。その時O看護師の顔が見れたので僕の安心の度合いもグッと深まった、 単純なのだ。やがて主治医が来て診察とカニューレ交換そして嫁さんとレスパイトの打ち合わせ。5月1日から2週間 レスパイト入院中に胃ろうチューブの交換をやるが、チューブを抜くのがかなり痛そうなのだ。それで「局部麻酔を 打って欲しい」と僕は頼んだのだが主治医は「ダメ。」と。本当は胃の中の先端部分を切り落として抜いて 欲しいのに。

4月8日 訪問理容
訪問リハビリが終わった後に訪問の床屋さん、そして入浴車、今日はちょっと忙しい。床屋さんはいつものカット係り Kさんと顔が会社時代知り合いに似てるような気がして何となく懐かしいいつものパートナーさん、嫁さんが「短く」と 言ってKさんも頷いたりしたからきっとそうなるんだろうな。まあ僕には実際見えないからどうでもいいんだって風な 気持ち、ただ髪切った後寒くなければいいやってね。でもKさんに髪を切ってもらった後はいつもみんな「似合ってる」 とか「すっきりしたね」って言ってくれるから、Kさんってきっとすごく上手いんだろうな。

4月2日 息子、入学式
今日は上の息子の入る大学の入学式、嫁さんは午前中早く出かけて行った。息子は入学式で背広を着るという、旅立つ 2-3日前に見せてもらったがおかしくはなかった。僕は自分が大学に入学したころの事をほとんど覚えていないが ママチャリで通っていたから入学式はGパン(たぶんスラックスは持ってなかった)、入学式に背広は仰々しいのではないかと思っていたがあとでビデオを見たらほとんど背広だった。大学も変わったな。今の大学はほとんど親がかり、大学側もそれを望んでいる。大学生の自立はどうした。

4月1日 エープリールフール
今日Facebookの投稿の中に「福岡が新首都へ 移転大綱を閣議決定」という記事を見た。福岡なら地震も少ないし あり得る、でも今国会を移すなら福島だろう。と思ったところで気が付いた。閣議決定?!?あり得ない、そうだ今日は エープリールフールか。投稿者曰く「本日インターネット上にUPされる記事は最後の一行まで読むことを お勧めします」と。


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3月
3月31日 gaccoしんどい
gaccoの無料e-learn口座の3講座目「物理法則プログラム」講座のWeek4はまだ半分しかこなしていないけど修了証を もらえる目途は先週つけたし、ゴールデンウイークのレスバイト入院までの1ヵ月は楽をしようと思って「物理法則 プログラム」と一緒に出来そうな「大航海時代の日本」という講座を選んだのだが…。これが思っていたより内容が 深くて講義時間が長かった。これじゃあ「物理法則プログラム」の残りをやる時間を取る事も出来ない。途中で講座を 放棄するのも癪だし、gaccoって結構しんどいし辛いな。

3月28日 息子、旅立ち
今日上の息子が旅立った。誰に似たのかまあおしゃべりだった息子がいなくなってうちの中がもうひとつ静かになった。 もうこの家に住む事はないのだろうなあ、高校を卒業してこの家を出た当時僕もそう思っていたし嫁さんもずっとそう 考えていた様だしね。いやいやながら?もゆっくり話を聞いてくれる息子がいなくなってやはり寂しい、かな。
昨日息子を呼んで「当面は週に1度くらいは風景の写真でも送ってくれ」と言っておいたが(文を書いて送れって 言っても無理だろうし)どうなる事か。僕も本当に困った時以外電話なんてしなかったもんね、難しいかな。

3月27日 通院日
通院日、病院に着くと今日は急患が来ているとの事で救急処置室No2で主治医の診察を待つ事に、しかも今日は主治医 受け持ちの外来の患者さんが多いらしく1時間待ちと、こんなに待つのは珍しい。僕は長期戦に備えストレッチャーの 上の自分の体勢を疲れが少ないと思われる姿勢に整え直してもらった。ストレッチャー(特に細いの)は意外と 疲れるからこれで準備OK。
待ち時間に皮膚科の定期診察、左腕の皮膚がん切除の痕は順調との事だが皮膚科の先生が顔の黒子の写真をやけに パチパチ撮っていたのが気になった。
しばらくして主治医登場、いつもの様に診察と処置を済ませ戻られた、その間10-15分かな。ゴールデンウイークの レスパイト入院確定、5月1日から。

3月25日 訪問リハビリ
Nさんが僕を車椅子から立たせるのに苦労している。僕の膝はある程度鈍角にならないと膝に力が入らない。だから 車椅子から僕を立たせる時には60kgぐらいある僕の身体を10cmぐらい持ち上げないといけない。それで力の少ない 女性には難しいのだ。けれどH先生のおっしゃる通りNさんはまだ1年目なのに僕の立位訓練に積極的に挑み僕に不安を 感じさせないくらいにまでなっている。たいしたものだ。
今日ベッドの縁に座ってからの立つ訓練、ベッドはそんなに高くはなかったはずなのだけどあまりにもスムーズに 立て過ぎた。それで嫁さんに「1回目スムーズに立ったら2回目・3回目はベッドを少し下げて」と頼んだほどだ。 僕にとってもNさんにとっても訓練にならないから。

