2016年
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12月
12月31日 紅白 面白くない
今日は大晦日、最後は紅白歌合戦だろうと思い午後9時過ぎにテレビを点けNHKに合わせ聞き始めたのだが…ちっとも 面白くない。どうして・・・。他の局も似たり寄ったりだし、大晦日はもうアニメでも見た方がましだな。

12月30日 年賀状 無事終了
一昨日から始めた年賀状、3日間で無事終わらせた。今年は4種類、3種類はほぼ画面を変えただけだけど。その中の 画像の一つは鶴が5羽、飛び立った3羽を2羽が見送っている形、ちょうど今年の4月以降のうちみたいに。それを イメージして飛んでいる鶴3羽+立っている鶴2羽 5羽集めたつもりだが受け取った方分かるかな。これで今年の大きな 僕の仕事は終わりだな。今年も我が家の年賀状作りの役目を果たせた。

12月28日 gacco講座「"そうだったのか"の日本語教育学」締切延期…助かった
gacco講座「"そうだったのか"の日本語教育学」week2のクイズはもう先週締切、week3の締め切りも当初は今日で 大いに焦っていたのだが…23日天皇誕生日があった事で締切日がweek3のクイズもweek4のクイズも最終レポートも 来年の1月11日に。内心少し期待していた以上の延期にほっ、助かった。15日間で3週間分の講義動画を視聴し2週間分の クイズと最終レポートに取り組み66点中(レポート30点)43点取らないと修了証をもらえないのでしんどいのは しんどいが…何とか出来る範囲だ。これで年賀状を先に出来る。

12月27日 モモ・チビ お出迎え
家に着いたらモモとチビが僕の部屋から出てきた、出てきても僕の事を見向きもしなかったけど。嫁さんが言うには 「久しぶりに部屋に暖房を入れたから猫も部屋に入ってきたんだろう。」と寂しい事を言って…。それでも嬉しい。
夜になるとチビがベッドに上がってきて毛布の上でフミフミ、そして始めは左手の上で寝ていたがしばらくすると 定位置脚の間でぐっすりと眠ってしまった。退院早々至福の夜・・・。

12月2日〜27日 レスパイト入院?
今回も2週間のただのレスパイト入院のつもりだったのだが初日の血液検査で血糖値が引っ掛かりその治療のための 入院となってしまった。そのため入院日数も26日との眉とてもとても楽しみにしていた小中学校時代の同級生Hとの 再会も果たせず、何も2週間後の退院を心待ちにしていた今回に限って異常が出なくてもよかろうもんとこのひ弱な 身体を久々に恨めしく思った。
入院初日病棟に着くとK副さんが待っていて車椅子からベッドへ移乗 いつもの病室いつもの指定席?に連れていかれた。 すぐにナースコール用のスイッチを設置 流石にK副さん段取りが良い、いつもの半分くらいの時間でベッドに 落ち着いた。今回も受け持ち看護師はSさんとの事、でも入院の度に受け持ち看護師が代わるシステムじゃあ僕は相談も 一切するつもりはないしどうだって誰だっていい、僕の場合の受け持ち看護師は退院時に嫁さんに用品とサマリーを 渡すだけの役に成り下がっているんだもの。ある程度長期に受け持ってもらわないと入院する度に同じ話をしなくちゃ ならない。用事を頼むだけならどの看護師だってかまわない。ある程度話し込み持ちつ持たれつの何でも話し合える 関係にならないとレスパイト患者の受け持ちとしてはお互いに役に立たないと思う。その看護師の勉強にも ならないだろうし。
今回の入院から今年の新人看護師も僕のケアをするようになった(例年に比べると遅め)。新人看護師は2人、それぞれ 解かりやすい個性がある。ひとりは多分相当負けん気が強い、歩いてる時の足音や姿から僕に鉄腕アトムの妹ウランを 連想させた。もう一人はおとなしそうだが芯はあると見た。教えた事をどんどん吸収していく(言い過ぎか?)、 将来性はあると思う。今回は次は何をしてと新人さんに教えて?ばっかしだったが次に入院する時はかなり楽に なるだろう。今回は他に2人の看護師さんの名前を覚えた。9月にこの病棟に来たUさんと10月に来たTさん、二人とも 優しいしいい人…仲良くなれる…と思った。ほかの看護師さんたちもみんな優しくよくしてくれるし車椅子にも毎日 座らせてくれた、とっても満足。お世話になりました&ありがとうございました。
初日は検査ずくめ。血液検査に検尿・胸のレントゲンに心電図、その血液検査に異常が出たらしい。3日後に血液の 再検査しその時も血糖値が高く治療に入る事に。まず朝・昼・夕・夜と一日の血糖値の変化を診て翌日から治療開始。 治療はインシュリン注射と錠剤、ところが錠剤が身体に合わなくて水下痢になってしまった、それもとめどなく。 2日続けて水下痢で弱音を吐き主治医に泣き付いた。主治医は「もう少し我慢…」と続けて欲しかった様だが僕の 何度もの訴えに一時薬を止めてから違う薬を処方してもらって下痢もしばらくして止まった。インシュリンは初めの 2週間ぐらいは毎日3回、その後は朝1回、これだけインシュリンの注射を打っていて僕のお腹はどうなってるの?。 なんせ1日4回血糖値を測っているから手の指はリハビリの時見たら傷だらけだったから。3週間ぐらいたって血糖値も 300を越えなくなって低血糖になる事もなさそうだからと27日の退院が決まった様だった、かな。
11日に『ながさきコミュニケーションフォーラム』に参加した。会場の長崎(大村)医療センターまでは介護タクシーを 利用、嫁さんと娘と上の息子と一緒に行った。数十年ぶりに大村市を通ったがその変わりようにびっくり、僕の 知っている大村市ではなかった。もう一つ驚いたのは大村医療センターのでかさ、会場まで遠かった。T師長さん(昔) こんな大きな病院の副看護部長だなんて偉くなったんだなって驚きもしたし感心もした。会場に向かっている途中に I師長さんが迎えに来てくれた。I師長さんには病棟で本当にお世話になったしよく話も聞いてもらった。今日は僕の お世話係も買って出てくれた様だ。大村に異動になって4年になるとの事、早く帰ってきて欲しいがそんな訳には いくまいなあ。会場に入ると基調講演も終わりかけ、会場を眺めるところどころに見知った顔が見えた。休憩時間には 特別に用意してもらっていた部屋に移動、そこで家族はお弁当を食べ僕は経管栄養を200ml+白湯200mlを入れた。 例年ならば昼の休憩時間の残りで展示物を見にいくのだが今回は下痢するのが心配で行けなかった。そして午後の フォーラム開始、僕の出番は石松先生・連携室のTさんに次いで最後のトリ。僕としてはほぼ自信作だったのだけど 聴衆の反応はほとんどなかった、残念。その後の懇親会も遠慮した、やはり下痢が心配だったから。その代わり会場に 残っているといろんな人が話をしに来てくれた、E先生・ハーティーラダーのYさん・…、最後はY君が見送りまで してくれた。参加者も100名以上だったと聞いているし、いいフォーラムだった。
リハビリは今回からは理学療法士のU先生、平日は毎日そして週2回立位訓練もしてもらった。U先生のリハビリもまあ 厳しくてギリギリちょっと前まで動かしてくれたし(左肩・左腕は呼吸器があるから動かしてもらうのは難しいけど) 筋力訓練も大腿筋を中心に4種類10回も、僕の好きなタイプのリハビリの先生。おかけで退院後立たせてもらう事への 不安は全くなかった。驚いたのは立位訓練の時の看護師の対応、今回のU先生の時は看護師さんたちが協力的だったのに 前回のA先生の時は話しかけた相手の看護師さんの人選の問題もあったのだが「集めるのは難しい」と言われていた。 在籍年数の違い(A先生は今年の6月?にこの病院に異動)・信頼関係の違いを見せつけられた想いがした。
13日の午後2時半からはクリスマス会があった。だからほとんどの患者さんのリハビリが午前中へ移動、僕も。司会は 7月の七夕会に引き続き2年目のK看護師、観衆(患者)を前にしても物怖じしない立ち振る舞い、僕の彼女に対する見方も さらに上がった。クリスマス会の演目は@音楽に合わせての体操A喜劇(患者によるゲーム付)Bハンドベル演奏。劇の 主演は師長さん・K君・B君+α、歌ありダンスありで結構面白かった。ハンドベル演奏はいつも感激させられる。今年は 実習生も仲間に入って…良かった。
27日 ようやく退院。今回の入院日数は26日、久々に長かった。3週間を超えるのは4-5年前下痢が続き収まらなかった時 以来か。下痢が続くとこの時の事を思い出し恐怖を覚える。しかも今回は水下痢だったから脱水も心配した…。
今回の迎えは朝10時半、社協の輸送サービスの都合がつかなかったので介護タクシーを利用、これもありだなと 思った。訪問リハビリのH先生が迎えに来たのにはびっくりしたが、ベッドから車椅子に移乗させてもらった際に 調子良くスムーズに立って移れたので安心した。


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11月
11月30日 体温計喪失事件
昨日の朝のケア、訪問看護師のIさんが僕の左脇に体温計を挟んだのは覚えているのだが…そして脇から抜かれた様な 気がしていたのだけれど。車椅子に座っている時に所長にIさんから「体温計を撮り忘れたみたい」と連絡が入った。 たぶん記録をしてる時に体温が無かったのだろう。車椅子に座っている時もベッドに戻った時も所長が僕のパジャマを 調べたのだけれど体温計は見つからなかった。ところが今日のリハビリの時M君が左臀部か太もも辺りにあった体温計を 見つけてくれた。パジャマのゴムを通り抜けて行ったとは…考えなかった。
左手を万歳してもらった時に体温計が左脇から外れたのは分かる。でも右を向いた時に普通ならパジャマの右端に 落ちるものなのだが…今回の体温計は左側に留まった訳か。それだけでも不思議なのにどうやってゴムを すり抜けたのかなあ。

11月29日 リハビリ 歩行?
火曜日の朝のケアの後はそのまま訪問看護師さんたちに車椅子に座らせてもらう。1時間後ベッドに戻る時は基本的に H先生、その時今日は障子の向こうにH先生の顔が見えた。良かった。ベッドに戻る時いつもH先生が歩行訓練として? 僕を4-5歩歩かせてくれる、僕はこの歩行訓練?を楽しみにしているんだ。今日の歩行はまあまあかな、左足重心の時に 少し安定感がなくて右足を少し出しづらく感じたかな。でも調子は悪くなくて…この調子 このまま続くといいな。

11月28日 所長 勉強会モード?
今朝のケアは所長(久しぶり、月曜のケアはたまーにかな)とヘルパーのMさん、洗顔・清拭・排便介助をしてもらうのだが 所長の今日の段取りがいつもの月曜とかなり違っていたのでMさん戸惑っていた。僕も…。
今の所長の頭の中は来週木曜講師?として話しをする勉強会の内容(人工呼吸器装着者の在宅療養=僕の日常&ケア)を どうするかって事で半分を占めている様だ、ケアの時から「写真 写真」と言ってた。ケアが終わってから「どの写真が いるの?」と聞くと「生月の灯台の前で撮った家族写真」と。僕はこの写真は下の息子が車椅子に座っている僕の靴の 上に座った写真で年賀状に貼り付けた事は覚えていたので年賀状データを捜すがない。それで「いつ頃の事」って 尋ねると「山内の研修会で使った」との事。そこで今度はパワーポイントデータを捜すと…2004年にあった。それより 前という事で1年前のピクチャーフォルダを見ると生月島に2003年11月3日に行っていた。呼吸器を着けてから約1年後、 こんなに早くからドライブに連れ出してもらっていたのかと改めて感謝。所長、資料作りと発表 頑張れ。

11月27日 下の右糸切り歯が 痛い?
この二日間何かの拍子によく右下の糸切り歯が他の歯に当たりこすれて歯ぎしりしたみたいな音がしてこの糸切り歯の ぐらつきが大きくなっていた。また僕本来の合図の歯ぎしり(左下奥歯5で擦って音を鳴らす)が出来にくくなっていた。 それでなのか今朝からこの糸切り歯が痛んでいや違和感を覚えて…具合の悪さを感じていた。ところが昼過ぎになって 違和感がほとんどなくなって…、僕にとっては良かったけど午前中の違和感は何だったのだろう。
gccoの『「宿泊・運輸・小売等の先進事例による「サービス労働生産性」とは』講座も先週で視聴も文字幕整理(Word)も 終わったし今朝から暇を持て余している。しょうがないのでGyaOで映画を見ながらこの雑記帳を書いたりなんか している。入院までにする事はこの雑記帳書きとFacebookへ週末から入院する事の投稿、それに12月1日午後3時に 配信されるgaccoの「世界に日本語を広めよう!〜"そうだったのか"の日本語教育学」講座Week1の動画全てを視聴し 課題に答送信する事。しかし木曜日の夕方5時以降と金曜日の朝7時までしか時間がない。僕に出来るか。

11月26日 体調 微妙
今朝パソコンしている時から肺が冷えてきて少しずつ寒気が増してきた。今日一日苦労しそうな気がした。どうしたら 体調の落ち幅を少しでも小さくする事が出来るか、それは少しずつでもいいから眠る事だ。いつ眠る時間を作れるか、 なかなか眠くはならないからな。
朝のケアの時間、今日の担当は看護師のFさんとヘルパーのTさん。今日一日の僕のケアはこの二人のコンビとの事、 お世話になります。清拭で身体がもっと冷えるかと思ったがそれほどでもなかった。正午からしばらく昼寝、寝た様な 眠れなかった様な。やはり体調はもうひとつ、この程度の眠りの質ではだめだったか。午後3時過ぎ車椅子移乗の時間、 車椅子に座らせてもらって座ったまま眠ろうと思ったがテレビにつられて眠れなかった。残念&情けなか。ベッドに 戻っても体調はやはりもうひとつ、でも今朝以下に落ちなかっただけいいか。その証拠に痰の気管切開部からの 横漏れはほとんどなかったもの。

11月25日 運動?、疲れた
今日車椅子に座っていると45分を過ぎた頃から膝が痛だるくなってきた。それで僕は車椅子に座ったまま膝を伸ばして 足を挙げる(もどき?)運動?をしていたら、そこへベッドに移乗させにきてくれた所長とFさんが来て「重たい装具を 着けてよく出来ますね」って。そしてスマホ?で写真を撮り始めた。僕は調子に乗って両足をあげ続けたのだが 十数回?したら疲れてしまってベッドに横になったら息切れ。まあ呼吸器を着けてるから見た目には分からないけど。 こんなに息切れするのって病院でのS先生のリハビリ以来かな。結構疲れるけど心地良いしんどさだ。
僕を歩かせてくれるのは今訪問リハビリに来てもらっているH先生しかできないと思うけど車椅子に座る事と座ったまま 膝を伸ばし足を挙げる事は発病した時からずっと続けていれば発病から10年以上経ってALSの患者の数十%は 出来るんじゃないかな、呼吸器を着けていても。こっちならFacebookに載せてもいいと思うのだが…。

11月23日 勤労感謝の日
勤労感謝の日っていつからなんで祝日なんだろうって思って調べてみた。
『戦前から日本では毎年11月23日に収穫した農作物を神様にお供えすると共に、その作物を天皇が食する新嘗祭が 行われていました。つまり勤労感謝の日は元は収穫をお祝いするものだったのです。ところが戦後になるとGHQの 指令によって天皇が関わる祭日は祝日として取り扱わないことになりました。このため新嘗祭は廃止されその代わりに 勤労感謝の日が設けられたのです。』
だって。それで1948年から休みになったんだって。
今日は祝日なのにスケジュールはいつも通り、10時過ぎに訪問リハビリのNさんとM君が来て下半身のリハビリと 立位訓練。そして午後一に入浴車、すべていつも通り。ありがとうございます。

11月22日 H先生 休み
今日のリハビリの時間(正午過ぎ〜) 僕の部屋の障子が開いたらNさんとM君の顔が見えた、今日はH先生は休みか、 聞いてなかった。後で聞いたところによるとH先生はお子さんの風邪がうつって体調を崩したと。H先生んとこの お子さんたちはまだ小さいし羨ましいほどの子煩悩だから、僕はH先生の様な事出来なかったし、性格的にも?ね。
火曜日に数歩でもH先生に歩かせてもらうのが楽しみかつ励みだったのだが仕方ない、このところ調子良かったから。 12月2日からレスパイトだし来週は来れるかなあぁ。

11月20日 夕方から急に体調が落ちた
朝と昼間は快調にパソコンをしていたのだが夕方になって急に上半身に寒気がして…、日曜日にはよく起こる 現象だけど。体調が落ちてくると痰が気管切開部から横漏れしてきて首回りがグタグタになって…嫁さんがとっても いやな顔をしている様に見えてくる。どうにかしたいのだけれど自分の身体ながらどうにもならない。つまらない 身体だ。せめて漢方薬を飲んで早く眠るべきなのだけれどgaccoのノルマだけはしなければならないし…、結局10時まで パソコンしちまった。なんてこった、またやっちまった。

11月19日 暇つぶしに gacco「宿泊・運輸・小売等の先進事例による「サービス労働生産性」とは」受講
gacco「実践コミュニケーション講座」も終わった。シンポジウムも終わった。12月2日にレスハイト入院まで暇になる 事は分かっていたのでgaccoで何か受講しようと思って10日ぐらい前に捜してみた。本当は11月16日配信開始の 「ビジネスエコノミー」を受講するつもりだったが延期になったので10月19日から配信されていた『観光庁オンライン 講座「宿泊・運輸・小売等の先進事例による「サービス労働生産性」とは」』をシンポジウムの直後から受講している。 これは課題なしの講座だったから気楽に受講出来るかなと思っていたが…サービス業で働いた事がない僕には内容が 頭に入りにくくて苦労している。今日Week2まで終わった。あと11日間でWeek3-4、修了出来るか?。

11月17日 Kさん奮起?
今日は木曜、訪問看護はNの番。昼からの車椅子移乗には主任とKさんが来た。そして「今日は師長が立たせるつもりで 来たのですがいいですか?」と主任が効いてきた。僕はとうとう来たかという気持ちと首の装具を着ける際僕の 上半身を浮かす時とっても重たそうな顔をするもんだから不安が大きく揺れ動く気持ちもあったが…。なる様になる。 まあいいか。
立たせてもらった結果は・・・まあ無事立てた。課題はいっぱいありそうだけど。

11月15日 左ふくらはぎ上部が痛い
昨日の夕方?から左足のヒラメ筋の上部左側が局部的に痛い、我慢出来ない程じゃあないけれど。リハビリの前に H先生に相談してみたところ触るとコリコリがあるという。昔どこかの筋肉を硬いもので打った時に経験した痛さによく 似ていた。昨日どこかを打った覚えはないのだが。H先生は脚の装具の一番上のバンドを締めすぎで痛めた可能性も あるというのだが…(僕はそうではなさそうだと!?)。幸い立つ一連の動作には何ら支障がないから良いのだけれど とりあえずシップを貼って様子を見てる。ただシップを貼る部位を嫁さんに伝えるのが難しくて…。痛みはいつまで 続くの?

11月13日 難病コミュニケーション支援シンポジウムin佐賀 参加
今日難病コミュニケーション支援シンポジウムin佐賀にシンポジストとして参加してきた。といっても僕は車椅子に 座って前に出ていて顔を見せているだけ、僕の仕事は先月の15日パワーポイントを仕上げた時に終わっていたのだ。 僕のパワーポイントの出来は自分では良い出来だと思っていたが今回のシンポジウムのテーマに『支援』が付いて いたのを最初から見逃していた、難病の人のコミュニケーションだと思ってパワーポイントを作ってしまった。 そういう意味で僕の発表はあれで良かったのだろうか。数年ぶり(8年?)のパワーポイントでの資料作りは 楽しかったけど。
朝7時に経管栄養を開始、9時半過ぎに所長とケアマネージャーが来て着替えをしてくれたのだがパジャマ以外の服を 着るのは久しぶりなのでサイズが合わなくて何回か着替えをして思っていたより時間がかかって…出発は11時前に なった。今日の移動は介護タクシー、車椅子に座っている僕以外に7人も座れる大型のリフト車だった。それに嫁さんと 娘と下の息子 それに所長とケアマネージャーが乗り込んで会場のある佐賀市へ向かった。僕はリフト車はあまり 好きではない。リフト車の嫌いな所は景色が見にくい・見えない事、それだけ。だから傍にいる所長に「どのあたりを 走っているか時々教えて」と頼んだ。佐賀市への道はどの道も昔よく走った道、どのあたりって言ってもらえば大体 景色が浮かぶ、昔の景色だけど。
走ること約1時間半、集合時間12時半のちょっと前?に会場に着いた。会場に入るとまずメールで連絡を取っていた 日本ALS協会のHさんがお出迎え、会場を眺めると見知った顔も何人かいた。U先生は相変わらずの笑顔、支部長は少し 痩せたかも、Yさんもいつも通り元気そうに見えて安心だった。Yさんは十数年前に会った時と変わらない風、本当の 病状の進行は本人しか分からない事だけどこの進行の遅さは良い研究素材に成れると思うのだが。きっと見えない所で いろんな努力をしているんだろうな。しばらくして会場に完成が、岡部会長の到着だった。午後1時半開会、 難病支援相談センターのMさんの挨拶は少し長かったかな。佐賀大学医学部のE先生の講演に続いて僕の出番、 ハーティーラダーの読み上げで少しトラブルはあったけど無事終わった。事前にPCでの読み上げをU先生に お願いしておくべきだった、僕のミスだ。次にN支部長が病院へのヘルパー派遣(受け入れ)の話をしU先生から 作業療法士の立場からのコミュニケ―ション支援の話をしてくださり、10分休憩の後Yさんが難病支援相談センターの 紹介と事例の発表、最後に厚労省のお役人がよく解からない法律の話をしてくださった。質問は結構深刻なものが 多かった。シンポジウムが終わり岡部会長とN支部長とYさんそれに長崎から駆け付けたY君と一緒に記念撮影、そして さよならした。N支部長とは目も合わせなかった。僕も話したくなかったし向こうもそうだろう。考え方が全く違うし… そういう関係って事だ。
午後4時会場を出て帰る予定だったが遅くなったので高速を利用、それでも6時を結構過ぎていた。本当は多久と若木の 間にある女山峠?を通りたかったが仕方ない。腰が痛かったし膝がとっても痛かった。介護タクシーを運転してくれた 社長さん本当にありがとうございました。それに所長・ケアマネージャーのTさん、ありがとうございました。

11月11日 保健師さん訪問、珍しいぃ
通院日、今日も朝の経管栄養以降眠たくて行きのリフト車の中ではずっと目をつむっていた。病院に着くとリフト車を 降り救急処置室へ、今日の外来の担当看護師は明るいSさんとNさんのようだった。まずバイタルを測り看護師さんが 主治医へ連絡、今日の主治医の再来は患者さんが多いらしくしばらく待つらしい。その間に嫁さんが地域連携室の Tさんと話をしてて12月2からのレスパイトを決めて新しい透明文字盤をもらっていた。30分ほどした頃主治医が来て すぐに診察と処置、後はおしっこをして帰り仕度。帰りのリフト車の中から田んぼを見るともう稲刈りも終わって すっかり冬模様、寂しさが横たわっていた。家に着くとモモが椅子の上で日向ぼっこしている姿が見えた。暖かくて 気持ち良さそう。もうすっかり晩秋だなあ。
今日の通院で辛かった事、病院に着く前から激しい便意を感じていていつ漏れるかと心配だった。幸い家までもてて 訪問看護師さんたちに処置をしてもらった。良かったーぁ。
病院から帰ってくると担当地域の難病担当(兼その他諸々)の保健師さんが待っていた。次の研修会に僕の人工呼吸器 装着者としての在宅事例を使わせて欲しいとの要望。僕は即座にNo、名前も覚えていない2年で3回目の訪問のしかも メール連絡もこれまでに一度もない保健師さんの要望に応えなければならない義理は僕にはない。所長に「何故?」 って聞かれたからそう答えた。実家に帰って来て17年目になるがこんなに疎遠な保健師は初めて。やっぱり信頼は Win-Win でなくっちゃあ。
けれど所長が状況を説明して必死に説得しようとするし僕も頭が冷めて落ち着いてきて保健師さんが段々かわいそうに なってきたので同意した。ただし条件を付けた、時々メールをくれて球には僕の所にも訪問するようにと。