3月23日 嬉しい事と寂しい事
最近の嬉しい事、チビが一日のうち何度も部屋に遊びに来てくれて脚の間に気を許したような恰好をしてゆっくりと 寝てくれる。今では時間的に最も長く一緒に居てくれるのはチビだ。それに時々モモもプリンターの上で休みに来るし ケージの中にはリンもいる。猫三昧。ただモモとリンは僕の事を人間と認識してはいない様だけど。
寂しいといえば今週末に上の息子がついにこの家を出て行くって事、ずっとすっと前から分かっていた事だけれど 間近に迫ってくるとやはり寂しい。この息子僕に対しては気遣いがあり僕の部屋から出て行くとき様子を窺いながら 行ってくれる。またこの家から一人減るがモモを連れてきてくれたのはこの息子、お陰で今がある。こんなもんさ。

3月21日 春分の日
今日は春分の日、一日一日春めいてきて一日一日日が長くなる。春分の日 祝日という事で訪問看護はお休み、Yの ヘルパーさんもお休み。せっかく吸引研修を受けたヘルパーがいるのだからIちゃんと一緒に訪問介護(今日だったら 洗顔・洗髪・清拭・下洗い)に来てくれたらいいのに。吸引研修を受けていても役に立てないなら意味がない。 出来得るならば今年は吸引が必要な要介護者の所に来れるヘルパーさんに吸引研修を受けて欲しいな。

3月17日 難しい
無料e-learning講座gaccoでの3講座目「物理法則プログラム入門」を3月5日から受講し始めたが難しい。1Week分 ある程度理解出来る様になるまでに丸々1週間かかる。その間何も手が付かない。何度止めようと思った事か。この講座 本当に高校生レベルなのか、htmlとjavascriptをある程度理解している事が前提じゃないかと思えるほどだ。htmlは ホームページを作るために少しかじっているがjavascriptは全くの素人。この機会にjavascriptも覚えたいが 難しすぎる。この難しい講座をいつまで続ける事が出来るかな、不安。

3月13日 通院日
通院日、今日の外来は@看護師さんたちの連携もバッチシA血圧・脈拍も上限?で安定B今週初め異動で外来にきたと いういつもレスパイト入院している病棟で数年前お世話になっていた顔なじみのO看護師さんと文字盤で世間話(Oさんが いれば外来でコミュニケーションで困る事はもうない)C人事異動で別の病院に行ったT看護師長さん(今日偶然診察で 来ていたらしい)が救急処置室に会いに来てくれて久しぶりにゆっくり話せたDいい天気諸々 良かった。
往路は身体がだるくて車窓から外を眺める気にもならなかったが復路は車窓から良い天気を楽しめた。気分次第でこんなに違うのかと実感。

3月7日 上の息子、大学合格
センター試験の数学の上の息子の自己採点は僕が思い描いていた点数とはかなりの差があった。その頃の僕は今時の 大学入試制度をよく理解出来ていなくて本番でまた頑張ればいいさと思っていた。その後息子はセンター試験の 自己採点の出来で志望校を変え、僕はその後(今頃になって)本試験の受験教科が数学と理科の2教科と知り、なおかつ センター試験の出来が大学入試の合否を大きく左右する大学も結構あると嫁さんに聞かされた。その時初めて僕は今の 入試制度はおかしいと感じた。僕らの時は一期校・二期校の時代で2回のチャンスがあった。今はセンター試験を 失敗したらその時点でもう終わりじゃないか、もう1度くらいチャンスを与えてやれよ。
2月25日本試験から戻ってきた息子から「答合わせをしたいから数学の試験問題を解いて。」と依頼があった。これを どう判断したらいいんだろう、良い方か悪い方か。この日から僕の心配と後悔の日々が始まった、数学なら僕にでも ある程度指導できただろうにと。問題を解いてても「この問題は息子に出来ただろうか?」という不安がしょっちゅう 頭をかすめ解いてても面白くなかった、こんなの初めて。5日後僕が解いたものを印刷して息子に渡した、直前まで 渡すべきか迷いながらも。
今日合格発表の日息子は学校に行った、みんなでインターネットで合否を確認するらしい。午後戻ってきた息子から 「一応合格した。」と報告があった。あまり嬉しそうじゃない、いろんな想いが頭の中に去来しているのだろうしまだ 合格したという実感がわかないのだろう。お姉ちゃんと同じ大学に合格おめでとう。これで僕も大安心!。