11月10日 便がコロコロ?
今日は便の日、月曜と木曜が便の日なのだ。でもこの2週間便が緩くてガスが出ると一緒に便汁が困っている。でも 今日の便はウサギのフン、浣腸をしても硬くてコロコロの便2個しか出なかった。だから摘便して黄門付近の硬い便を 掻き出してもらった。こんなの久々。何故急に硬くなったのか?。後で嫁さんに何かしたって聞いたら「整腸剤の 昼の分2錠を減らした」って。たった1/3整腸剤を減らしだけで便がこんなに硬くなるのか、しかも残便感もいっぱい あるし。困った。柔らかいのも硬いのもやってられない。

11月9日 リハビリ(下半身)
水曜日は午前10時過ぎから下半身のリハビリ・午後一に入浴車、その後はパソコン三昧、午後9時から相棒 season15と 報道ステーションを見て後は寝るのみ。1週間の内に一番訪問客の来る日かな。
水曜日のリハビリにはいつもNさんとM君が来る。この頃はM君が脚を動かしNさんがベッドサイドに座らせてくれて 立位訓練、今日は3回目に久しぶりにNさんが立たせてくれた。それにしてもN君とは安定感が違う、立つ時も立ってる 時も座る時も。それにM君に立たせてもらってる時は踵がほとんどついてなくて身体が密着し過ぎて自由がない。腰は 伸びてはいるが腰に上半身が乗らないのだ。これなら片手を脇にもう一方の手を腰に置いてもらった方がいいな。

11月7日 暇だ
gaccoの「実践コミュニケ―ション講座」Week3も一応終わったしHPの日々の雑記帳も昨日の分まで書き終わって upした。こうなると一気に暇になって何をしていいか分からなくなった。GyaOの無料アニメも見たい分は見終わったし e-bookのコミックも何冊か久しぶりに見た。「実践コミュニケーション講座」Week4の後に最終レポートもあるので 本来ならばその準備をすべきと思うのだが…テーマやキーワードが指定されている場合もあってまとめていた レポートが徒労に終わった事があって事前にレポートを書くのが嫌になった。でもWeek4の配信は明後日の午後3時 過ぎだから暇だし今までのまとめやってみるか。

11月6日 冬のスポーツ観戦
冬のスポーツ(テレビ)観戦と言えばマラソンと駅伝とスキージャンプぐらいしか最近は見てない。20-30代の時は ラグビーもよく見ていたのだが今は全然見なくなった。スキーも国際級のがあれば見たいのだがやらないな。冬は見る スポーツが少ないのが寂しい。
という事で今日は朝から全日本大学駅伝のテレビを点けた。けれど途中でちょくちょく寝てしまった。昔ほど駅伝を 楽しめなくなったのだ。何故か。以前ほど選手の名前を知らないから面白くないのだ、この4-5年ずっと高校駅伝を 見ていないから。全国高校駅伝の時期毎年レスパイト入院をしているから高校駅伝の放映日が分からずに見逃して しまうのだ。数年続けて見ないと選手の名前は覚えきれない。今年はいつかな。

11月5日 便が固まらないなぁ
この三日間午後2時以降になるとガスと一緒に便が出る、今までは浣腸した日に時々だったのに困ったもんだ。昨日・ 一昨日は車椅子に座っている時で今日は2時半頃ベッドの上で。今日の便は少し形があったが代々は便汁、今までは一日 あると腸の中である程度固まって下りてきて黄門で栓の代わりをしてくれていたのだが今は便汁のまま下に 下りてくる。突然なぜこうなったのか。
考えられる事はいくつかある。突然寒くなって身体がこの気候変化についていっていないから、薬が増えたせい… 日数が経ちすぎてるか、この頃呼吸器からの風邪で肺と一緒に胃も冷えているから、…。しばらくお腹にホッカイロを 貼って温めて様子を見てみようかな。

11月4日 インフルエンザ予防接種
今日の往診の時T先生にインフルエンザ予防接種を打ってもらった。本当は2週間前に打ってもらうはずだったのだが 例の化血研が厚労省から制裁を食らっている関係で2週間前には品不足で手に入らなかったらしい。
注射を打つ前に先生や師長さんが「今年のは痛い」と要らない知識を植え付けて脅すから心の中ではビクビク 緊張していたけれど、ほどほどの痛さで泣くほどの事は全然なかった。痛み10スケールで言えば3以下かな。
さてこれから2週間体調を崩さないようにしなければ。なんせ免疫力ないから…。
チビは今夜も来て脚の間で僕の身体を温めてくれていたのだが、夜中3時前間違ってコールを押してしまって対応に来た お袋の気配を感じると一目散に逃げてしまった。チビは小さい頃(今でも?)両親から「柱で爪を研ぐな」と怒られていた からその恐怖体験でこうするのだろう。あれだけの勢いで逃げたので明日は来ないかな。

11月3日 文化の日
文化の日、日本国憲法が公布された日か施行された日か忘れていたが公布された日(1946年)だった。時代や世情に 応じて変えるべきところは変えるべきなんだろうけど国民主権(象徴天皇)・平和主義・基本的人権の尊重だけは保持して 欲しいな。自民党の草案はそこの部分を前文を大きく変えるものだから賛成しがたい。
今日は文化の日という事で嫁さんと娘はコーラス(ステージ?)へ下の息子はいつも通り学校?へと出かけていった。 でも祝日なのにケアはいつも通り来てくれて朝のケアで便処理と昼に車椅子移乗をしてくれた。木曜日の訪問看護は Nの担当、ありがたい。
昨日の夜9時過ぎから今朝3時過ぎまでチビが僕の脚の間で寝てくれた。夜中中脚がホッカホカだった。退院した日 (9月30日)以来だから22日ぶりだ。前2日はモモが一緒に寝てくれたし寒くなって良い事と言えばこれくらい。幸せ。 昨夜途中でモモがベッドの上にのぼってきたがチビが初めてどかなかった。明日も来てくれるかな。

11月1日 二度歩く、ちょっとだけど
火曜日、いつもならばケアの後は訪問看護師さんが二人して車椅子に移乗させてくれるのだが今日は看護師さん二人が 用事があるとかでリハビリのH先生が急きょ手伝いに来てくれた(この事は昨日所長から聞かされて知っていたが)。僕は H先生にまず立たせてもらって足を前に左右一歩ずつ前に出してそこで1/4回転して看護師さんが押し出した車椅子に 座らせてもらった。
車椅子からベッドに戻る時はH先生に今度は5歩歩かせてもらった。2歩と5歩二回歩かせてもらうのは本当に久しぶり。 1年ぶりぐらいかな。去年の今頃はベッドから隣の部屋の半畳分ぐらいまで往復H先生に歩かせてもらっていたからね。 今日もある程度調子良かった。


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10月
10月30日 久々ハーティーラダー
外出用のDellノートにシンポジウム用の資料をコピペしておこうと思って娘に手伝ってもらってSDカード経由で実施。 DellノートはOSをWindows10にグレードアップしてハーティーラダーを入れているからついでにハーティーラダーで 読み上げ原稿を読み上げたらどうなるかを実験。
左足のスイッチをDellノートにつないで(スイッチbox経由)ハーティーラダーで読み込もうとしたがスイッチが長押しに なってラブレター機能に移行しようとするから上手く入力出来なかった。娘にやってもらおうとしたが娘は ハーティーラダーがよく解からないと言った。いろいろ指示しながらやったが上手くゆかなかった。それでメモ帳に 保存していた読み上げ原稿をコピー(Ctrl+C)してハーティーラダーのテキスト画面に貼り付け(Ctrl+V)てもらった。 そして全文読み上げしたら無音?、一行読み上げをしたらか細い声が流れた。本当にDellのスピーカーは貧弱だ。 実験が上手くいったのか上手くいかなかったのか?。

10月29日 プロ野球日本シリーズ 日本ハム勝利 日本一
今年の日本シリーズ 全6戦総てが手に汗握る素晴らしいゲームだった。日本ハムに流れが変わったのは第3戦10回裏 大谷のさよならタイムリーから、それまでのカープの流れから両チームの一進一退 接戦へと変わった。4-6戦は どちらに勝ちが転んでもおかしくなかったのだが4番の意地の差が少し、それと7月の連勝中の様に日本ハムに日替わり ヒーローが出た事が日本ハム辛勝の要因だろう。
それにしても第3戦8回裏中田のレフト前タイムリーの時にレフト鈴木が無理をせず同点にとどめていたらカープが 日本一になっていたと思う。鈴木が若くて勝ち急いだための判断ミスだったが無理ないだろう。

10月29日 gacco「信頼関係を深める 実践コミュニケーション講座」Week2終了
水曜日(配信日)の夕方にWeek2の講義動画と字幕を保存し木曜日の朝理解度確認クイズをやって(5問中1問間違えた) この日からWeek2のまとめをやり初め今朝終わらせた。この講座は各週の講義コマ数も少なく講義時間も短いから 終わるのが早い。けれど講義内容をわざと薄くしているみたい、本当はもっと掘り下げた講義内容が出来るのにも かかわらず?。だからかどうかは分からないが内容が頭にあまり残っていない。この講座の配点は確認クイズが 5問×3点×4週で60点+最後に40点のレポート、内容が理解出来ていないだけに最終レポートはしんどい。修了条件が 60点以上だけに確認クイズで落としたくなかったのだが…2週目で早くも間違えてしまった。つまらん男だ…なあ。
このWeek2のまとめが終わった途端…やる事が見つからなくなった。これから来週の水曜日まで何して暇つぶししよう、 アニメでも見るかな。ホントに貧乏性でしょうもない性格。

10月28日 通院日
前回の通院までの2週間はとても長く感じたけれど今回の2週間はそうでもなかった。やっぱり前回は資料作りの プレッシャーが相当強かったのだろう。何となく身体に疲れがたまっている。この4週間シンポジウムのパワーポイント 作り→入院前の積み残し gacco講座「アンコール・ワット研究」→19日開講のgacco講座「信頼関係を深める 実践 コミュニケーション講座」に追いつこうと毎日続けて走ってきたから。
天気、雨時々曇り。偶然にもリフト車に乗り込む時も降りる時も往復とも雨無し。ラッキーだった。リフト車の中では 行きも帰りも眠くて…ほとんど目をつむっていた。たまに目を開けて田んぼを見たらまだ稲刈りをしてない田んぼも ボチボチあった。やっぱり今年の稲刈りは遅い?。
病院に着きリフト車を下りるとF看護師がお出迎え、救急処置室に入ると…今日は少し外来のメンバーが違っていた (顔は見た事はあった)。バイタルを測ってしばらくすると今日は少し時間がかかるかなと思っていた主治医が 入ってきて診察と処置、思いのほかスムーズに早く終わった。意外?。
それにしても病院に着く5分ぐらい前から突然便意を催したのには参った。確かに昨日の便の日量が少なかったし 2ヵ月ぶりぐらいに硬かった。何とか家までもてたのは良かったけれど家で浣腸、所長に面倒をかけた。謝謝。

10月27日 どうする?
日々寒くなってきた。天気予報によると今年の冬は寒くなると、そして今日明日から平年並みの気温になるらしい。 それで昨日シーツをボアもどきのシーツにし今日掛け物をいつもの赤い毛布(子供のおさがり)に替えた。僕もいよいよ 秋仕様。
今日の車椅子移乗の看護師は3回連続主任とKさん、たぶんKさんを僕を立たせる役に育てたい様なのだが二人共そこまで 踏み切る自信はないらしい。僕も首の装具の後ろを差し込んでもらうためにKさんが頭と肩をあげてもらう際に僕も不安を感じてしまった、なんせKさんがとっても重たそうな顔をしたから。Kさんって力がないんだなって思った。 どうするのかな。

10月25日 プロ野球日本シリーズ 第3戦、日本ハム辛勝
今日の試合もカープのペースだった。もし日本ハムが1勝でもしていたならば黒田投手に勝ち星を つけてもらいたかった。もしもとは言ってはいけないのだが8回裏中田のタイムリーの時にレフトが無理をせずに同点で 留めていたらカープの有利は変わらなかっただろう。
やっぱり打者大谷はすごい。黒田投手からツーベース×2本+10回裏のさよならタイムリー、もしかしたらこの試合で 打者大谷は復活したかもしれない。北海道でカープが残り2勝しなければ第6戦で投手大谷が出る。カープの プレッシャーも相当だろう。もしかして日本ハム有利?。

10月23日 プロ野球日本シリーズ、日本ハム 二連敗
ホークスが全く打てなかった大谷投手と増井投手をカープ打線がうち打者大谷をカープ投手陣が打ちカープがまさかの 二連勝をしてしまった。大谷で初戦で負けたという事は流れはすでにカープ、日本ハムはもう追い込まれた。
それにしてもこの二戦テレビで初めてカープの試合を見たが今年のカープはとんでもなく強い、投手も打線も。 すごいのひと言だ。それに対して今の日本ハムは普通の日ハム、勝ち抜くためには大谷が蘇らなければならないのは もちろんの事日本ハムというチームも7月の連勝中のチームにならねばならぬ。なれるか。ホークスはこんな弱い チームになんで負けたのか。

10月23日 gacco講座「アンコール・ワット研究」ようやく終了
レスパイト入院の時の積み残し、gacco講座「アンコール・ワット研究」Week3とWeek4のまとめ。退院の日(9月30日)の 夜にWeek4の理解度確認クイズと最終テストを終わらせ終了点もクリアして発表用のパワーポイントを一応作った上で 1週間以上前にまとめ始めたのだが、講義の時間もそこそこ長くて週のコマ数も多くて思っていた以上に大変でそれで 長くかかった。ずっと何かをし残していた気がしていたのだがこれで気分もやっと落ち着いた。次はどの講座を しよう、それとも少し疲れがたまっているしシンポジウムまで休むか。

10月21日 予防接種 空振り
午後2時の往診前嫁さんが体温を測りに来た。そうか 今日インフルエンザの予防接種を打つのかと思っていたが… かかりつけ医のT先生がまだ入ってきてないと。2週間前T先生から聞いた話によると…例の熊本の化血研が厚労省の 行政指導を受けてワクチンが作れないから10月は間に合っていないと。僕は正午前から急に体調が落ちてきたので 嫁さんが体温を測りに来た時に少し張り不安を感じていたから丁度良かったと思う。
それからの僕の体調は落ちっ放し。車椅子に座っていると鼻水タラタラ、ベッドに戻るとくしゃみが連続で出た。 こんな時は麻黄湯を服用して早めに寝るべきなのだがやるべき事があった。gaccoの「アンコール・ワット研究」の 今日のノルマを終わらせたかった。結局10時までパソコン、しょうもない性格だなあ。

10月19日 リハビリ、久しぶり
午前のリハビリ、久しぶりにNさんが1人で来た、M君は事務所で書類作成?。久しぶりにNさんの下半身のリハビリ、 あれーぇ よく伸びてはいるがやり方が少し変わった?。やはりNさんも部位の動かし方がゆっくりだしどこの筋肉や 腱を伸ばしたくて動かしているか分かるから楽だ。今日はNさん一人だから挑戦、ベッドの高さを5cmほど低くして みた。それでも膝が楽過ぎ、よほど腰の上げ方が上手いのだろう。今度の機会にはもっとベッドの高さを 低くしてみよう。

10月17日 実習生
今月は実習生month、訪問看護ステーションMの看護師さんがT看護学校の学生さんを同行してくる。学生さんはどこかの 病院で働きながらのようだ、正看護師の資格を取るため(当然)熱心、20〜30代で飛び抜けて明るい子もいれば幾分 おとなしい子も…3週間目ともなると十人十色だな。訪問看護師さんが学生さんにも無理やり文字盤を使わせて僕との 会話を促す。苦労する子もいるが一応全員と話した。今後二度と文字盤などと出会わないだろう子もいるから良い 経験になっただろうと思いたい。みんな来年の正看護師資格試験 頑張れ。
僕としては2年?までは(週に)四日同じ実習生が来ていたから今はもうひとつ馴染めない?気がして…少し無愛想、かな。 そういえば実習生がいるからって散歩に連れて行ってもらった事もあったな。

10月15日 資料、一応U先生には提出
最後のコミュニケーションの課題のページはほとんど納得はいかなかったがパワーポイントの資料は10日月曜日までに 出来た。僕の声が出るならば自分でアドリブも聞かせられるしここで終われるのだが、誰かが読んでくれるのか それともパソコンに読み上げさせるのかは分からないけど読み上げテキストを作らなければなかった。最初の 原案通りに作ったら25〜30分近くのテキストになってしまった。それで4ページのALS病気履歴を1ページにして主要 部分を残してなくてもいいかなと思った部分を取り除いてみたのだけれどそれでも20分以上になってしまった。
こうなれば流れだけ残して切るしかない。そう考え病歴と出来の良くない課題のページを非表示にして言いたかった 苦労話なんかも外してオペレートナビ読み上げで15分以内に納め今日U先生にメールした。僕が主張したかった事も かなり省いたから話す内容の質は大分面白みに欠けるものになったが、僕としてはパワーポイントの原案を 作り上げれた時点でもう満足してしまったしALS患者の作れる資料の出来としてはこんなもんだろう。

10月14日 通院日
今日は退院してから2週間経っての通院日。だけどこの2週間はいつもに比べとても長く感じた、この2週間パソコンで せわしく懸命に?資料作り(パワーポイント&読み上げテキスト)とかいろいろやっていてとっても 忙しかったせいかな。
病院に向かう時は朝早くからパソコンしていたせいで眠くて目が開かなくて…田んぼの様子もほとんど見えなかった。 救急処置室に入ると今日はSさんとFさんが対応してくれてとってもスムーズ、その上ほとんど待ち時間もなく主治医が 来てくれて診察と処置をしてもらえたので早く済んだ。帰りにリフト車の車窓から田んぼを見ると稲刈りが終わった 田んぼはあまりなかった。今年の稲刈りは遅い様だ。その中にいくつか刈穂を干してある田んぼがあった。僕もこんな 循環稲作りをしたかった・・・。

10月13日 Kさん、デビュー
今日の午後3時からの車椅子移乗には看護師はO主任とK師長の二人それにヘルパーはKさんが一人で来た、いわば今日が 一人のデビュー戦。本当はO主任は僕を立たせる役を今日はK師長にやらせてみたかった様だが今回は遠慮したと 見えた。僕も初めての人二人が立たせてくれるとなるととっても不安だっただろう。O主任、優しい人のいい人だ。
初めてだったKさんの補助でも思っていたより上手く立てた、主任と僕?のフォローのおかげかな。僕も今日も調子 良かったし。けれど車椅子からベッドに戻る時また迷惑をかけた、今日も車椅子に座っている時に便が出てしまった。 浣腸した日は不思議な事に座って45分ぐらいたつと便意をもよおしてくるのだ。いつも申し訳ない。

10月11日 (上半身)リハビリ
車椅子に座って約1時間、訪問看護師さんが先発で来てベッドメイキング、約10分後の正午に訪問リハビリの先生が僕の 部屋に着き…「あれーぇ今日はH先生一人、珍しい」。
歩行訓練は先週と同じで今日も5歩、立ち上がらせてもらう時に右膝を伸ばすのにほんの少し時間がかかり背筋を伸ばすのが遅れたが歩行は重心移動もある程度スムーズにいったし上手く歩けた方だと自分では思いたい。肩・腕・手の可動域訓練はH先生だったので安心して眠くなってしまった。H先生の時の方が楽でやっぱり楽しい。

10月10日 体育の日
久しぶりに10月10日が体育の日、テレビではどうしてこの日が祝日になったかを解説している番組が何本かあった。 そうなのだ、10月10日が体育の日という祝日になったのには1964年の東京オリンピックの開会式がこの日に あったという立派な理由があるのだ。それなのにハッピーマンデイなんかにしやって、旗日の意味が薄れるだろう。 日本は世界一祝日の多い国だという話しを聞いた。今年山の日がまた追加されたが8月何日だか覚えていない。 何年後かにはハッピーマンデイになるのかな。
という事で今日は旗日なので訪問看護はお休み、まあ3人の所帯なので仕方ないかな。朝のケアにはヘルパーさん2人が 来てくれた。嫁さんの排便のさせ方(手順)が訪問看護と違うので僕はいつも戸惑っているが、ヘルパーさんは いつも通りのペースで下洗い&便処理・清拭・洗顔をやってくれる。ヘルパーさんももう慣れたもので僕はほぼ心配は していない。

10月7日 飽きた?、資料を作るのが嫌になった?
今月に入って6日連続で毎日一日中パワーポイントで資料作り。久々のパワーポイントで昔の会社時代を思い出しながら 張り切ってイキイキと資料を作り始めたのだが7日目になって息切れ、さすがに飽きたしアイデアが浮かばなくなった。 昨日までは何とか発表内容も頭に浮かんできていたのだが最後の方になってなんにも思いつかなくなった。資料作りが 嫌になったのか発表そのものが嫌になったのかよく分からないが…乗り込んだ船、もう止める訳にはいかないな。
祖語で2-3日休憩しようと思い今日はアニメを見ながらこの雑記帳書き、gaccoの積み残しもあるしとちと後悔。しかし 植田先生からの依頼、引き受けざるを得ないし役に立ちたかったし…。

10月6日 疑惑が少し?
木曜日、今日のケアは訪問看護ステーションNが担当、朝のケアはHさんの担当で午後の車椅子移乗の時にはKさんと 主任が来た。主任にベッドから立たせてもらう時に腰に少し痛みを感じた(上半身を抱えてもらった時に痛み止めを飲む 前に感じていた腰骨ではなくて腰に)。昨日まで感じていなかったのに突然何故、どうして…。今後も続くのかなあ。 急に自分の身体に対する疑惑と不安が頭を持ち上げてきた。

10月5日 (下半身)リハビリ
今日は朝10時から訪問リハビリ、NさんとM君が部屋に入ってきたが僕は相変わらずいつも通り眠かった。下半身の リハビリはM君の担当、今日は関節が我慢出来るくらいに痛かった。でも痛み止めを飲んでいなければ悲鳴を 上げただろうしこのままの力加減でやられたらおそらくお年寄りは嫌がるだろう。かかとやヒラメ筋は伸びる様に なったが動かし方が多分性急すぎるのだ。その辺が濱本先生の可動域運動の考え・方針を解っていないところかな。
立位訓練の時にNさんに「今回は(ベッドを目いっぱい上げずに)このままいこう」と提案した、膝や腰の調子を 試たかったのだ。そしてこのベッドの高さ(どのくらい低くなっているか僕には分からないが)から立てた、M君でも。 来週はもう少し低くしてみようかな。

10月4日 (上半身)リハビリ
車椅子からベッドに戻る時今日も車椅子に座っていて調子が良さそうだったので濱本先生に対し「五歩」と伝えた、 本当は「七歩」と言ってもいいと思ったがこれ以上後ろに下がれないと思ったから。立たせてもらう際はいつもの様に 膝に力が入らずに迷惑をかけたが、立った瞬間に膝に力が入り右膝も折れかかりもせずに右脚がすっと伸びた。5歩 歩かせてもらっても危うい場面はなかったと思う。痛み止めを服用しながらもこの調子が続けばいいのだが。
今日の上半身のリハビリは右を濱本先生に左をM君にやってもらったのだが…やはり違うなあ。技術や経験の違いと 言うより考え方の違いかもしれないな。

10月3日 やっぱり立つ力が上がってた
今日のベッドから車椅子への移乗には所長とFさんが来た。それで所長に「今日か明日Fさんにベッドから立たせて 欲しい」と頼んだ。Fさんにベッドから立たせてもらう時最近はゆっくりしか立てなくてしんどかったのに今日はさっと 立てた。車椅子からベッドに戻る時はFさんとIさんが来たのでFさんに「違ったね」と言ったら「うん」との返事。 やっぱり立つ力が間違いなく上がっているのだ、痛み止めによって。所長はどうしてもスライドボードを使いたかった ようだけどしばらくお休みかな、スライドボードはレンタルするからいいでしょう、所長。
次はいよいよ所長で確認する番、それに明日ベッドに戻る時には濱本先生に5歩歩かせてもらおうかな。

10月1日 これが痛み止めの力?
今日のケアの担当は一日看護師のIさんとヘルパーのIちゃん、絶好のコンビなのだが最近話し始めると二人とも手が 止まる事が出る様になった。楽しそうにケアをやってもらってるから遅くなってもいいのなら僕は構わないが…。
昼からの車椅子移乗の時Iさんが立たせてくれたのだが2人とも驚くほどすんなり立てた、まるで2-3年前に戻ったかの 様に。昨日は車椅子の座席の上に敷いているクッションがペッチャンコにつぶれていたから分からなかったけどこれが 痛み止めの威力か。股関節の痛みが1/5ぐらいに小さくなって右股関節側面のピリッと来る痛み(+上半身を 持ち上げられた時に感じる腰骨への小さな痛み)が無くなったくらいで膝と腰にこれほど力が入る様になるのか。 Iさんに立たせてもらう時はいつもIさんに寄り掛かっているだけだったのに今日は一瞬だがIさんから離れて立てた。 偶然調子が良かっただけかもしれない。月曜日にFさんで確かめなければ。


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9月
9月30日 奇妙なもの
家に着いても猫たちの迎えはなかった。少し寂しい…けどまあ仕方ない。ただどこかで「ニャーゴ」、チビの「僕も 帰ってきたよ」という鳴き声は聞こえてきたが。部屋(僕の部屋の隣)に三角形もどきの奇妙な物体が畳の上に見えた。 CMで見たことのあるロボット掃除機だった。嫁さんによると「掃除機のホースが破れたので電気屋さんが修理の間 貸してくれたのだが両親が気に入った。」と言ったのだけど、一番気に入ったの嫁さん?。まんまと電気屋さんの 戦略にはまった訳だ。
夜寝る時になってチビがベッドに上がってきて脚の間にゴロン。チビが一緒に眠ってくれるのは久しぶり、 嬉しかった。

9月16日〜30日(予定) レスパイト入院
レスパイト入院、病室&ベッドは桜の見えるいつもの所。今までは桜の木の枝々や葉っぱの間にリンの空を見上げる 姿が見えたのだが今回は見えない。リンの事を忘れかけているのか、情けない。
初日は検査尽くし、病棟着いた早々ベッドに横になる前にレントゲン室に向かい胸と腰のレントゲン。ベッドに横に なってからも検尿に採血、心電図それから股関節のレントゲンと続いた。そして主治医から「坐骨神経痛がある。」と 言われてしまった。また病気がひとつ増えた。それでも主治医は右股関節側面のびくっと来る痛みには納得が いかなかった様で「CTをやりましょう。」と。そしてその結果痛み止めを飲む事になった。主治医から「朝晩に します、それとも夜だけ。」と聞かれ、あんまり薬を増やすのは嫌だったので「夜だけ」と答えた。ところがこの 痛み止めの効果はてき面、この痛み止めを服用した次の日か背中のしわを看護師さんに伸ばしてもらうために横を 向かせてもらっていた際に出ていた右股関節側面のビリっとした強い痛みが出なくなった。本当に楽。こんな事なら もっと早めに痛み止めを頼むんだったという気持ちとこの痛みどめの副作用はなんだろうという思いが交差した。 まあいいか。
リハビリは理学療法士のA先生が毎日来てくれた。最初は可動訓練の力加減とか立位訓練の不安定さが随分気になったが 日に日にうまくなった。水曜日最後の立位訓練の時にちょっとした事件が起こった。A先生が立位訓練に3人の看護師の 応援を頼んだが部屋担当の看護師に「忙しいから3人は集められない。リハビリから応援を呼んでください。」と 断られた。3人の看護師といったのはA先生の自信なさだし(要領をつかんで的確な指示さえ出せれは2人の看護師の 手伝いで出来る)看護師がこの日忙しかったのは本当の様だったがS看護師とA先生の力関係を見た様な気がした。 A先生は6月にこの病院に異動してきとの事、この病棟の看護師たちとの人間関係がまだ作れていないと僕は見た。 最後のリハビリの後A先生が「次回の入院から担当が変わると思います。」と言った、これこそ自信のなさの表れ。 確かにA先生は背が低くて苦労してた。でももうちょっとだったのに…。現に家では同じ背丈ぐらいの訪問看護師さんが 移乗やってくれてくれてるよ、それも2人で。それにA先生は呼吸器を怖がり過ぎ、左腕は一度も万歳して もらえなかった。勇気を出して。
今回も看護師さんたちも良くしてくれた、ちょっとひいきかなと思うほどに。新人さん(+1名)の名前も覚えた。美和と 成美の代わりになってくれそうな看護師さんも見つけた(ひとりよがり?)。今回も看護師さんたちが毎日1時間以上 座らせてくれた。おかげで痰もよく出て感謝感謝です。でも…病棟の看護師長Kさんは一度も会いに来てくれかった、 7月のレスパイトの時は不在者投票の案内に来ただけだったし5月のレスパイトの時は「看護師長に会えないまま 退院するのかな」と副師長さんに訴えてようやく会いに来たぐらいだから予想はしていたが。それにしても14年余り この病院でレスパイトしてきたがこんなに病室回りをしない病棟師長さんに会うのは初めて。「部下を信頼し全てを 部下に任している」と言うかもしれないが患者の様子を実際に自分の目で見ていない師長さんを信頼できると 思うのか。ただあなたの部下の看護師さんたちは僕の信頼をしっかりと得てますよ。あなたに相談するくらいなら 副師長さんに相談します。ただ…あなたが頼みごとをしても僕がうなずく事はないでしょう、あなたの部下の 看護師さんなら別ですけど。
退院の日の部屋担当はK看護師、なんでも事前に動いてくれたから楽だった。
神経科病棟の看護師の皆さん、お世話になりました&ありがとうございました。

9月15日 スライドボード
昼過ぎに所長から「スライドボードの貸し出し品が来たから今日の午後の車椅子移乗の時間に試したい」と電話が あった。「今日の訪問看護はNの担当なのに何言ってるの」ってのが僕の常識だけど嫁さんや所長の常識とは 違うらしい。散々説得されもう応えるのも嫌になって「勝手にしたら」と答えた。
ベッドから車椅子へ移乗する時たくさんの人が集まってきた。貸出しのスライドボードは病院のの2/3、そして 何段階にも折れ曲がる。最初その短さが気になっていた使ってみたら大丈夫、自由に折れるのは身体にフィットさせ 痛くない様にするためみたい。問題は移乗に必要な人数、今日は大所帯だったがこれが二人で出来るかどうか?。嗚呼 立ってからの移乗、もう終わりかな。十数年頑張ってきたのになあぁ。
所長は訪問看護でも立つ訓練のメニューを考えると言ってくれたが僕の股関節の問題もあるしどうなる事か。 寂し〜い!!。
9月14日 股関節 気になる
股関節の痛みは加齢によるものだろうしALSになってリハビリ以外運動出来ない中で僕のこの腰や股関節・膝は関節の 動きや力をよく保っている方だと思う、訪問看護師さんたちやリハビリの先生のおかげだ。感謝!。股関節の痛みは 脚を動かす一時だし耐えるしかないと思っているのだが気になっている事がひとつ、右股関節側面の痛み。これが僕に まだ声が出せたら右膝を伸ばしきった瞬間は悲鳴を上げるほどピリッと痛い。しかも側面に鈍い痛みがしばらく続く。 今朝この事を主治医にメールしておいたが何か対処法はあるのだろうか。
今日は下半身のリハビリ(立位訓練含む)と入浴車。リハビリの時も側面の痛みが気になって仕方なかった、どんな 動作をすれば側面の部位が痛み出すか気になって…リハビリどころではないって感じで…、実際時々痛んだし。痛みが 尾を引くのがまいるなあ。立つのは続けたいけど……下半身のリハビリが嫌いになりそう。お風呂の際も流れの中で この側面が痛む時もあったし右の太ももを見たら以前より少し細くなっている様に見えたし…これから どうなるのかなあぁ。

9月13日 どうした モモ?
夏の間餌を食べに来るだけで僕の部屋に見向きもしなかった我が家の猫たちだが、昨日の夕方からモモが脚の間で寝に 来るようになった。夕方になるともう外は涼しくなったのかなあ。今日は夕方から6時間も眠っていて僕が夜中寝ついた 頃?に出て行ったようだ。
金曜日から2週間のレスパイト入院なのだがレスパイトの前になると決まってこうして遊びにくなる猫たち、 何か感じているの?。

9月13日 gacco講座「アンコール・ワット研究」どうなる?
9月1日からのgaccoの講座「アンコール・ワット研究」を受講、16日からレスパイトなので15日午後3時配信のWeek3の 理解度確認クイズの全問?近く?正解送信する事は大変難航するだろうとは最初から解かってはいたが、暇なのは僕には 耐えられないだろうと思ったから挑戦してみる事にした。
今日ようやく「アンコール・ワット研究」Week2のクイズ無事終了、後は木曜日の夕方5時から頑張るのみ(午後3時から 車椅子に座る時間)。ビデオ視聴とクイズ対応でどのくらい時間がかかるか分からないけど何時間かかってもクイズの 答えだけはこの日中に送信しなければ…。少なくとも5問中3問は正解したい。そうでないと修了が厳しくなる。
木曜日はもうこの雑記帳書けないな。

9月11日 むくみ
昨日から嫁さんが手のむくみを気にしている。僕は手・腕など見る事が出来ないから「解からない」と答えたが僕の腕の むくみはそんなひどくなっているというのか。
しかし嫁さんの言う事をよーく聞いてみると「今使っている関節の痛みに対応する漢方のもう一つの効用として むくみ取りと書いてあった。そのおかげか腕が少し細くなった様な気がする。」と。そしとて右手の甲を見せてくれて 「血管が見える。」と。確かに手の甲にうっすらと細い血管が見えた。昔は丸太のような腕とドラえもんの手の様に むくんでいたのだが4-5年前に姉ちゃんが作ってくれた手の枕を手の下に置くようになって手と手首だけは細くなった。 でもそこまで、肘は丸太のまま、もう諦めていた。それなのに漢方ひとつで急にこんな事が起こるなんて… 信じられない。びっくりだ。これなら今度のレスパイトの時にここから採血が出来るかもしれない。もし手の甲からの 採血が出来たならそれは十数年ぶりだ。
それにしてもこの漢方は便が硬くなるし唾液が硬くてのどが渇く気がして、これも新しい漢方の副作用?。前の関節の 痛みに対応する漢方は便が緩くなったので家では不自由と変えてもらったのたが…。交代交代で使ったらよさそうと 嫁さんにかかりつけのT先生に聞いてもらったらOKと。

9月10日 コンディション悪し?
今日土曜日は1日看護師のIさんとヘルパーのTさんのITコンビ、実際には二人ともアナログの様だけど。
午後の車椅子移乗の時に二人に迷惑をかけた、立ち上がらせてもらった時に右膝が勝手に震えて力が入らなかった。 こんな事が起こるなんて珍しい、今までにあったかな?。僕の身体にいったい何が起こっているのか、不可解。二人は 自分たちのやり方が悪かったのかと思った様だけど僕のコンディションの問題。また不安が大きくなってきた。

9月8日 再会?
午後の車椅子移乗、Kさんも来た。気持ちが図太いのか何でもない様な顔をしていて頑張っているのか僕にはよく 分からないがひと安心。ベッドから主任(看護師)に立ち上がらせてもらう時もヘルパーのYさんがお尻を持ち上げて フォローしてくれたし僕も右膝に力を入れるのを頑張ったつもりだから昨日よりも楽だった。
体調も気持ちもちょっと上向き?かな。

9月7日 何もやる気が出ない?
この1週間ばかり身体がだるきついと感じている。そのせいかこの3-4日全くやる気が出ない、今日がそのピーク?。 午前中のリハビリの時も右脚にあまり力が入らなかった。今まで16年間頑張ってきた(つもりの)自信が崩れていく。 このまま立てなくなるのか。心の中で大きな不安が渦巻いている。今までにない事だが入院が待ち遠しい。

9月6日 若者は成長する?
今日の車椅子移乗の時リフトを使った、初めてか数回目(大昔?入院した時にポータブルトイレで使った事があるような ないような)。リフトのネットに包まれて持ち上げられると肺が強制的に縮められた様で程々に息苦しかった。それに 立たせてもらおうと腕だけに掛けて持ち上げられると肩が外れそうな気がしてきた、それで止めにしてもらった。 やっぱりリフトは好きくない。それで僕は禁断のひと言、「移乗だけならスライドボードの方がいい」。所長に 「立たせようと方法を考えているのに。」と怒られてしまった。ありがたい事だ。
その後は上半身のリハビリの時間、今日も可動域訓練はM君の担当。でも右肩をほぐしてもらった時から今までと違う 不思議な気持ちいい感覚があった。肩関節を動かしてもらっている時も痛みの出方がH先生に近い?、僕の目の合図に 対しても反応がいい?、今日はどうしたの?。何があったか知らないが若者はちょっとしたきっかけで成長するという 事か。

9月5日 台風一過
昨日の夕方からインターネットの気象情報で台風12号の動きを1時間毎に見てた。勢力は990hp、大分小さくなった。 位置は天草沖西南西70km付近からほとんど動かなかった。気になったのは翌朝6時の位置予想、佐世保市付近とあった。 佐世保市は僕の家のひと山向こう、何にも出来ないけど気合ぐらい入れなければと思った。
夜寝る時も夜中目が覚めた時も今朝5時からパソコンしてる時も(見えないけど)外は静か、拍子抜けだ。屋根が音が するほど雨が降ったのは昨日の夕方?一時だけだった。喜ぶべきだけど本当に拍子抜け。今日は息子の高校の体育祭の 予定だったが昨日早々と中止の決定、仕方ないけど…やれたな。

9月3日 一日お世話になりました
今日の担当は一日を通して看護師のFさんとヘルパーのIちゃん、本当に今日一日お世話になりました。朝のケアで 折角洗髪・清拭して着替えさせてもらったのに午後3時の車椅子移乗の時には汗と気管切開部からの痰や唾液の横漏れで パジャマ(の肩付近)がじょっぼり、自分では背中に少し汗をかいてるなと思ってはいたが肩は全く自覚がなかった。 それで車椅子に座る前に着替えをしてもらった、一日に二度も着替えをしてもらって申し訳なかった。その上 Iちゃんには手足の爪まで丁寧に時間をかけて(いつもより)短め?に切ってくれた。すっきりした様な気持がした。 二人には一日中お世話になって…ありがとね。

9月1日 やっぱり?
朝のケアは久しぶりにHさん、昼からの車椅子移乗は主任とFさん、Kさんには先週ひどい事を言ったからやっぱり他の 所に回った様だ。これでまたKさんとは更に縁遠くなるな、まあ仕方ないか。


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8月
8月31日 立てた
水曜日のリハビリは午前10時過ぎからだから目が覚めていない。朝5時からパソコンして朝の経管栄養の時半寝してて… だからリハビリの前半はもう眠くて。眠いから反応が悪くて…申し訳ない。
リハビリの最後は立位訓練、M君が3回目にして初めて立たせてくれた。ただ立たせ方がゆっくりなので僕には辛い、 膝の力をより頑張って踏んばらなければならないから。まあ筋力を鍛えるにはいいのかもしれないが今の僕には そこまでの余力はない。ベッドも一番上まで上げてるのにこの状況はどうしてだろう。立ち上がるタイミングの 問題かな。もしかして背が高過ぎるのが災いしてる?、まさか。背がどちらかというと低い看護師さんでも 僕より 年齢が上の看護師さんでもベッドが一番上ならすんなりと立たせてくれるのに…不可思議。

8月30日 涼しくなったの?
昨夜寝る前(午前0時頃)嫁さんがモモを外から連れてきた、どうやらモモは餌を食った後いつもの様に夜のパトロールに 出てたらしい。そして嫁さんがモモを僕の脚の間において無理やり寝かしつけようとした。これまでならベッドの上に モモをあげても一目散に逃げ下りていたのだが昨夜は嫁さんの手に甘えて少し寝るそぶりを示した。けれど嫁さんが 手を離すとベッドから下りて行っていった。ところがである、嫁さんが眠剤を注入している間にモモがもう一度 自分からベッドに上がってきて僕の脚の間に眠ってしまった、今朝4時くらいまでも。
これはどういう事か。今まで暑い日々は僕のベッドに近づこうともしなかったモモが嫁さんに促されたと言っても ベッドに一緒に寝るとは。それほど夜間の外は涼しくなったのか。暑さ寒さを上手く感じ取る事が出来ない様に なっている僕にはよく分からないが…。僕が熱い寒いと関した時にはもう遅い、必ず直後に身体に変調をきたす。 つまらない身体だなあ。
モモが一緒に寝てくれるのは嬉しいのだがチビが来なくなるのは本当に寂しい。僕はチビにもモモにも僕の部屋に来て 欲しいのだ、一緒に寝たいのだ。けれどモモとチビは仲が良くない。モモはチビを見ると時々唸り散らすしチビは そんな母猫モモに遠慮する。僕の部屋では両立出来ないのだ。僕は2匹とも大好きだけどチビの方がモモよりちょびと 好きな量が多いのだ。チビの方に出来れば僕のベッドに多めにいて欲しいのだけれどどうすればいいのかが???。チビは 優しいから。

8月29日 なんで?
いきなり涼しくなった。昨日冷房を入れたのが失敗だった。昨日は一日下り調子で昼からはくしゃみ連発・気管切開部の 右からは痰や唾液が漏れっぱなし、昨夜風邪予防の漢方を服用し早めに寝て今朝タオルケットを薄手の布団に 替えてもらってようやく落ち着いた。
午前のケア、洗顔中に急にお腹がゴロゴロなりだしてガスが出てついでに中味も、こんな早い時間にもよおすなんて 珍しい。なんで?。って考えて思い当たる事は一つ、昨日いつもより1時間ぐらい早く寝たっけ、その分いつもより下剤 早く服用したっけ。気温が急に下がっただけじゃあないはずだもの。
これで今年は冷房とおさらば出来るかな。

8月28日 日曜日
日曜日、今日はとっても暇。何しよう。朝起きてからgaccoの講座「ちょっと深めのP」(課題なし)を視聴し、後は どうしよう、やる事が見つからない。仕方ないから暇つぶしに四川省(ブロック崩し?)をする事に。暇だと途方に暮れる 僕、僕の悪い癖。やる事がないとすぐに僕はとっても困惑してしまう&パソコンをしてないとどうしていいか 分からなくなってしまう。僕は暇ってものが怖いのだ、すぐにつまらない事に想いがいってしまうから。
体調は今日一日下り坂を下るように、冷房は台風の通過に応じてもう僕の身体に合わなくなっているのかなあ。

8月26日 通院日
今日は通院日。朝から何となく気が乗らなかった、こんな日この頃よくある。なんとかgaccoの講座「初めてのP」 Week3は終わらせたけれど。
リフト車に乗るため車椅子に座らせてもらって少しすると少し便意が襲ってきた。車椅子に座ってすぐに便意が あるなんて初めての経験だった。だから病院に着く途中で便が出る用心のために紙おむつを持っていった、幸い ギリギリで使わずに済んだが。今日の外来は忙しそう、こんなにバタバタしているのは珍しい。主治医の診察を受け 帰る時はリフト車の窓から風景が見えた。黄緑になっている田んぼもいくつかあった。今度病院に来るのは3週間後 レスパイト入院の日。
帰ってから嫁さんに薄めの塩水を飲ませてもらったけど余り美味しいとは感じなかった。一昨日までとってもとっても 美味しかったのに。身体には全く感じないけれどもしかしたら少し涼しくなってきてるのかもしれない、昨日車椅子に 座っている時にツクツクボーシの鳴き声が聞こえたしね。

8月25日 つい…
木曜日は訪問看護ステーションNの日、朝のケアには看護師のFさんが研修生(と言っても看護師だけど)を連れてきた。 彼女は先週訪問看護S Mと3日間来た。だから文字盤も使えたしちょっとしたサインも感じ取ってくれたから楽だった。 このところ関節の痛みどめに有効?とかの漢方薬を服用しているからか軟便、手順を変えてみんなを少し混乱させた。 前日の夜の下剤の調整を考えないといけないかな。
昼の車椅子移乗の時は主任と珍しくKさんが来た。Kさんを連れてきたっていう事は主任の体調がもうひとつって 事なのかなだからKさんを連れてきたのかなって思った。Kさんは身長も高く車椅子移乗に合うと思うのだがなぜか 車椅子移乗の時には来なかったし…僕自身どうしてかKさんとは性格的に合わないという気がしている。僕が人見知り するのは珍しいのだが…師長という肩書が僕に高めの理想を期待させているのかもしれない。それなのに今日のKさんは 呼吸器のアラームが連音しているのにも気付かない、直前で清潔??「ベテラン看護師なのに師長なのにそれやっちゃ ダメ」って事もあったし…、つい…。

8月23日 リハビリ
車椅子に座っている時「今は股関節も痛んでいないし今日は調子が良い」と感じていて車椅子からベッドに戻る時に 「今日は5歩ぐらい歩いてみるか」と思っていた。が、障子を開けて入ってきたNさんとM君を見て「そうだ、H先生は今 遅めの夏休みだった」と思い出した。けどNさんに車椅子から立たせてもらう際に看護師さんのお尻を持ち上げる 手助けがあったにしても案外膝に力が入り結構すんなり(と思っているのは自分だけかもしれないが)立てた。
リハビリは十人十色とこれまで色々なリハビリの先生にお世話になってきて知ってはいるもののM君はまた違ったタイブ なのかもしれない、まだタイプも性格もついでに性質?もよくは分からないけど。僕は以前に比べ変形性股関節症にも なって痛みもあるし難しい状態だけど早く僕の体質に慣れて欲しいな。

8月22日 ちょっと効いてる?
朝のケアの時に脚を動かしてもらっている際には感じなかったが午後の車椅子移乗の時に少し感じた事がある、 股関節の痛みが少し軽くなっているのではなかろうかと。もしかして関節の痛みを抑える漢方薬が少し 効いてきたのかも。
ベッドに戻りパソコン開始、2時間ほどたってから急に体調が落ちてきた。ベッドに戻った時汗を拭いてもらい 着替えまでしてもらったというのになんて事だ、本当につまらない身体だ。確かに昨日の夜辺りから肺に少し違和感を 覚えていてそれが今朝も残っていた,ちょうど風邪を引きそうな肺があれて少し息をしづらい感じが。けれど朝のケアも 昼の車椅子移乗も普通の感じだったのに夜になって出るなんてなんて情けない身体だろうな。体調が落ちてきた時の 一番のサインは気管切開部からの痰や唾液の横漏れ、これを見た時の嫁さんは結構嫌な顔するもんな。何の心配を しているんだか。

8月21日 暇な日曜日、娘が介護
今日も厚い、僕の無気力な日々は続く。パソコンもなかなかやる気が起きない、やりたい事がない。だからYahooGyaOで 無料配信のドラマを見たりアニメを見たりしながらこの雑記帳を書く、最近やる事がないから皮肉にも毎日、せめて この雑記帳だけはと。それでも時間が余るから四川省(ゲーム)、将棋も囲碁も入れているのだが頭を使うゲームには 気が向かない。こんな気の入らないパソコンはいつ以来だろう、覚えがない。
昨日の夜の経管栄養の時に嫁さんが色の付いた薬を入れていた。「それ何?」って聞くと「関節の痛みを取る漢方。 ゆっくり効いてくるらしい。」との事。そういえば一昨日の往診の時にかかりつけ医のT先生とそんな話をしていたな。 T先生には専門外だから調べてもらったのだろう。これで主治医に対しての股関節の相談はしばらくお預け。効果が 出てくれればいいのだが。今日は日曜日で膝を動かす事がないから股関節も痛まないので効果のほどは?。
今日午前10時過ぎから嫁さんが外出、代わりに不在の間娘が主に痰の吸引とか小便など面倒を見てくれた。今日は 特別に楽のみによる水飲みに挑戦、事前に文字盤であれこれやり方を説明しいざ実践。初めは口に上手く 入らなかったり呑み込めなかったりしたが後半はばっちり、その上最後に「勉強させていただきました」と。 我が娘ながらこの人の気持ちを思いやる性格は特別支援学校に向いてると思う。苦労はしている様だが。けど嫁さんが 帰ってくると「2泊3日で福岡に行ってくる。」と言って出掛けていった、約束があったらしい。その時の僕の気持ちは 「いいなあ」って。嫁さんや娘の行動を羨ましがってどうすると思うのだけど…。
意欲が湧いて来なくなると心がネガティブな方に入り込む。「僕とリンだけがなんで」って。確かに僕は病気に なるまで好きな事を人一倍してきたかもしれない。酒も40までに一生分飲んだ自覚があるし若い頃遊びにいっぱい お金を使った。沖縄と北海道に十何回行ったか。借金はしなかったけど貯金もなかった。だけど家族とは遊んで いない、百姓にも山にも諸々にも未練一杯だ。世の中不公平だよな。