3月6日 やっぱり口の運動は大事?
今日車椅子移乗からベッドに戻った後に所長が口の運動(両手で顎を下に下げる動作)をしてもらったら顎関節がとても 痛かった。でも直後には前よりも口が開いたような気がした。その時僕は思った、このまま口の運動を続けて してもらったら口が開く様になるかもしれないと。僕は顎を閉じる力はかなり強い。顎(口)を開く力もある事はある、 どのくらい残っているかは分からないが。もしかしたら口を開く力は結構残っていて顎関節が硬くなっているだけじゃないかと夢見てしまった。訪問看護師さんに口を開く運動を続けてやってもらえるよう頼もう。

3月4日 gacco「3Dプリンタとデジタルファブリケーション」講座無事終了
gaccoの無料e-learning講座僕にとっては第二段の「3Dプリンタとデジタルファブリケーション」講座も無事終了、 3Dプリンタという言葉だけに引かれて受講した講座だったが横文字が多く最初は解かりづらいなって思っていた。でも 次第に内容に引かれていった。
講座の講師によると3Dプリンタのパーソナル化するにはもう15年もかかるという。今僕が3Dプリンティングしたいのは ナウマン象の骨の全景のサンプルと日本建築様式のジョイント部のサンプル、全国に11ヵ所ファブラボがあるとの 事だが誰か作ってくれないなあ。

3月3日 リハビリに時に
今日の正午からの訪問リハビリの時にH先生がおっしゃった事「Nさんを引き続き育てたい。」、H先生の日々のNさんに 対する対応を見てたらよく分かる。Nさんは積極的で熱心そしてとても真面目、僕へのリハビリの施し方を見ていたら それがよく分かる。この1年でNさんのリハビリの腕そして精神面もぐんと上がった。そのH先生の考えに僕も賛同、僕も 気付いた事があったら建設的な意見を言っていこうと思う、たとえそれがNさんにとって耳に痛い事であっても。

3月1日 上の息子、高校卒業
今日は上の息子の卒業式、高校に入ってもう3年経ったのか、早いものだ。この3年間僕は息子に対してやっぱりなんの 貢献も手助けも出来なかった、何か出来る事はあったろうに。高校の3年間息子はどんな事をして過ごしたのか、 楽しかっただろうか。僕は高校の卒業式の記憶がない。実は高校の3年時3月の記憶は大学を受験しに行った3日間と 合格を報告に学校に行った時しかない。何故だろう。過去の瞬間瞬間は楽しかったけど、今思うと僕の高校3年間は 楽しかったのかな。


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2月27日 通院日
ひと月近くぶりの通院日。リフト車の中でも体調もうひとつ、肺が身体が何となくきついのだ。朝からずっと痰の出が 悪いしリフト車の中でも独りよがりのつまらぬ心配事をずっと考えていた、考えても今更どうしようもない事なのに、 後悔連続。景色を眺める余裕は全然なかった…。
病院に着くとリフト車の中でまず吸引、処置室に入ってもすぐにはとってくれないから。でも痰は出ないしすっきり とれなかった。救急処置室に入ってストレッチャーに移りバイタル測定、血圧200近く/脈拍130台、モニターで脈拍を 見ていたが120前後にまでしか下がらなかった。異常。家でもイライラ事・心配事がいろいろあるしこの外来でも前回 前々回と看護師の応対を僕は快く思えなくて興奮しぱなしだったからトラウマになったかな。主治医に血圧をゆっくり下げる薬を出してもらったが…、家に戻って血圧を測るといつも通り140超、しばらく様子見、かな。

2月25日 寒い?
今日訪問リハビリの時も入浴車の時も来た人来た人が「今日は寒いね。」と口ずさんだ。部屋の中ばかりいる僕には 暑い寒いはよく分からないが、夕方と夜チビが数日ぶりに脚の間に寝に来たからきっと外が寒いのだろう。チビは 暖かくなると僕の部屋に近付こうとしなくなる、寒くなるとこうしてきてくれる。気まぐれで現金な奴だけど可愛い。 梅も咲き出したしもうすぐ春、チビは来なくなるかな。嬉しい様な寂しい様な…。

2月23日 久しぶりにすっきり
朝のケア今日は浣腸の日、ここ10日あまり下腹が張った感じでずっと変な感じだったのだが、今日は昨夜寝る前に 入れてもらった下剤も当たった様で下腹部に溜まっていた便がすんなり出た。昨夜は下剤を1摘増やそうかどうか 迷っていたが増やさないで良かった。土曜日も浣腸してもらった事もあって下腹部は久々にすっきり。気持ちいーい。 この調子が続いてくれればいいが…。

2月22日 体調・精神もう一つ
今日は朝の経管栄養が終わった後から体調がもう一つ、少し息苦しい。たぶんいつもが空気のはいりが良過ぎるから 少し空気のはいりが悪くなっただけでも僕はちょっと息苦しく感じてしまうのだろう、なんせ常時SPO2 98だもの。 何回か嫁さんにアンビューバッグで押してもらったのだが痰はすっきり出なかった。引っかかっていた痰が出たのは 15時前、それでようやくすっきりできた。
昨夜から僕は精神的にもう一つ、現実を突きつけられるって現実を見つめるって辛いよね。