8月20日 気力が湧かない
この1週間気力が全く湧いて来ない。火曜日配信のgaccoの講座「はじめてのP(プログラム)」Week2は何とかこなしたが 身体が妙にしんどい。気力があれば湧いてくればこの状況を乗り切れるのかもしれないが今のこの僕の意欲・気力では この状の打破は難しいかな。この2-3日早めに眠っているのだが睡眠時間を多く取るようにしたのだが相変わらず しんどい。昼間水分も摂る様にしたのだけれど…これが夏バテなのかな、多分した事ないからよく分からないが。
今日の朝のケア&午後の車椅子移乗は所長とFさんのコンビ。朝のケアの時は久しぶりに?頭に少し汗をかいていたので 洗髪・清拭をしてもらってすっきりした。午後の車椅子移乗の時ベッドから車椅子に移る際には股関節に不安が あったから立った時膝が耐えられなくてベッドに落ちた。不安が的中した感じだ。でもベッドに戻る時には所長が しっかりと立たせてくれたしFさんも力強くお尻を持ち上げてくれたから立った時右膝がすっきり伸びた。不安少し 解消?。

8月19日 俳句の日
今日は俳句の日らしい。そこで一句、「一八夜 ベッドで聞く花火の 虚しさよ」。字余り…。

8月18日 一八夜
今日は一八夜、我が部落(地区じゃなくてあえて部落)の夏祭り。しかし…我が家でこの日を楽しみにしているのは 僕ばかり、嫁さんや娘にとっては普通の日、下の息子にとっては苦痛の日かもしれない。僕は昔は子供の頃から祭の 音を聞いただけで身体がむずむずするくらいの祭好き。それなのに子供たちはなぜ…。それは僕が子供たちに祭の 楽しさを伝えなかったから・僕が子供たちを祭の会場・一八夜に連れて行かなかったから。例え不可抗力だったとしても 口惜しい。
僕が子供の頃は一八夜が一年に一番の楽しみだった、ご馳走が食えるし小遣いが100円もらえるし夜店が出るし。 一八夜の思い出もいっぱいる。一八夜には高校生から参加するのが一八夜会の決まりだ。僕らは高校2-3年の時は 「どてまかしょ」に入れられた。ある意味楽しかった。高校3年の一八夜の午前中国見山の中腹に直径100mmも あろうかというかつらを数人で取りに行った、一八夜の5個の鐘を叩くためのばちの材料だ。その山の中腹の光景を見た 時ここに秘密基地を作りたいと思った。その想い・楽しみは今も変わらない。こんな思い出や一八夜に対する楽しみも 息子たちに見つけて欲しかったのだが…出来なかった様だ。下の息子にとっておそらくこれが最後の一八夜だった だろうに。
今年の一八夜の花火も僕はベッドの上だった…、ほぼ寝たきりだから仕方ないけど。

8月17日 入浴車
水曜日の昼一は入浴車の時間、この数週間スタッフの看護師さん2人の中の1人に新人?のGさんがついている。僕が Gさんに興味をもったのは語尾に「〜け」がつく言葉使い。この方言で有名なのは僕の叔父さんのいる都城地方だが 高校生の時にどうも聞いた事がある様な気がするのだ。先週思い切って出身地を聞いてみたらO町との事、山を越えた I市O町からも我が高校に通ってたっけ。どうりで。
今日の入浴車のスタッフの中に久しぶりにYさんがいた。最近ご無沙汰の井戸端会議が出来て何となく嬉しかった。

8月15日 一五夜 花火
午後6時 花火の音が聞こえた。そうか、今日は一五夜、山田神社の奉納浮立だ。僕は恥ずかしながらこの年まで58年間 山田神社の浮立を見た事がない、終わりの合図の花火の音はこの14-5年ずっと聞いてきたけれど。午後9時を過ぎた頃 花火の連発音が聞こえてきた、どうやら浮立が山田神社に着いた様だ。この連発花火を唐船山の山頂の展望台から 見たら綺麗だろうなと思った。いやそれは贅沢、出来れば出来るならば田んぼの中の小道からでもいいから連発花火を 見たいな。しかし実際問題としては無理か。

8月14日 アイスノン
嫁さんが1週間前から子供用?のアイスノンを準備してくれた。その日から頭に汗をかかなくなって快適になった。 今日で1週間 もうアイスノン無しの今年の夏は考えられない様になっている。今年の異常な暑さの夏を最近更に衰えが 目立つこの身体が乗り切るにはこれしかない。嫁さんに感謝。
僕は昔からアイスノンの愛用者、結婚するまで冷房の効いた部屋になど住んだ事がなかった。当時の僕の暑さ対策は 水風呂とアイスノン、たまにどうしても我慢出来ない時は車の中で冷房を効かして寝ていた。生活の知恵だった。 最近お年寄りがエアコンを点けないで熱中症で倒れたというニュースが流れる。お金の問題でエアコンを点けたくない 気持ちも分からないではない。でも安価で身体を冷やす方法は捜せばあるのになあ。

8月13日 股関節 不安定
最近股関節の痛みの出方がさらに不安定になってきた。思わぬ動きで出る事も…。そろそろ対処療法が必要な時期に なってきたのかもしれない。嫁さんに「どんな対処療法があるのかな?」って聞いたら「股関節?の痛み止めの薬と シップを貼るぐらいかな。」との返事。脚を動かしていない時の股関節はどうもないのに薬やシップを使うのか。 今度の9月のレスパイト入院の時に主治医に相談しよう。ついでに股関節のレントゲンを見せてもらおうかな、折角 『人体ソムリエへの道』を学んだのだから。
今日の朝のケア&午後の車椅子移乗の担当はどちらも訪問看護師のIさんとヘルパーのFさん、おそらく僕の所に来る 女声の中で一番小さい人と一番大きい人のコンビ。今日の僕の右股関節の調子はあまり良くない日の様だ。右脚の リハビリの時に感じた右股関節の痛みが今日は立つ時まで残っていて右膝に力が入りにくくなっていた。少し自信が 無くなりつつあるなあ。実に厄介な身体だ。しかし…負けるわけにはいかないな、なあ リン。

8月12日 通院日
今日は通院日、車椅子に移乗させてもらって外に出ると息苦しくなるほど暑かった、玄関からリフト車までほんの2m・ 1分くらいの事だったけど身体がしんどかった。いつもみんな「外は暑いですよ」と言いながら僕の部屋に入ってくるが 今年の暑さは本当に異常だ。リフト車の中で「昔こんな暑いには那珂川の山奥(佐賀橋)まで車で行ってそこから小さな 支流を上っていき日陰の大きな石の上で弁当食ったり昼寝したり釣りしたりしていたなあ」なんてそんな事を 考えていた。
今日の受診は神経内科と皮膚科、救急処置室(1号室)に入ったら隣から主治医の声が。まずは皮膚科、皮膚削除部と 陰部を診てもらったが想像していた通りの対応、相変わらず誠意がない。今日はさらにひどかった、嫁さんもお冠、 僕は「もういいから帰れ」と言おうとしたが僕が興奮していたために看護師さんが上手く文字盤を読み取れなかった。 主治医の対応もいつも通り紳士的な診察。同じ病院によくもまあこんな異分子が発生するものだ。

8月11日 山の日
朝の経管栄養を9時45開始の朝のケアに間に合う様余裕を持って終わらせ訪問看護を待った。今日の担当はF看護師 (1人?)、バイタル測定・洗顔・手脚の運動が終わりかけた所にヘルパーのIちゃんが現れた(グッドタイミング)。それから 背中を拭いて薬を塗ってもらい排便処置(前日夜下剤+浣腸)。いつも通りの風景。違うところは陰部の発疹が少し悪化、 去年の9月から完治はしてない。塗り薬があってないのか。ともかくあの皮膚科は嫌いだし僕は信頼関係が築けない。 早く異動になって欲しい。
昼からの車椅子移乗には訪問看護師のO主任とHさんそれに社協のヘルパーyさんが来た。O主任 風の噂で入院していたと 聞いていたが体調は戻ったの?。ちょっと辛そう?だったが2人で車椅子に移してくれた。1時間後ベッド戻ってから 「実習生は?」と聞いたら「今日祭日」と。「ああ そうか」、いつも通りだからすっかり忘れていた。そういえば Facebooでもk2-3日前からいろいろ載っていたっけ。祝日だというのにみなさんありがとうございました。

8月10日 立てない、ショック
水曜日は下半身のリハビリ、今日はNさんがM君を連れてきた、今日はMさんが脚を動かしてくれるという。実際M君が 脚を動かすと初めてなので?先が読めない、変形性股関節症を抱えているから先が読めないと苦労する。それにM君は 僕の満足の度合いを知らないから動かし方に遠慮が入る。まあこれは僕のリハビリを始めてする場合にいつもある 現象なのだが。M君は足首の関節を柔らかくしヒラメ筋を伸ばす際にどっちの方法をとるのだろう、H先生方式 or Nさん方式?。
立つ訓練も1回目はM君、けれど立てなかった、ベッドから腰も浮かなかった。びっくりした。どうして立てないのか 理由もさっぱり解からなかった。何故・何故・何故、今まで築いてきた歴史が崩れていくそんな気がした。幸いNさんに 代わってもらったら立てたけれど…僕はこんな難しい事を訪問看護師さんたちに要求しているのかとショックだった。 車椅子から立ち上がらせてもらう時に迷惑をかけている事は自覚していた。ベッドから立ち上がった後車椅子に 座るために身体を90°回す事にも苦労かけてると思ってた。けどベッドから立ち上がる事だけは少しは自分で 出来ていると思っていた。だけど・・・

8月8日 リフトは?
今日は月曜日なのに朝のケアは珍しく所長、見たことのある研修生引き連れてきた。所長が月曜の朝に来るのはいつ 以来か、もう忘れた、1年以上経つだろうか。Nに同行している時の研修生はほぼ金魚のフン状態だったがここでは 所長の元では彼女も鍛えられている様だ、少しいや大いに彼女の声が小さいのが気になって仕方ないが。
昼の車椅子移乗の時間、いつもの月曜と同じ様に訪問看護師さんたちは遅れて到着。H先生は一緒じゃないの?。 たしか先週木曜日に突然現れて「午後の車椅子移乗でH先生立会いの下でリフトを試したい。」と自分の都合&思い付き だけで不規則な事を言ってきて僕に断られた際に「次は月曜日」と言ったと思ったのだが。股関節もいつまでもつか 分からないしかといって立たなかったり毎日股関節を動かさない事は僕の主義や今までの僕の生きざまに反するし…。 そろそろリフトの事で何回も言われるのにもけりをつけたいしなあ。

8月7日 姪っ子きたる、嬉しい
今日親父の米寿のお祝いをするとの事(誕生日は二ヵ月あまり先だが)。去年親父が米寿の祝いをすると大騒ぎをして 兄妹を招いて宴を設けた様だけど。僕は心の中で「なんで米寿のお祝いを二回もやるんだ」と思っていたがそのお陰で 15?年ぶりに姪に会えた、姪・甥の子供たちとも会えた、姉とも会えた。子供たちは僕の事をちっとも怖がらなかった。 全部嬉しかった。子供たちは向こうの部屋でよくしゃべった・よく騒いでいた、まるで自分の家にでもいる様に。 ちょっとうるさかったけど幼子のいる家が楽しかった。
姪が一人で僕のベッドの横に来てくれた時僕は思いっきり泣いた、もう会えると思っていなかったから。姪や甥たちに 僕は何にも出来なかった・しなかった、いつでもみんなと会えると思っていたから・いつでもできると思っていたから。 でもこんな身体になっちまった…。みんなが結婚した時も僕はなにもしなかったし子供が生まれた時もなんにもし なかった。子供たちはとても良い子に育っていたよ。何にも出来なくてすまない。情けないなあ。
敦美 本当にありがとうね。また会いたいな。

8月7日 友、再びきたる
ひと月ほど前同窓焼肉会の案内の葉書が来た。中学校の我が学年の同窓会は夏季オリンピックの年の正月3日に 開催されている。正月では女性は参加しにくいかもという事でこの焼肉会が計画されたらしい。昨日がその日だった。 僕は参加する同級生の顔が見たかったので前の日Tに「(同じ地区に住んでいる)T♀に焼肉会の写真を撮って見せに 来るように言って」メールしておいた。
今日の昼過ぎTが訪ねてきてくれて焼肉会の様子を話してくれた。参加者は30名余り、3年の時の担任のN先生も来たと。 懐かしい名前が何人も出た。僕はパソコンで相づちを打ったり質問したりするのだがどうしてもタイミングが 遅れてしまい話の流れに乗れなくて???となる事も。まあ仕方ない。次の同窓会は我々が還暦の歳 2年後と、「その時は 参加出来ないかも」との弱音。分かる、僕も来年の今頃存在してるかなと時々思うもの。90分あまり話をしてくれた後 Tは帰っていった。帰り際「Tが「俺もお前もわがままだったし好きな事をしてきたなあ」と。確かに動ける時はずっと 好きな事をしてきたけど僕はわがままだった?。だから友達がいないのかぁ?。

8月5日 往診
今日は往診の日、かかりつけ医のT先生が来てくれた。T先生にお世話になるようになってからもう16年目かな?、 気管切開し人工呼吸器を着けて退院してからは往診もしてもらえる事になった。夜中に来てもらった事もある。 紳士的な対応でやさしいと評判の先生だ。在宅療養していると在宅なりの問題も出てくる。主治医に相談しづらい事は T先生にお願いすると自分のネットワークを使って一所懸命に対応してもらえる。僕といくつ違いかな、確か歯医者の Y先生と同級だから六つ若いか?。
T先生の往診はまずはバイタル測定、次に胃ろうガーゼを交換し胃ろうの様子を確認。それから肺の状態を聴診しカニューレ交換+肺の聴診(空気の入りの確認)、真面目な医師だ。最後に5-10分程度嫁さんと雑談、これが貴重な様だ。T先生、いつもお世話になって…ありがとうございます。

8月3日 水曜 リハビリ
水曜のリハビリは下半身、担当はNさん(もはや担当と呼ぶべきだろう)。昨日H先生が言った通り新人のMさんを伴っての 参上。まずはバイタルを測って膝関節を確認し股関節と膝との可動域運動。あれぇ― Nさんが右膝を深く押しても 腰骨に違和感が来ない。左膝を深く押されても腰骨への違和感はほんの少しだけ。なんでぇー!。確かにこの1週間 立たせてもらった時に自分から腰を伸ばそうと努めてきたつもりだけど…。それにしてもNさんのリハビリや僕との 一連のやり取りがMさんの目にどう映ったか。
ベッドから立たせるNさんの手の位置には何の問題もなかった。両肩ともフリーだったし腰を押す左手のフォローも 十分だった。今まで腰を伸ばそうとする僕の意識が足りなかったのだ。股関節が痛んでいるとはいえ立つ時には 関係ないのだから…情けない。

8月2日 リハビリ 新人さん
今日車椅子からベッドに戻る時もH先生に5歩歩かせてもらった。立ち上がらせてもらう時に膝に力が入らないのは 相変わらずだったけど立ち上がって右膝を伸ばす時間は十分意識していたので短くなった。上り調子 かな。
H先生から「背の高い新人を連れてくる。」と聞いた。見るとベッドに寝ているからどのくらい高いかよく分からないが 180cm以上ありそう。今日は肩のリハビリを任せるという。実際にやってもらうと同じ型周りの可動域訓練なのに アプローチはH先生・Nさん・新人さん 三者三様、新人さんは緊張のためか随所に遠慮が見られ僕の表情が読み取れて いないがそれはまあ初めての患者という事で仕方ないだろう。H先生の最後の言い方だと火曜日はMさん・水曜日は Nんに任せるそんな感じだ。少しずつH先生が遠くなっていく様な…。
最近腰の筋肉が弱ってきていて何かの拍子に腰骨に痛みを感じる事が少し多くなってきている。これは全て自分の せい、僕が自分で腰を伸ばそうとする努力・腰に上半身を乗せようとする努力をほとんどしなくなったから。相手に 寄り掛かっている方が楽だと僕の身体が覚えてしまった。少しでも上半身が密着しないようにするためにはリハビリの Nさんには少し肩を突き放してもらわなければならない。Nさんの右手は僕のどこがいいのか?。後は僕の努力とNさんの 左手のフォロー。(H先生と歩く時は寄り掛かってないと脚を出せないから無理。その代わり後ろ足親指で身体を上手く 押せた時は腰がよく伸びている。)車椅子移乗の時は立った後の訪問看護師さんとヘルパーさんの(あるいは看護師さん 2人の)お尻の押し具合。最近はみんな強め。組み合わせがたくさんあるから徹底は難しい。もう遅い かも。

8月1日 研修生 参加
「今日から研修生を連れてきてもいいですか?」って朝一番に所長から電話があった。去年はFさんが怪我している 時期に研修生の同行があったが今年は早い。
朝5時からパソコンしてるから朝のケアの前半は眠くて僕の機嫌はあんまりよくない。必要最低限の事しか話さない。 研修に来た看護師さんも無愛想な患者だと思ったかも。でもまあ途中で「研修の目的は?」って聞いたころから調子が 上がってきた。偉いもんで看護師として働きながら正看護師の資格を取ったという。今回は訪問看護の実地研修らしい。僕が何かの役に立てばいいが。
午後の車椅子移乗の時間には2人の訪問看護師さんが2人の研修生を連れてきた。二人目の研修生は元気が良かった。 この部屋に5人もいると人口密度はどれくらい?。この2人の研修生が僕の病気についてどれくらい解かっているかは 知らないが…ほぼ寝たきりの患者が(ほぼ)毎日リハビリをして車椅子に座っている姿を見て彼女らがどう 感じてくれたかだ。


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7月
7月31日 日曜日、妻 不在
嫁さんは8時過ぎに出かけていった。どこに行ったのかは知らないがとやかく言える立場ではない、嫁さんも時には 自分の時間が欲しいのだろう。楽しみは木曜夜のコーラス練習だけみたいだから。それと下の息子の行く末、今年度 大学受験だから不安でもあり楽しみいっぱいでもあるというとこか。息子も嫁さんの期待を一杯背負って大変だ。
日曜日にお袋の介護だけでは僕は不安が一杯、お袋はコールが聞こえない事がしょっちゅうあるから。だけど今日は 安心、娘がいてくれたから。それに娘になら嫁さんには頼めない事でも頼めちゃう。この日のリクエストは「冷やした タオルで顔周りを拭いて欲しい」と。嫁さんは温めたタオル派なんだけど経管栄養の後には顔や頭からどんどん汗が 出る。冷んやりしたタオルが気持ち良かった。本当は冷えた氷を口に含みたかったけど…これをすると気管切開部から 漏れてくるから嫁さんじゃなきゃあ無理だろうな。

7月29日 通院日
通院日、リフト車に乗り込むために3週間ぶりに外に出たら…陽射しが強いし凄い熱気だ、思っていた以上に暑かった。 リフト車の窓から外を見ると田んぼは緑一色、3週間前と比べたら大きくなった。
救急処置室に入ると少し寒かった。外来での今日の僕の受け持ちはSさんとFさん、まずはバイタル、直前で痰を 吸引したから血圧がいつもより少し高く出た。しばらく待って主治医が入ってきて診察とカニューレ交換、何事も無事 終了。家に帰る途中はしばしの睡眠時間、後のパソコンに備えて。帰ってしばらくした雷雨になった。さっきまで かんかん照りだったのに突然の雷雨、雨に出会わなくてラッキー。

7月28日 木曜日は…(No.2)
朝のケア、9時45分に訪問看護S Nの看護師Kさんの「おはようございます」という声が聞こえた。僕は驚いた。確かに 先週の僕のカンファレンスの後でケアマネージャーから「木曜日の朝のケアを諸々の事情から15分早めたい」と相談を 受け承知した。ただし開始は「ここの調整が付いてから」と聞いていた。それなのに何も聞かされていないのに突然 その日が来た。僕は仰天ビックリ、ケアマネージャーから事情を聞こうと嫁さんに「Tさんを呼んで」と告げた。
ケアの間に頭が冷えもしかして嫁さんにケアマネージャーから何らかの連絡が入っているかもと思った。それでケアが 終わった後に「(ケアマネージャー)Tさんから何か連絡あった?」って聞いたら変更日付の連絡はなかったけれど 「調整はついた」って連絡はあったって返事。それでTさんを呼ぶのを止めてもらった。僕は子供たちとも嫁さんとも そんなに話しはしないので話の通りは他の人が思ってるほど良くはないのだ。出来れば両方に連絡して欲しかった。 それに変更になるのならいつからと連絡すべきだと思う。

7月26日 火曜リハビリ
今日のリハビリは2週間ぶりにH先生、車椅子からベッドに戻る時に五歩歩かせてもらった。立ち上がる時に膝に力が 入らなくてH先生に初めから力仕事をさせてしまった。また立ち上がった時に右ひざを伸ばしきるのに今日もまた少し 時間を要してしまった。すんなり右膝を伸ばせるようにはもうならないのかな。でも歩くのは比較的上手くいった、 後ろ足の親指で押しかげんにする事も意識出来たしね。
夜10時テレビTokyo系の『ガイアの夜明け』でHondaの歩行アシストを紹介する番組が放送された。歩行をアシストする 動きを外部から歩行アシストの機器内部のコンピュータチップに入力し歩くための筋肉(大腿四頭筋や ハムストリングス)の補助や歩く動きの先導??をしている様だ。筋肉が残っている・まだ発達する可能性のある患者には 歩行アシストやリハビリ機器として有効だと思われる。我々ALSの場合には初期段階での歩く筋肉保持に役立つと思う。 僕の場合は頚の筋肉が弱すぎるから無理だな。

7月24日 負けた 頑張った
準決勝開始、相手は第一シードS商業、今日はケーブルテレビテレビではなくNHKの放送だった。
初回からS商業打線はエースに襲いかかった。エースの立ち上がりは前の準々決勝よりよさそうなのだがそれでも力強い スイングをされて2回までに3点を失った。打線は相手先発のアンダースローを打ちあぐね1-2回はボールの下を叩いて フライを打ち上げていた。しかし3回にとらえ始め1点を奪ってなお1アウト満塁、続くは3番4番、同点・逆転の チャンスを迎えた。ところがその場面で相手監督はピッチャーをあっさりスイッチ、三振・フライに抑え込まれた
その後エースは毎回先頭打者を出すものの我慢のピッチング、3-7回5イニングを0に抑えた。打線はリリーフ ピッチャーに抑え込まれチャンスも作れない。けれど8回にとらえようやく1点を返してこれから盛り上がろうという ところで相手監督がまたもや1年生ピッチャーにスイッチ、敗れた。
敗因は相手監督の継投の早さだろう。良いピッチャーをたくさん抱えているチームだった。我が母校の野球部の みなさん、残念だったけどみんな自分の力をほぼ発揮しよく頑張った。感動をありがとう。
それにしても試合を通してエース(=同級生の息子)の自分の投球スタイルを貫き通した姿勢・心の強さは 大したものだった。親父譲り?。あの心の強さはこれからの人生のいろんな場面に生きてゆくんだろうな。

7月22日 母校野球部、準決勝進出
今日我が母校野球部の準々決勝、相手は同じ市内にあるI農林、試合を見た事がないからどういう試合をするか 分からない。
試合開始、エースの調子はもうひとつ、初回からストレートが浮き気味で相手打線にいい当たりをされている。我が高 打線も前の試合に比べて少し大振り気味かな。蹴れと中盤に入ってチームも落ち着いてきた様でエースも高めの ストレートで三振が取れる様になり打線も1点をこつこつと取っていく自分たちの泥臭い野球を思い出した様だ。 終わってみたら5-1で快勝、我が母校は準決勝へと駒を進める事となった。
しかし試練はこれから、あと2つは強豪校が相手だ。今までは試合相手に恵まれていた感があった(エースの好投が あっての事)が次からはもうそうはいかない。エースが強力打線を最少失点で抑えきるか・こつこつ打線が相手 ピッチャーに通用するか、どちらにしても自分たちのカラーを貫くしかないのだが。

7月21日 木曜日は…
木曜日のケア担当は訪問看護ステーションNとヘルパーさん、先週O主任が「2週間ばかり来れない」と言い残して 帰っていったが、今日の車椅子移乗の担当はHさんと初めてFさんまで現れ それに社協のヘルパーのY(& N)さんも。 ベッドから車椅子への移乗はこれまでにないほどに安定感があり上手くいったが…車椅子からベッドへの移乗はもう ひとつ上手くいかなかった。車椅子はベッドより低いから僕の膝に力が入る高さまで引っ張り上げてもらわなければ 僕は立ってはいられない。Hさんにはそこまでの力はない様だ。今は僕の腰の高さが中途半端な位置からベッドの方へ 身体が投げ出されてベッドに戻っている。このようなやり方でいつまでもてるか、あやゆいなあ。

7月20日 訪問理容
今日はリハビリの後に床屋さん、頭に汗をかく様になったので訪問理容を頼んでもらった。床屋さんはいつもの二人 Kさんと?さん、長年Kさんと一緒に来てもらっているけどもう一人の方は名前を知らない。いつも大きなマスクをかけて いるからよくは分からないが美人だと思う。僕にとって会社時代の懐かしい顔立ちの方だ。この二人 不思議な事に 何年経っても年を取らない。
床屋の時間は30分弱、ベッドに寝ているのに僕は頭すら上げられないのに後ろ髪まで上手く切るものだといつも思う。 直後の入浴車でいつも素直に「さっぱりしましたね」って言われるから似合っているんだと思う、たぶん。髪を 切っても涼しくは感じなかった。それだけ今年は暑いのだろう。

7月18日 海の日(祝日)
今日北部九州が梅雨明けしたとの事。どおりで2-3日前からミンミンゼミの鳴き声が聞こえる訳だ。
同級生の息子がエースの我が母校の野球部が今日の第3試合で8-1 7回コールド勝ちして準々決勝への進出が決まった。 今日のケーブルテレビの解説者によるとエースはストレートに力がありコントロールがよくて度胸もあるとの事。 べた褒めだがケーブルテレビの解説者はどのチームの選手も良く言う。打線は小粒だがコツコツと点を取っていく タイプ。良いピッチャーに当たったらそうは点数は取れないだろう。点が取れない時相手が強力打線なら今のように コントロール重視のストレートでは押さえきれまい。全力で投げたストレートがストライクゾーン四隅付近に行くか どうか。頑張れ、我が母校野球部。
今日は祝日、訪問看護は休み。代わりに社協のヘルパーさん2人が介護ヘルプに来てくれた。嫁さんに浣腸してもらって 後はヘルパーさんたちにお任せ、下を洗ってもらい洗顔・清拭をしてもらった。この2人のヘルパーさんたちももう 慣れたもので必要な時には呼吸器を外し支障なく対処してくれた。いつもありがとうございます。

7月17日 友きたる
今日の午後Tが訪ねてきてくれた。福岡に住んでるT、だいたい毎年夏と冬に訪ねてきてくれる。僕の所に訪ねてきて くれる数少ない友達の一人だ。僕は高校までこっちに居たがそんなに訪ねてきにくい様な性格・行動してたのかなあ。 誰とでも気軽に話し気軽な付き合いをしてきた風なのだがこの広く浅くの付き合いが親しい友を作れなかったのか…。 僕の何が悪かった未だにわからないが…子どもたちには僕のようにはなって欲しくはないなあ。
ティは今は体調はあまり良くはないとの事。いつもTが話し僕は聞いているだけ、まあ時にはパソコンを使って返事を する事もあるが…。今日の間図の話題は昨日嫁さんに案内ハガキを見せてもらった焼肉懇親会の事、中学の同窓会は 毎回オリンピックのある年に開催している様だが正月3日の開催だから女性が参加しづらい面もあるという。それを 補うために8月に懇親会を開催する様になったとの事。僕もみんなの顔を見てみたいがまあ写真で我慢しておこう。次は 高校野球、実は小・中・高校の同級生の次男が去年から我が母校のエースなのだ。Tと嫁さんが話している間に僕は パソコンを使って佐賀県大会を検索し速報とトーナメント表を見つけ「2回戦は2-0で勝った事、3回戦は明日の第3試合である事」を伝えた。やがて別れの時、またの再会を約束してバイバイ。T、いつもありがとう。

7月17日 雑記帳 長いとこサボった
何日ぶりだろう、もうひと月ぐらいこの雑記帳を更新していない。gaccoの講座を仕上げてからというのを言い訳に しながらサボってしまった。もうすっかりサボり癖がついてしまった。申し訳ない。
退院した8日からすぐにgacco『今だからこその江戸美術』の最終レポートに取り組み2日間かけてWeb提出した。 それから14日までかかってgacco『人体ソムリエへの道』Week4と『今だからこその江戸美術』Week3-4積み残し分を 字幕整理をしながら講義内容を確認、『今だからこその江戸美術』の講義内容を自分がほとんど理解出来ていない事を 自覚しなんと内容の薄い最終レポートを提出したかと恥た。批判した採点基準に助けられた格好だ。格好悪いったら ありゃしない。それにしてもgaccoの講座を受講し始めて14講座目、こんなに理解出来なかった講座は初めて。でも 絵と美術 平賀源内・伊藤若冲・円山応挙・北川歌麿・葛飾北斎の新しい見方を教えてもらった。
ここでしばらく休んでおけばいいものを暇になる事を嫌がる貧乏性の僕はすぐさまgaccoの『日本中世の自由と平等』を 受講登録、今日の夜までにWeek1を終えた。この講座はなかなか面白そう。でも課題が難しそう。ネットで調べなければ ならない事もしばしば出てくる。いじわる型の課題だ。Week1の課題は5割の正解、最初から8点も落とした。厳しい 講座になりそうだ。

7月16日 股関節 痛む?
今日のケアの担当は所長とヘルパーのIちゃん、土曜日所長とIちゃんのコンビは本当に久しぶりだから朝のケアでも 僕は次に何が来るのか手順の予想がつかなくて不思議な緊張感もある。まあ 三人三様だからそれが面白くも あるのだが。
リハビリの仕方も三人三様、所長のリハビリは力強いから僕好みなのだが時には強く効き過ぎていたい事も。 今日なんかも車椅子移乗の前に脚の関節をほぐしてもらっている時に右足を内転されたら右太ももの大腿四頭筋?の 外側の上の腱?にピリッと来た、そんなに強く回されたわけじゃないのに痛みが来るなんて情けない。それにこの部位の 痛みはしばらく痛みが残って膝に力が入らなくなるから厄介だ。この股関節症が加齢からきているのか病気の進行から きているのかは分からないが…どちらにしても本当に情けない身体だ。

7月14日 背中が痒い
背中の痒みが一向に治まらない。それで今日の往診の時にかかりつけ医のT先生に「オイラックスより(痒み止めに効く) 強い薬を出して欲しい」と頼んだ。その結果レスタミンを処方してもらえる事になった。嫁さんは先生への説明の中で 「背中が赤い」という言葉を使った。確かに痒み止めのスーとする塗り薬キンカンを塗ってもらった時に十ヵ所ぐらい ちくっとするところがある。今年の僕の背中、いったいどうなっているの?。レスタミンが効いてくれれば 良いのだが…。

7月13日 リン、お盆返りしているかな
入院中に1年前に阪田さん(東京の美大生)に描いてもらったリンの絵(油絵)を嫁さんに僕の部屋に飾ってくれるように 頼んでおいた。家に帰って壁?を見上げたらベッドに寝ていて僕の視線が生きやすい所にリンがいた。外を見上げている リン、僕が阪田さんに送った写真は縁側で陽射しをいっぱい浴びながら何か見つめる様に見上げているリン、絵の中の リンも温かそう。嫁さん、サンキュー。
我が町は7月盆、回りの市や町は全て来月なのに我が町だけは何故か7月盆。あるFacebook友達が「 確か明治7年?頃に 明治政府が7月にお盆をする様に条例施行されたが、農家は7月にお盆をやる事は忙しく昔ながらのお盆は8月に行われる 様になったと聞きます。」と解説していたが我が町は田舎、でも有田焼の関係かも。リンは迷わずに帰ってきたかな、 出来れは僕の夢の中で保育園のグランドや神社の境内・野山を一緒に駆け回りたい。出てきて。

7月12日 調子良しか
火曜日、朝10時からケア、今は背中と下[時々]が痒いから洗って(または拭いて)薬を塗ってもらわなければならない。 1時間でそれだけしてしかも車椅子に僕を座らせる(2人で)までするってバタバタだ。かなり忙しいと思う。忙しくして 本当に申し訳ない。下は多分去年の真菌の残りだろう。しかし背中の痒みの原因は何だ。みんな背中には何も異常は ないと言うのだが。
退院してから膝の調子が良い。車椅子に座っていてもH先生の支えがあったら数歩なら歩ける様な気がしていた。 それでH先生が来た時に「ここから(歩いてゆく)」と提案した。そして3歩歩いてベッドまで行き寝かせてもらった。 この調子良さがずっと続いてゆけばいいのだが。

7月1日〜8日 レスパイト入院
今日からレスパイト入院、リフト車に乗り込む前に家の前の畑を部分的につぶして駐車場を広げると聞いていたので 工事の進行具合を確かめようと思っていたがちらりとも見えなかった。まあ仕方い。病院に向かうリフト車の車窓から 回りの田んぼの景色を見ると田植えが終わった田んぼと準備中の田んぼと半々、今年は少し遅いのかなあと感じた。
病院に着くといつもの病棟のいつもの病室のいつもの場所へ向かいベッドに寝せてもらった。ナースコール用の ピルケーススイッチも今回はもうスタンバイ、B看護師がすぐにオーバーテーブルの天板の底の梁に位置を合わせて 貼り付けてくれた。これでひと安心。今回の受け持ち看護師は誰かなと一瞬思ったが今の入院毎に受け持ち看護師が 代わるシステムじゃあ十数年この病棟にレスパイトしている過去のいきさつなんてほとんど知らないから相談相手にも ならない。説明してもいいのだが毎回代わるので面倒。伝言だけならその日の部屋担当看護師に頼めばいいしもう 受け持ち看護師の存在は忘れる事にした。
検査は初日の血液検査と尿検査だけ、僕の採血はベテランでも苦労する事があるっていうのに二年目のK看護師が あっさり採っていった。たまたまかもしれないがこの看護師に対する僕の見方が大きく変わった。車椅子にも毎日ほぼ 1時間座らせてもらった。時には忘れている看護師もいたが僕が「車椅子」と伝えると急いで人を集めてきてくれた。 今回の入院中は痰が出にくかった、特に午前中。これまでなら午前11時前の下洗いの後体勢を整えるために身体を 横向きにしてもらったら痰が出てたのだが今回はほとんど出なかった。その代わり車椅子に座っている時やベッドに 戻った後は痰がよく出た。これを見て若い看護師さんたちはどう思っただろうか。今年は病棟に2人の新人さんが 入った。今回は僕の所に来ても伝書鳩にもならなかったがやる気はありそうだし次回のレスパイトの時までに どれくらい伸びているか…。
リハビリは今回は月〜木までの4日間、今回の担当はA理学療法士、前回まで2年間余り担当してもらっていたS先生 (理学療法士)から「今度午後から訪問リハビリに回るから来れなくなる。」と聞いていたから別に驚かなかった。 a先生は女性で元気がよくはきはきしててどちらというと可愛いタイプ、だが背があまり高くない。僕は脚の装具を 着けたら180cm以上、彼女の背丈で僕を立たせ数十秒間僕を支えている事が出来るのか不安は残った。まあ やってみるしかない、これがその時の僕の心境だった。火曜と木曜に立つ日と決めた。翌日5日火曜日、僕は朝から ドキドキしてた。ところが11時頃S先生が現れて「Aが都合で来れなくなったからリハビリは午後1時半からで いいですか。」と伝えにきた。僕はすぐさまOK、昼の経管栄養直後でお腹はきついかもしれないが不安名を抱えたまま 立たせてもらうよりずっとましだろう。水曜日のリハビリは可動域訓練、A先生の動かし方にはどうしても遠慮があって 僕の満足域まで届かない。それにS先生に比べて時間が短いかな。本当は僕は病院ではS先生の様に筋力訓練をして 欲しいのだが理学療法士個人のリハビリ方針にまで口を出す事は出来ないか。木曜日初めてA先生に立たせてもらった。 A先生は脚や足首をほぐさないまま装具を着けようとする、A先生は膝を伸ばしたまま装具を着けようとする、 それじゃあ僕の場合装具を着けるの難しいだろう。立位を保持しといる時も誰かが左腕を支えてくれていたし 前途多難かも。次回レスパイトの時はA先生ともゆっくりいろいろ話し合わないといけないな。
病室で僕の前のベッドはバイパッブを着けたご年配、診察や看護の途中で聞こえてきた言葉は「ラジカット」、 この人も僕と同じ病気ALSなんだなと思った。ラジカットを使っているという話しはFacebookにもたまにでてくる。 進行を送らしてくれる薬という事なのだが比較する相手は薬を使ってない自分、これはもう効果がある事を信じて 前向きに生きろという事でないかと僕は思う。この患者さんにラジカットが効果が十分に現われて今のバイパッブの 状態で家族と一緒に暮らせる生活が長く続いてくれればいいのだが。
7月6日は七夕会、僕も車椅子に移乗してもらい病棟のエントランスに連れて行ってもらった。司会は2年目のK看護師、 この子にこんな度胸があったのかと見なおした。まずは水戸黄門の主題歌をBGMに手脚の運動、NBCで夕方十数年間? 再放送しているからご年配の方に人気がある、いい選曲だと思った。僕は歌っているのが里見浩太郎・大和田信也の コンビだからいつごろの作品だろうなんて事を考えていた。次は看護師さんたちによるハンドベルの演奏、楽曲は 『見上げてごらん夜の星を』、演奏している子たちはこの曲が流行った頃まだ誰も生まれていない、これもいい 選曲だったと思う。極の途中でたまに「あれ」って思う事もあるがこれがご愛嬌、ハンドベルの演奏の時はいつも涙が 出てくる。最後にゲームをして修了。楽しかった、患者さんたちも喜んでいた。看護師の一部から「医師の参加が ないと物足りなかったんじゃないかなあ?」って声がしてたけど七夕会はこれで十分だよ。
8日 退院の日、数人の看護師さんに「今回は早かったですね。」って言われたが僕は年に4-5回もレスパイト入院 しているのだからまたすぐ9月に来るさ。僕は年に2ヵ月近く入院してるから。変な言い方だけどしばしの別れ、 ってね。


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6月
6月24日 『人体ソムリエの道』最終テスト・ 『今だからこその江戸美術』Week1-3 理解度確認クイズ一応送信
この2週間毎日朝から晩までgaccoの講座、正直言って僕の身体はかなり疲れている。
一昨日『人体ソムリエへの道』最終週(+最終テスト100点分)の配信、昨日は『今だからこその江戸美術』Week3が配信、 一昨日人体ソムリエの最終テストの内容を見たら5点×20問かつ「下記(5項目)から正しいものを全て選べ」と。これは 難しい、組み合わせは31通りもあるのに選択チャンスは3回と少ない。しかも初めから3問続けて2回も×が出て (間違えて)しまった。人体ソムリエの修了条件は70点以上 初めの3問はもう失った様なものだからあと3問しか 間違えられない。よりより慎重に2日かけて時には講義動画を何度も見直しながらドキドキしながら慎重に解いて…… 何とか修了点は突破出来た。
昨日の午後3時『今だからこその江戸美術』Week3の配信、人体ソムリエの修了に一応の目途がついた5時過ぎから 江戸美術Week3の講義動画と字幕をダウンロードし理解度確認クイズの内容をまず一度読んで確認してから講義動画を 字幕付きで最大化して聴講した。この講義 僕の国語力が弱いのもあるがこの講師と僕の相性が悪い様でこれまでの2週 講師の意図する講義内容がほとんど分かっていなかった(分かるとこだけ自分勝手に解釈)。だけど昨日は字幕を 見ていたからか少し理解出来た様な気がした。しかも理解度クイズの問題に関連のありそうなところでは動画を止め そこで理解度確認クイズに解答、10問中6問回答を送信出来た。そして今日は残り4問に集中、ネット検索やWordに 落とした字幕検索を駆使して一日かかって4問を正解で送信した。これで3week×2点×10問 全問正解で修了条件60点に 達した。本当にしんどかった。
来週レスパイト入院するまでに『今だからこの江戸美術』Week3までの字幕の整理を終わらせて退院後5日間で最終週の 講義を視聴して最終レポートを送信しなければならない。講義の内容を理解していないからレポートは大変だろうけど 気は楽だ。

6月15日 『人体ソムリエへの道』今日配信、しんどい
『今だからこその江戸美術』Week1、字幕の確認作業 終わらなかった、5分の1 2話分。それに字幕の確認作業をしても 内容がやはり理解出来なかった、情けない。それなのに『人体ソムリエへの道』が今日もう配信、駄目だ〜ぁ。 間に合わなかった。積み残したまま人体ソムリエへ。江戸美術 続ける事出来るかな どうしようかな。この2週間 不安でよく眠れなかったし。
この頃立ち上がる時の右ひざ調子が良い。身体を左横に向ける時に下半身だけでなく全身を横向きにしてもらっている からかな、そうしてもらったら右股関節の痛みは少し楽になるしな。『人体ソムリエへの道』で股関節も取り上げて 欲しいな。

6月12日 やはり難しいかな
今朝『今だからこその江戸美術』の動画を見た。1Week1話 各話ほとんど10分以上、その上僕の国語力では講師の 話している内容がほとんど理解出来なかった。もちろん(各週の)最後の理解度確認クイズも僕にとって難解で1回 聞いたぐらいでは…。もちろん優先順位はまずは『人体ソムリエへの道』の修了、人体ソムリエが修了出来なければ 元も子もない。江戸美術も何とかしたいが…理解するのに時間もたっぷりかかりそうだし…難しいかな。人体 ソムリエだけなら時間も2-3日余るんだけどな。

6月11日 両立、無理か?
夜 gacco講座『今だからこその江戸美術』を開いてみた。スケジュールは各週10話、久々の10話。こんなに多くて 『人体ソムリエへの道』と両立出来るか。『人体ソムリエへの道』Week2 今週は肩関節の不思議君、今週も内容が とっても難しくて…自分の抱いていたスケジュール通りには上手く進まなかった。やはり両立は無理なのかなあ。

6月7日 火曜日の昼間はスケジュールがいっぱい
明日の昼まで暇がいっぱいある。だから今の内にこの雑記帳を書きだめておこうと思う。明日の午後3時に『人体 ソムリエへの道』の2回目の配信・明後日の午後3時には『今だからこその江戸美術』の初回配信、この2つの講座を 共に受講して2つとも合格点を取って修了するという大それた考えを持っているから6月末まで(7月1日入院する 朝まで)は大忙しに違いない、今まで同時に2つの講座を受講した事はないからよく分からないが。この雑記帳もgaccoの 講座に没頭したら7月8日に退院するまでいや7月13日『今だからこその江戸美術』最終レポート提出期限まで 更新出来るかな。
今日は火曜日、昼間はスケジュールがいっぱいで大忙し。午前10時 朝のケア(所長はだいぶ遅れてきたが)、洗顔と リハビリ。ついでに陰部を温かいタオルで拭いてから薬を塗ってもらった、ずっと痒いのだ。今度のレスパイトの時に 皮膚科に診てもらわねば。11時車椅子に座る、僕にとってはしばし睡眠の時間。正午 H先生の訪問リハビリ、今日は 上半身と胸。この2-3回右手の万歳より左手の万歳の方が調子いい。車椅子からの起立は相変わらず苦戦、前かがみに なると右股関節に痛みが走り立ち始め右膝に力が入らなくなる。それに立った瞬間右膝を伸ばしきるのに少し時間が かかる。どうしたものかなあ。
午後2時からは訪問歯科、今日は歯科衛生士さんに加え先生も来てくれて口の中を確認、先生の往診は3ヵ月?ぶりかな。 先生によると歯石がまた着いてきていると、食べ物なんか何も口にしていないので何となく悔しい。そして先生が僕の 口の中を覗き込んで歯石を取ってくれた。口が指1本分しか開かないので先生も苦労していた様だ。申し訳ないと思うが この開かない口はどうしようもない。開口訓練もしてみたいがどうやったらいいか 方法が分からない…。
訪問歯科が終わったらうがい代わりにちょいと塩水を飲んで口直しをしてから後は夜の経管栄養の時間までずーっと パソコン三昧、もう慣れたが…以前は人の入れ替わりの多さ・時間単位のタイムスケジュールにちょっと 面喰っていたなあ。

6月6日 便が?
退院してからいやゴールデンウイークに入院していた時から少し便が緩くなっていた。これは便を出す際には丁度 いいのだが車椅子の座った時にガスと一緒に便汁が出たりする事が出てきた。病院では下剤(ラキソベロン)の滴数や 便を出す日の間隔を変える事で調整し易いのだけれど家では難しい、排便の曜日は変えられないし下剤を使い過ぎると だらだら・少ないと便は硬くて出なくなる、家族や訪問看護師さんの手を煩わせるのは気がひけるから下剤を1滴ばかり 少な目でやってきてるのに最近は車椅子に座っている時にガスと一緒に浣腸残り?の便汁が時々出てしまう(今日も)。 胃まで呼吸器で冷えてきているのかなあ。
僕の排便日は月曜と木曜。間隔の違いから木曜は二日目の便が降りてきてない事が多いから量は少なめの日が多い。 前日の夜の下剤の量を増やせば便も降りてくるのだろうが二次災害が怖過ぎる。どうしたもんかな。

6月5日 梅雨入り
昨日九州北部が梅雨入りしたとの発表があった。これから雨の季節…。
雨の季節と言ったって実際には外に出る事もない・めったに外の景色を見る事もない僕にはほとんど関係はない、 残念ながら。湿度の高い日にはエアコンを効かせればいいだけの事だしね、娘の雨の中の運転の日々に帰ってくるまで 秘かに心配する事も増えるだろうけど。良い事もある。猫は雨が嫌いだから雨の日にはモモもチビもよく家にいる。 昨日も今日も雨だったからモモは昼間ずっと僕の部屋の中に眠っていた。今日はケアが来ない日だからモモは脚の間、 温かかったしモモがいるだけで楽しかった。
6月の日曜日でゆっくりできるのは多分今日だけ、来週の日曜日はGyaOでドラマ見れるかな。

6月4日 絶妙コンビ?
今日のケアは朝も昼も看護師のIさんとヘルパーのIちゃんのコンビ、息もあって中々絶妙なコンビだ。朝のケア、洗顔 (その間に看護師さんがリハビリ)・洗髪・清拭・下洗い、僕にとってはベテランのヘルパーIちゃん(僕の所に来ている ヘルパーでは多分年少)が色々フォローしてくれるから看護師さんも楽だろう。まあプライドの高過ぎる看護師さんなら 口うるさいと思うかもしれないが。午後の車椅子移乗も息がぴったり、車椅子に座るのも安定していて安心だ。
1週間ほど前所長が「股関節に痛みがあるから横を向く時は腰から身体を回すようにしましょう。」と言ってくれた。 そうしてくれると股関節が本当に楽だ。今日もそうしてくれたら楽〜ぅ。だけどなかなか徹底はしてないなあ。