2月21日 初、ヘルパー単独
朝のケア、ヘルパーのTさんが今日初めての単独介助デビュー、土曜日のケアは洗顔・洗髪・清拭それに最近下腹が 張っていたから今日は浣腸をしてもらう事になっていた。時間配分が難しい日にTさんが当たってしまった、 申し訳ない。そして…本来なら時間内にすんなり終わっていたのだが今日は浣腸をしてもらった分時間オーバーに なってしまった。看護師のIさん・Tさんご苦労をおかけしすみませんでした。

2月19日 うまくなった?
木曜日、訪問看護ステーションN担当の日、15時からの車椅子移乗はベッドから車椅子への移乗はHさん・車椅子から ベッドへの移乗はO主任が担当、前回Hさんはベッドから立たせるのは申し分なかったが立ってから左に1/4回転させて もらう時に右足重心になっていて回してもらう時右脚が持ち上がらなかった。それで事前に打ち合わせをした。そして 実施。立たせるのは相変わらずうまい。左足重心も今日は上手くいった、ヘルパーのYさんが右足を上手く動かして くれた事もあったけど。O主任が僕をベッドに戻すのも上手くいったし。今日は良かったなあ。

2月18日 訪問リハビリ
今日の訪問リハビリはH先生が講演で来られないって事でNさん1人、その上僕はお腹の調子がもう一つ。
Nさんリハビリ本当に上手くなった(足首今日は少し遠慮したかなって思ったけど)、今日は立たせるのも安定してた、 次からはベッドをもう少しだけ低くしてみようかなって思ったくらい。あとは自分の頑張り次第か。それにしても 車椅子からベッドへの移乗のNさんの本気の度合いが窺えた。これが出来る様になったら足の移動か。まずはH先生の 時とは違うけど右足の左斜め後ろへの1歩の移動かな。

2月16日 チビ、いい子
最近ずっと昼と夜中遊びに来ていたチビ、今日昼間は遊びに来たけれど夜中脚の間に眠りには来なかった。こんな時は 脚が寒いし寂しいし…。
チビはとっても良い子だ。吸引器の音にもちっとも驚かないし少々バタついても微動だにもしない。母猫であるモモが チビを見て唸り声をあげてもちっとも怒る事はないしリンとも仲良し。訪問看護師さんがケアに来ると黙って ベッドから下りていくし窓の外から開けてって鳴く。かわいくって仕方ないなあ。

2月14日 バレンタインデー?
今日はバレンタインデーとの事、まあ僕にはずっとずっと昔からこの日は何も関係ない日だった。かくいう僕も昔 会社にいた頃のいち時期義理チョコをもらった事もあったけど。今の僕はもう喰えないし臭いも分からないが 10年くらい前娘がくれた事があって嬉しかった。そのくらいがバレンタインの思い出かな。

2月12日 木曜日
今日は木曜日新しい訪問ステーションNの担当する日、朝のケアはいつも通り可もなく不可もなく終了、しいてあげれば 朝担当のFさんはテンポが少しゆっくり(このテンポ嫌いではないが一人で来た時に30分で脚のリハビリまではたして たどり着けるかな)&力はないなあ。昼3時からの車椅子移乗はO主任がベッドから車椅子へ・Hさんが車椅子からベッドを 担当、そして今日初めて上手くいった。この数ヵ月新しくかかわって下さる人たちが続いて僕の心の中にも何らかの 疲労感が溜っていたみたいで…でもこんな日が続いてくれれば僕の心もきっと穏やかになるだろう。そんな日が早く 来ればいいな。みんなで一緒に頑張ろうよ。

2月11日 建国記念日、なんと通常と同じ
今日は建国記念日では旅の祝日、なのにいつもと同じ様に訪問リハビリも入浴車も来てくれた。感謝!。
昨夜の夕方から両脚の膝から下がだるくなった。いつもは一晩寝れば良くなるのだが今日になっても左脚にだるさが 残っていた。その事を訪問リハビリ先発のNさんに文字盤で伝えると診て「左脚のむくみがいつもより激しい。」と、 むくみとだるさは関係あるのかなぁ。リハビリ開始、Nさん上手くなった、僕の痛み所を見ながらもきちんと攻めてる。 足首を伸ばす際もヒラメ筋が少し痛むくらいよく伸びてる。踵の伸ばし方がH先生に近くなった、踵の関節も動く様に なった。課題は立つ訓練、僕の重心がもう少しだけ前でもいいのかな。
午後いちに入浴車。スタッフの中に僕に不慣れな方がいた。僕もまだ苦手、血圧を測る際帯を肘に巻くので測定値が 低めに出る、僕だけなのかな。向こうは安全域と安心するがいつも限界域の僕としてはおかしい訳で測り直し、 面倒くさい。でもダブルYさんは僕のお気に入りだからお風呂は安心、もう一人のスタッフも丁寧だし おいしくいただきました。

2月10日 やっぱりおかしい
頻脈予防の薬(精神安定剤 デパス)を朝1錠服用する様になってから身体が変、一日中眠いし膝にもっと力が入らなく なっているみたい。午前中眠いのはいつもの事なのだが眠いのが一日中ひっきりなしだしなんと言っていいのか 分からないが「眠さ」の質が違うのだ(どう説明したらいいか分からない)。それに今日の車椅子移乗の時看護師さん 1人では僕を立たせられなかった、こんな事たぶん初めて。実は僕自身この1週間車椅子から立たせてもらう時膝に全く 力が入らないと感じていた(立ってから膝をを伸ばし続ける事は出来た)。これはまずい!。
意を決して主治医に「朝の頻脈の薬止めてもいいですか?」とメールで質問、「頻脈が気にならなければ中止して 構わない。」との回答を得た。これで元に戻るかな。

2月9日 チャレンジ、gacco?
昨日「よくわかる!iPS細胞」講座の最終レポートを送信した。800文字目安で送信との条件が付いていたが僕の レポートは約2000文字、おきて破りだが評価する方々許して、ごめんなさい。文字数オーバーでてっきり拒否されると 思っていたがあっさり受け付け、その辺は甘い様。センター試験の数学もそろそろ目途がつきそうだし(数UB大問5統計 正規分布を除いて)gacco講座に再度チャレンジしてみようとつい思った。
講座科目を見てみると興味を引いたのは3月上旬の「物理プログラム」でひと月空く。暇つぶしはないかなと見ると 明日から始まる「3Dプリンタとデジタルファブリケーション」、今話題の3Dプリンタ よしこれにしよう。

2月7日 気まぐれチビ
チビは本当に気まぐれ、毎日来てくれる日もあれば1週間顔を出さない事もある。今は中途半端、夕方になると脚の間に 上ってきて眠ってくれるのだが10時ごろになると部屋を出て行ってしまう。この頃寒い日が続いているから夜中も ここにいて脚を温めて欲しいなあ。

2月5日 「よくわかる!iPS細胞」講座、おおむね終了
今日「よくわかる!iPS細胞」講座4th week理解度確認クイズを送信、残すは最終レポートのみ、おおむね終わったと 言えるだろう。今の気持ちは何とか終われたという安心感、この1ヵ月相当プレッシャーと本当に終われるかなという 恐怖を感じていた。理解度確認クイズの成績は1回で正解したのは Week1 5/Week2 7/Week3 10/Week4 10/(32/40) 得点 たぶん76/80点 最終レポートで4点以上とれれば修了証がもらえる。ひと安心。

2月3日 節分
近年節分のマスコミ報道はおかしい。日本古来?からの風習「豆まき」にはほとんど触れる事が無くて「恵方巻き」に べったり、本当商売に踊らされているとしか言いようがない。だいたい海苔巻を子供の時から丸々一本食わせるなんて 贅沢、僕が子供の頃は海苔巻やイナリを食えるのは運動会・遠足・祭の様に特別なイベントの時だけ年に数回ご馳走の 象徴だった。回転寿司が始まって以降30未満の若者は海苔巻やイナリをもう寿司とは思っていないんじゃないか、 嘆かわしい。しかし恵方巻きのおかげで日本中の一部の家庭に海苔巻を作る文化が残った事は確か、 喜ぶべきか!?。


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1月
1月30日 通院日
今日の通院で外来の看護師さんの対応は僕にとってひどかった(嫁さんは普通だと言ったけれど)。人工呼吸器を着けた 患者が自動車で揺られて来院したのだからストレッチャーに移ったらまず気管の吸引をすべきだろう、すぐバイタルを 測りたがる。口の吸引をしてもらっても左右だけ、僕は口の真ん中奥をしてもらいたかったのに。散々な時間だった。 脈拍は外来にいた時間中120超をうろちょろ・血圧は150-100、疲れた。早くこの場を離れたかった。
興奮を抑える薬を処方してもらった。

1月29日 訪問看護
木曜日は訪問看護ステーションNの担当の日。今日からお目付け役は同行しないそうだ。僕としてはコミュニケーション (文字盤使用)の面でまだまだ不安はあるが、木曜だけ担当と言えどももう3ヶ月経過、もうそろそろ独立も仕方ない。 訪問看護S Nの看護師さん3人はいずれも熱心で人間的にもいい人なのだが文字盤はもうひとつ(いつもレスパイト入院 している病棟の新人よりも通じない)、「文字盤を練習するから貸して」と言われればいつでも貸す準備はあるのだが そこまで熱心にはなれない様だ。せめて分かり辛いと感じたらメモを取って欲しいな…。
朝のケアの担当はF看護師さん、小柄で車椅子移乗には向いていない様だから朝のケア担当に基本固定したらしい。 木曜日の朝のケアは洗顔と便、大分慣れてきた様に思えるし3人の中では一番文字盤が安定している。浣腸と摘便を してもらうのだが指が短いのは仕方ないか。
昼3時からの車椅子移乗には今のところO主任とH看護師さん2人とも来る。4時半からの車椅子からベッドに戻る作業は もうほぼ大丈夫なのだが、ベッドから起きて縁に座らせてもらい一度立たせてもらってから車椅子に座らせてもらう 動作は2人ともよく段取りを理解してもらっていない様だ。一抹の不安が残っている。