6月3日 身体がますます弱くなったなあ
今日も昼から体調が落ちてきた。車椅子に座ったらまた鼻水が…。ちょっとした事ですぐに鼻水が出る、我ながら 「実に情けない身体だ」「今の生活をいつまで維持出来るか…自信が???」「子供たちに申し訳ない、特に夢に向かって 懸命に努力している下の息子に」と思う事が多くなった。一番の療法は入院した時に近い生活を家でもする事 (睡眠時間をぐんと増やす)、しかしそうしたら暮らし向きが面白くなくなるし僕らしさを子どもたちに 見せられなくなる。二者択一としたら現状維持だな、たとえどうなろうとも。

6月1日 gacco講座「人体ソムリエへの道」受講開始
いつだったか訪問リハビリのH先生が「gaccoの講座を見てたら興味深いものがありましたよ。人体の…」と 言われていたのが残っていたので、先週gaccoのこれからの講座一覧を見たら『人体ソムリエへの道』という講座が あった。僕も人体・ソムリエという言葉に興味を惹かれ即座に受講登録した。そして今日午後3時過ぎWeek1の配信、午後 一の入浴ご一眠りして『人体ソムリエへの道』のサイトを開いた。まずスケジュールを確認、各週6話の構成でさほど 厳しいものではなかった。けれど非常にびっくりした事がひとつ、なんと各週の確認テストがない・Week4のあとに 100点の最終テストがあって修了条件は70%と厳しい。こんな事初めて、一発勝負で突破出来るかなあ。
講義の動画を見ると…講師の先生(阪大菅本先生?)はさも簡単という風に話されてはいるが内容は3D人体解剖アプリで 目で見て確認出来るとはいえ素人には結構難しそう。自己学習しようものならかなり奥がありそう、何故って講師の 先生は主なところしか話してくれていないから。それが顕著に出てるのがWeek1-5話の超難問、タイトルに超がつく通り さっぱり解からん。次の週解説動画があるからいい様なものの…。でも新しい発見が出来そう。


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5月
5月30日 やっぱり肺が寒い
6月になろうというのに肺が寒い。特に夜中眠って目が覚めた時、眠っている時は呼吸がゆっくりで呼吸器の中を流れる 空気も加湿器で温められるのに対し目が覚めると呼吸が一気に早くなり呼吸器の中の空気が十分暖かくなる時間は ない。結果肺に冷たい空気が入って身体冷えてくる。健康な人や他の人は肺に入って空気を肺で温める機能が あるみたいなんだけど僕にはその機能かなくなってきたみたい、寂しいけど。
今日は昼過ぎから少しずつ体調が落ちてきて車椅子に座ったら(ベッドでパソコンしていた時より呼吸が 激しくなったのか)肺が冷えてきて鼻水がチラリ、そして1時間後ベッドに戻ったらくしゃみが出始めた。 しばらくしたらくしゃみが連発、「こりゃいかん」と思い体調が落ちた時の対策 漢方を服用して寝た。

5月29日 モモと日曜日
gacco「社会人のためのデータサイエンス演習」講座も今日でビデオを見ながら字幕をWordでまとめ終わり無事終了。 Week5の第6回『まとめ』は内容が盛りだくさんで難しかった。この内容(痰回帰モデルの応用:Y=beaX ⇔ logY=aX+logb 等)が最終課題に盛り込まれていたらかなり苦労しただろう。それにWeek5は 横文字が多くて…、ネットで一個一個調べればいいんだろうけどそこまでする気にはならなかった。
最近嫁さんがよくモモを連れてきて脚の間に寝かせる。今日は午前10時から夕方5時過ぎまでいた、実に9時間以上 時には体制を替えなからも脚の間でゆっくり眠っていた。モモは今年の1月末からよく僕の所で休むようなつた。 その代わりチビはほとんど僕の部屋に遊びに来なくなった、餌を食う時以外は。モモは僕の事をまだ人間と 思っているのかもしれないがチビにとって僕は動かぬ暖房機器、まだ人間と見なされていないか。
この2週間僕が日曜日にやっている事はYahoo GyaOで先週放送されたテレビドラマ3-4本の鑑賞、このところのGyaOの アニメには僕の関心を引くものがほとんどない(新し過ぎるし絵に興味が湧かない)からテレビや映画に枠を広げた。 僕は基本テレビ朝日系からチャンネルは変えない、面倒くさいから。でもこうやって見てみると結構面白い。 来週(続き)が楽しみだ。

5月27日 通院日
今日は3週間ぶりの通院日、朝早く起きてパソコンしていたので経管栄養の時もリフト車で移動している時も眠くて 目が開かなくて車窓からの景色が少ししか見えなかった。その少ししか見えなかった間に田んぼを見たら水を張った 田んぼが1枚だけあった。もうすぐ田植えの季節か。でも昔僕が子供の頃は蛍は田植えの頃に飛んでたと思ったが。
病院に着くと救急処置室へ、今日の担当はSさんと?さん(名札は見たが忘れた)。まず車椅子からストレッチャーに スライドボードで移してもらいバイタル測定、しばらくして主治医が入ってきて診察と処置(カニューレ交換)そして 嫁さんと主治医との話し合いの中で7月1日から1週間(僕の希望)のレスパイト入院が決まった。本当は股関節の鎮痛剤や 湿布をどういう時に使うのか聞いてみたかったが止めにした。何故っていつもは(寝ている時は)股関節は 痛まないもの。

5月25日 gacco「社会人のためのデータサイエンス演習」講義、最終課題一応送信
昨日の午後3時 gacco「社会人のためのデータサイエンス演習」講座の最終週Week5の配信があった。講義の動画6話を それぞれ2回ずつ見て最終課題に取り組んで昨日と今日で何とか最終課題を終え送信した。Week2〜Week4の確認テストで 5問×3週間違えずに送信出来ていたから満点での終了を狙っていたが…最終課題の6問目(15問中)でアウト、あえなく 夢と散った。結局その他にも1問間違い94点でこの講座を終了した。間違えたのは2問ともクロス集計表の解釈、 もう少し注意深く問題を読んでもっとよく考えていれば正解に辿り着けたかもしれないのに。やっぱりクロス集計表は 苦手だ。
最終課題ではクロス集計表の他にヒストグラムの大問が二つ出た。僕のパソコンのExcel2010はツールバーにある データの内容が表示されなくて真っ白、度数が関連する問題なら苦労する。母数のデータ数が10,000&2,500もあれば なおさらだった。都度並び替え&スクロールや行削除をして列番号を見て度数を計算した。とっても大変だった。でも 新しい関数も覚えた。それも収穫。

5月24日 H先生のリハビリ、久しぶり
3週間ぶり?のH先生のリハビリ、久しぶり?に受けたが その違いを言葉で表すのは難しいがやはりNさんの動かし方と 何か雰囲気が違う。動かす時の角度と速さが少しだけ違うのかなあ、痛みだす部位の位置がちょっと異なる様だし。
今日H先生に右肩周りを動かしてもらった時痛みの出方がいつもと少し違っていた。まず左肩方向に右腕を倒して もらった時はいつもなら右肩の角の少し下が初めから痛んで腕が倒れていくほどに肩の角の痛みが増していくのだが、 今日は初めは痛みが無くて限界に近づいた際に急に右肩の角が痛みだした。右腕の万歳の時にはいつもなら右肩の角が 急に痛み出す渇きの筋がだんだん痛くなるのだが今日は二の腕の右が少しずつ痛くなった。今日に限って何故だろう。 しかし左肩の万歳で少しはH先生を満足させる事が出来た様だ。
H先生に車椅子からベッドに移乗してもらった際気がついた事がある。今日もH先生に立たせてもらった時右膝を 伸ばすのに少し時間がかかった。最近ベッドから起してもらってベッドサイドに腰掛けた時に右足の内側がはっきりと 見え過ぎるのが気になっていた。ベッドサイドに座った時に僕が意識的に上半身を少し左に傾けようとしている事も あるのだが(真っ直ぐだと右に倒れてしまいそう)右膝が外に開いてしまっていると。だから立った時に右脚が少しO脚に なるのだ。それで右膝を伸ばすのに時間がかかるのだ。立つ時に右太ももの内側を締める事を意識しないと いけないな。

5月22日 暇つぶしに
三歩が死んじゃった、これ『岳』というコミックの話。今日は日曜日でgaccoの講座の切羽詰ったものは当面なく珍しく 余裕があったのでFacebookを確認した後久しぶりにe-bookで『岳』の続き(16-18巻)を読む事にした。15巻で島崎三歩が エベレストでなくなるだろう事は察してはいたが16巻を読み続けるうちに涙がこぼれてきた。そして18巻の最後の方で 6人目(無酸素で)エベレストの山頂に救助に行って山頂でコーヒーを飲みながら死んでしまった、二人とも。二人とも 死んでしまうくらいなら救助に行かなければ三歩一人は死なずにすんだのにと僕は何度も思った。しかしそんな事 出来ないのが三歩、そんな事は15巻読んで解かっている…。

5月21日 いつまでもてるか
今日の朝のケア&昼の車椅子移乗は両方とも看護師のIさんとヘルパーのTさん、ヘルパーさんが朝も昼も一緒なんて あまり無い事だ。Tさんは大した失敗もしてないのにすぐ「申し訳ありません」と、たぶん口癖なのだろうがあんまり 口にされても…。Iさんは今日はいきいきと主導権を取っていて誰かの前とは大違い。こんな二人のコンビ ケアには ほとんど支障はなかったけどなんとなく凸凹コンビかな、なんてね。
股関節の痛みは相変わらずある。特に右股関節、入院前の太もも上部側面の痛みは無くなったけれどその分太もも上部 前面に付加されたみたいだ。サプリメントの効果はまだ出ていないみたいだし湿布を貼ろうにも炎症がある訳では ないのだからどこに貼っていいのか自分でも分からない。このまま少しずつ悪化するのかな。ずっと身体に無理して (自分ではそう思っていないが)病気の進行に逆らって立たせてもらっていたツケが出てきたのかな。だけど立たせて もらっていたからいつも車椅子に座らせてもらっていたから現在の状態の自分があると自負し変な自信持っている。 自分が主張しやってきた事に後悔する気持ちは全くない、これが自分に残された自分を表現する道だから。これからも 出来る限りは無理をしてでもこの道を進むつもりだ、応援してもらえるなら周りに迷惑をかけても。いつまでもてるか もう分からないが…。

5月20日 gacco「社会人のためのデータサイエンス演習」講座 順調??
今日で「社会人のためのデータサイエンス演習」Week4が終了、一応順調に来ている。後は来週火曜日の最後のWeek5の 配信を待つのみ。だけどWeek5の最終テストは半分以上の55点でWeek2〜4の確認テストの合計よりも多い。すごく時間が かかりそうだしそれにどのくらいの難易度かも分からない。楽しみでもありも…心配・どのくらいの点数で修了出来るか 不安でもある。(僕としてはここまで来たら満点で修了したい)
不安なのは僕のパソコンのExcel2010のツールバーではデータをクリックしても真っ白、ファイルとホームと挿入しか 項目が表示されないのだ。問題によってはとっても苦労する。たとえば度数分布表とヒストグラム、その都度データを 並び替えて列番号から度数を計算しないといけないからすごく面倒くさい、出来ない事はないのだけど。たとえば 固定、表示(Alt+H)をクリックしても何も出ないから…出来ない。不便な事が多いから買い替えようかな。

5月18日 蛍、今年も生息
夜9時過ぎ嫁さんが蛍を捕まえて見せてくれた、小屋の窓の所でぼーっぼーっと光っていたらしい。今年も蛍たちは無事 我が家の傍で生息、昔我が家の周りが田んぼだらけだったころ田植えの時期には我が家の回りは蛍であふれていたのに 数十年前我が家の前の田んぼが畑に変わった頃から?蛍がほとんど見なくなった。そして農地改良でのぼいみち (保育園から東)方面の田んぼが四角形に変えられとても大きくなってついでに田んぼの周りの溝のほとんどが コンクリートに固められてから蛍はいなくなった、我が家の前の数軒の周り以外からは。何故ってうちの前の数軒の 生活用水は石垣の溝で出来ていてそこを流れていて この溝には今年も蛍が…生きていた。

5月16日 装具修正完了
金曜日の夕方脚の装具を持って帰った業者さんが今日の午前中に装具を持ってきてくれた。これで午後の車椅子移乗は 一応立って移動出来る。この頃股関節症の痛みの事もあってか立つ事にちょっと自信をなくしかけている。何となく 生き続ける事の目標がもう一つぼけてきて気合が高まってこないんだ、あれほど立つ事に執念みたいなものを今まで ずっと見せ続けていた僕なのに気持ちが動きに影響を与えているみたいだなあ。
修理してもらった脚の装具はマジックテープを変えてもらっただけなのだが新しい装具に見えた。脚の締まり具合も ばっちり、締めすぎたら少し痛いほど。これで自信持って立てたら…。

5月14日 久しぶりの横移動
脚を固定する装具のマジックテープが効きづらくなってるとみんなが心配して脚の装具のマジックテープの交換を 手配してくれた。そして昨日の夕方業者さんが脚の装具を取りに来た、月曜着で送ってくるとの事。だから今日の昼の 車椅子移乗は何年かぶりに横移動、どうやって移動するのか・どういう風になるのかと思っていたら結構上手かった。 今日の担当は看護師のFさんとヘルパーのIちゃん、病院でのベッド←→車椅子の移乗はスライドボード 今日は バスタオルとスライドシート、しかも2人だけで(病院では4-5人)。それでもく色々工夫をしてくれて2人だけでも移乗は 結構上手くいった。いつかは……こうかな。

5月12日 お腹がゆるい、なんで
木曜日のケアは訪問看護ステーションNの日、午前中は便介助&処理・午後は車椅子移乗 1年以上経って僕も向こうも大分 慣れた。朝のケアの担当はF看護師、右耳の洗浄があるか今日はスピーディ、僕にはこのペースが合ってる。差し込み 便器を差し込んでもらう時ヘルパーさんが腰を上げてくれるのだが最近ヒップアップに自信が無くなってきたせいか お尻を上げる力が弱くなってきていて迷惑かけてるなあ。
午後の車椅子移乗はいつもの様に主任とHさんそれにヘルパーのNさん、Hさんがベッドから車椅子に移乗させてくれる 日だ。ベッドから立たせてもらって車椅子に座るためにHさんとNさんに反時計方向に身体を回してもらった時Hさんの 腕が震えていた。僕はより一層膝に力を込めたつもりだ…。車椅子からベッドへの移乗は主任、柵が1本しかないのが 気になり柵の話しをしていたら話しの最後になってゆるい便が出てしまった。話しをしていなかったら出なかったかも しれない。またみんなに迷惑をかけた。申し訳ない。それにしても入院半ばから便がゆるくなった。前日寝る前に 服用している下剤の調整が必要かな。

5月11日 リハビリと股関節
股関節症だと聞いてから昨日今日と初のリハビリ、両日ともH先生は用事で不在 Nさん一人でのリハビリとなった。 今日は下半身のリハビリ、股関節をどう動かされたらどういう風に痛むのか確認しながらの可動域訓練となった。 やはり膝少し曲げた時それに右膝を伸ばしきった時に股関節が痛む。ベッドの頭の方を邪気アップしていたら途中から ちょこっとずつ痛む。車椅子に座っていたら45分過ぎたら少しずつ痛み出す。去年股関節のレントゲンを撮った時から この兆候はあったのだろうな、少しずつ悪化しているもんな。
たとえ痛みが出てもそしてその痛みがきつくなろうとも車椅子に座る・出来る間は立つ その信念が僕の心をずっと 支えてきたんだもんな。サプリメント効くといいなあぁ。

5月8日 股関節症
昨日主治医にレスパイト期間中のお礼と人工鼻や病院で使ったトリロジー(人工呼吸器)の感想&右耳や右股関節の 外側の痛みのその後の状態をメールしたら、今日先生からのメールが返ってきてその中にCT検査の結果股関節症と 鎮痛剤という単語があった。股関節の痛みの原因は両方とも股関節症によるもので痛みが続く様だったら鎮痛剤を 処方するという事かな、今はまだ鎮痛剤は処方してはないから。嫁さんにメールを見せたら「この年になったら色々 出てくるわよ。サプリメントでも使う?。」という反応。僕はすぐさま合意のサイン。でもこれで周りがまたうるさく なるんだろうな。あと1年は……。
主治医のメールの中に「立位や坐位で排痰ドレナージが効いているようですね」という言葉があった。活躍している ALS患者は車椅子でもよく動き回っている。何が違うのかな、「本人の意欲」それとも「医者の考え方」。リハビリに しても昔は「日常生活を出来るだけ自分の力で過ごす事がリハビリ」と言われリハビリに余り積極的ではなかったが 今は…。僕はALSと判ったらその時点でリハビリ&筋肉に疲労が残らないくらいの無理な運動、本当は疲労が残っても 痛みがあっても(継続しなければ)無茶でなければ無理と思える様な運動でもするべきだと言いたいが。強要は 出来ない…、生まれ持った筋肉が違うし過ごした時間が違うから。だけど部分は動かなくても部位の筋肉に動く 可能性が残る事を知っていて欲しい。

5月6日 gacco「社会人のためのデータサイエンス演習」Week2 理解度確認クイズ 提出
退院して家に着いてすぐパソコン開始、まず取り掛かったのは gacco「社会人のためのデータサイエンス演習」Week2の ビデオ視聴。ラッキーだったのはWeek2の確認テストもWeek3以降の配信もゴールデンウイークのおかげ?で1週間 繰り延べ、来週の月曜日までにWeek2を済ませればなんと遅れ無しということに。ビデオを2回見て時間が思った以上に かかりはしたがExcel(2010)を使って一応確認テストは送信したしWeek2の内容確認も月曜までに終わりそうだし…、 ラッキー。
それにしても僕のExcelなんでホーム(Alt+H)と挿入(Alt+N)しか入っていないんだろう。これからの事を考えるとExcel インストールし直さないと駄目かなあ。


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4月
4月22日〜5月6日 レスパイト入院
今日からレスパイト入院、朝7時過ぎにパソコンをやめて朝の経管栄養400ml+白湯、8時半前に経管を終えて寝ながら 訪問看護師さんや社協のリフト車を待つ。少しブルーな気分、まぁ 毎度の事だ。10時過ぎに出発、眠くて車窓からの 景色を見る気にもならなかった。病院に着き病棟・病室へ向かった。ベッドの場所はいつものところ、この窓から外の 桜の木・新緑を見つめるといつもリンの事を思い出す。去年のGWのレスパイトは辛過ぎた。未だにその悲しみ&寂しさは 癒える事は決してない、時々涙がこぼれてしまう。長生きさせてやれなくてごめんね、リン。
今回はTさん& K君両看護師が対応してくれたからベッドに横になってからのナースコール用ピルケーススイッチ設置 等の対処もすごくスムーズで安心だった。ただ「今回の受け持ちさんは?」と尋ねた時に「まだ決まってない。」って 返事、そんな事あるの。後で連絡があって「受け持ちは今度この病棟に来たS看護師」って。僕の事何にも知らない 看護師なのにこんな事あるの、ここでの受け持ち看護師ってそれだけの存在なの。しかし僕の飛んでない誤解だった。 S看護師さんは僕の事を良く調べる努力をしてくれてそれに動きも早い看護師だった。こんな事もあるんだなあ。
今回の年度末の病棟の異動は看護師長さんと2名だけ(+新人2名)、珍しく小規模、過去3-4年でこの病棟の看護師の半数 近くが入れ替わった。名前と性格を覚えるのが大変だった。去年の新人3名も完全に覚えたし今度来た看護師2名(1人は 出戻りの顔見知り、性格も動作も変わってない)にも馴染んだ。ほとんど看護師が「いらっしゃい」「お久しぶり」と 親しみを込めて?挨拶してくれる。半数以上が新人の時から成長を見続けた看護師さん、たまに注意?もしたがその 成長ぶりが嬉しい。I看護師は古巣へ異動、でも本人にとってはまた看護に専任出来ると思うからその方が良いだろう。 ここでは不思議な事に入浴専任の如く見えていたから。その代わりこの病棟の入浴は混乱してるけど。辞めたMさんには Facebookで捜してひと言「なぜ黙って辞めた」って文句を言ってやろう、ずっと良くしてくれたから寂しい。新しい 看護師長さんとは入院した際ちょっと挨拶を交わしたきりでそれから1週間以上会っていなかった。それでこの日夜勤で 僕らの病室を担当してたK副さんを呼んでもらって「退院するまでに師長さんの顔を覚えきれないかもしれない」と 呟いた。夜勤明けのK副さんにとってはとっても迷惑な話だ。でもそれから師長さんが2回会いに来てくれた。
レスパイト入院初日 血液検査・胸のレントゲン・心電図・検尿 全て終了、今回はすごく段取りが良い。後は残す大行事は 股関節の検査と胃ろうの交換、股関節の検査は25日月曜日久しぶりのCT検査、胃ろうの交換は月曜日の夕方突然「明日 時間は未定だけど胃ろうの交換」と告げられ朝の経管は中止で待っていると8時頃にもうすぐ胃ろう交換って。胃ろう 交換(チューブの抜き差し)は去年と同じくらい痛かったけど参ったのは胃カメラの時間の長さ、去年の3倍ぐらい 胃カメラが体の中に入っていた感じがした。しんどかった。
入院前から右耳が聞こえづらく違和感を覚えていた。そして週明けの25日ぐらいから痛みだした。そこでこの日の 部屋担当の看護師さんに「右耳の少し奥の方が痛みだした」とメールしてもらった。そしたら病院前の耳鼻科の先生に 往診してもらえる事になった。翌日診てもらった時に「耳垢で鼓膜が見えない。耳の中を洗って点耳薬を 差してください。」と言われた。ところが主治医の言っていた耳洗いの出来る看護師はこの病棟ではなかった様で 点耳薬だけになった。翌月曜日(5月2日)もう一度往診、その時は偶然主治医が同席していて耳洗浄の出来る病棟の名を 話してくれたのでこの日から1日に2回耳洗浄と点耳薬をしてもらえるようになった。そのおかげか退院する前の日から 右耳が痛まなくなった。
入院している病棟の看護師さんたちが毎日1時間車椅子に座らせてくれた。車椅子に座った後はやっぱり痰がよく出る。 痰がたっぷり出たら肺がすっきりする、その代わり肺は一層冷え冷えするけどね。リハビリは主治医が手配してくれた 様で25日から平日は毎日S先生が来てくれた。S先生のリハビリはやはりかなりきつい方だと思う。H先生に共通した 自分のリハビリ信念に基づいた厳しさがある。初日は筋力測定、S先生の僕の脚を動かした感覚では僕の脚の筋力は 去年に比べて余り弱ってはいないと感じたそうだ。まあ嬉しい事だ。S先生には火曜日と木曜日と翌月曜日 立たせてもらった。他の日は肩や腕・手の可動訓練と脚の筋力訓練をしてもらった。そのおかげでわずかながら 残っていた立つ能力を失わずにすんだ。
dellノートパソコン、最新のウイルスヴァスターが何かのアプリが入り込んでてインストール出来ないと聞いてたので 「えーい この機会にWindows10への無償グレードアップをして中身を初期化してしまおう」って事で3月?に娘に頼んで Windows10へのアップとウイルスヴァスター&ハーティラダー(最新バージョン)のインストールをしてもらっていた。 今回の入院に際して病院でdellパソコンを使うにはハーティラダーをワンスイッチで使える様にモードを切り替える 必要があった。ところが僕がスイッチでのモード設定のやり方諸々を忘れてしまっていて嫁さんを指導出来ない。 病院の作業療法士O先生に頼もうとしたがご存じない様だった。その事がO先生→地域連携室→コミケンへと伝わり ハーティラダー開発者吉村さんがわざわざ来て下さる事になった。当日の吉村さんはいつも通り一生懸命、見ていて 楽しくなった。その上合成音声も入れてくださった。吉村さん、dellノートでもスイッチでパソコン操作出来る様に なりました。ありがとうございました。
入院中に気になった事が二つあった。ひとつは入浴に対する看護師の人数シフトの事、お風呂の時はもっぱら かかわってくれていたIさんが異動したというのに常勤看護師のシフトは以前のままに見えた。これではリフト入浴が 必要な患者を1日で入れるのは無理の様に思えた。ゴールデンウイークを挟んだ連休シフトの関係かもしれないが 混乱している様に思えた。僕も通常のレスパイトでお風呂が10日開くのは初めての事だった。もう一つは ナースコールへの対応が遅くなってきている事、取るのも取ってから来るまでの時間も。更に問題なのは1分以内に 患者の所にいけないのが分かっているのにコールを取ってしまう看護師がいる事、誰かが取るから放っておいてくれ。 少なくともナースコールの件だけでも看護師長に報告しておこうと思ったのだが残念ながら連絡方法を知らない。 誰かを経由したら人間関係が気になる。どうしようかな。
退院の日は行事がいっぱいで忙しい。だけど事前に今回の受け持ち看護師Sさんがすべて手配してくれていた。後はその スケジュールに乗るだけ…。家に着くとモモがちょこんと座って待っていてくれた。家に帰ってきたなあ。

4月20日 下半身リハビリ
右太もも外側の筋肉?が痛くなってから2回目の下半身のリハビリ、Nさんが相当気を使って右膝や太ももの内転なし・ 膝を伸ばす時もゆっくり動かしてくれたので外側は余り痛まなかった。そこで新たな発見、脚を上に上げてもらったり 膝を曲げてもらったりした時に最初に来る痛みを今までは股関節から来る痛みだと思っていたが実際は違った様だ。 実際は両脚とも太ももの前の筋肉の脚の付け根付近からきているなあ。ただ前面の痛みと外側の痛みの大きく違う所は 全面は何回か膝を曲げてるうちに痛みが消えていくのに対し、外側は膝を最後まで伸ばすと毎回痛いし痛みの余韻が 5分ぐらい残る事かな。
歩く訓練ももうひとつだしそろそろ無理の利かない脚になってきたかな。あと1年はこのままでいたいなあぁ〜ぁ。

4月19日 gacco「社会人のためのデータサイエンス演習」受講開始
今日からgacco「社会人のためのデータサイエンス演習」講座の配信が始まった。22日からレスパイト入院する身だから 修了まで到達するのは厳しい状況だけど、幸いWeek1はテストがないし5月6日に退院して9日までにWeek2のテストを 出せればWeek3のテストの提出期限は16日だから何とかなる、たぶん。統計学の講義はこれで4講座目、難なく 通過したいところだが今回は講座名に演習と名がついている通りExcelを使った演習が中心らしい。6日に動画を見て それからテストの演習となるとはたして間に合うか。Week2のテストだけでも出来れば簡単であって欲しいな。

4月18日 チビ 登場
昨日「最近チビが僕の部屋に来ない様になって寂しい」と書いたら「そんな事はないよ」とでも言うように夜8時頃 チビが僕のベッドに上がってきて、最初は落ち着かない様子だったのだが…しばらくしたら僕の脚の間に落ち着いて 丸まって眠って知った。8時半過ぎにテレビから緊急地震速報が流れまあまあ揺れた。チビは少しは気になった様で しばらく天井を眺めていたがすぐにまた寝てしまった。14日の地震とは揺れの規模が違ったがやはりモモよりチビの 方が肝が座っている様だ。
久しぶりにチビが傍にいてくれたので嬉しくて下がり気味の体調も改善しそう。

4月17日 今日はチビの誕生日
今日はチビの誕生日、3年前の今日チビたち4匹は生まれた、下の息子の布団の上で。下の息子はチビの事を長靴と 呼んでいた、全身黒っぽいグレーのキジ猫だけど足の下半分が4本とも真っ白だったから。やがて他の子猫たちが次々と もらわれていく中で最後にチビが残った。でも僕はチビが残ってくれて良かったと思っている、チビが穏やかで 心優しい猫だから。リンと2年間ずっと仲良くしてくれたし…僕を癒してくれてもいる。しかしこの3ヵ月チビは僕に 近づいて来ない、1週間ぐらい前までずっと夜になるとモモが僕の脚の間で寝ていたから。モモはチビが僕のベッドに 上がってくるとうなり声をあげてチビを追い出すのだ。それ以来チビは嫁さんがいないと僕の部屋に来なくなった。 寂しいなあ。
僕は4月のカレンダーを見るのが嫌いだ、27日と29日を見てしまうから。去年の4月29日はとても辛い日だった…。

4月16日 痛みの出どころ、難しい
朝遅めにメールを見たら姉と先日約40年ぶり連絡を取り合った友人から「地震 大丈夫?」というようなメッセージが 入っていた。夜中何かあったのかなと思ってニュースを見たら深夜午前1時25分に強烈な地震(阪神・淡路大震災同等)が 起きていた。寝ていて気付かなかった。相当揺れたらしい。熊本と大分に甚大な被害が出ていた。昔何度も通った 阿蘇の入り口から白川・高森そして高千穂に向かう阿蘇大橋(赤橋)も落ちていた。立野辺りや赤橋の向こう数キロが 山崩れに襲われたらしい。南阿蘇村と名前が変わっていたから場所がピンとこなかった。阿蘇からは思い出をいっぱい もらったのに何も出来ないのが寂しいし辛いなあ。
今日のケア担当は珍しく所長、右脚付け根外側の新たに痛む様になった部位を目いっぱい気遣ってくれた。そこまで しなくてもいいのにと思うほどに…。でもそのおかげで分かった事があった。右脚を上げたり右ひざを曲げたりした 時に痛む部位は股関節辺り、太ももの付け根の上の方それも前方全体の痛み具合が以前より強くなってしかも痛む 範囲が少しずつ広くなってきている様な気がする。ただし強い痛みは1回目だけで膝の屈伸を繰り返すごとに痛みは 消えていく。一方右脚付け根外側の痛みは膝を徐々に伸ばしてもしばらく痛みは来ないのだが膝を伸ばしきった時 (瞬間)に結構強い痛みが来る。また右脚を内転させた時も、痛みの程度は内転の角度に比例する様だ。それに患部が 少し太ももの方に移動する事があるし軽い痛みが臀部にまで広がる事があるような気もする。身体を右に向けたら 右膝が内側に入るから少し痛むが少しだし仕方ないだろう。

4月14日 地震
刑事ドラマを見てたらテレビ画面の上の方に何か白いものが出てしばらくすると部屋が揺れ始めた。地震だ!。しかも 結構強かった。こんな強い揺れ生まれて初めて、ところが息子を迎えに行ってて帰ってきた嫁さんが言うには「(この 地域の)震度は2」と。関東の人々はしょっちゅうこれ以上の揺れを味わっているのか、信じられない。震源地熊本県の 益城町の方はひどい事になっている様だ。最初に気になったのはFacebookで見知ってる筋ジスの娘さんIちゃんの事、 Iちゃんは確か益城町近くに住んでいたと思うのだけど…大丈夫だろうか。
地震が起きた時嫁さんは息子を迎えに行ってて娘は仕事からまだ帰ってきていなかった。両親はいたものの何か あったら対処出来ない。揺れた瞬間ドキドキした。地震 恐い。

4月13日 痛みの出どころは関節じゃないな
午前中のNさんの時間下半身の関節の可動訓練の時間、動かしてもらっている時もどこをどういう風に動かされると 右脚付け根の外側が痛むかを自分なりに確認していた。そして自分なりに確信した事はこの痛みは関節から出ている ものではないという事。ではこの痛みはどこからきているのか?。H先生やNさんが予想してもらったのだが使っている 言葉が専門語でよく分からなかった。歩く訓練の時には不安一杯、上手く歩けなかったし自信が無くなったし…。
痛む部位辺りに湿布を貼っていても効いてなさそうだし炎症を起こしている訳じゃなさそう。妙な痛みだ。主治医には 今度のレスパイト入院の間に股関節周りのレントゲンを撮って欲しいとメールでお願いしたし…、最悪でもそこでこの 痛みの原因が分かって治ればいいな。また加齢が原因と言われるかも…。皇潤飲もうかなーぁ。

4月11日 javaプログラム やっぱり解からない
センター試験の数学を解くのも終わり急に暇になったのでもう一度javaプログラムの最終レポートの三つの課題に 取り組んでみようと考えた。まずWeek4の動画をもう一度じっくり見直し試行錯誤で出来そうなダイアログからの ファイル読み込みに挑戦、2-3回プログラムの行を減らしたり増やしたりしてたら…出来た。次にプログラムソースの 中に全削除に使えそうなフレーズを二つ見つけたのでそれらを利用してみたが…コンパイル出来なかった。やっぱり 画面全体を白で塗りつぶすという卑怯な手で行くしかない、前(図形)削除ボタンを押されたら終わりだけど。
最後にカラーダイアログを使ってのカラー選択に挑戦、JColorChooserとShowColorを使えばできる事はネットで 調べて予想付いたけれど表示させるタイミングに入れ込む事が出来なかったし結局使い方も解からなかった。やはり 基礎から教えてもらわないとダメだな。

4月9日 右脚の股関節?の外側 妙な痛み
股関節の痛み、内側なら昔(何年前からか忘れた)から左右ともあった。年々少しずつ痛みは増しつつあるのだが加齢が 要因との事であがなう術がなかった。
外側もたまーにわずかな痛みが出る事もあったのだが…、そして昨日の車椅子移乗の時には右股関節の内側に結構な 痛みがあり今日の朝のケアの時には右股関節の外側にひざを大きく動かすと今まで感じた事がない様なきつい(大げさに 言えば悲鳴を上げたいほどの)痛みを感じた。こんな事は初めて、しかも痛みが妙、痛みが5分ぐらい持続するんだ。 こんな間接??の痛みは初めてだ。幸い車椅子移乗の時にこの右股関節外側の痛みは立つ動作・腰を回す動作・座る 動作とは関係なさそうだと感じたけれど。明日日曜日は足は少しも動かさない。それでこの痛みのある箇所がどう 変化するか…。

4月7日 やっぱり解けない
昨日今日とセンター試験数学TA大問5 図形の問題に取り組んだ。昨日は図形の問題で解き方が分からない時の僕の 常套手段 図形を座標平面上に置く方法で一応全部答を出した。しかし二つの三角形の頂点の座標が刻々と変化する 問題でこの方法はいただけない、直線の方程式や座標を出すのに小問毎に時間がかかり過ぎたから。それで今日は 図形の方法で解こうと思った。だけど一つは解けたけれどもう一つは3時間も図形を眺めても糸口さえ見えなかった。 だから…諦めた。

4月6日 散髪
暖かくなってきて頭の中(頭皮 枕に密着している部位)が痒くなってきた。(旋毛の近くの疣の周りは相変わらずいつも まあ痒い。本当は採りたいのだけれど誰もうてあってくれない…。)それで2週間ぐらい前に訪問理容を依頼してもらい そして今日の11時半過ぎに床屋さん登場。床屋はいつものリリアンさんの二人、Kさんに初めて髪を切ってもらったのは たぶん15年前かな。Kさんは昔とあんまり変わらない様に見えるから不思議だ。嫁さんはいつもの様に「短めに」って、 それで通じるお馴染みさんだ。

4月4日 センター試験 数学UB 一応終わった
javaプログラム入門に不十分ながら一応の気持ちのけりをつけて、ずっと積み残しにしていたセンター試験の数学UBに 1週間ぐらい前から早朝のパソコンの時間に取り組んだ。そして1問を除き一応答えを出した。一番不安なのは最後の 統計の大問、gaccoであんなに懸命に受講・取り組んできたのにセンター試験の数学の統計の問題ぐらいに自信が ないなんて…情けない。
あとはどこから手を付けていいか解からなくて積み残していた数学TAの大問5 図形の問題をどうやって解くか、 相似を使いまくるのは間違いないんだけど。それにしてもセンター試験の数学 大きく方針&傾向が変わったな、この2年 計算が明らかに簡単になったのが不可思議だけど。この傾向が続くとしたら数学で取りこぼしたら痛いなぁ、去年の 息子の様に。

4月1日 通院・下の息子 退院
下の息子は大事なかった様で「明日の通院の帰りに(息子も)一緒に帰ってくる。」と昨日嫁さんから知らされた。 息子が大事に至らなくて本当に良かった。嫁さんや子供たち・モモやチビにちょっとでも何かあるとすぐリンの事を 思い出して心配になってくる。しょうがないなあ。
病院の桜は今が満開、4月 新年度になったので外来でもいくらか人事異動があった様だ、今日の段取りが幾分 スムーズでなかった。主治医が来る前に「この頃人工呼吸器の回路に水がたまってゴトゴトなる音に夜寝ている時に 眠りを妨げられ1時間半-2時間ごとに目が覚め寝不足になっていた。」その対策が何かないかと地域連携室のTさんと 話していて人工鼻の話を持ちだしたところに主治医が救急処置室に入ってきた。そして主治医から「今度の (22日からの)レスパイト入院の時に試してみましょう。」との提案を提示くださった。
帰路のリフト車の中で下の息子を見ると少しやつれている様な気がしたしかなり眠そうだった。今回の髄膜炎はよほど きつかったのだろう。息子が入院したのは保育園の卒園式の数日前(春分の日?)に交通事故に遭い入院して以来、 あの時もう呼吸器を着けていたので顔を見れなくてとっても心配したが今回も髄膜炎の正体や程度&どんな治療を やるのか分からなかったのでやっぱりとても心配だった。自分が入院している方が状況が分かる分 楽だなあぁ〜ぁ。
今日娘の初出勤、念願の特別支援学校の臨時教師として勤務する事になった。大学の仲介だから勤務地がかなり遠くて 心配だけどついに社会人としての一歩を踏み出した。おめでとう&がんばれ。少し気になっている事は真面目で 取り組んだ事には一途になる性格なので並行して採用試験の勉強が出来るかどうか。論文と面接だけなら絶対合格だと 思うのだが。


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3月
3月30日 リハビリ
娘は僕のリハビリの様子を一度も見た事がない。嫁さんが息子の病院に付き添って行っているこの機会に立つ運動の 前の排痰行為・吸引や装具のセッティングを手伝ってもらう事にした。
Nさんの(結構厳しい)下半身の関節の可動域訓練が終わり腰上げ15回も終わって、H先生が着くまでの間に娘にバッグで 押ししてもらい気管付近から痰をうまい具合に取り除いてもらう事が出来て、しばらくH先生が着いてからNさんと娘 二人に(少し苦労して)首の装具を着けてもらって立位{ちょっとだけ歩行}訓練。実はNさんにリハビリの時に「今日は 少し歩いてみます?」と聞かれ「うん」と返事してた。3ヵ月ぶりの(いつもの事ながらH先生のほとんど支えられての) 歩行訓練、往復4歩ずつだった(途中車椅子で休憩)が膝折れする事もなく(少しふらつきはしたが)まあ歩けた。 これならひと安心。

3月30日 下の息子 入院
下の息子は数日前から頭痛で気分が悪かったらしい。気が付かなかった、僕の前ではなんにも見せない・見せてくれない 息子だから。その息子が朝からトイレで何度も嘔吐してた。ただならぬ気配を感じた。娘経由で嫁さんに息子を病院に 連れて行くよう言ったし嫁さんもそのつもりの様だった。そして9時過ぎに出かけて行った。
正午前娘に嫁さんからメールが入った、「息子が入院する」と。午後3時過ぎ一度帰ってきた嫁さんから経過報告、 「病名はまだ不明、検査中。髄液を取って調べる。」。20年前に僕も採ったとどうでもいい事を思い出す。夜8時過ぎ 嫁さんが帰ってきて「(息子は)髄膜炎だって。」と報告があった。髄膜炎って?、聞いた事はあるがよく分からない。 ただ嫁さんは8時過ぎには帰ってきたしそんなに深刻な顔はしてないからまあ大丈夫だったのだろう。それにこの息子は いつも頑張ってる・頑張り過ぎてると思うから時には休めと言っているのかもしれないな。

3月29日 花見
今日午前のケアと訪問リハビリの時間を延長する形でお花見に連れて行ってもらった。僕一人のために総勢8人?、 ありがたい事だ。あいにくの曇り空だったが庭木ダム(波佐見町?)と陶山神社を回ってきた。庭木ダムの桜は六− 八分咲き、今日〜週末が見頃だろう。平日なのにたくさんの見物客が来ていた。中にはダム湖の周りをジョギング してる人もあり…ちょっと羨ましかった。陶山神社はまだまだ、リフト車を下りたらまだ冷たい風が吹いていて しっかりと毛布で身を包んでいてもかなり寒かった。
右膝と腰が少し痛くなったが…楽しかった。みなさん、今日は本当にありがとうございました。

3月27日 Facebookの中の三年前のリン
Facebookをしていると時々過去の思い出というコーナーが出てくる。今日出てきたのは三年前縁側のゲージの中で 日向ぼっこしているリンの姿、まだ交通事故の影響が抜けてなく痛々しさが残っている。これからどんどん元気に なっていったのだが…そのリンは今はもういない。何故だ!! なんでだ!!。今でもリンの事を思い出すとじんわり 涙がこぼれてくる。生きる事に一生懸命なアメショーだったのに何故三才に満たない命を奪ったのに。なんでだ!!。

3月25日 娘、大学卒業す
今日は娘が4年通った大学の卒業式、娘と嫁さんは朝からその会場へと向かった(娘は6時過ぎに一人で一足早く)。 今日で僕の肩の荷もひとつ終わる。おめでとう&4年間お疲れ様でした。あとは娘が娘を奪っていく男を連れてくるのを 喜びの心と寂しさの心で待つ事が男親のもう一つの責任かなあ。
僕は小・中・高・大学のいずれの卒業式も全く記憶にない。参加したかどうかも少しも覚えていないのだ。なんでだろう。 まるで僕の無意識な意識が卒業式の情景を意図的に記憶の中から欠落させたみたいだ。卒業式に関係する写真も1枚も ない。唯一大学の卒業式の後工学部の正門前で我が経営工学科のマドンナTさんとのツーショットがアルバムの中に 納まっている。でも二人ともママチャリに乗っていつもの格好、僕はGパンといつものライトグレーのセーターだった。 昔は普通の格好で卒業式。

3月23日 腰上げ
僕は差し込み便器を差し込んでもらう時訪問看護師さんに両足をベッドに押さえつけてもらいヘルパーさんに腰を 持ち上げてもらっている。その際僕も自分から腰を上げる様に努力しているつもりなのだかほとんどのヘルパーさんで 余り上がらなくなった。けれどいつだったかIちゃんの時は腰が良く上がった。それで昨日H先生のリハビリの時に 「腰を持ち上げて欲しい」とお願いした、腰が浮いて背中が反っている感覚を思い出したかったから(ちょうどあの Iちゃんの時の様な感覚を)。それをH先生がいい方に勘違いされたのか「腰上げ運動をリハビリの(ルーティーンの)中に 入れていきましょう。」という話しになった。
今日の午前中のリハビリ、Nさんが下半身の関節の可動域訓練を入念に施してくれた後次に腰上げ運動、初めに10回 昨日と同じ様なやり方で、昨日のH先生と同じ様に「思っていより(腰が)動く」ってそういう顔をしてた。次の10回 昨日H先生に言われた事を思い出し腰をほんの少し上げて止めそしてもう一度上げる様にしてみた。こっちの方がよく 上がる。でもきつい、この腰上げを10回した後は息切れをしているみたいだった。こんな事はいつもレスパイト入院を している病院の理学療法士S先生のリハビリ以外感じた事はなかった。週に1-2回ならこんな運動もいいなぁ。

3月22日 完敗
gaccoの講座「プログラミング入門〜Javaによるオブジェクト指向プログラミング〜」最終レポート提出日、素人なりに 頑張って気分の悪くなる思いまでして2-3日前レポートを提出したのだが結果は完敗、レポートの評価基準があそこまで 高く設定されているとは思っていなかった。
accoの講座はしばらくは見たくもないと思い落ち込んで?いたが結局機能もほぼ一日javaプログラミング、この課題の プログラムをある程度自己満足出来るものに仕上げたいしプレッシャーがないと結構面白いのだ。明日には模範回答も 出るだろうし…まああとはゆっくりやってゆこう。
それにしても身体が相当疲れているなあ。

3月20日 色々あった春分の日のハッピーマンデー
今日が春分の日だと思っていたら実際は昨日だったと。曜日は分かるのだが日付や動く祝日には疎くなった。日付とは ほとんど無関係の空間で生きているからな、仕方ないのかと自分を慰める僕であった。自分ながら虚しい。
という事で午前中はヘルパーさん2人でケア、昼過ぎに娘が長崎での大学生活を終えて引っ越してきた。4年前娘が この家を出て行った時もう二度と娘が戻ってこないと思い込もうと努めていたからなんか変な感じだった。大学1年の 上の息子も荷物を置いたままだしどこの部屋に入ったのかな。
午後3時頃同級生の従妹(女)が保育園で3才の時から一緒に過ごした同級生(女)を連れて顔を見せに来てくれた。 幼馴染の彼女と会うのは何年ぶりだろう、どこか幼いころ見た彼女のお袋さんに似ていた。懐かしい。途中から年下と 話すのが大好きなお袋が入ってきて二人を独占、そこで僕らのコミュニケーションの時間はもう終わりを告げた。 少しは気を遣えよ、お袋。それからしばらくして「また来るね。」って言葉とともに二人は帰っていった。二人とも 訪ねてきてくれてありがとうね。嬉しかったよ。

3月18日 金魚、逝く
ついに金魚(出目金)が逝ってしまった、夜下の息子がいない時に。
1月の大雪の日の寒さで急激に体力を落とし妻や息子の介護(世話)で回復しつつあったのだが、今度は水カビ病にかかり一度弱ってしまった体力と老齢ではさすがに病気には勝てずとうとう逝ってしまった。
うちに来たのが9年前の夏祭りの夜 8月の一八夜の日だった。あれから丁度8年と7ヵ月、もう玄関に金魚がいるのが 当たり前の風景になっていたのに。たとえ最後は病気だったとしても天寿をまっとうしたと思うべきなのだろうが… やっぱり寂しい・・・。

3月3日 眼鏡を替えた
今の眼鏡、たぶん昔勤めていた会社の職場を離職する前から使っている?、もしかして20年くらいかも。昔過ぎて 自分でもいつこの眼鏡に替えたか覚えていないくらいだ。この眼鏡 長年使っていたから流石に金属疲労を起こしていて 車椅子に座ったらすぐにずり下がり移乗の時なんか飛んだりしてた。ずい分前から訪問してくれる眼鏡屋さんを 探していたのだが誰も「知らない」って。ところが2週間前?社協のヘルパーさんが二人来てた時に「社協のデイケアに 眼鏡屋さん来ることない?」と聞いたらもう一人のヘルパーNさんが「私知ってますよ。」って。それからとんとん 拍子に話しが進み眼鏡屋さんが来てくれた。そして今の眼鏡を調整してもらったついでに眼鏡を新しく作る事にした。 その時僕が出した要望はただ一つ、レンズはいる部分のフレームを出来るだけ大きいのにして欲しい」と。
今は小さなレンズの眼鏡が流行りだ。でも頭を全然動かせない僕はそれだと正面しか見えない。視野が極端に 狭くなるのだ。パソコンしながらテレビを見てる僕にとってそれはとてもつらいのだ。しかし大きなレンズだと眼球の 動く範囲は見える。この差はずい分大きい。分かるかな?。健康な人は無意識に頭を動かして目に入るものを 見ているからこの辛さ分からないかな。

3月2日 ねむい、疲れてる
今日は午後一で入浴車、だけどこのところjavaの講義に熱中?していて夜遅くまでやっているから僕はもう眠くて 堪らなかった。湯船の中で突然僕の名前を連呼する声が聞こえてきた。なんと僕は湯船の中で熟睡していたみたいだ。 看護師さんが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。僕はばつが悪かった。こんな事初めて。精神的にも肉体的にも よっぽど疲れているんだな。「もう止める」って言い出したいとこだけど変なプライドがそれを許さない。こんな 調子で修了出来るのかな。