1月27日 火曜日、忙しい
火曜日は10時からケア→11時前車椅子座位→正午訪問リハビリ→14時訪問歯科、その後パソコンととっても忙しい。 朝のケアの時なぜか脈がずっと100超(血圧はいつも通り限界域下限付近)、看護師がFさんだからストレスを 感じるはずもないのに。心の中のどっかでケアの時間が短いのが気になっているのかなあ。脈が落ち着きだしたのは リハビリを受けている時、H先生のリハビリの時はこっちも安心しきっているからかな。やっぱり心臓に異常が 出始めているのかな、考えたくないけど。

1月25日 センター試験 数学UBに奮闘中
今今年のセンター試験の数学U・数学Bと奮闘中。今年の数学UBは今のところ基本的な問題でそして計算も例年の様に 複雑なものはない様に思える。
大問1の(1)は三角関数と1次グラフを組み合わせたもの、加法定理が適用出来る事にさえ気付けばさほど難しい問題では ない。逆に加法定理が使える事に気付かなかったら10点は失う。息子は気付いたか。数年前のセンター試験の数学で 加法定理が分からなくて痛い目にあった。その時覚え直した。その甲斐があった。
大問1の(2)は指数の問題、計算が少し複雑だったが指数の計算の基本さえ正確に理解していれば解けたはずだ。最後の 小問で相加平均とか相乗平均とか訳の分からない言葉があったがマイナスの指数を微分する事で幸い解けた。ワードに 下記ながら解くからとっても時間がかかるけど指数や分数はなお更、疲れた。
大問2は微積の問題、対象グラフは原点を通る2次関数、微分問題の基本中の基本だ。こんな基本的な問題は センター試験では珍しい。後は数列とベクトルと統計の問題。統計は高校でも大学で学んだはずなのだがもうすっかり 忘れてしまった(やってはみるけど)。数列やベクトルが何となく恐ろしい。いつになったら終わるかな。

1月22日 やばい
「よくわかる!iPS細胞」講座は水木曜で終わらせる事に決めた、そうしないと全部が回らなくなる事を悟ったから。 昨日が第2週目の配信日、今日中に何とか終わらせたがプレッシャーで学んでいる気がしない。こんな事でいいのか、 やっている意味があるのか。やばい。
嫁さんから上の息子のセンター試験の自己採点を聞いた。もうもうひとつだったらしい、特に数学が。数学で点数を 稼がねばならないのに何てことだ。志望校も見直さざるを得ないらしい。やばい。息子からの相談は今のところない、 「お父さんは出来ない時の気持ちが分からない」そうだ。少しだが自覚はある。
先週に引き続き午後から心臓の鼓動が突然早くなり息苦しさを感じた、おそらく血圧も少し上がっていただろう。 諸々のストレスの蓄積が原因と思うが今の状況は代えられない。お互い慣れるしかないのは解かっている、我慢!。 僕の身体大丈夫?。やばい?。

1月18日 センター試験
昨日からセンター試験、上の息子も佐賀大学でこの試験を受けている。頑張れ!。
今年はセンター試験の問題と解答の公開がものすごく遅かった。毎年東進の解答速報のホームページでいつも見ていたのだが…今年は昨日は9時半過ぎ今日も9時前にならないと表示されなかった、正午過ぎからちょくちょく見ていたのに。今年の問題には何かあったのかな。息子の受けた科目と世界史Bは一応保存、明日から忙しい日々が続きそうだ。 優先順位は「よく分かる!iPS細胞」受講→数学UBを解く→FB・メール対応→合間に僕のホームページの雑記帳書込み& 更新→数学TAを解くetc.、とこまで出来るか不安。

1月17日 阪神・淡路大震災から20年
117、またこの日が来た。阪神・淡路大震災からもう20年、この日になると1995年1月17日の朝の事を思い出す。場所は 富良野のホテル、6時半前テレビを点けたら高速道路の横倒しの風景が。「なんだこれは!」、そして僕の忙しい日が 始まった。まず7時過ぎ会社の寮の後輩に電話をかけてから19時頃宝塚の叔父に電話をかけるまで北海道からの帰路 公衆電話のある所では電話かけまくり、後悔しきりの一日だった。
災害時に公衆電はつながる事を知った。