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2月25日 心に余裕がない、他は何にも出来ない
ここしばらくホームページが全く更新出来ていない。気にはなっていたのだが…。福岡のAさんから心配してメールが 来た。心配をかけて申し訳ない。
gaccoの講座で今「プログラミング入門 〜Javaによるオブジェクト指向プログラミング〜」を受講しているのだが、 これが僕には今までになく超難しくて週のスケジュール通り全然こなせずにいて心に余裕がなくFacebookとメールを チェックする以外他の事には手が回らない状態でセンター試験数学を解くのも途中で置きっ放し。あとひと月近く かかりそう。情けなし。
僕のホームページの原稿は題目が増えるだけで内容が書けていない。が…この状態で一度更新してみるか。
来週末からはようやく暖かくなりそう。今年の冬は少ない筋力がまた落ちた、加齢?。春よ、早くこーい。

2月19日 金魚復活
我が家の金魚。1月の大雪以降極端に元気がなくなりお腹を上にして底の方で静かにしてた。というより沈んでるって 感じだった。
僕はこの出目金も転覆病で死ぬのかと思っていたし、妻や(下の)息子も「もう寿命よ」と諦めていた。この出目金 息子が小学3年の時の十八夜(8月18日夜の祭)の屋台ですくってきた金魚、その息子も今高校2年生、確かに長く 生き続けてくれている。でもたとえ金魚といえど別れは辛い。妻にもそんな想いがあったのか動物用のヒーターで 水槽を温めていたらしい。今日通院から戻ってきた時に水槽の中の出目金を見たらこんなに元気になっていた。 本当に良かった。
この息子が一人でずっと世話してきたのだから、 出来れば来年の3月末息子がこの家からいなくなるまではこのまま 元気でいて欲しいなぁ。

2月18日 植田先生訪問、スイッチ変更
今年になって右足の親指と人差し指の間に挟んで使っていたピルケーススイッチでのパソコン入力(入力支援ソフト: オペレートナビ)が難しくなっていた。特に夜は入力に時間がかかるようになって心が折れかかり周りに八つ当たり しそうになるほどひどかった、右足全体の力が弱ってくるためか?。
訪問りビリの先生に相談しながらも西九州大学リハビリ学部のU先生にメールで連絡を取ったら木曜日(今日)に急きょ 訪問していただける事になった。
今日U先生にパソコン操作の様子を見ていただいた時にU先生から「挟むスイッチをピエゾ(電圧スイッチ)に替えて 見ませんか?」と提案があり、これも急きょ作っていただけた。このピエゾの指に挟むスイッチは初めてにしては なかなか具合がよかっのでそのまま使う事にした。U先生はパソコン中の呼び出しコールも心配してくれて左足用の 呼び出しコールスイッチも作っていただけた。ついでにスイッチ切替機もっていたので左足でもパソコンをスイッチ 操作できるようにしてもらった。これで僕は両脚使い、ね。
U先生、本当にありがとうございました。研究付き合いますからね。

2月17日 gacco講座「プログラミング入門 〜Javaによるオブジェクト指向プログラミング〜」受講開始、 難し過ぎる


2月13日 センター試験 数学TA-第5問、解からん
手も足も出ない。センター試験の数学は5年以上やっているがこんな事は初めてだ。そんなに難しそうには 見えないのに…解く糸口が見いだせない。

2月10日 センター試験数学 問題のコピペ終了
夜センター試験数学TA/UBの問題のコピペがようやく終わった。これから解く方に取り掛かれる。いつまでかかる 事やら。

2月8日 腰も上がらなくなってる
今日の朝のケアの担当(訪問)看護師はFさん、その時僕が自覚させられた事があった、腰が自分自身の力ではほとんど 上がっていない事を。いつからだったかもう忘れたが訪問看護師さんに差し込み便器を抜き差ししてもらう時に ヘルパーさんに腰を持ち上げてもらっている。去年Fさんに排便処理の介助をしてもらっていた頃までは自分で腰を 持ち上げていたって自覚あったのに。いつの間に無くなってしまったのだろう、僕の腰を上げる力は。

2月6日 久しぶりで不安だったぁ?
今日のケア担当の訪問看護師は所長、久しぶりに所長のケア、しかも土曜日のケアは今年2回目か?。大まかな流れは 一緒なのだが所長のケアの手順は独特で中々先が読みづらい。次に何をするのか予想がつかなくてちょっと不安になる 事があるのだ。少し寒かったけど朝の清拭は上手くいった。午後3時からのベッドから車椅子への移乗も上手くいった。 しかしベッドへ戻る際の車椅子からの立ち上がりが駄目だった、膝崩れを起こしたのだ。所長は他の看護師さんより 僕の身体らを自分の方に引きながら立ち上がらせるから僕は足をもっと前に位置するべきだったのに…気には なっていたが遠慮した。結果的に迷惑をかけた。すみませんでした。
それにしても看護師さんに車椅子から立ち上がらせてもらう時今年になってからは膝に全然力が 入らなくなってるなあ。

2月4日 しんどい、かな
朝は早くからgaccoの「江戸文化入門」の学習、昼はメールとFacebookのチェック&対応、夕方はセンター試験の 数学UBの問題をOCRし編集してワードにコピペしもう一度編集をしてとかなり忙しい。その上夜になるとスイッチとの 相性が悪くなるからしんどい。精神的にも体幹と右脚が体力的にも疲れているし弱っている。この体調を考えると センター試験かgaccoの講座の受講のどちらかを諦めて一本に絞るべきなのだが…決断出来ない性格だからずるずると。 しんどい!。

2月2日 スイッチ?不調??
パソコン用のスイッチが動かない。体力のある朝はまだいいのだが体力・体調が落ちてくる夜はもうメロメロだ。最悪 5分間に一文字ぐらいしか入力出来ない事もありイライラは絶頂。何かにこの憤懣・怒りをぶっつけたいが当たる処も なく…。パソコンぐらいしか暇つぶしの道具かつ楽しみのない僕は最近夜になるとひどく落ち込み気味だ。
僕が右足の親指と人差し指の間に挟んで使っているピルケーススイッチはピルケースの中に貼り付けてあるマイクロ スイッチがケースのわずかな開閉でON/OFFするもの、ケースを開くのはマイクロスイッチの中のバネでほんのわずかな 力なのだ。僕の足の指の様に閉じる力はあるが開く力がない部位には本来適さないスイッチなのだ。それをケースの 中に硬めのウレタンを入れる事で開く力を強めているのだ。だからケースの中に入れるウレタンの厚みの調整と足の 指のどこにこのスイッチをセットするかどちらもかなり微妙でとても難しいのだ。ウレタンの厚みの調整が出来るのは 今は下の息子だけ、しかし勉強の邪魔をしたくない。僕の考えた様に動いてくれる手足が欲しい。誰か身体が不自由な 患者に対して適切なアドバイスやスイッチを合わせてくれる人いないかな(スイッチに関して情熱を持っている 人で)。


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1月
1月31日 両立出来ない
センター試験が終わって2週間、センター試験の数学とgacco講座「江戸文化入門」との両立を狙っていたんだけど とんでもない話しだった。2週間も経ったというにセンター試験数学の方は数学TAの問題をようやくワードに コピペ出来ただけ、まだ数学UBの問題のワードへのコピペもあるし…解く段階に入れるのはまだまだ先になりそう。 両立なんて無謀だったか。かといってgaccoの方は2月中旬開始の講座も予約していて途中で止めるのは自分の信条に 反するし…、とうしようかなあ。

1月28日 どうしたの?、モモ
夕方モモが急に僕のベッドに上がってきて脚の間で熟睡してしまった、なんとも珍しい。外が寒かったのはよーく 分かるがモモがいつも落ち着く場所は居間のホットカーペットか台所の冷蔵庫の上、嫁さんが連れてきてベッドに 寝かせようとしても一目散に逃げていたのに。どうしたの?、モモ。何か心境の変化でもあったの?。なんにしても 嬉しい出来事でした。

1月25日 大雪
昨日から降っていた雪が夜中も降り続き今朝は一面の銀世界、15cmは積もっているそうだ。訪問看護はお休みと連絡が 朝一番に入った様だ。こんな大雪の日 10代の僕ならどうする?、列車が動いていたら朝一で学校へ行きグランドに 足跡を記す。もしも休みになったら大きな雪だるまを作る。決まってんじゃない、雪が積もろうものなら僕の血は 一気に騒ぐ。
珍しく?僕のこの血を受け継いでいるのか朝から下の息子が庭で雪だるまを作り始めた。写真に撮って見せてもらうと それに可愛い。ここが僕と息子の大きな違い、僕には美術的センスは全くだけど息子にはそれが十分にある様だ。 雪だるまに描かれていたものは可愛い猫の顔。よくこんなデザインが思い浮かぶもんだ、すごい!。後日談だが翌日来た 入浴車のスタッフが少々溶けかけた雪だるまを見て「大きい」「可愛い」「すごい」って褒めていた。 たいしたもんだ。

1月24日 スイッチが動かせない
ピルケーススイッチを右足の親指と人差し指の間に挟んでパソコンを操作しているのだが、ケースの中に反発を強める (ケースを開かせる)ために入れているウレタンが退化したのか病気が進行して指を開く力が弱ったのか分からないが スイッチが効かなくなった。僕にとってパソコンが使えないのは死活問題、どうしよう。
朝と昼は何とかスイッチを操作出来るのに夕方になると脚が弱ってきているのかスイッチが反応しなくなる、情けない 話だ。こんな日が続くときっとやけっぱちになってくるだろうなあぁ。

1月20日 gacco講座「江戸文化入門」開始す
今年になってgaccoの1講座目「江戸文化入門」が配信が開始された。僕は大学受験で日本史を選択したのだが今では 大まか流れしか覚えていない。情けない。そこでこの機会に日本史にまた触れてみようって事でこの講座を 受講したって訳。
この講座を見ていると嫁さんが横から見て「この講師は信用できない。」と言った。嫁さん好き嫌いも困ったものだ。僕は講師なんて誰でもいいんだ、ただ講義が分かりやすければ、そして新しい発見さえあればいいんだ。Week1の講義を 見たが結構面白そうだ。

1月20日 チビ 復活?
インターフェロンの注射を3日連続でうってきて、夕方チビの餌を食べる音が久し振りに聞こえてきたし隔離されてる 僕の部屋からももう出るって言いだした。もう大丈夫、かな。

1月18日 チビが病気、不安!
チビが病気にかかっている様だ。土曜日の未明に目が覚めた時僕の脚の間で寝ていたはずのチビいなくなっていた。 いつも朝方まで寝ていたチビがこの日に限って何故!。その上この日の朝から時々チビの嘔吐する音がよく聞こえて 来るようになった。餌も水も受け付けないらしい。初めはまた外で悪い物でも食ってきたかとお気楽に考えていたが… あれ以来僕の部屋をうろつく事もなく上の部屋でじっと寝ているそうで事はもっと深刻な様だ。
今日の昼前動物病院に連れて行ってくれた嫁さんからチビの状態を聞くと「ウイルス感染で白血球が少なくなる病気。 今日の白血球は4,000、白血病という訳じゃないけどみたいなもの。5日間インターフェロンを打ちに行く。」との 説明。こう聞いた瞬間やる気と元気が焼失、「猫の神様はリンだけでなくチビまで連れてゆくと言うのか。それはもう 耐えられない。リンよ チビを連れてゆくなら僕も一緒に連れて行ってくれないか。」と思った。その後 google で[猫 インターフェロン]で検索してみたらインターフェロンはウイルスをやつけるのではなく猫の免疫力を高める効果だと。 ではチビを信じるしかない。チビ 頑張ってくれ!。

1月17日 センター試験
昨日今日とセンター試験が行われた。センター試験の日の僕の日課は5-6年前から毎年問題と解答のダウンロード、今年 保存したのは高校2年の下の息子が来年受ける科目と世界史B。この内僕が実際に解いてみるのは数学TA・UB・国語・ 世界史Bくらいか。昨年もこの4科目をやったけど数学はまあまあ解けたが(ただし答えを出すのに2週間以上かかった) 国語と世界史Bの得点は半分くらい、国語は元々苦手で特に漢文はちんぷんかんぷん 漢文が無かったから広大工学部を 受験したくらい。もし下の息子ぐらいの国語力があったらもう一つ上のランクの大学を目指したかも。社会 当時の僕の 受験科目は日本史、娘がセンター試験(4年前)で世界史Bを選択すると聞いていたしこの頃世界史に興味を 持っていたから勉強し直した(中途半端だったけど)。僕にとっての基準は数学が解けるかどうか。今年は如何に?。 火曜日からgaccoの「江戸文化入門」という講義も受講する事にしているし果たして両方をこなせるのか!。 欲張りすぎかなあ。

1月15日 通院日
今日は3週間ぶりの通院、昨日・今朝と「大学時代の思い出」の雑記を作っていたのでリフト車が迎えに来た時かなり眠かった。月曜日(11日)から時間があったのだから早めに書き出せばよかったのだがギリギリにならないと(明日から2日間はセンター試験の問題と解答のDounroadのため待機)取りかかろうとしない。悪い癖だ。今朝は霜で一面真っ白だったらしいがリフト車に乗り込む時は寒さがよく分からなかった、フリーズ上着に毛布 防寒体勢がばっちりだったから。
リフト車の車窓から見える花はこの時期は水仙がちらほら、華やかさに欠ける風景だけれどこれもまた冬の移り香。 病院に着きリフト車から降りようとしている時に後ろの方からかけられる声の中に聞き覚えのあるものがなかった。 車椅子で救急処置室に入って見回すと顔は見た事あるのだが僕の処置にかかわった事のある看護師さんがほとんど いなかった。この時点で不安の芽生え。まず皮膚科の診察、背中の皮膚生検4ヵ所の検査結果は陽性、今回は手術は しなくていいらしい、ひと安心。皮膚科の先生に「背中は温かくなると痒くなる、右鼠蹊(そけい)部は痛痒い」と 訴えたが聞こえなかったのか無視。もう一度薬との対応を聞いてもらったら「それでいい」と。相変わらず対応の 難しい変わった先生だ。次に神経内科の主治医の診察と処置、いつもの様に目と脚を診て胸の聴診、そしてカニューレ 交換をして終わり。看護師さんの対応に不都合な所もあったがその分副看護師長さんが懸命に相手をしてくれて 自分にも言い聞かせる様に「すぐに慣れるからね。」って言ってくれたから全て許せてしまった。ストレッチャーから 車椅子に移って帰り支度をほぼ済ませたところでO看護師さんの顔が見えた。それだけで心が安定 嬉しかった。
帰り道の車窓…やはり彩りがなく何となく物悲しかった。ただ田んぼの状態、放ったままで葉が出放題で青々した 田んぼ・耕したのが一度だけなのか切り株ゴロゴロの田んぼ・数回耕して綺麗に整地された田んぼ・そろそろ何かを 植えるのか台形の列に綺麗に成形された田んぼとこの時期はいろいろ、農家の方針が想像されて面白かった。

1月13日 SMAP解散報道流れる
今日の昼前突然SMAP解散??の報道が流れた。それからのニュースの冒頭は全てこれ、真相も事の行方も分からぬまま 同じ様な映像で同じ様な報道、正直飽きた。ただ言える事はSMAPというグループ・看板あっての個々、木村拓哉以外は 駄目だろう。個々の仕事がある事にうぬぼれていないか 中居君、君が一番自力・実力がないのだから。
僕がSMAPというグループを知ったのはもう22-23年前の事、僕が昔勤めていたPanasonicの新家電(ワープロ・電話・ FAX)がデビュー前のSMAPのCMを作る事が決まって、上司から「次の日曜日KのダイエーでSMAPのプレコンサートが あるから〜海上警備&さくらとして来てくれ。」と依頼(命令?)され…。その際SMAPのメンバーも一人一人見たはず… なのだが印象がちっとも残っていなかった。コンサート会場は思惑と違ってガラガラ、東京・大阪ではすでに人気が あるって聞いていたけど本当かなって思っていた、当時は歌も踊りも下手だったしね。このSMAPが今ではこんなに 大物に、すごい&惜しい!。

1月11日 旗日 成人の日
今日は成人の日 らしい。昨日今日と全国の成人式ではまた一部の新しく成人した精神的に餓鬼な若者どもが各地で 暴れた。僕は暴れる若者の気持ちがちっとも解からない。久し振りに沢山の同級生と会えるのだから堅苦しい式なんか 早く終わらせて自分たちでどこかに遊びに行きたい。式を早く終わらすためにはスケジュール通り粛々と進める事、 何かしたら式が伸びるだけ、暴れるなんてとんでもない。それに素晴らしかったのは当時の我が町では成人式は1月3日・ 式には着物禁止、これが旧我が町の成人式が派手になるのを防いでいた。こんな素晴らしい制度なのに受け継ぐ 市町村はなかった。合併した我が町でさえも着物禁止をなくしてしまった、焼き物の町は派手好きだったから。
ということで今日は僕の嫌いなハッピーマンデーの旗日で訪問看護はお休み、午前11時少し前にヘルパーさん2人が 来てくれて便処理・清拭そして洗顔のケアをしてもらった。いつも僕ん家にケア(の補助?)に来てくれる気心の解かった 元気のいいヘルパーさん達で何の不都合もなかったのだが、いつもと手順が違ったのでそれだけで??…心が揺れた。 小さい事も気になる それが僕の悪い癖(誰かさんのまね)。

1月9日 gaaco「社会人のためのデータサイエンス入門」終了
gaccoの講座の昨年からの積み残し「社会人のためのデータサイエンス入門」の学習も今日ようやく終了。統計学T・ Uの復習としてこの講座を受講したもんだから【理解度確認テスト】は満点で終わるつもりだったが、5問も間違えて 90点になってしまった。でももう1回学習したから%の場合のヒストグラムの見方の思い違いや箱ひげ図の描き方の 勘違いを修正出来て良かった。
去年僕はgaccoの講座を九つ??修了した、はずだ。けれど学んだ講義の内容は雑学程度しか覚えていない。どれでも あんなに一生懸命に(時間もかかって)やったはずなのに情けない話だ。だが今年のセンター試験 数学にも統計の問題が 出たら今年は完璧に出来る…はずだ、なんせ統計学は去年三講座も学習したんだもの。
gacco 今年は何講座修了出来るかな。元気でなけりゃあgaccoも出来ない。まず元気、そして現状維持。

1月8日 今日の車椅子移乗の行方は?
車椅子移乗、昨日はベッドから車椅子に移るために訪問看護師のHさんに立たせてもらう時に僕は膝に力を入れて膝を 伸ばす事しか考えていなかったがもう一つ立った。今日は立たせ役が所長・フォローがIさんの2人、このところFさんが 不在だからずっとこのコンビ、でも所長だけ立たせ方の手順が違うからお尻がしくっりいってない内にいつも立つ事に なる。そんな事はさておいて今日の僕の立つ時のテーマは「膝に力を入れて立ってからも腰にも力を入れて何回か腰を 伸ばす動作をする事」。やってみたら少しずつは力がついてくる様な気がした。明日も続けよう。

1月6日 リハビリ
午前10時過ぎ訪問リハビリ登場、今日は下半身のリハビリ、Nさんのリハビリ(下半身の可動域訓練)は師匠の教え通り 結構厳しい&気持ちいい??。もし声が出せたらこそっと「痛い」って呟いているかも、僕の声を聴きながら関節も かなりギリギリまで攻めてくれる。…嬉しい…かな。
最後はH先生の立位訓練。退院直後10日前まで自信もあったし調子も良かったのだが今は…。今日のベッドは少し低め、 もっと高くすれば楽だと思ったけど。H先生の立たせ方も僕にとってちょっと厳しめ、僕が膝に力を入れないと 立てない様な仕方でサポートして立たせてくれた。今日少しは膝に力を入れるコツが思い出せたかな。

1月4日 不調?
12月30日から1月3日までの五日間車椅子に座っていなかった。ずっとベッドに寝たきりだった(30日入浴はしたけど)。 だからなのか今日の車椅子移乗の時腰が少しふらついたし膝折れしてしまった。膝にどう力を入れていいのかよく 分からなかった。こんなこと恐らく初めて。腰がふらついたのはたぶん五日間ずっとベッドに寝たままだったせい、 車椅子に座る事がこんなに大切な事だったとまた改めて感じた。出来れば中間の31日と2日車椅子に 座らせてもらうべきだったなあ。だけど五日間車椅子に座らなかった事がこれほど膝に来るとは思わなかったなあ。
これからまた少しずつ膝に力が入る様に戻していくしかないな。五日間のつけが何日・何十日になるのかなあ。力が 戻るまでの車椅子移乗が心配だけど、特に木曜日が。

1月4日 友来たる
今年も正月明けにTが訪ねてきてくれた。そして昨日あった中学校の同窓会の話を聞かせてくれた。参加者は30名ぐらい 誰が来ていたとか名前を挙げていろいろ話してくれたが結論「みんな年をとったな。」で話しを締めた。Tには事前に 「みんなで中学校の応援歌を歌って欲しい」と頼んで歌詞を送っておいた。その依頼を受けて?みんなで校歌と応援歌を 歌ったとの事、動画に撮ってくれたらしいので見るのが楽しみだ。我が中学校ではもう何年も前から応援歌は 歌わなくなったらしい。中学時代の娘に聞いたらかなりうるおぼえだった。中学校に何とか復活させたいのだが。
僕をいつも訪ねてきてくれる小中学校時代の友人・同窓はTとHの2人しかいない。みんな僕の行いのせいだろう。僕は よほど相性が合わない人でなければ誰とでも比較的短時間ですく仲良くなれる。親しくなったら一緒に遊んだし その人の家に遊びに行ったり泊まったりもしていた。それなの地理的に離れてしまうとその後一切付き合いを しなくなっちまう。要するに連絡を取ったりするなどまめな事をしない深い付き合いが出来ない性格の様なのだ。 あの時ちゃんと連絡先を聞いておけばよかったと考え今でも後悔する事もあるくらいだ。情けなし。

1月3日 正月三が日
三が日は駅伝三昧、2日3日は箱根駅伝。しかし最近は選手を知らないからワクワクしないしあまり面白くない。 何故かって。このところ年末一二の楽しみだった高校駅伝を見ていないから。だってその時期はいつもレスパイト 入院しているから。僕は昔から高校駅伝はクリスマスの頃って記憶がある。それで退院した直後の日曜日(12月27日) 嫁さんに「今日高校駅伝?」って聞いたら「先週あった。」との事。今日日の高校駅伝の行われる日付はどうやって 決まっているの?。
この頃気管切開部からの痰・唾液?の横漏れが激しい。体調が下り始めるとだらだら流れてくる(らしい、僕には そこまで濡れているとの感覚はほとんどないのだけれど)。嫁さんは「1日に1リットルは出ているんじゃない。」って 言った。それはあまりにも大袈裟だが…。嫁さんが僕の事を考えて「着替えよう。」と言っても僕の返事は「ノー」、 明日から訪問看護も始まるしその時清拭もしてもらえる。「何故?。」「長くかかるかる」「一人でしているのだから 仕方ないじゃない。」。今は正月で子どもたちもいるのになあ。

1月1日 未だに僕の病気を受け入れらない親父
元旦、僕は例年通りテレビで実業団駅伝(男子)を見ていた。居間ではみんなで雑煮を食べていた。僕は…当然…なし。 仲間に入りたかった、せめて雑煮の汁ぐらい味わいたかった。昨日も年越しそばの汁飲んでないし…、仲間外れは 何となく寂しい。僕も少しは正月気分を味わいたかったなあ。
今日親父が3回も来た。親父が来るのは決まってひどく酔っ払った時、今日の親父はちょっと変で「手を動かせ・足を 動かせ。」と言って僕の胸を叩いた。リハビリをしてやるつもだったのか手足を動かした、でもやり方が無茶苦茶。 正直僕は恐怖を感じた。人工呼吸器の事もコールの事もよく解かっていない親父、でもあんなやり方はないよ、 このままじゃ死ぬと思ったよ。昔はあんなに強い背中を見せてつけていた親父が今じゃあこの様、情けないよ 悲しいよ 寂しいよ 辛いよ。僕の腕を動かしながら涙を流していた親父、本当に申し訳ない。


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