1月16日 通院日
通院日、外はとっても寒いらしい。そのせいか今日は朝から体調がもう一つ、リフト車の中から外を見る気にもならず ずっと目を閉じていた。
病院に着き救急処置室に入ってストレッチャーに移ってまず吸引、そしてバイタルの測定、前回(11月下旬)と外来の 看護師さんははほとんど同じメンバーなのに今日は反応がいい。今日はイライラして血圧が上がらずに済みそうだ。 外来の師長さんが「今日は慣れた看護師がいなくてすみません。」と言ったが今日の対応ならほぼ十分だ。
しばらくして主治医が来て診察とカニューレ交換、「またカニューレの紐を取るのを忘れてる、先生に怒られるぞ」と 思って合図を送ったが看護師さんは何だか分からなかった。嫁さんが「紐じゃないですか。」と教えてあげて 解決したが…この辺がもうひとつかな。でも今日は十分。

1月14日 「よくわかる!iPS細胞」講座 スタート
今日は「よく分かる!iPS細胞」講座配信スタートの日、朝から事前アンケートに答えようとgaccoのマイページを 何度も開いて見ていたのだがいっこうに表れない。おかしいなと思って先日届いたメールを見たら配信は15時からと、 アンケートだけは最低でも今日中に終わらせたいしWeek1の課題も日曜日までには終わっておきたいものだ。来週からは センター試験の数学も解かないといけないし、どんなスケジュールでいったらiPS細胞講座も課題もこなせる様に なるのだろう。始める前からちょっと不安になってきた。終了出来るかなぁ。

1月12日 成人の日
今日は12日だというのに成人の日、なんか違うなあ。成人の日のニュースと言えば新成人の暴れっぷり(今年は なかった)と派手な衣装。たった1日のためになんでこんなにお金を使えるのか、思い出を買う?、僕には分からない。 自分の稼いだ金で衣装を買ったのならまだしも親の金だとしたら、許せない。お金で苦労した事が ないんだろうな。
祝日だから訪問看護はお休み、今日もヘルパーのFさんとNさん2人が前回(11月4日)と同じ様に来てくれて便処理の後の 下洗いと清拭をやってくれた。僕の所での2回目のコンビともなるとコンビとしての動きもよりスムーズで何の不安も 生じてはこなかった。あと社協の責任者さえ「ヘルパーによる痰の吸引」を許可してくれたら…もっとスムーズで 楽になるのだが。ありがとうございました。

1月11日 佐賀県知事選
今日は佐賀県知事選の投票日、武雄市立病院の民営化や武雄市立図書館のTSUTAYA委託などの話題性で樋渡氏断然有利と 思っていたが、結果は四万票差で山口氏が当選、思ったより反対勢力が大きかった。反対勢力の一番手は農協勢力、 結局安倍政府自民党の農協政策に佐賀県の農協連合ははっきり「No」と言ったのだ。他にも反対勢力はあるようだ。 改革に反対の勢力、もしかしたら県庁&市町村の職員が最も樋渡氏を毛嫌いしているのかもしれないな。佐賀県の ためには一度超改革派の知事が誕生する方がいいのだが、まあそれが樋渡氏だったかどうかは分からない。
ちなみに今回僕は樋渡氏には投票しませんでした。知事になるための足掛かりのために武雄市長になったような気が したから。

1月9日 往診
朝のケアの担当は珍しく所長、1時間の契約だが入念にケアしてもらった、へそのゴマまでも取ってもらった。大きな ゴマが出てきた、5mmもあろうとかいう。へそを掃除してもらったのは何年ぶりだろう。見えないけれどへそが すっきりした気がした。ありがとうございました。
午後2時からかかりつけ医のT先生の往診、胃ろうの洗浄とカニューレ交換をしてもらって終わり。帰り際難病新法の 話しになってT先生から「(難病指定協力医の)申請が遅れていたら往診も出来ないところだった。」との言葉が 聞こえてきた。おかしい、難病在宅者の往診は申請は関係ないと聞いていたのに。困る人がいっぱい 出ているんだろうな。難病新法の概要、保存しといたから一度読んでみなくてはいけないな。T先生、今年もよろしく お願いします。

1月7日 gacco「よくわかる!iPS細胞」講座受講
Facebook友達から無料で学べる大学講座「gacco」を紹介してもらったので、 その中で「よくわかる!iPS細胞」講座を受講する事にした。週1回の講義で4週間、各講義終了後には確認テスト/ 講座終了後にはレポートの提出があるらしい。センター試験を解いている時期と重なるが頑張らねば。これが面白くて 上手くこなせたなら他の講座にも挑戦してみたいな。
この講座受講が縁で京都大学iPS細胞研究所と何らかのつながりが出来るといいなって下心もあるけど。

1月7日 初リハビリ&初入浴車
10時過ぎから今年の初リハビリ、今日はまず下半身の測定、H先生から「以前の測定結果と比べてみたところ肩の動き (可動範囲)は広くなっています。」って言われたが股関節や膝・足首は難しいだろうな。測定が終わって下半身を 動かしてもらってから立つ訓練。Nさんはベッドからベッドサイドに座らせるのが大分上手くなったな。上手く 立ち上がれるか・立つ訓練の間僕の自発呼吸が保てるか不安だったが、思っていたよりすんなり立てたし呼吸ももてた。 良かった!。今年もよろしくお願いします。
午後一から入浴車、今日のスタッフさんの中に僕の所に来るのが2回目の看護師さんが1人いて血圧を測る時いつもより 下(ひじの辺り)に巻いたのでどうかなって思っていたが上が90台/下が60台、僕の血圧でそんなに低いなんて あり得ない。今日は苦労しそうってその時感じた。案の定だったがお風呂は気持ち良かったからまあいいか。今年も よろしくお願いします。

1月5日 今年もよろしく
今日から今年の訪問看護と訪問介護のスタート、今年もよろしくお願いします。
10時半から朝のケア、訪問看護師さんに洗顔をしてもらってる間にいつもの様にヘルパーさんが来て脚のマッサージを してくれた。それから清拭と便処理(昨夜下剤+浣腸→下洗い)、いつも通りお世話になった。何も変わらない、それを 楽しみにしなくっちゃ。
朝のケアが終わったらすぐにパソコン、でも1時間もするとまた心臓がドキドキしてきて今から血圧がどんどん上がって いくのかなって気がし始めた。もしかして5日ぶりに車椅子に座るので上手く座れるか心配で興奮してそうなって きてるのかなって思った。本当は誰かにしばらくアンビューバッグで押して欲しいと思ったがお袋じゃ無理だし… 車椅子に座らせてくれる訪問看護師さんたちが来る3時過ぎまで耐え忍ぶ事にした。けどしんどかった。
3時20分頃訪問看護師さん到着、前の訪問先が入浴なので月曜日は遅れる事が多いと承知しているが辛い時はつい 期待してしまう。さて車椅子に座る前にいつも看護師さんに支えてもらって一度立たせてもらうのだが、上手く 立てるか心配していたけど思いのほか膝に力が入ってほとんどいつも通り立てたし車椅子にも無事座れた。しかし 車椅子に1時間座っている自信は無かったので「今日は少し早目に車椅子からベッドに戻して」と頼んだ。
訪問看護師さんたちが帰り際嫁さんと長話し始めた。話題は「出産と子育て」、僕にはあまり触れて欲しくない 話題だった。なんせ僕は嫁さんが子どもたちを出産した時一度も側にいてやれなかったし首がすわるまで怖くて 世話出来なかった。そこに触れられるのが恐ろしくて。実際長女が生まれた時には2日間有休を取って側にいようと していたのけれど予定日が遅れて…。嫁さんと訪問看護師さんの立ち話は延々と続いた。そして僕が事務所の方 大丈夫かなと心配し始めた5時半ようやく終わった。よく話す事があるなあぁ。

1月4日 友来たる
今日の午後中学の同級生4人(うち1組家族)が僕の所に遊びに来てくれた。45分あまりとそう長い時間じゃなかったけど 久しぶりにみんなの顔を見る事が出来て色々な話を聞く事が出来て嬉しかったし楽しかった。みんな、ありがとうね。 時たま昔の同級生や会社で知り合った上司と仲間に無性に会いたくなることがある。今更何故だろうなあ。
みんなが来る少し前僕の心臓はドキドキしていた、3週間前の様に心臓がドキドキし過ぎて血圧が上がって 息苦しくなるかと心配したがそこまではなかった。最近ちょっとした事でドキドキする。やっぱり心臓が 弱ってきてるのかな。

1月3日 三が日
正月三が日の2日目・3日目午前の行事は箱根駅伝のテレビ観戦、でもいつもの様に箱根駅伝を見ていても全然 燃えてこなかった、たぶん知っている選手がほとんどいなくなったから。だから途中居眠りをしたりもしてしまった、 昔なら絶対こんな事はなかったのに。何となく寂しい。それから帰省していた娘に手伝ってもらって年賀状の チェック、住所録を確認するために毎年正月にしている事だ。
僕がこうして100枚超年賀状を書くのは、会社関係で知り合った人たちには僕がまだパソコンが使えるくらい元気でいる 事を伝えるため、親類関係には挨拶、病気関連でお世話になっているところには日頃のお礼、諸々。来年も同じ事が 出来たらいいな。

1月1日 元旦
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
元旦の今日は例年通り8時前にテレビをつけてもらい「ニューイヤー駅伝(全日本実業代行駅伝)」を見る準備。元旦の 朝と言えば雑煮、僕ののどではもう何年も前から流動食も通らなくなっていたから代わりに嫁さんに雑煮の汁を 飲ませてもらい正月気分を味わった。そしてテレビで「ニューイヤー駅伝」観戦。ただここ数年「高校駅伝」を熱心に 見ていなかった(年末入院で)ので若手の選手の名前をほとんど知らなくなっていて(知っている若手は柏原選手ぐらい) もう楽しめなくなっていた。少し寂しい!。
昼間正月はテレビでは何にも面白いものが無いのでそれからずっとパソコンタイム、相棒が始まるまでも約9時間、 疲れた。今回の相棒、初めは流れがよく分からんかった。でも次第に引き込まれていって…、面白かった。満足。


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